(4)
拡声器だろうか、機械的な声の様に聞こえた。
グラウンドの方からだ。
友人と話していたり、携帯をいじったりしていた生徒の視線が、一斉に渡り廊下の左側に集まった。
俺や手島、美那も連られてそちらの方を向いた。
声の主は、グラウンドの真ん中で拡声器片手に仁王立ちしていた。かなり遠くで見えないが、どうやら男子2人組らしく、もう一人は隣で腕を組んで立っていた。
一際目を引いたは、その格好である。
全身的にぴっちりとしたフォルムのウェアは、上はレーシングシャツと呼ばれる首が詰まったシャツと、下はランニングタイツと呼ばれる、腿の半ばくらいの長さのスパッツだ。
色は紅白でデザインされており、日本代表のユニフォームですと言われても違和感がない。
あれは恐らく、陸上のユニフォームだ。
「おー、聞こえとるな。紳士淑女の皆様ごきげんよう。俺は陸上部部長の
この人の名前に聞き覚えはなかったので、さっき部活紹介で陸上部の宣伝をしていたのは別の人ということになる。まさかこの為の準備をしていたので、あちらには不参加だったのだろうか。前で喋らされた人にとっては、流れ弾この上ないだろうなぁ……。
いつの間にか、グラウンドには他にユニフォームを着た男女2人の計4人が交互に楕円を描くように、均等の距離で立っていた。一周300mほどだろうか、見慣れた400mトラックよりは一回り小さく感じた。
俺たちの周囲の1年生はと言うと、長い行列で退屈気味だったのか、良い暇つぶしができたと言わんばかりに注目していた。もちろん前に進みながらだが。
「オンユアマーク」
伊村部長が、さっきの声を張った言い方よりも幾分か落ち着いた声でそう言うと、ここから一番近いところに待機していた、短い髪をポニーテールにした女子の先輩が屈んで、手と左膝を地面に付けた姿勢になる。
その手には、金色のバトンが握られていた。
「あれ、何しとるん?」
手島が困惑したように呟く。多分俺に訊いたのだろうが、代わりに美那が答えた。
「クラウチングスタート。テレビとかで見たことない?」
「あー、そういえば見たことあるわ」
世界陸上やオリンピックに限らず、短距離競技ではこのスタートの仕方がメジャーだ。テレビなどで1度でもレースを見たことがあれば、このスタート方法は見たことがあるはずだ。
今はスターティングブロックという、スタート時に使う足を支えるための補助器具が設置されていないので本来とはかけ離れているが、せめて体裁だけでも、ということだろう。
「セッ」
そういうと、女子の先輩は腰をぐっとつきあげた。男子からは「うおっ」という声が漏れる。こいつら中学生かよ。良い腰のラインだとは思うけど……。
別にじっと見ていない。プロの思春期ともなると、なんとなく見てはいけない様な気がしてさっと目をそらしてしまうのだ。俺も見たのは一瞬だが、美那が冷たい目をこっちに向けている。
一瞬言ってるだろ、手島なんかガン見してるぞおい。
伊村部長の方に視線を戻すと、横の男子の先輩が片手を上に突き上げていた。
挙げていない方の腕で片耳を塞ぎ、もう片方の耳は挙げた腕で塞いでいる。
あの体勢は……。
そう思うや否や、「パンッ」という破裂音がグラウンドに響いた。手島は明らかにビクッとなっていたが、周りでもそうなっている人が相当数いたので目立たなかった。
その先輩が使っていたのはスターターと呼ばれる、スタート時に使用されるピストルに形状が似たやつだ。
最新のものだと電子式で、破裂音ではなく「ビーッ」という感じの電子音が鳴るようになった。
もちろん高校レベルだと旧式である火薬式を使っている高校が多く、ここもそうらしい。音が鳴ったスターターからは、丸い煙が出ていた。
火薬を使うと、離れていても結構な音がする。
慣れている人でも、心構えをしていないと割と驚いてしまうのだ。陸上歴6年の俺や美那でもそうだ。
「美那、今ビクって」
「なってない」
「でも、肩がビクって……」
「なってない」
さいですか。本人がそう言うなら立証しようがないので、どうしようもない。動画に撮っとけば良かったな今の。
そういうやりとりをしていると、女子の先輩は向こうの方に行ってしまっていた。一周が300mなら、4人で割ると75mだ。これ位なら、あっという間に次の走者にたどり着ける。
2走である、遠くでよく分からないが、多分男子の先輩が走り始めた。「はいっ」と言う女子の先輩の声が辛うじて聞こえてくると、男子の先輩が後ろに手を高く上げた。
バトンが渡されると、男子の先輩は加速して勢いよく走り始めた。「おおー」という歓声があちらこちらであがっている。だが、俺は、ん?と眉間にしわが寄ってしまう。
これは、また……。
「下手だなぁ……」
「そうやな」
どうやら美那も同じ意見らしく、苦笑いを浮かべていた。
「え、どこが下手なん?かっこええやんか!」
3人の中で唯一の陸上未経験らしい手島は、目を輝かせて次の走者と行われるであろうバトンパスを見逃さないぞとばかりに、走りに見入りながら俺たちに弾んだ声でそう言った。
行列は、リレーを見る人と興味がないのでそのまま帰る人とで二分していた。そのため、前よりは渋滞からそこそこ人は減っており、人の間を縫っていけば、止まることなく教室に戻ることが出来そうだった。
はっきり言ってもう帰りたかったが、こうも欲しいおもちゃを見つめる子供みたいな目をしてリレーを見ていると「帰るぞ」と言い辛いので、最後まで付き合うことにした。
最終走者がゴールすると、観客から拍手が起こった。伊村部長は手を挙げてそれに応えると、また拡声器を通して喋りだした。
「やぁやぁ、ありがとう。僕たち陸上部は、経験者はもちろん初心者でも、誰でも歓げ」
そこまで言うと、校舎から先生が数人飛び出してきて、大きな声で叫んだ。
「コラーー!陸上部!!貴様ら勝手に何しとるんだ!!」
俺はまだこの学校の先生についてよく知らないが、地声で拡声器越しの声をかき消すほどの声量と、ジャージのシャツをジャージのパンツにインするという斬新極まるファッションながら、それが似合ってしまう厳つい顔が、「あ、この人怖い人だ」と本能的に理解させられた。
まさか、許可を取ってないのかこの人達……。
「やべっ!撤収するぞ
伊村部長の横に立っていた前川というらしい先輩は、スターターとそれに詰める火薬の箱を素早く回収すると、伊村部長と一緒に、一目散に体育館の方に逃げていった。どうやら前川先輩はこうなることを予想していたらしい。
俺たちに一番近いところにいる、眼鏡をかけ、細身で長身な男子の先輩は、走り終えたばかりで少し息切れをしていたが、伊村部長の方を恨めしげに睨みつけると、苦々しい表情で呟いた。
「許可、取ったって、言ってたじゃないすか……」
それだけ言うと、諦めたように前川先輩と同じ方角に向かって走って行った。
他の陸上部員も、同じように走り出す。
こういう状況に慣れているのだろうか。
教師陣は校舎から逃げた生徒を追いかけるために出てきたが、相手は走ることを専門とする陸上部員だ。すぐに捕まることはないだろう。
まあ、あれだけ高らかに陸上部の宣伝をしていた手前、後で呼び出されたときに弁明することは不可能だと思うので逃げるだけ無駄だと思うが。
それまでリレーを見物していた1年生をはじめとする生徒は、怒り狂った教師の登場により、そそくさと自分たちの教室に戻り始めた。まだ学校が始まって2日目だ。もう教師に目を付けられるなんて堪ったもんじゃないというのがおおよそだろう。
ちらっと美那の方を見ると、目が合った。美那は頬をかくと、首を振った。何となくだが、美那の言いたいことが分かる。
ダメだこれ。
グラウンドから完全に陸上部が姿を消した後、手島はふぅーと満足げに息を吐くと、俺と美那を見て、真面目な顔つきで宣言した。
「俺、陸上部に入るわ」
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