II-03.香凛と花宮家

「大丈夫ですか?」


 派手に斬り裂いたことで返り血がひどいことは自分でも分かっていたので、私は元の私服姿に戻ってから家族連れの方に振り向いた。香凛も人間の姿となり、私の隣に立った。


「「「……」」」


 三人ともあまりの突然の出来事に、何も言葉を発せないでいた。目の前にさっきまでいた妖獣が死んだことか、私たちが突然姿を現したことか。どちらにせよとても何かコメントできる状況でないことは私も分かっていたので、私は構わず言葉を続けた。


「ここは以前から妖獣による被害報告が多発しているところなので、歩いて通ろうとしない方がいいです。今度ここを通られる際は、車での通行を強くお勧めします」


 それから私は携帯をポケットから取り出し、ストラップとしてついている鈴をチリンチリン、と軽く三回鳴らした。それに呼応して、妖獣の遺体がすっ、と天に召されるようにして消え、血の跡もすっかり消えた。妖獣の遺体をその場で処理するための簡易的な処置だ。

 私は家族連れがひたすら礼を言いつつトンネルを進んでいき、市街地まで出たのを見送って、その場にしゃがみ込んだ。


「……疲れた」

「……さすがにバイト終わりにこれはねえ」


 今回のように緊急通報があった場合は別だが、普段はバイトがある日はバイトだけ、妖獣退治の仕事がある日はそれだけ、と分けるようにしている。これまでも何度かは二つともやらなければならなかった日があったが、今日は特に疲れていた。


「泊まってく?」

「香凛の家に?」

「今日はお父さんいないの。大阪の支社に視察に行って、そのまま向こうに泊まるから、って」

「……そっか」

「どうする?」

「泊まらせてもらう。ありがと」

「ううん、気にしないで」


 距離的には香凛の家の方が、今いる狛川トンネルから近かった。私は香凛の言葉に甘え、父親にその旨を連絡した。



* * *



 ここまでの私と香凛の間柄を見れば明らかかもしれないが、私たちは一応、お付き合いをしている関係だ。

 もちろん私も女、香凛も女だから、あまりいい顔をしない人もいる。それでも幼稚園の頃から一緒に遊んだり、一緒にご飯を食べたりしている仲だから、私にとってはこれからもっと近くにいたい、友達以上の関係に踏み込みたいと思った相手が偶然、香凛という女だったというだけで、それ以上でもそれ以下でもなかった。たぶん私が二年前に思いを打ち明けた時すぐにうなずいた香凛も、同じ考えなのだと思う。


「お帰りなさいませ、お嬢様。薫瑠様もおいでですか」

「うん。泊めてあげてもいい?」

「もちろんでございます。すぐに薫瑠様の分のお食事もご用意いたしますので」


 花宮家は典型的なお屋敷だ。香凛にはきょうだいがいないので、両親と三人で暮らしている。香凛だけが使えるという部屋もいくつかあるそうだ。


「明日の用意。しておいた方が」

「そうだね。別の人を向かわせるよ。かおるんは休んでて大丈夫」


 そう言うと先ほど出迎えてくれた初老の男性(香凛いわく、じいやと呼べばいいらしい)に香凛は手短に用件を伝えた。しばらくすると車のエンジンがかかり、敷地の外へ出て行く音がした。別の使用人が私の家に向かったのだ。


「今日の晩ご飯、かおるんの嫌いなものは入ってなさそう?」

「確か……ええ。私の記憶違いがなければ、入っておりません」


 私も香凛の家には何度か泊まったことがあるので、味の好みとか好き嫌いとか、そんな細かいことまで把握されている。特にじいやなんかは、私を香凛と同じくらいに扱ってくれる。今でも恐れ多く思いつつ、何度目かの話で慣れてしまった。


「非常に申し上げにくいことなのですが」

「うん」


 そのじいやが制服のニーソックスを脱ぐ香凛に対し話を続けた。私は香凛がお屋敷のエントランスであるここで制服丸ごと着替え出すのではないか、とヒヤヒヤしながら会話を見守った。


「本日は旦那様がおられませんから、問題ないと言えば問題はないのですが……できれば以前のように、食事の食べさせ合いなどは、控えていただけると」


 今日の昼にあったような食べさせ合いは、実は私たちにとってそれほど珍しいことではなかった。学校でこそ変な話が広まっても困るのでやらないが、こうしたプライベートな時間では、ごく当たり前のようにやっている。私も香凛も、お互いの嬉しそうな顔を見るのが好きなのだ。


「うーん」

「旦那様が眉をひそめられることの他に、単にマナーが悪いということもございますので」

「分かった。じいやがそこまで言うなら。今日はお昼にやったもんね」


 ね、かおるん? と相槌を求められ、私は少し間抜けな返事をしてしまった。


「本日は薫瑠様の喫茶店に?」

「私のじゃないです。私の祖父のです」

「そうでした。そちらにいらしたのですね」

「探したの?」


 めんどくさ、みたいな顔をして香凛がじいやに言った。香凛の帰りが遅いと香凛を捜索するシークレットサービスが何人か出動するのだ。確かにみんなサングラスにスーツ、いかつい顔と、典型的な怖さを兼ね備えているので、私もその出動はごめんだった。


「私の権限ではございません。全て、旦那様が独断でお決めになることですので……」

「あーもうお父さんったら。このまま大阪から帰って来ないくらいでちょうどいいよ」


 香凛のお父さんは結構厳しい人だ。一人娘で後継ぎである香凛に対して過保護気味だし、花宮家のかなりの重要事項を一人で決めてしまう。それで今まで上手くいっているところもすごいのだが。一人で決めるために各地方の視察も重視していて、実は家にいる時間の方が圧倒的に少ない。その反動か、時たま家に帰って来るとやたらうるさく言う、という香凛の話である。ちなみに香凛のお父さんが私と香凛の仲を断じて認めていないというのが、話をややこしくしている。


「それは冗談でもおっしゃってはなりません。……」

「今の花宮家はお父さんなしには存在しなかった。でしょ」

「お分かりなのでしたら、どうぞお控えください」

「はいはい」


 戦前の花宮家はこの辺りでしかそこそこ有名でない、小さな商店に過ぎなかった。それを全国規模にしたのが香凛のひいおじいちゃんとおじいちゃん、世界的に著名にさせたのがお父さんなのだ。香凛も逆らったり愚痴を言うことは許されなかった。


「食事の用意が整ったようです。どうぞ、こちらへ」


 私たちはじいやの言葉に従い、ダイニングルームへ向かった。



* * *



 花宮家には暗黙のルールがある。今回のような晩餐時には正装で臨まなければならない。私には汚れるのにどうしてそんな格好で食べないといけないのか全く分からないのだが、ルールは守らないといけないらしい。わざわざダイニングルームの横に正装に着替えるための更衣室があるくらいだ。


「……平服じゃダメなの?」

「こればっかりはね。もちろん外じゃ普通じゃないのは分かってるんだけど、うちではこうしないとお父さんが怒るから」


 もちろん今回の晩餐の参加者である私もドレスに着替えなければならなかった。あまり花宮家に遊びに来るから、私のサイズに合うドレスが用意されている。そこまでされれば逃れられなかった。

 ただ料理自体は一流で、とても私の家ではありつけないようなものばかり出て来る。いわゆる世界三大珍味を口にしたのも、こうして時々晩餐に参加するようになってからだ。もっとも、それらをおいしいと思ったかは別の話だが。

 幸い今回のメインディッシュは牛肉のステーキ。ちょっと食べただけでもかなり値が張るものだ。


「おいしい?」

「おいしいけど、こんなの毎日のように食べてて大丈夫なのかなって」

「金持ちってこういうのばっか食べてる、って思われてるからね。そのイメージが崩れるのはどうかと思うし、話題作りにもなるから」


 そんなことまでして話題作りしなくても、としか私は思わなかった。



* * *



「本日は薫瑠様がお疲れとのことでしたので、露天風呂の方をご用意しております。どうぞ、ごゆっくり」


 食事を終えて落ち着くとじいやがそう言って、どこかへ行ってしまった。それを聞くなり香凛があっという間に元の服に着替え直してきて、


「お風呂だー!」


 と私を抱きしめた。暑苦しい。というか、一気にお嬢様感がなくなった。


「かおるんとお風呂〜」


 香凛は普段からのんびりしているが、特にのんびりできるお風呂の時間と、寝る時が好きらしい。二時間も香凛がお風呂から出て来ないので、溺れているのではないかと心配して、じいやが慌てて家政婦さんを呼んだという話もある。


「……露天風呂、かあ」


 いくら金持ちとは言え、家に露天風呂があるところはそうそうないだろう。花宮家の今の屋敷は香凛のおじいちゃんのたっての願いで、温泉が掘り当てられた場所の上に作られたそうだ。そんな珍しい露天風呂を私と香凛の二人で一時でも独占するのだから、嬉しさよりも罪悪感の方が大きい。


「また難しいこと考えてる。疲れてるんでしょ、早く入ろ?」

「お風呂入るのってむしろ体力使うことらしいけど」

「えー」


 聞き流しているような返事をしつつも、あっという間に香凛は一糸まとわぬ姿になって露天風呂につながる扉を開けた。私も慌てて後を追いかけた。


「ふー」


 香凛には恥じらいというものがないのか、と時々私は思う。そもそも今いる露天風呂は外からは見えない構造になっているから、見られるとしても私しかいない、という安心感があるのだろうか。香凛は行動が妙に庶民くさいところがあるが、こう見えても名家のお嬢様だし、狙って来る男はいっぱいいる。しかも、香凛が妖獣だということを知らずに。香凛は基本的に私と結ばれる未来しか想定していない楽観的な子なので、その辺りの耐性がない。今は私がやんわりとその場を切り抜けさせれば何とかなるかもしれないが、いずれ香凛のお父さんが私たちの仲を引き裂こうと、実力行使してくる可能性もなくはない。


「……私がもし男だったら」

「え?」

「どうなってたと思う?」

「わたしのお父さんが、どう言うかってこと?」

「そう」


 香凛のお父さんが主に反対する理由は、私と香凛が同性だから。つまりそのまま結ばれてしまえば、後継ぎはどう頑張っても生まれない。香凛の代で花宮家が途絶えるのを避けたいというお父さんの気持ちも、私には分かる。


「どうだろう……それでも、やんわり反対はするかも」

「でもそれは、異性とか同性とか、そういう問題じゃなくなるよね。もっと、別のところに」

「うん。わたしたち二人とも、半妖獣・・・だもん。そのせいでこれまでも、ウチと遼賀家は結ばれなかったわけで」


 わたしたちリア充するの無理なのかーっ、と香凛が虚しく叫んだ。両腕を伸ばして、誰に言うわけでもない形で。

 私もそればかりはどうしようもないと、ため息をつくしかなかった。ため息で湯気の立ち上るお湯が少し、波を作った。

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