二幕 遼賀 薫瑠(りょうが かおる)

II-01.相棒より近い関係

 桜は何のために、あんなにきれいな花を咲かせるのだろう。

 世の中には、少しでも効率的に受粉をし子孫を残してゆくために、花を美しくして目立たせ、花粉を運ぶ虫に寄ってきてもらおうとする花があるという。長く子孫を残し滅亡しないためにはそうすることも必要だ、と長い歴史の中で気付いたのだろう。

 だけど私は、桜だけはそうではない気がする。気がするだけなのかもしれないが、桜はもしかすると、人間に美しく見せようと、人間に大切にしてもらおうと働きかけた唯一の植物なのかもしれない。自分で考えたことながら、割と桜のはかなさの理由なんかもうまく説明できる気がして、私はその説が好きだ。その方が単に子孫を残すどうこうの話より、ロマンチックだから。


「なーに外ばっか見てるの、かおるん」

「……あ」

「あ、って。かわいいからずっと放っててもよかったんだけど、あんまりじっと見てるから、何かあったのかって思って。近くに気配・・はないし」

「ちょっと、桜が気になって」

「新入生か。二年目の桜にそんなに感動することないでしょ」

「……まあ、確かに」


 中学二年生の一学期が始まっていた。それこそ新入生ならともかく、私は柄にもなくぼうっとしていた。けれどそれは春のせいで暖かいから、ということにしておく。


「かおるん、春休みの宿題出した?」

「……え」

「ちょっとぼうっとしすぎでは?」

「……かも。ちょっと持っていく」


 私は慌てて立ち上がり、春休みの宿題を持って職員室へ走った。何とか職員室に帰ろうとする担任の先生に追いつき、宿題一式を提出、その場で私の名前の欄に丸を一通りつけてもらった。


「気を付けて下さいね、遼賀さん」

「……はい」

「寝不足ですか? さっきも何回か名前を呼んだのですが、返事がなくて」

「すみません、ちょっと判断力が」

「退妖獣使の仕事をしてもらうのは非常に助かるのですが、しっかり休んで下さいね」

「分かっています。気を付けます」


 私は全力で走って少しめくれたスカートの裾を直しつつ、返事をして教室に戻った。


「大丈夫だった?」

「ギリギリ。何とかなった」

「気を付けようね、かおるん。こういう時判断力鈍いんじゃ、意味ないよ?」

「……いつもぼうっとしてる側の香凛こそ、問題だと思うけど」

「わたしはいいんだよー」


 謎理論を展開されてしまった。これ以上は何を言っても基本的に無駄なので、私は口を閉じた。


「そうだ。かおるんは今日どうするの?」

「今日はバイト。おじいちゃんにもそう言ってる」

「そっか。今日は”仕事”は休み?」

「今日は。さすがにバイトといっぺんにやるのはきついって、前も言わなかったっけ」

「聞いた気がする。じゃ、また会えるね」

「”仕事”の時も会うんだけど」

「そうだね。でも店員さんとお客さんとしてね。”仕事”の時は、ただの相棒だから」

「相棒の方が関係が近い気がするんだけど」

「わたしがかおるんとくっつく時間が長い方が、関係が近いの」

「そんなこと言われても」


 また謎理論で押し切られそうだったので、適当に受け流しておくことにした。


「かおるんはわたしだけのものだから。わたしだけのもの……」

「ヤンデレはらしくないよ」

「やだなあヤンデレなんて。ホントの話じゃん」


 そうこう話しているうちに始業式が終わり、中学二年生の生活が幕を開けた。



* * *



 遼賀薫瑠りょうが・かおる

 私の名前だ。苗字も名前もこれでもか、というほど画数が多くてごつく、しかも男の子にも女の子にも使える名前なのでよく男に間違われるが、私はれっきとした女だ。この春から私立花宮学園中学の二年生になった。

 私は学校ではいたって普通に暮らしているつもりなのだが、他の子たちに比べて明らかに違う点がいくつかある。


「せっかくうちの・・・学校だし、退妖獣使ってことはオープンにしていこうね」


 今香凛の声が私の頭の中で再生されたが、要はそういうことだ。私は正確には人間ではない。いわゆる妖獣、と呼ばれる種で、その昔人間にアヤカシの血が混ざって生まれたものだ。実は私は妖獣、という名前自体あまり好きではないのだが、それはまた別の話。

 と同時に私は、退妖獣使、という役目を担っている。妖獣には人を食糧とする連中が多くいるのだが、その脅威から人間を守る仕事だ。

 そして私といつも行動をともにしているのが香凛こと、花宮香凛はなみや・かりんだ。普段は何でもないような顔をしているが、実は名前を聞けば誰もがうなずく大金持ちの家の一人娘である。


『花宮ホールディングス』


 がそれに当たる。第一次産業から第三次産業まで、花宮の手が入っていない分野はないとまで言われるほど巨大な持株会社。その名家の、一人娘なのだ。本人いわく、


「いろんなところに手出してちょっとずつ稼いでるってだけだから、大したことない」


 そうだが、実際は主に戦後から急速な成長を遂げ、世界規模においても徐々にその存在感を増してきている。私たちが通うこの花宮学園もその名の通り、花宮家が経営している。もちろん私も香凛も受験をしてこの学校に入ってきたが、香凛については裏口入学だといううわさが今も絶えない。


「まあ若干その節があるから、否定できないんだよね」


 これが本人もこんなことを言うものだから、余計にうわさが収まらなくなっている。私としては嘘であることを願うばかりだ。冗談半分で言っているだけだと信じたい。

 そんな妖獣でもあり、退妖獣使でもある私が普段何をしているかというと、喫茶店のアルバイトだ。私たちの学校の最寄り駅にほど近い場所にあるその喫茶店は私の祖父が長年経営していて、今もレトロな雰囲気を残したままひっそりと開店している。


「いらっしゃいませー」


 そんな懐かしさ残る雰囲気を味わいたいのか、一応そこそこのペースでお客さんは来てくれる。いわゆる常連さん、というやつだ。そのほとんどが私の祖父と同年代のおじいさん方だ。あとは案外若い子向けのメニューもそろっているということで、うちの学校からも帰りに寄っていく子たちがちらほら。


「お。今日は薫ちゃんのいる日か。久しぶりだね」

「お久しぶりです」


 私も何度も顔は見ているので、常連さんの顔を一通り覚えている。ちなみに私の名前を少し間違えているくらいはご愛嬌だ。


「マスター。いつものお願い」

「はいはい」


 私の祖父ものんびりと返事をする。ほどなくしてコーヒーの鼻をくすぐるいい匂いが充満する。私はコーヒーが飲めないのだが、コーヒーの匂いは嫌いではない。むしろ好きな部類だ。


「お待たせしました。Cブレンドです」

「おっと、今日はCブレンドだったか」

「Bは昨日だったかと。だよね?」


 私は念のため奥に見える祖父に声をかけた。祖父は同意してうんうん、とうなずいた。

 私もただ常連さんの顔を覚えているだけではない。まだ完璧ではないが、常連さん全員のコーヒーの好みを覚えている。ただBブレンド、Cブレンドというのは日替わりのブレンドコーヒーなので、今日はBは出せないというわけだ。ちなみにこの常連さんの一番の好みはCブレンドだが、Bブレンドもなかなか味わい深くて好み、という情報も把握している。


「しまったな。昨日だったか。ちょっと日にちを間違えた」

「ブレンドコーヒーの日替わり早見表。持って帰られますか」


 私がそう尋ねているうちに、別のお客さんがちりんちりん、と鐘を鳴らして入ってきた。


「いらっしゃいま……香凛」

「何そのあいさつ」


 さっき来ると言っていた香凛だった。いつもなら他に数人友達を連れて押しかけてくるのだが、今日は一人だった。


「今日は一人?」

「うん。みんな今日は用事があるってさ。わたし家に帰っても、何もすることないし」

「そりゃないだろうなあんな広い家で」


 香凛が決して嫌味のつもりで言っているわけではないことは分かっているのだが、ついそう返してしまった。香凛はいつも座る一番奥のテーブル席に座り、ちょいちょい、と私を手招きして呼び寄せた。


「なに」

「隣。座って」


 思いっきり仕事中なんだけど、と愚痴りつつ私は言われたとおりにする。すぐ終わるから、と香凛は言って聞かなかった。


「すぐって、そういう問題じゃ」

「いいから。ね?」


 そう言うと香凛は私の手をそっと握って、迷うことなく顔を近付けてくる。今それか、と思いつつ私も応じる。

 ほんの数秒間。私たちだけが長く感じるその間、唇どうしがそっと触れあっていた。

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