II-02.二つの仕事
「薫瑠、少しケーキの方を手伝ってくれないか」
祖父のその声で私はふと我に返った。この席はキッチンからは死角になっているから、祖父が私たちのことを見てそう言ったわけではないだろうが、それでもドキッとした。
「かおるん赤くなってるー」
「う、うるさいっ。突然香凛があんなことするから……」
「人のせいにするの? かおるんも結構乗り気だったのに?」
「ぐっ……」
私は何とか平静を取り戻そうと首を軽く横に振り、立ち上がった。心臓の鼓動がなかなか落ち着かなかった。
「あ、じゃあついでに注文いい?」
「……なに」
「フルーツパフェ、クリームマシマシで」
「そんなサービスはない」
「じゃあ、いちごもう二つくらい足しといて」
「倍料金いただきます」
「ひどい! いちご二つがパフェと同じ値段だなんて! ぼったくり!」
「うちケーキとかパフェとか案外出るから、いちご足すなんてそんなサービスはできないの。もういい? 普通のパフェ持ってくるよ」
「普通のパフェは持ってきてくれるんだ」
「まさか要らないの?」
これだけ私を拘束しておいて要らないというつもりか。それはむしろ私が個人的に怒る話だ。
「あー、いや、要るよ! 要る要る! ください!」
「分かった。ちょっと待ってて」
わくわくした目で私を見る香凛を尻目に、私はキッチンの方へ戻った。
「花宮さんかい」
「え? そう、だけど」
「いちごの一つや二つくらい、おまけしてあげなさい」
「聞いてたの?」
「かなり大きな声だったぞ」
「ごめんなさい」
動揺するあまり私は声が大きくなっていたらしい。祖父に謝りながら、再び自分が恥ずかしくなった。
「今月はいちご、足りそうだから。いつも世話になっていることもあるし」
「分かった」
私はてきぱきと容器を出してプリンを落とし込み、その上からいろいろなフルーツを盛り付けてクリームを絞る。言われた通り、二ついちごを余分に乗せて、香凛のもとへ運んだ。パフェを作る担当は私だから、慣れたものだ。
「お待たせ。クリームマシマシじゃないけど、いちごサービスのパフェ」
「ホントに!? やったあ!」
香凛は無邪気な子どものような満面の笑顔を浮かべた。香凛の目の前に運ぶか運ばないかといううちから、フォークでパクパクとフルーツを平らげていく。
「かおるんもお疲れ様。はい、あーん」
そのサービスしたいちごを、香凛は私の口元に差し出した。さすがにいちごでつんつん、と口元をつつかれては断るわけにはいかないので、私はおとなしく口を開けた。
「うーん! 口を開けてもぐもぐするかおるん、かわいいー」
「私が何かするたびにそう言ってない?」
「そんなことないよ。かおるんはかわいいなーって、ただそれだけ」
「一応私も仕事してるから。あんまり遊んでると怒られるし、あまりちょっかい出さないで」
「仕事終わったらちょっかい出していい?」
「そういうことじゃない」
どんどん香凛に言いくるめられている気しかしなかった。
「今日冷たくない? もしかしてイライラしてる? 更年期?」
「そんなアホな。イライラはしてない。仕事中に香凛がイチャイチャ絡んでくるのが問題なの」
「かおるんもまんざらでもなさそうだよ?」
「それは……」
あんなことしてきたらいくら仕事中でも断れないじゃないか、と私は言おうとしたが、それでは負けを認めることになる気がしたので、口をつぐんだ。
「ありがとね、いちご。お仕事、頑張って」
かと思うといい加減私をいじるのに飽きたのか、香凛がそう言った。私は香凛の屈託のない笑顔を尻目に仕事に戻った。もううんざりなような、もっと構ってほしかったような微妙な気持ちを抱えたまま。
* * *
「じゃあ薫瑠、上がってもらっていい。お疲れ様」
「お疲れ様ー」
夕方六時。始業式ということもあり早くからシフトに入ったので、終わるのも早かった。まだ沈みかけている夕日を見ながら、私は家までの道を歩き始めた。
「かーおるん」
「……香凛」
香凛が店の前で待ち構えていた。
「また怒ってる。私のせい?」
「別に、怒ってない」
「声も顔も怒ってる。怒ってなくても、何だか不機嫌そう」
「そう見える?」
「何年かおるんと一緒にいると思ってるの?」
私が香凛と一緒にいるようになったのは幼稚園の頃の話だ。お互いの気持ちもだいぶ分かっているつもり。つもりなだけなのかもしれないが。
「……今日のお昼のこと。あれでしょ?」
「あれはそんなに怒ってない。……って、だから怒ってないって」
「今からぎゅってしても?」
「……別に」
私が言った途端、香凛がこれでもか、というほど私を抱きしめた。単純に息苦しかったのと制服のブレザーにシワがつきそうだったので、私は香凛の背中を軽くぽんぽん、と二回叩いた。
「……分かった。今日の香凛はやたらスキンシップが多い」
もしかしたらそれが、私の顔が不機嫌そうに見えた理由かもしれない。頬をふにふに突っつかれたりとか、抱きしめられることは嫌いじゃないが、さすがに一日に何度もされるとありがたみがなくなる気がする。
「うん。それは自分でも思ってた」
「思ってたならやめて」
「でも今日はそうしないと落ち着かなくて」
その時。制服のポケットに入れていた私の携帯が、けたたましいアラート音を立て始めた。人間に本能的に危機感を覚えさせるような、不協和音の集まったメロディ。
「……何でこんな時に」
「行くよ、かおるん。わたしも把握した。ここからおよそ三キロ。方角的に、
先ほどまでのんびりした口調で話していた香凛が、急に大真面目な話ぶりになる。さっきのアラート音は、誰かが妖獣に襲われてSOSを出した時に鳴るものだ。退妖獣使である私にその通報が届くようになっている。
学校では私が退妖獣使であることを知る人は多いが、駅前の通りを歩く人たちはそうではない。私は香凛の腕を少し引っ張りながら裏路地の方へ入った。そして、体にほんの少し力を入れる。
しゅぼんっ
と音を立て、私の体が白い煙に包まれる。その一瞬でいいところのお嬢様、というのがすぐ分かるような制服から、高貴ささえ感じさせる真っ白い装束に私の服が入れ替わる。私が退妖獣使としての仕事をする時はいつも、この服装になる。そんな変身まがいのことができるのは退妖獣使だけで、それを怖いと思う人も中にはいる。だからわざわざ、人気のない裏路地に入った。
「香凛!」
「はいよっ」
同時に香凛の体も白い煙に巻かれ、香凛の方は純白の翼になって、私の背中に潜り込む。端から見れば天使のような外見だ。
「バイト終わりだけど。疲れてない?」
人間の姿でなくなった香凛が私の背後で語りかける。
「疲れてる。見たら分かるでしょ」
「大丈夫かな……」
「どうせ雑魚でしょ。なら問題ない」
「そうであることを祈るけど……」
ぐちゃぐちゃ言っている間に通報した人が襲われて、最悪食べられていたということもあり得る。私は思い切り地面を蹴って、ビルの五階くらいの高さまで飛び上がった。
「そこから二時の方角!」
「了解!」
飛び上がったそのままの高さで、私は目的地に向かってまっすぐ飛ぶ。三キロ程度なら、それほど時間はかからない。
「かおるん、あれ!」
「見えてる」
すぐに目的地・狛川トンネルの入口が見えた。素人が歩いて越えるには骨の折れる高さの山を突き通し、隣町との行き来が便利になったきっかけとなったトンネルだ。しかし周辺が森に囲まれ人気が少ないことから、よく妖獣による襲撃被害が出ている。襲撃場所の定番とも言える。そこに一人の幼い子を連れた男女と、オオカミのような姿をした獣が三匹、にらみ合っていた。家族連れの方は腰を抜かし、後ずさりをするのがやっとという状態だった。
「あれは、妖獣よね」
「間違いない。あれはただの、オオカミじゃない。妖獣でなければ、追いかけ回してじりじり追い詰めるなんてことはしない」
その判断はもう、勘によるところが大きい。私も退妖獣使の仕事をするようになって一年近く経つから、勘に頼っても間違えることはほとんどなくなった。
「……使う?」
「使わない。あの程度なら、使うまでもない」
私は手短にそう答えて腰に差さった二本の真っ赤な短刀を引き抜き、妖獣に狙いを定めて着地する準備をした。この程度なら、勘付かれる前に始末できて然るべきだ。私は深呼吸を一度した後、一気にスピードを上げて地面に向かって突っ込んだ。
数瞬の後。
そこには腹をかっ裂かれ息絶えた妖獣が三匹、出来上がっていた。私は軽いため息を一つつき、立ち上がった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます