妖獣怪奇譚~争われしアヤカシの血~
奈良ひさぎ
一幕 偶谷 七馬(たまや ななま)
I-01.出会う者たち
春は出会いの季節、とはよく言ったものだ。自分自身がそんな気分でなくても、周りの雰囲気が暖かいとか、他人の気分がいいとかで何となく自分までそんな気がしてくる。その日も、車通りの比較的少ない道路を横目に歩きつつ、だいたいそんなことを感じていた。
「……ここか」
県立
「……桜か」
ふと俺は、制服の肩に落ちてきた花びらに気付いて、それを手に取った。桜の花びらだ。辺りを見渡すと、桜並木が俺を迎え入れているようだった。どこの学校にでもある桜の木だが、俺にはその時なぜか、桜が新鮮に感じられた。それは今まで、およそ桜とは縁遠い生活をしてきたからなのかもしれない。あるいは、ただの気のせいなのかもしれない。桜を一度も見たことがない人なんて、日本にはきっといないだろうから。
「どんな高校なんだろうな」
俺はこの高校について、よく知らなかった。自分の知っている地域の高校じゃないこともあるし、パッと見た限り、周りを歩いている新入生はみな知らない人ばかりだった。自分の通おうとしている高校について知らないなんて非常識も極まりない、と思われるかもしれないが、俺にとってそれは別段、不思議なことではなかった。
「うっす
その時、俺は突然後ろから声をかけられた。聞き慣れた声だととっさに思って後ろを振り返ると、そこには確かに見知った顔があった。
「何だよ、反応薄いな」
「びっくりしてるだけだ」
「まあ、そうだな。こんなとこでばったり出くわす可能性は、相当低いもんな」
中学時代の同級生の、
「とりあえず、教室入ろうぜ。どんな女の子がいるのか気になるしな」
高原は昔から、平気な顔してそんなことを言う奴だ。下手をすればセクハラともとられかねない発言をする高原に振り回されるというのが、俺の中学生活の大部分だった。
「ああ、そうだな」
俺は適当に高原の言葉を流しつつ、さっさと教室に入ろうとする高原を追うようにして足取りを早めた。
入学式は至って普通だった。何をもって普通とするかは人によって違うだろうが、俺の感覚では中学の時の入学式とそれほど変わらない、という意味だ。その後おのおのが教室に入って、担任の先生の説明を受ける。そして特にこれといって目立つような要素がない俺は、やっぱり注目されることなくその集まりが終わろうとしていた。
このままだと俺について何も分からないままだろうから、今のうちに自己紹介しておきたい。
俺の名前は
……というのが、
あまりに特徴がないものだから、自己紹介さえ時間がかからない。適当に聞き流していた高校生活最初のホームルームも、いつしか終わろうとしていた。担任の女の先生は俺が聞き流してほとんど聞いていないことなどつゆ知らず、淡々と説明を続けていた。
「まあ、なるようになれ、か」
俺は小学校、中学校と親がそばにいない生活を送るうち、いつしかなるようになってしまえ、という考えを持つようになってしまった。しかもそれで、これまで何とかなってしまっているのが困ったところだ。
早速明日から授業が始まるということで、予定の書かれた学年通信を受け取ってぼんやり眺めていると、ホームルームが終わってみんな親と一緒に帰り始めていた。もちろん俺に親と呼べる人はいない。俺は少し周りを見渡してから荷物をまとめ、なるべく目立たないようにして教室を出た。他の日ならともかく、今誰かに声をかけられて親がいないことを話すことになったら面倒だ。
見る限り高原とも違うクラスになったようだし、ホームルームの終わる時間も違うようだったので、いよいよ俺は一人で帰らざるを得なくなった。
「……ま、いいか」
昔こそ友達をいくらか作った方がいい、と思って友達になれそうな、気の合う連中を探そうとしていたが、だんだんそれも面倒になっていた。別に一人でいて困るということは、案外少ない。もしどうしようもない時は高原に頼ればいいだろう、とさえ思っていた。クラスが違っても、やっている勉強の内容がまるっきり違うということはないだろう。
俺は上靴を脱いで革靴に履き替え、昇降口を出た。校門を入った時と同じように春の穏やかな風に吹かれて、桜の花びらが散っていた。ここからだとよく見えるな、と柄にもないことを考えつつ校門まで向かおうとした、その時だった。
「……!!」
俺は突然制服の腕を掴まれ、人気のないところに引きずり込まれていた。びっくりしてきょろきょろすると、どうやら俺の腕を引っ張ったのは女らしかった。
「や。突然で悪いわね」
悪いと言いつつ特に悪びれる様子もなく、その女は何事もなかったかのように俺に話を始めた。
「少しあなたに用があってね」
「俺に?」
そう言われて俺は改めてその女の顔を見たが、知らないと断言できた。
「
俺は胸ぐらをつかまれて、首を絞められているような気分になった。そう言われれば普通は、汗の臭いがきついとか、加齢臭がするとかその手の意味に取りがちだが、それとはニュアンスが違った。その女が言ったニュアンスは、恐らく俺にしか分からないものだった。
「……あんた、何者だよ」
俺は反射的にそう尋ねた。顔にばかり目がいっていたが、よく見ると自分と同じような制服、つまり同じ高校の生徒らしかった。
「私の名前は
その女――虎野はいったん間を空けた後、少し口角を上げて言葉を続けた。
「……退妖獣使をやってる。よろしくね」
俺の背筋は、一瞬にして凍り付いた。
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