(7)
「あ、私、
そういうと、ハムスター先輩改め江野先輩は、ペコペコと頭を下げた。
「あ、僕は宗川と申します」
「僕は手島といいます。よろしくお願いします」
遅ばせながら、お互いに自己紹介を済ます。そんなに先輩に畏まられるとこっちが申し訳なくなってくるので、もうちょっと堂々と構えていてほしいというのが本音だが。
江野先輩が困ったように椎田先輩をチラチラ見ていると、椎田先輩はようやく踏ん切りがついたのか、息をふぅと吐き出して喋り始める。
「そのリレーのことなんやけどな、許可とってないで勝手にやったらしいんよ。それで教頭が活動禁止にするー言うて、ブチ切れたんさ。けど、伊村さんと新しい顧問の先生がめっちゃ謝って、そんで処分が軽く済んだんやけど、それでも見学禁止になっちゃって」
椎田先輩はアハハーと乾いた笑い声を漏らしながら頭をかいた。恐らく当事者だったので呼び出され、教頭のブチ切れ現場にいたのだろう。江野先輩に向かって「怖かったでー」と付け足していた。
「なので見学はできません!ごめんなさい!」
そういうと、椎田先輩は胸の前で手を合わせた。
もちろん俺たちは後輩で、「なんで見学できないんですか!納得できません」と怒る謂れもなかったので、許すしか選択肢はないのだが。
「いいですよ、僕もうこの部に決めましたんで!」
手島が胸を張ってそう宣言すると、椎田先輩と江野先輩は嬉しそうに顔を綻ばせた。
「ありがとう、これからよろしくね」
椎名先輩が満面の笑みで手島と俺を見た。え、俺関係ないんですけど。
その後、手島は陸上部に入る決意を固めたので、俺はなんとなくめんどくさくなってきて、それぞれ他の部は見学せず帰ることにした。
電車通学らしい手島と別れ、自転車置き場に行く。
自宅までは自転車で30分ほど時間を要する。朝は気温が低く、自転車に乗って風を受けると着ている厚着と相まってちょうど良いくらいの涼しさだったが、帰りはそうはいかないだろう。何せこの暑さだ。
少し汗をかいているせいでくっついてくる肌着に嫌悪感を覚えていると、背後から声が聞こえた。
「あ、里司やん」
声をかけられたというより、つい声が出てしまったという風に近いが、この声は美那だ。それにこんな風に声をかけてくるのは、美那しかいない。『今は』いないだけで将来的に出来る予定なので全く問題ないけれど。
「今から帰るん?」
美那が自分の自転車に荷物を載せながら聞いてくる。彼女の家は俺の家の近くなので、彼女も自転車通学だ。
「おう、陸部見学したらあかんらしいからな」
俺がそう答えると、美那はんーと唸った。どうやらご不満らしい。
よく見ると、彼女は黒革のスクールバッグの他に、一回り小さなビニール袋を持ってきていた。多分あれは運動用のジャージだ。美那は今日、部活に参加するつもりだったのだろう。
「でも、あんなんで見学禁止とかしょうもないよね」
やはり部活に参加するつもりらしかった美那が愚痴を漏らす。
俺が「あぁ、そやな」と適当に返事をすると、美那が自転車を押して俺のすぐ後ろまで来た。
「なんやったら、はよ帰ろ」
サドルに跨がりながら、美那が言った。え、一緒に帰るのか。
まぁ、家も近いし、ここで別れるのも変か。
いや、待て。いくら幼なじみで昔から意識することなく一緒にいたとは言え、一応俺は男子で、美那は女子だ。男女が2人で一緒に帰るということは、何か特別な意味を持ってはないのだろうか。あれ、なんか緊張してきたぞ。
美那はどう思っているのだろうか。
確かめるために、後ろにいるはずの美那の表情を盗み見ようとすると、もう美那はそこにはおらず、少し離れた自販機で飲み物を買っていた。
まぁ、あのバカにはそんな深い考えはないだろうな。やっぱり、家が近いから一緒に帰るだけだ。
そう思い直して自転車に跨がると、美那のところまで行く。今度は俺が放っていく番だとばかりに思い切りペダルを漕いでやると、美那はそれを見て慌てて自転車に乗った。
だが、俺の方がスピードに乗っているので、2人の距離が少し開く。
少し意地悪しすぎた気がしたので、ペダルを漕ぐ足から力を抜いた。と言っても、四日市東高校は小高い丘の上に建っているので、帰りは下りである。自転車の勢いは弱まらず、ゴオーっと音を立てて、学校の前にある緩やかなカーブを描いた、急な下り道に差し掛かかった。暑いはずなのに、心地よい風が頬を
なんや、結構涼しいやん。
眼前に広がるのは、住宅街と、横一線に広がる四日市コンビナートの工場群とそこから伸びる煙突。
それと対を成すように、黒に近い濃紺の
そして、散ったばかりの桜が、風に巻き上げられてひらひらと舞っていた。
俺は、風になっている。
この胸の高揚感は、久しく味わったことのないものだった。
どこだったっけ。そう考える間もなく、その高揚感は悪寒へと形を変える。
やばい、スピード出しすぎた。
地面から手に伝わってくる振動の痛みが、赤信号を灯していた。これ以上はやばいよ、と。
少し強めにブレーキをかける。中学から使っている俺の相棒は、キーーッと限界を超えたブレーキ音を鳴らしながらもしっかりと減速してくれた。危ねぇ、マジ危ねぇ。あと少し遅ければ、下り坂の先、車通りの多い交差点に突撃するところだった。
「ほんまになにしとんねん」
追いついたらしい美那が、後ろから呆れ顔でため息をつきながら言ってきた。本当にその通りです次から気をつけます。
美那が俺の横をスイッと抜けて、先に行ってしまう。
こいつは本当に一緒に帰るつもりがあるのだろうか。
乱れてしまった髪を手櫛で直し、急いで美那を追いかける。
その時にはもう、さっきの爽快感は嘘のように消えていて、また肌に纏わり付いてくるような暑さが戻っていた。
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