第十五話 夢より尊いぬくもり
宴が行われている広間を出て、迷路のように入り組んだ廊下を歩く。
そのまま部屋に帰ってもよかったのだが、あの場に顔を見せなかったラクシャルとゼルスのことが気がかりで、客室に向かうことにした。
その途上、ばったりとラクシャルに出くわした。
「あっ……ヴァイン様」
ラクシャルは赤いカクテルドレスの裾を摘んで、可愛らしくこちらに一礼する。
控えめなデザインのドレスが、かえってラクシャルのスタイルの良さを引き立てている印象だ。おそらく、宴席に来ていたら周囲の目を独占していただろう。
「入れ違いにならなくてよかった。そのドレス、似合ってるぞ」
「ふふっ。ありがとうございます」
微笑んで礼を言うラクシャル。
……一見まともなようだが、受け答えがあっさりしすぎている。いつものラクシャルなら、俺に褒められただけで大げさな喜びの言葉を述べるはずだ。
「ゼルスの奴、まだ落ち込んでるんだな。それでお前も元気がないわけか」
俺が推論を口にすると、ラクシャルは、自分では隠せているつもりでいたのか、驚いた顔をした。
「ヴァイン様……さすがです。そこまでお見通しでしたか」
「お前がわかりやすすぎるんだよ」
慣れない強がりをしていたラクシャルを慰めるつもりで、くしゃくしゃと頭を撫でてやると、その表情が悲しげな微笑みへと変わった。
「……ヴァイン様、このことを見越してこちらに来られたのですか?」
「まあ、な」
タマラと同じく、ラクシャルもドレスに着替えてくるため出席が遅れたようだが、低身長で巨乳という体型ゆえに仕立て直しが必要だったタマラと違い、ラクシャルには合うドレスが最初からあったはずだ。
普段なら急いで俺にドレスを見せに来るはずのラクシャルが、これほど遅くなる理由は、ゼルスのことくらいしか考えられない。
「一緒にいないってことは、ダメだったのか」
「はい……ゼルス様は、今は放っておいてほしいと……私も、粘り強く説得したのですが、聞き入れていただけなくて……」
そう答えるラクシャルの顔も、どことなく憔悴して見える。他人事では済ませられないほど、ゼルスを心配しているのだろう。
労うつもりで、俺はもう一度、ラクシャルの頭を撫で回した。
「よく頑張ったな。あとは俺に任せろ」
優しく声をかけると、今度は安堵の微笑みが浮かんだ。
「……ヴァイン様は、私に愛を教えてくださいました。今度はゼルス様にも……よろしくお願いします」
「ああ」
とは言ったものの、俺も決してできた人間ではない。
できるだけやってみる、というくらいが正直なところだったが、ラクシャルを不安にさせないよう、短く答えてその場を後にした。
ゼルスが寝泊まりしている客室の前に立ち、ドアノブをひねる。
部屋の中は真っ暗で、廊下から漏れこむ明かりでようやく、ダブルベッドの上でシーツをかぶった人間大の膨らみが判別できるほどだった。
「……余は宴になど行かぬ。ラクシャルひとりで行くがよい」
ベッドの膨らみが、くぐもった声で言う。
「ラクシャルじゃねえよ。俺だ」
「っ!? ヴァイン……!?」
来客の思い違いに気づくと、ゼルスはシーツを跳ねのけて飛び起きた。
ばつの悪さを隠すように目を伏せ、唇を尖らせる。
「……何の用じゃ。貴様も余を呼びにきたのか?」
「別に、無理して来いとは言わねえよ。ただ、お前がいつまでもヘタレたまんまだと、ラクシャルが気に病むからな」
「…………」
黙り込んだゼルスから一旦目を離して、俺は部屋のランプに火を灯した。
光の下で改めて見ると、ゼルスの目元は赤く腫れており、瞳は涙で潤んでいる。今の今まで泣いていたようだ。
「笑いたければ笑うがいい。余をこき下ろしに来たのじゃろう?」
「笑う? なんで俺がお前を笑うんだよ」
「皆まで言わずともわかるじゃろうが! 余は……今の余は、弱者に過ぎぬ。自分の力だけでは配下を守れず、ジェナに敗れた。惨めな敗者じゃ……」
「敗者ってことはないだろ」
反論する俺を、ゼルスは泣き腫らした目でキッと睨みつける。
「下手な慰めをするな。余が敗れたことは自分自身が一番よく理解しておる」
「でも、操られたロック鳥たちが無事で済んだのはお前のおかげだ」
「……それは、ヴァインの働きじゃろう」
「まさか。もし俺ひとりで行ってたら、もっと乱暴にカタをつけてただろうさ。お前が魔帝の意地を貫き通したから、みんな無傷で戻ってきたんだ」
俺はゼルスのように糸を出すことはできないし、手加減も苦手だ。
降りかかる火の粉を払おうとすれば、ロック鳥たちに大怪我を負わせていた確率はかなり高いだろう。
「キアも感謝してたぞ。俺だけじゃなく、ゼルスがいてくれたからだって」
「……いや、結果が全てじゃ。余は敗れた」
頑なに首を横に振って、ゼルスは否定する。
「貴様に力を吸われていたせいもある。じゃが、それも元を正せば、余が貴様に敗れたことが原因……言い訳にはならん。全ては余の弱さが招いた結果じゃ」
「それは違う」
俺はベッドの端に腰を下ろし、ゼルスに近づく。
「問題は、お前が自分ひとりで抱えすぎなことなんだよ」
「……余が、抱えすぎ?」
「これもキアに聞いたんだが、お前、魔帝になるまでラクシャルと二人三脚でやってきたんだろう? そこに俺が現れて、横からラクシャルをかっさらっていった」
「ふん……ああ、そうじゃな。じゃが、それはラクシャル自身が決めたこと。この先、余は自分だけの力で魔帝の務めを全うしてゆかねば――」
俺はゼルスの肩に手を置き、強引にこちらを向かせた。
「違うっつってんだろ。俺を頼れよ」
「……な、に?」
普段から大きなゼルスの瞳が、驚きでいっそう大きく見開かれる。
揺れる視線を俺はまっすぐに見つめ返し、続けた。
「お前ひとりで意地を貫こうとして、最後までできなかったんだろ。でも、その意地のおかげで助かった奴がいる。お前は本当に立派だったよ」
「じゃが……結果的には、余の力では……」
「だから、その先は俺を頼れって言ってんだ。ラクシャルだけじゃなくて、お前も俺のものだってこと、忘れてないか? お前ひとりで全部背負い込む必要なんて、どこにもないんだよ」
「……っ」
ゼルスが声を詰まらせ、何かを堪えるように唇を噛んだ。
俺はその顔から決して目をそらすことなく、続ける。
「お前がラクシャルともども家族を喪って、ふたりだけで他の誰にも頼らずやってきたことも聞いた」
「そうじゃ、余は、誰にも頼らずにやっていくしか……」
「頼らないんじゃなくて、今まで誰にも頼れなかったんだろ?」
幼くして家族を喪い、魔帝の座に就くまで己を鍛え、戦いに明け暮れた日々。
その苦労と重責は計り知れないものだろうし、頂点に君臨するのならなおのこと、心を許せるラクシャルを除いて、誰にも甘えることはできなかったはずだ。
「……ふんっ。そう言って、弱った心につけ込む気なのじゃろう?」
「別にそんなつもりはねえよ。望むなら、お前から奪った力を返したっていいしな」
「な……なにっ?」
予想外の言葉だったようで、ゼルスは声を上ずらせて驚く。
別に駆け引きをしているわけではなく、正直な考えだ。
タマラ、キア、ジェナと立て続けに力を吸収した今の俺なら、ゼルスの力を返してもそれほど深刻な弱体化はしないだろう。
「……力を返す代わりに、余にいやらしいことを強制する気か?」
「どれだけ俺のこと信用してないんだ、お前は」
もっとも、今までの自分の所業を省みると、自業自得な気はするが。
「そんなつもりはねえよ。今回の件でわかったが、お前がひとりで戦い続けるつもりなら、力を返す必要がある。そうしないと危なっかしいからな」
「……本気か? 奪った力を……余に、戻すというのか?」
「元々、お前自身それを望んでただろうが。ジェナと戦う前にやっておくべきだったかもしれんが……そんなに疑うなら、すぐ戻してやるよ。ほら」
半信半疑のゼルスに向かって、俺は手を伸ばし――。
「待てっ!」
触れる寸前、ゼルス自身の手で、その手首を掴まれた。
俺を見上げる瞳が、不安にも戸惑いにも似た感情に揺れている。
「……どうしたんだ?」
ゼルスが何も言わないので、俺の方から訊ねた。
やがて、ぼそりと小さな声で、ゼルスが呟く。
「……卑怯者」
「は?」
「貴様は卑怯者じゃ。なぜ、余の弱い部分を知っておる? なぜ、頼れなどと……余が言われたかった言葉を知っておる?」
ゼルスは手を離すと、俺の胸に飛び込み、服の裾を掴んですがりついてきた。
怒りにも似た激しい感情を宿す瞳が、至近距離から俺を見上げる。
「余は、誰よりも強かった。……強くあらねばならなかった。争う者、寝首をかこうとする者、余に取り入って利を得ようとする者……周りは敵ばかりじゃった。誰かに頼ることなど、できるわけがないではないか……!」
「……だろうな。でも、本当はどうしたかったんだ?」
服の裾を掴んでいたゼルスの手から、すっと力が抜ける。
「魔帝となってしばらく経ってから……ふと、都合のいい夢を見ることがあった」
「……どんな夢だ?」
「ふっ……笑うがいい。余よりも強く、余の心を理解してくれる者が現れて、そこから先はラクシャルと三人で魔帝軍を束ねてゆく……ラクシャルに言えず抱えていた弱音も、その者には簡単に見透かされてしまう」
自嘲するように切なげな声で、ゼルスは続ける。
「支え合いながら心を惹かれ、余は、その者と結ばれるのじゃ。……どうじゃ? まるで夢見る乙女のような、馬鹿馬鹿しく好都合な夢じゃろう」
「……馬鹿馬鹿しくなんてねえよ」
小さな肩に腕を回し、抱きしめてやる。
ゼルスの瞳に滲んだ涙が、ひとすじ、頬を伝い落ちた。
「その夢、俺が叶えてもいいのか?」
「……貴様のような節操無しではなかったわ。夢に見たのは、もっと優しくて、清廉な男で……しかし……しかし、な」
微笑みを浮かべて、ゼルスは俺の首に腕を回してくる。
その小さな唇が、俺の唇に重なった。
「……夢は、こんなにも暖かくはなかったぞ」
吐息のかかる距離で俺の瞳を見つめたゼルスは、晴れやかな笑みを浮かべていた。
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