I-03.妖獣退治

 妖獣の起源。

 妖獣に関する研究がされ始めた当初は、様々な説が飛び交っていた。だが研究がまとまってきた現在となっては、一つ、有力な説が前提となっている。過去の文献や口伝えによる伝承をもとにした、信憑性も高いものだ。

 その説によれば、起源は平安時代までさかのぼるという。その頃はアヤカシによって人間の身に悪いことが起こると広く信じられており、特に貴族の出産や病気になった際に懸命な加持祈祷が行われるのはそのためだ。現在では出産も病気もそのメカニズムや原因が医学によっておおかた明らかにされているが、一方でアヤカシというものは実在していたと言われている。アヤカシたちは実際病気の人間たちに憑りついて殺すこともしていたようだが、人間そのものの存在を脅かす一方で、時の権力者たちを魅せたのも確かだった。

 権力者たちは己の地位に固執し、時に惜しげもなく醜さをさらけ出した。自身の権力を絶対的なものにするための努力を惜しまなかった。中にはあまりの自身の権力の大きさに、まるで自分が神か何かになったかのような勘違いをする者さえ現れていた、そんな時代だった。

 アヤカシたちはそれを面白がっていた――もっとも、権力を得た後で没落してゆく様を、だが――そして、気まぐれで自分たちの持っている力を人間に与えてやろうという気になった。そうして、時の権力者とアヤカシとが融合して生まれたのが、妖獣だ。

 しかしその妖獣には、ある重大な欠点があった。それは権力者としてはあまりに不利となる欠点。


『人を喰わなければ、生きていけない』


 もとよりアヤカシは人間に憑りつくことで、その者の生気を奪っていた。それが人間に完全に憑りついたことで、生気を外部から取り入れなければならなくなったのである。



* * *



「……ってか学校に来いって、結構ムチャクチャなこと言うよな」


 その日の夜八時。俺は一度下校して家に帰ってから、再び学校までやってきていた。もちろん私服に着替えて、だ。今住んでいる家の最寄駅から学校まで距離がそれなりにあるから、一日に二度学校に来るのは骨が折れた。

 俺が話を聞き間違えていなければ、校門で待っていれば虎野が来るはずだった。約束の時間から十分ほど経つと、確かに虎野が現れた。


「お待たせ。待った?」

「お前……!」


 俺が驚いたのは、虎野の姿だ。昼間制服を着ていたのとは打って変わり、今の虎野は黒い装束のようなものを着ていた。そして利き手らしい右手には、なぎなたが握られていた。虎野の姿だけ見れば、ここは平安時代だと言われても信じてしまいそうなほど特別だった。


「これは狩猟用の服。あと動きやすくないと、いざ目の端に敵の姿が映った時に、反応できないから」

「そりゃそうだけども」

「別に偶谷までこんな格好になる必要はないよ。偶谷には、敵を見つけてもらうのが仕事だから。この辺りに出てくる連中だと、素手で対応できるようなレベルじゃないし」


 逆に素手で対応できる妖獣などいるのか。俺は何か釈然としないな、と思いつつ、俺を早速置いていこうとした虎野の後を追いかけた。


 運動部でさえ帰ってしまったような時間に物騒な格好をしてどこに行くのかというと、学校の敷地の奥。実は俺も虎野に言われて初めて意識したのだが、俺たちの高校を包み込むように山が存在する。妖獣たちは昼間はこの山の中に潜んでいて、夜になれば人を襲いに山から降りてくるらしい。虎野を始めとするこの辺りの退妖獣使は山を降りてくるそのタイミングを待って、一気に叩くというのをやっているという話だ。


「よくやるな、こんなこと」

「しっ。もう来てるよ」

「え?」


 ずんずん山の中に分け入っていく虎野に言葉を投げると、いきなり軽く注意された。慌てて虎野にならって近くの茂みに隠れ、目を閉じて耳をそばだてると、確かに妖獣の気配を感じた。


「……すぐそこだな」


 俺は言ってから、意味がないと気付いた。そもそも虎野は俺が妖獣の気配を感知できると見込んでここに連れて来ているのだ。虎野が先に妖獣がいることを見抜いたのは、目視できるほど近くにいたからなのだろう。


「……ええ、すぐそこよ。たぶん、このなぎなたを突き出せば刺さる」

もりじゃねえんだろ、それ」


 それに突き出して刺さったとして、食用にできるわけでもなし、そんなに喜ばしいことではないだろう。

 虎野と妖獣たちのにらみ合いはしばらく続いた。向こうも下手に飛び出せば仕留められるということを悟って、様子をうかがっているらしかった。だが、その拮抗も長くは続かない。我慢できない向こう側が、先に飛び出してきた。


「逃がすか!」


 すかさず虎野の一撃。腹のど真ん中をかっ裂かれた妖獣はその場に力なく倒れ伏した。


「……早い」


 俺はそう言うしかなかった。辺りにはそれが死因になったのだろう大量の血と、狼に似た、全身真っ黒のケモノが横たわっていた。これが標的の妖獣だ。


「一匹だけっていうのはおかしい。たぶん、後ろにまだ仲間がいる」

「そうなのか? ……ほんとだ、確かに」


 虎野は一切気を緩めることなく、周囲に気を配っていた。俺も虎野の言う通り、近くにまだ妖獣の気配があるのを感じ取った。


「でもまあ、どうってことないわね」


 他の妖獣たちは仲間が一匹殺されたのを目の当たりにして気が動転したらしく、ほどなくして慌てた様子で飛び出してきた。それを虎野は確実に仕留めてゆく。俺たちの前に、あっという間に三匹の妖獣の亡骸が出来上がった。あまりに急な出来事だったためか、そこに凄惨さはなかった。


「……こんなのを、毎日やってんのか」

「毎日ではないわね。退妖獣使には学生も多いから。というか、学生がほとんどかも」

「じゃ……じゃあ、学校ですぐそばにいる奴が退妖獣使ってことも、あるのか」

「実際そうだったでしょ? 私が声かけなくても、いずれ誰かにはマークされてたと思うよ」

「……」


 それだけ俺が分かりやすい妖獣だったのか。だとしたら、中学まで誰にもマークされず、一度も危ない目に遭わなかったのは、実は奇跡だったのかもしれない。


「ま、今は大丈夫。少なくとも私と一緒にいる限りは、殺されることはないかな。それに現役の妖獣だからその力を利用できるっていうのも強み」

「本当か」

「たぶんね。絶対の保証はできないけど」


 そうやって俺と話している間にも、虎野は淡々と仕留めた妖獣の後片付けをしていた。なぎなたを逆さまに持つと先端が光って門のようなものが現れ、死体を三匹分吸い取った。それから続いてその門が水を放ち、血で汚れた地面を洗い流してゆく。ドブ掃除と変わらないようなその作業がなんだか見てはいけないもののような気がして、俺は終始目を逸らしていた。


「……その死体は、どうなるんだ」

「ある程度溜まったらお墓に。人を喰い散らかす妖獣って言っても、元は一つの命だから」


 それを聞いて俺は驚いた。本で読んだ退妖獣使と言えば残虐そのもので、片っ端から妖獣を殺していき、死体の供養など一切せず、ただ何体殺してきたかがその人のステータスになる、と書いてあった。中には普段の生活で溜まるストレスを妖獣退治で発散する連中もいたようだから、下手をすればサイコパスやシリアルキラーと大して変わらなかったのかもしれない。早朝に通報があって警察が駆けつけてみれば、メッタ刺しにされた妖獣の死体が大量に転がっていた、なんてこともあったらしい。

 それが今目の前にいる虎野はそうではない。例え敵と言えども一つの命、と丁寧に供養をする。俺のような妖獣を狙う存在であるはずの退妖獣使の姿に、俺は少し感動していた。


「ただ、やっぱり昔みたいに無茶してる退妖獣使もいるみたい。そういう古い価値観で動いてる退妖獣使を今に合った形にしていくのも、私たち退妖獣使の仕事かな」


 虎野はそう言って立ち上がり、帰ろうか、と俺に行った。今日のノルマはこれで達成らしかった。

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