第十一話 ゼルスの意地


 その女は、服の上からでもわかるほど豊かな曲線を描く魅惑的な肉体を、露出が激しい絹のドレスに包んでいた。身に着けているのはそれだけだ。

 登山用にしても戦闘用にしても軽装なことから、一目で魔族だと確信できる。


「お前がジェナか」


「ええ、そうよ。キアに聞いたのね……そこの、役立たずの裏切り者に」


 ジェナは吐き捨てるように言って、人間の姿に変化したキアを睨みつけた。

 キアも負けじと睨み返す。


「暗殺対象がゼルス様だと知ってたら、キアは従わなかった。悪いのは貴方」


「ゼルス……ああ、そうそう、久しぶりよねぇ? ゼルスちゃん」


 ジェナがわざとらしく名を呼び、ゼルスを見やる。

 ゼルスの目には、敵意にも殺意にも似た、どす黒い怒りが宿っていた。


「……余は魔帝になる時、他の魔族と戦いはしても、命までは奪わなかった。ゆえに、貴様のことも見逃した……じゃが、今はその判断を後悔しておる」


「アッハハハ! 後悔するのはまだ早いわよ、おチビな魔帝ちゃん。かつてあなたに敗れた私の屈辱を、これから何万倍にもして返してやるんだからねえ」


「待てよ。お前にはまだ聞くことがある」


 既に両者とも臨戦態勢に入っているようだが、俺はあえて口を挟んだ。

 戦う前に、いくつか確認しておかねばならない。


「ジェナ。お前、キアを差し向けてきたってことは、俺たちの存在を知ってたんだな? いつから俺たちを狙っていた?」


「人間ごときに呼び捨てにされるいわれはないけど……あなたたちがノースモアに入ってきた時、山の方から偶然見かけたのよ。気づかなかったでしょうけど」


「……あの時か」


 ノースモア王国に入って間もなく、一度、誰かの視線を感じたことがあった。

 あの時はタマラの介抱が最優先だったので、無視していたのだが……。


「吹雪を防ぐ魔法なんか使われて、邪魔で仕方なかったから消すことにしたのよ」


「それについても訊きたい。この吹雪はお前の仕業か?」


「ええ、そうよ。人間どもの敵意を魔帝軍に向けさせて、弱らせてからおいしくいただくつもりだったんだけど……あなたたちのおかげで計画が崩れたわ」


「おいしくいただくってのは、どういう意味だ?」


 共倒れを狙うにしては、どこか表現がおかしい気がする。

 理解が追いつかない俺に優位を感じたのか、ジェナは声を立てて笑った。


「いいわ、全部教えてあげる。かつて魔帝の座をかけた争いに敗れた私は、つい先日まで、海の向こう……西の大陸を支配する、魔王リジールの部下として暮らしていた」


「そいつはキアに聞いたな」


「でも、なぜ私がここにいるのかは知らないでしょう? リジールはね……大軍団を率いて、この大陸に侵攻してくるのよ。もうすぐね」


「侵攻だと……?」


 不穏な言葉に、俺だけでなく、ジェナを除いた全員が身を硬くした。

 満足のいくリアクションだったのか、ジェナはニヤリと邪悪な笑みを浮かべる。


「でも、リジールと私は反りが合わなくてね。あんな奴の下で働き続けるのはまっぴらだから、離反して私だけの軍団を作ることにしたの。呪術を使ってね」


「……なるほどな。話が見えてきた気がするよ」


「ええ。王国軍と魔帝軍が勝手に争っている間に、私はこっそりお人形さんを増やして自分だけの軍団を作ろうと思っていたわけ」


「ふざけるなッ!!」


 烈火のごとき怒りを露わにしたのは、当然ながら、ゼルスだった。


「余の配下たちを、人形じゃと……? 貴様、もはや断じて許さん! 二度と悪巧みができぬよう、徹底的に叩きのめしてくれる!!」


「うふふっ……ゼルスちゃん、まだ気づかないの?」


「何じゃと?」


 ジェナの視線を追って、ゼルスは空を見上げ……そして気づいた。

 先ほど振り切った三〇羽ほどのロック鳥が、半球状に俺たちを包囲している。


「アハハハ! 私が何も考えずにペラペラお喋りを楽しんでたと思う? あなたたちはここで鳥のエサになるのよ!!」


「……時間稼ぎだったってことか。まあ、有益な情報は得られたけどな」


 調子づいたジェナの哄笑を受けて、俺は悠然と身構える。

 この程度の敵がいくら集まろうと、対処は容易――なのだが。


「ヴァイン。先ほどの約束、忘れておらぬじゃろうな」


 そう言いながら、ゼルスが俺たちの前に進み出た。

 まるでロック鳥たちに向かって、自分を標的にしろと挑発するように。


「余は魔帝ゼルス。配下を助けるのは余の務めじゃ」


「……ああ。わかってるよ」


 俺は手助けしたい気持ちをぐっとこらえて、ゼルスの背に答えた。

 不意に、俺の腕にラクシャルがすがりついてきた。その表情からは不安が窺える。

 こちらを一瞥したジェナが、わざとらしく肩をすくめた。


「あら、ゼルスちゃんだけ? なるほど。腰巾着のラクシャルちゃんはあの男に持っていかれちゃったんだ? アハッ、ゼルスちゃんったらかわいそ~♪」


「余からも魔王リジールからも逃げ出した三流呪術師ごときが、思い上がるな。貴様の相手など、余だけで充分じゃ」


 ゼルスが不敵に笑って挑発を返すと、ジェナの表情から笑みが消えた。

 ジェナの手が、周囲に命じるように高々と掲げられる。


「――りなさい」


 命令と同時、上空のロック鳥たちは一斉にゼルスへと襲いかかった。

 ある者は脚を、ある者は嘴を突き出し、攻撃を仕掛けていく。


「来い!!」


 指先から白い糸を伸ばしながら、ゼルスは迎え撃つ構えを見せる。

 蜘蛛アラクネの血を引くゼルスは、特殊な性質の糸を自らの指から射出し、罠を張ったり、足場にしたり、敵を拘束したりといったことができる。


 ゼルスが扱う糸のうち、粘着性の高い【粘糸ねんし】が、降りてきた一羽のロック鳥にグルグルと巻きつき、動きを封じる。

 しかし――。


「ぬっ……ぐうっ!!」


 別の個体からの蹴りを避けきれず、ゼルスは小さく吹き飛んだ。

 転がったゼルスに群がるように、多数のロック鳥が脚を突き出して降下する。


「ゼルス様っ!!」


「くうう……っ、まだじゃ!」


 ラクシャルの叫びで奮起したかのように、ゼルスは素早く【粘糸】を張り巡らせ、降下してきたロック鳥たちを捕らえる。

 更に、捕まえた怪鳥の巨体に糸を巻きつけ、一羽ずつ確実に無力化していく。


 しかし、ジェナというひとつの意思に操られたロック鳥たちは緊密な連携を取り、時には糸をかわしながら、間断なくゼルスに攻撃を加えていく。


「く……っ、かはっ! う、ぐうっ!」


 嘴や爪の攻撃に加え、ロック鳥の中にはキア同様に魔法を使える個体もおり、風の刃が遠距離からゼルスを襲う。


 半数のロック鳥を無力化し終えた頃には、ゼルスの服や素肌には多数の切り傷が走り、何度も雪の中に倒されたダメージも大きく、肩で息をしていた。


「ぜぇっ……はぁ、う、うっ……」


 痛めつけられるゼルスの姿を見て、俺の腕にしがみつくラクシャルの力が強くなる。


「ヴァイン様……もう、止めてください。このままだと、ゼルス様が……!」


「まだだ」


「なら、私が行きます。私だけでも、ゼルス様の助けに――」


「何度も言わせるな……まだだ」


 ……俺としても当然、この状況に何も感じていないわけじゃない。

 だが今、ゼルスは自分自身と戦っている。


 本当に助けが欲しいなら、誰に言われなくともゼルスから俺を呼ぶはずだ。

 それをしないのは、魔帝としての自分を曲げたくないからだ。


 もっとも、ジェナはそのようなゼルスの想いを理解するはずもなく、孤軍奮闘するゼルスをニヤニヤと愉しげに眺めている。


「あらあら、どうしたのゼルスちゃん? こんなことで手こずるなんて、しばらく見ない間に、随分と弱くなったんじゃない?」


「はぁっ、く、うくっ……」


 ゼルスは怒りをぶつける余裕もなく、上空からの攻撃への対処に集中している。

 その苦戦が滑稽に映ったのか、ジェナは心底愉快そうに目を細めた。


「アハッ、無様よねぇ~? こんな雑魚どもなんて、切り刻んじゃえば一瞬なのに。配下を切り捨てる決断もできないようじゃ、あなたの器はその程度の……」


「黙れ!!」


 苛立たしげにぎりぎりと歯を噛み鳴らして、ゼルスはジェナを遮った。


「余は配下を助ける。呪いで操らねば誰ひとり従えられない貴様ごときが、器を説こうなどとは片腹痛いわ!」


「……へえ。虚勢は大したものねぇ」


 ジェナは口の端をひくつかせて、パチンと指を鳴らした。

 残るロック鳥たちが、一斉にゼルスめがけて急降下していく。


「ゼルス様!」


 叫ぶラクシャルに、ゼルスは――笑いかけるように、口の端を吊り上げた。


「【フラッシュ】!!」


 ゼルスの唱えた雷魔法……閃光を起こす魔法が、ロック鳥たちの目をくらませる。

 その僅かな隙に、ゼルスは【粘糸】を素早く空中で縦横に張り巡らせ、巨大な網を作り出した。


「はぁぁっ!!」


 ゼルスが網を振るうと、まるで巨大な蜘蛛の巣をぶつけたかのように、ロック鳥たちは次々と捕らえられ、身動きを封じられる。

 文字通りの一網打尽にされたロック鳥たちが、ひとかたまりになって雪の上に落下すると、ゼルスもまた力尽きたかのように肩を落とした。


「ゼルス様、お怪我は!?」


「……ラクシャル、余のことはいい。ロック鳥たちが怪我をしていないか確かめてくれ。拘束や落下の際にダメージを受けた者がおるやもしれぬ」


「一番ダメージがあるのはゼルス様です! 今、私が治療に……」


 ラクシャルが駆け寄ろうとした時、ぱち、ぱち、と間の抜けた拍手が響いた。


「ふふっ。本当に、攻撃らしい攻撃もせずにロック鳥を全員捕まえちゃうなんてねぇ。ゼルスちゃんのこと、ちょっと見直したわ」


 まばらに手を叩きながら、ジェナはゆっくりとゼルスに近づく。

 その手が、何かを掲げるように突き上げられた。


「だから、今度は私が相手をしてあげる……【ファイア・ボール】!」


 ジェナの周囲に、ドッジボール大の火球がいくつも浮かび、目の前のゼルスを狙って放たれる。


「く、っ!」


 ゼルスは横っ跳びに火球を回避したが、その動きを見越していたように、ジェナはゼルスの着地点めがけ手のひらをかざした。


「【イラプション】!」


 ゼルスの真下で激しい爆発が起こり、華奢なゼルスを宙高く吹き飛ばす。


「が、あっ……!?」


「【バーニング・メテオ】!!」


 高く舞い上がったゼルスに、上空から降り注いだ火炎の塊が直撃する。


「ぐあああああッ!!」


 ゼルスは熱と衝撃に身を焼かれ、雪の上に叩きつけられた。

 俺の目の前まで転がってくると、震える腕に力を込めて、起き上がろうともがく。


「ぁ……ぐ……っ。ま、だ……じゃ……」


「……もういい。ゼルス」


 俺は傍らに膝をつき、ゼルスの顔を覗き込んだ。

 ロック鳥たちとの不利な戦いで消耗し、ジェナから一方的に痛めつけられ、ゼルスはもはや満身創痍だった。


「余は……負けられぬ。負けるわけには……いかぬ……」


「いいんだ。もう充分だ」


 ゼルスはその身を張って、一方的な攻撃に晒されながら、配下たちを可能な限り傷つけずに無力化してみせた。


「『魔帝』ゼルスの意志、確かに見届けた。……でもな、ゼルス。もう倒れた以上、魔帝の時間は終わった。今のお前は『俺の奴隷』のゼルスだ」


 俺はゼルスとジェナの間に立ちふさがり、軽く肩を回して体をほぐす。

 怒りを腹の底へ沈めるように、深く息を吐く。


「だから、今の俺には手を出す資格がある。俺の奴隷をいじめる奴は許さん」


 まっすぐに、ジェナの顔を睨みつけ、俺は断じた。


「お仕置きだ」

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