I-08.悩み

「……どうしてだよ」


 真っ暗で、後ろに見える山と相まって不気味な雰囲気を醸し出す学校の屋上で、俺のその声は虚しく響いた。俺の目の前には、ただ無表情でなぎなたを握る虎野の姿。そのなぎなたがかざされた先には、佐山と彼の飼っていた妖獣の遺体があった。佐山が斬られて死んだ瞬間に飼い主を失った妖獣たちは吠えて危機を周りに知らせようとしたが、それもむなしく虎野が斬り殺した。佐山の遺体は、人間そのもの。実は妖獣だという面影などどこにもなかった。そのせいで凄惨さがずっと増した気がして、俺は気が付けば虎野の胸ぐらをつかむ勢いでそう言っていた。しかし虎野はその何を考えているのか分からないような表情で、淡々と言った。


「どうしても何も、佐山は妖獣だから。時代背景的にも、そういう妖獣たちを始末していくのが退妖獣使の仕事だから」

「虎野だって話は聞いてただろ。俺はあの佐山って奴が悪いことをしてるとは全然思わなかった。思えなかった。お前はそう思わなかった、ってことかよ」

「あのね」


 虎野はより一層冷たい目をして、俺の目をのぞき込んでささやくように言った。


「この仕事に、感情を混ぜちゃいけない。感情を抱いて、もしかしてこいつはホントはいい奴なんじゃないか……そう思った時点で、負け」

「感情を混ぜずにできることなんてない。誰かの命を奪うなら、なおさらのことだろ」


 俺も佐山に対して抱いた感情が嘘じゃないことを確かめたくて、一切ひるまずに言い返した。


「命を奪う? そう思うからダメなの。いい? 妖獣は人を喰う。これが前提としてある以上、その妖獣を始末する役目を受け持つ退妖獣使がためらってちゃ始まらない。妖獣は人間の何倍も強いし、並外れた戦闘力がある。退妖獣使はそんな妖獣に対抗できる唯一の存在だから、思いやりか何か抱えたままその役目を果たそうなんて甘い」

「でも」

「でもじゃない。私と一緒に人間に危害を加えようとする妖獣の退治をしようって言うなら、それくらいのことは承知してもらわないと困る」


 一緒にやろう、などとは誰も言っていない。俺自身が妖獣だということがバレて、周りに言わない代わりに虎野の退妖獣使としての仕事に付き合う、という話だったはずだ。だがそんな付き合いこっちからお断りだと言ってしまえば、今度は俺の命が危なくなる。佐山に同情する一方で俺は、自分の命がものすごく惜しかった。


「……なら」

「なに」


 虎野は不機嫌そうな声で、俺の話を聞く姿勢をとった。


「もっと悪さをしてる……例えば、夜な夜な生きてる人間を捕まえて喰ってるような、あからさまに人間にとって害になるような妖獣を、探してくれよ」

「今さら何を言うかと思えば」

「お前がどれくらい退妖獣使としての仕事をやってるのかは知らないけど、俺はお前みたいに完全に感情を消して妖獣を倒すなんて、できない。でもどう考えても人間に害しか与えないし、それをわざとやってるっていうか……人間が言うところの『悪』の妖獣は、俺も戦っていかないといけないって思う。俺はこれから先会うことになる妖獣に感情を持ちながら、そいつがどう考えてるのかちゃんと見たい」

「……好きにすれば」


 俺の思いが伝わったのか伝わらなかったのか、虎野はそれだけ言って、遺体を回収したなぎなたを持って先にその場を後にしてしまった。俺は佐山を助けられなかったことを悔やんでその場に黙とうをささげて、それから家路についた。



* * *



 週が明けて、またいつものように学校が始まった。先生は何でもなかったかのように授業を進めたし、生徒の方もまさかうちの学校の生徒の一人が妖獣で、しかも始末されたという話など知らないか、知っていても気にしていないようだった。

 でも、俺は違った。俺はやはり佐山のことが忘れられなかった。佐山の言葉をふとした時に思い出しては、あの時俺にできることは本当になかったのか、と考えるのを繰り返していた。おかげで勉強しても全く頭に入ってこないでいた。


「偶谷。一緒にメシ食おうぜ」


 週の半ばになっても、まだ俺はそんな状態でいた。そんな時、昼休みに入るなり高原がそう誘ってきた。


「一緒にって。いつも一緒じゃねえか」

「まあまあ、そうカタイこと言わずにさ」


 やっぱり俺が気楽に話せる相手は高原しかいなかったので、昼休みに弁当を食べる時も、いつも高原と一緒だった。それなのにわざわざ高原がそう言ってきた理由が分からないまま、俺は弁当だけ持った状態で高原に連れて行かれた。


「やっぱ、こういうとこ来るとそれっぽい雰囲気、出るよな」


 意気揚々と歩く高原に連れられやって来たのは、校舎の屋上だった。普通ならこういうところは危ないから屋上につながるドアに鍵がかけられて入れないようになっているのだろうが、どうやらうちの高校はフェンスが十分高くてそういう心配がないということなのか、開放されていた。


「何でこんなところに」

「あれ、見ろよ」


 俺の質問には答えず、高原はフェンスの向こうを指差した。つられて俺が目を向けた。


「……!!」

「きれいだろ? 俺も最近見つけた。いい感じの穴場だ」


 そこからは、花と葉っぱが半分ずつ混じったような桜並木が見えた。さすがにもう入学からはだいぶ経った頃だったので、満開からは程遠かった。しかし桜を上から見るということ自体が珍しい気がして、俺は思わず見とれていた。


「桜の木の『下』じゃねえから、毛虫なんかが落ちて来る心配もねえし。もうちょっと時期が早けりゃうまい具合だったんだけど」

「……まあ、確かに」

「これが、理由の半分だ」


 高原は右手でピースサインを作って、左手で中指の方を包み隠して折り曲げてみせた。そして続けた。


「もう半分は、あれだ。お前と話がしたくてさ」

「いつも話してるだろ。何を今更」

「違う違う。お前最近、やたら元気ないぞ。さすがの俺も、何かあったのか心配だからな。こうして聞かれなさそうなところに連れ出したってわけだ」

「……お前」


 高原とはもう十年近くの付き合いだ。お互い施設出身で家こそ知らないものの、俺は高原の姿を見ない日があれば心がモヤモヤする程度には、仲良くしているつもりだった。だから高原は俺が何を考えているのか、なんとなく分かるらしい。残念ながら、俺の方はそういう人の気持ちを察することに少し疎くて、高原が今何を考えているのか分からないのだが。


「で、だ。ゆっくりでもいいぜ。何があったんだよ」


 早速高原はその場に座り込み、男子高校生にしてもやたら大きな弁当のふたを開けつつ、俺に聞いてきた。俺の方はというとせいぜい女子が持って行くぐらいでちょうど程度の大きさの弁当だ。義母かあさんには最近食欲がないと言ってあって、弁当のサイズも小さくなっているのだ。それもやはり佐山のことを考えすぎているせいだった。


「……」

「ま、言ってみろって言って答えるぐらいの悩みじゃないだろうな」

「そんなに悩んでるように見えるか」

「ああ、見える。お前を知らない奴からしたら元からそんなもんかとか思うかもしれないけど、俺には分かる。お前の悩みは相当なもんだってな」

「……すげえな、お前」


 お世辞などではない。本気でそう思っていた。実は高原は一昔前に流行ったメンタリスト、とかいうやつなのではないか。そんな訳の分からないことを考えていた。


「……あ、分かったぞ。お前あれだな、失恋したんだろ」

「ぶっ……!?」


 危うく頬張っていたご飯を噴き出すところだった。いきなり何を言いだすかと思えば、そんな話だ。俺はとっさにお茶を飲んで、ごまかしつつ何でもないように言った。


「失恋て。誰にだよ」

「そりゃあれだろ。虎野さんに決まってんだろ」

「……は?」


 もっと突拍子な話だった。俺があの虎野に、フラれたとでも言いたいのか。いやそもそも、


「何でお前が虎野のこと知ってんだよ。同じクラスならともかく」

「そう言うってことは当たりだな? 正直じゃねえなお前もー」


 どうやら俺は墓穴を掘ったらしかった。


「俺は同級生の名前と顔ならほとんど把握してるぜ。ふと話しかけられた時にとっさに名前が出て来るようにな」

「ギャンブルすぎるだろ。そのうちの何人に実際話しかけられるか、分かったもんじゃない」

「でも実際そういうシチュエーションになった時に、名前を覚えられていたかそうでないかの違いって、結構大きいと思うんだよな。俺はそう思う」

「で、虎野のことは知っていたと」


 この際開き直って、高原がどこまで知っているのか確かめることにした。


「ああそうだ。長年の付き合いだから、お前の姿はすぐ視界に入ってくるし、すぐに分かるしな。そうなれば自然と、虎野さんも見かけるようになる」

「……お前、それ一歩間違えればストーカーだからな?」


 時々俺は高原の発言がどこかで盗聴されていて、いつかそれを証拠に逮捕でもされるんじゃないかとヒヤヒヤする。今がその時だ。


「そんなことないと思うけどな。いつか来る卒業後のために、同級生の名前を覚えとくのは大事だと思うからな。久しぶりに会った時に名前覚えられてるかそうでないかって、結構な違いだと思うぜ」

「そうか……」


 俺は案外あっさり納得しかけていた。


「で、どうなんだよ。虎野さんにフラれたのか?」

「フラれたも何も。付き合ってねえよ」

「じゃあどうしたんだよ。最近お前、虎野さんと口もきいてねえだろ」


 そんなところまで見ていたのか。つくづく暇な奴だ、と俺は驚異のスピードでご飯を頬張る高原の顔を見て思った。


「確かにきいてねえけど。でもあれは俺から話しかけたとかじゃねえし、あっちから話してこないなら、こっちからは何もしないってだけで」

「お前、全部受け身だってのか」

「悪いか」

「消極的だなー。お前、せっかく高校まで来たんだから、タイプの子一人でも探してみようとか思わないの」

「お前が貪欲だから、俺が相対的にやる気なくしてるだけだ」

「あのな」


 おちゃらけた調子で話していた高原が突然声色を変えて、俺の注意を向けた。


「……なんだよ」

「偶谷、お前もせっかく高校に入ったんだ。楽しそうだって思ったことは、今のうちにチャレンジした方がいい」

「なんでそんなお前が年上みたいな言い方なんだよ」

「俺も何が自分にとって面白いのか確かめたくて、いろいろ模索してるところなんだよ。お前だっていろいろやってみる方がいいと思ってさ」


 俺には高原が何を言いたいのか、ようやくなんとなく分かった。高原は施設での暮らしと今の生活を、比べようとしているのだ。二人とも両親がどこに行ったのか分からない中、周りも似たような境遇だったから、不自由自体はあまりなかった。だが、自分がやりたいと思ったことはなかなかさせてもらえなかった。それは愛情を注いでくれる相手がいない反動で暴走しないように、ということなのかもしれなかったが、幼い俺たちにそんな意図が読めるはずがなかった。


「別に好きな人作れとか、必ずしもそういうことじゃなくていい。例えば部活いろいろ見てみるとか、やってみる価値があることはたくさんある。俺とつるんでるだけじゃ、視野は狭いまんまだぜ」


 俺は一瞬、高原に背中を押されて突き放された感覚に陥ったが、しかしそれだけじゃないとも思った。最後の言葉で、俺をそれなりに心配してくれているのだと感じた。そこまで意図を汲み取った俺はしゃべったのかしゃべってないのかよく分からないくらいの小さな声でありがとう、と言った。


「礼を言う時はもっとはっきり言えよ。それに、他に礼を言うべき奴は、これから出て来るからな」


 そう言うと高原は弁当を片付けて立ち上がった。あれだけしゃべり倒しておきながら、あっという間に弁当を平らげていた。俺も慌てて小ぶりな弁当のふたを閉めて、高原の後を追った。

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