I-02.退妖獣使
人間が地球上に現れて、およそ二百万年。現生人類が出現して、二十万年。以来、人間はあらゆる食物連鎖の頂点として君臨するようになった。時々人喰いザメにより何人かが亡くなったり、クマに襲われて亡くなるという話は聞かれるが、人そのものを主な捕食対象とする動物は存在しない。
と、されている。
しかしこと現代日本では、そうではない。人間の上に、人間を捕食対象とする種が存在する。それが
「……本で読んだことはあるけど、まさか実際に会うことになるとは」
「意外といるよ。気付いてないだけで、ね。もちろん、退妖獣使側が気付いてないだけ、っていうパターンもあるけど」
妖獣については主に戦後になって、昔の文献や語り継がれてきた伝承をもとに様々な研究が行われてきた。俺はそんな研究についてまとめた本を、これまで何度か読んだことがあった。それは、俺自身が妖獣だからだ。俺自身が狙われる存在なのだ。そして、この虎野と名乗った女は、俺のような妖獣を討伐する存在ということになる。
「……殺せよ」
「ん?」
「俺が妖獣だって見抜いて、こうやって話をしてるんだろ。話が長くなったら、さすがの俺でも未練が残る。殺すなら、今のうちに殺してくれ」
「殺さないよ」
虎野は即答で言い切った。はったりかもしれないと分かっていても、俺は思わず驚いて真意をうかがった。虎野の顔は、まるで嘘をついていなかった。
「……どういうことだよ」
当然俺は、そう聞き返すしかなかった。敵対するはずの俺を殺さないで、どうするつもりなのか。
「見たところあなたは、完全に邪悪ってわけでもない。人を喰い殺すほどの邪悪さが見られないから。でも同族、つまり妖獣を見分ける力はある。その力を使って、本当に邪悪な妖獣の討伐を手伝ってほしいの」
「討伐の、手伝い……?」
俺は聞いたこともないそんな話に、驚きの声をあげた。倒すべきはずの妖獣を倒さないどころか味方にして、他の妖獣を倒すなど前代未聞だ。たぶんどんな昔の記録を見てもそんな例はないだろう。
「……まあ、虫がよすぎるし信じられないとは思うけどね」
「その通りだ。一回言われてはいそうですかとは言えないな」
自慢じゃないが俺は一応、見聞きした物事は一度は疑ってみるようにしている。手に入れた情報が完全に正しいことの方が少ないし、特に自分で調べずに信じて一度、少し痛い目に遭ったことがあった。
「まあ、いいよ。どのみち私についてこなきゃいけないことは、すぐに分かるから」
虎野はそう言って、鼻歌を歌いながらその場を去っていった。残された俺は、しばらく自分の手を閉じたり開いたりして何か確かめて、それから少しした後学校を出た。その時俺自身が一体俺の何を確かめたかったのかは、よく分からなかった。
翌日。
いつものように俺は一人で登校した。遠い親戚の家に住まわせてもらっていて、他の生徒たちの家にも近いとはいえ、やっぱり知り合いがいない以上一人で通学せざるを得ない。
「おう、偶谷。また会ったな」
この高原という男以外は。
「また会ったなって、同じ学校だろ。会わなきゃむしろ変だろ」
「そんなことないと思うぜ? 中学に三年間通ったからと言って、同級生全員に会ったことがあるなんて言えるか?」
「……そりゃ言えないけど」
「だろ? その会わない奴がたまたま俺だってこともあるさ」
気が付けば俺はあれよあれよという間に言いくるめられていた。そして言いくるめられてみると、そんなものか、と思ってしまった。言葉って不思議なものだ。
なぜか最寄駅から一緒だった高原と一緒に、その日は登校することになった。
「おーっす」
高原は早くもいろんな奴に話しかけていたのか、高原が学校に着いてすれ違った奴らに話しかけると、そのうちの一部はあいさつを返していた。俺にはそんな誰とでも仲良くなれるスキルはないから、うらやましい限りだ。
「友達作んのに飽きたって顔してるな」
「そこまで顔で言ってねえよ」
ただだいたい高原の言っていることが正しいことに驚いた。
「話しかける前は怖いけどな、案外誰も友達は勘弁だって思ってるわけじゃねえぜ? 特にこの年度初めはな」
「俺は思うよ、たまにうっとうしい奴いるだろ」
「それはほんの一部だ。大抵の奴は、ってさっき言っただろ」
「そりゃ、そうかもしれないけど」
高原があいさつして横を通り過ぎてゆくのに、俺があいさつどころか目もくれないものだから、相当注目されてたぜ、と俺は後から教えられたのだった。
「じゃあな偶谷、また一緒に帰ろうぜ」
「え」
「だってお前、今のままじゃ高校ボッチだぜ」
「いや……」
否定できないのが悔しかった。昇降口からより手前のクラスに入っていった高原の姿を見て、俺も自分のクラスの教室に入っていった。
例の女――虎野に再び出会ったのは、その日の放課後のことだった。初めての授業、あんなもんか、と俺はその日あったことを何となく考えつつ、教室を出ようとした。
「ちょっと、偶谷」
俺は自分の名前を呼ぶ声に気付いて、あたりを見回した。すると教室の端の方にある机に座って、虎野が手を振っていた。さすがに無視するわけにもいくまいと思って、俺は虎野の方へ向かった。
「早速今日からだから。よろしくー」
「へ? 何が?」
俺は突然そう言われたものだから、まぬけにもそう返してしまった。
「もう忘れた? より邪悪な妖獣の討伐。縁遠いようで、結構身近にいるからね。現にこうやって、討伐する側とされる側が出会っているわけで」
相変わらず俺を始末しない理由が納得できなかったが、やってられるかと逃げようとしても今度は本当に殺されそうだったので、従うしかなかった。
「ああ、とりあえず家には帰っていいよ。今夜八時、学校に集合」
「肝試しかよ」
まだ四月とはいえ肌寒いのに、と俺は付け加えておいた。
「肝試しなんてもんで済まされるなら、苦労しないけどね」
俺の冗談に対して虎野はくすりともせず、そう返した。
虎野のその言葉の意味が、その時は分からなかった。だが、後に嫌というほど分かることになった。
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