(3)

 その時、ふと視界に見覚えのある後ろ姿が入った。


 身長は女子にしては高めの160cm程度で、細身。肩ぐらいの長さに揃えられた髪は、暗い赤褐色。前に何かで見たが、栗皮色くりかわいろという色らしい。うちの高校では染髪が禁止されているため、これは地毛ということになる。

 ソックスの隙間から見える膝裏は、受験で部活をやっていない筈なのに若干浅黒い。これはこの人が地黒だということの証左だ。

 それと、一瞬見えた横顔で、俺の推測は確信に変わった。もう横顔が見えたなら推測とか色々意味なかったような気がするが。


美那みな

 声を掛けると、前の女子が勢いよく振り返った。表情は明るく、「ペカー」というサウンドエフェクトが入りそうなくらい、満面の笑みだった。

「はい!……なんや、里司か」

 俺の姿が目に入るなり、さっきまでの笑顔が嘘のように顔面から表情がつるんと抜け落ちた。「萎えた」とでも言わんばかりに、彼女はフイッと首を前に戻してしまった。

 と言っても、列に割り込んで先に行けるほどの隙間は無いので、まだ俺たちの前にいるけれど。

「同じ高校やったんやな、知らんかったわ」

「言ってないでな。あたしこそ、里司がこの高校って知らんかった」

 俺の質問に、視線はこっちに向けず、どうでもいいという感じでぶっきらぼうに答えた。


 高藤たかとう美那みな。幼稚園の時からの幼なじみで、単に学校が同じだけではなく小学校の陸上少年団と中学の陸上部で一緒だった、もはや腐れ縁のような関係の女子だ。

 多分こう思っているのは向こうも同じなので、反応が素っ気なくても別に傷つかない。

 これがリアルな幼なじみである。


 だが、それを知らない手島は、驚いたように俺に尋ねた。

「誰その子?彼女?」

「ち…」「違うよ」

 俺が言い切るより早く、美那が今度は体ごと振り返って否定する。あの、そんなに早いと流石に悲しいんですけど。事実じゃないので当たり前だけど、もうちょっとこう、ねえ。うん。ツンデレ的なあれはないのか。

 でも、普通の人が「べっ別にこいつのことなんか!」とか言ってたら普通に引くと思う。見たことないから知らんけど。


「あたしは高藤美那、里司とはただの幼なじみです。これからよろしく」

 美那はそう言うと、軽く頭を下げて、手島に微笑んだ。

 相変わらず、美那の外面は良い。俺にも小学校低学年までは同じ様に接してくれていたのだが、徐々に扱いがぞんざいになっていった。このくらいの年の子は難しいね、お父さん分からないや。


 手島は「なんやー」と冗談めかして言うと、自己紹介を返した。

「俺は手島肇、よろしくなー!」

 そう言って、微笑み返した。なんだこのリア充オーラは。自己紹介で微笑み合うとかこいつらアメリカ人か。そのうちハグくらいしそうだな。いや、美那は絶対しないって言い切れるけれども。


 突然発生したリア充空間に堪えきれずになんとなく目を背けていると、美那は俺の方を見据えて、一番聞いて欲しくないことを聞いてきた。

「里司、陸上続けるんやろ?」

 実は、陸上を辞めるつもりだということを、まだ中学の連中に言っていなかった。なんとなく言いづらかったからだ。

 

 あの日、中体連が終わった後の、羽田の泣いている顔を思い出す。

 「高校でも続けような」

 「あぁ」

 気のない返事でも、俺は返事をしてしまったのだ。羽田とは別の高校に進んだので、止めることになっても今更何も言われることはないだろう。けれど、俺は約束を破ってしまうことになる。果たしてそれで良いのだろうか。晴れやかな高校生活に、いきなり雲を持ち込んでしまうことにならないだろうか。

 陸上部の集まりにも、何かと理由をつけて参加しなかった。会ってしまえば、高校の話題になり、入るつもりの部活の話になってしまうだろうという連想ゲーム的思考が働いてしまったのだった。


「ええっと……」と口ごもっていると、横からひょいっと手島が入ってきた。

「なに、ムネって陸上やっとったん?」

 ここで誤魔化しても、横に美那がいるので無意味だと判断し、俺は渋々答えた。

「まあ、小学校からちょっと」

 そう言うと、今度は横から美那が「いやいや」と、ひらひら手を振って入ってくる。

「里司、中学の時すごかったんやに。2年の時は100mで東海までいったんやから。幅跳も結構すごいし」

 俺のオカンかこいつ。なんでそんなに誇らしげなんや……。

 手島はそれを聞くなり、目を見開いて俺の方を見つめてきた。

「すごいやんムネ!そんなんやったら、続けへんと勿体ないよ!何が迷っとるんや、もう決まっとるも当然やんか!」

「い、いや、まあ色々」

 ありまして。そう言おうとしたが、あまりにも手島が身を乗り出してくるので言葉に詰まってしまった。


 その時、「あー」という大きな声が、どこからか鳴り響いた。

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