第十話 天空の戦い
翌朝。
俺たちは必要最低限の準備を整えると、ジェナの居所に向かうことにした。
首都を囲む城壁の外まで、ガスパーとシンファ、城の重臣、そして大勢の住民たちが俺たちを見送りに来ている。
俺は不安げな顔のガスパーに向かって、適当に片手を挙げる。
「んじゃ、行ってくる。晩メシまでには帰るわ」
「ヴァイン陛下……本当に、我が国の兵士をつけなくともよろしいのですか?」
「ああ。この件に関しては、俺と仲間だけで対応する」
何が待っているのかわからないが、身軽な方が動きやすい。万一退却することになったとしても、俺たちだけならどうにでもなるだろう。
シンファは口惜しげに歯ぎしりすると、ラクシャルを見つめて叫ぶ。
「ラクシャル、必ず帰って来るのだぞ! 我との決着をつける前に死ぬなど、決して許さんからな!」
「いや、何回やろうとシンファさんの負けですから」
ラクシャルの返事はどこまでも素っ気なかった。
「……それはいいとして……」
俺はここまで見送りに来た国民たちに向き直ると、彼らの囁き声に耳を傾ける。
今日、街を出るまで何度となく聞こえてきたその言葉――。
「空中交尾王、行ってしまわれるのですね……」
「ああ、なんということだ……空中交尾王の世継ぎの誕生を見る間もなく……」
「信じましょう……我らが空中交尾王ヴァイン陛下を……」
――俺は無言でガスパーの胸倉を掴んだ。
「太陽王の次は空中交尾王って、お前んとこの国民はいったいどうなってんだ」
「お、お待ちくださいヴァイン陛下。厳寒たる我が国では王族の早世も多く、世継ぎを残すことに積極的な王は尊敬の念を込めてそのような名を――」
「今すぐ『国王に見たまんまのあだ名をつけるな』というお触れを出せ。俺が帰ってきた後もその名で呼んだ奴は、直接殴りに行くとも言っておけ」
有無を言わせぬ強さで言い切ってから、俺はガスパーを解放した。
まったく、キアとの一件を下から見られただけで、こんなことになるとは……。
ガスパーたちに背を向けて仲間の方に向かうと、ある意味その名の元凶でもあるキアが、平然と待ち構えていた。
「ヴァイン、準備できた? できたなら変化を解くから、キアの背に乗って」
「……ああ。頼む」
頷くと、キアは周りの仲間から数歩の距離を取って、屈みこんだ。
次の瞬間――キアの体は光のシルエットと化し、大きく膨張して――再びその体が明確な姿を取った時には、体長5メートル超の真っ白な鳥に変わっていた。
本来の姿である巨大な鳥に戻ったキアは、ブルブルと軽く頭を振ってから、人化している時と同じ声で話しかけてくる。
「……変化、解いたよ。タマちゃんにもらった服は、また変化すれば元通り着てるから心配しないで」
「どういう仕組みなんだ……?」
別に水着の心配はしていなかったが、タマラには嬉しい気遣いだったようで、キアを見上げてにこにこと微笑んでいる。
一方、ゼルスは俺たちの同行を聞いてから、ずっと不機嫌全開だった。
「貴様らがついてくる必要はない。キアだけいれば充分じゃ。余の邪魔をするな」
「ゼルス様、そのような言い方は……」
頬を膨らませてゴネるゼルスに、ラクシャルが諫言する。
だが、今のゼルスには逆効果だった。
「ラクシャルは余よりヴァインの方が大事なのじゃろう。余のことなど放っておいて、勝手にヴァインと乳繰り合っておればいいのじゃ。ふんっ」
そうやって強がるゼルスの声は、今にも泣きそうに震えていた。
自分でラクシャルを突き放しておきながら、実際ラクシャルがいなくなった時のことを想像して、心にダメージを負っているようだ。
(心底面倒くさいスネ方してやがる……)
タマラが言っていた、妹だか娘だかと同じ心境というのが少しわかる気がしてきた。
俺は深い溜息をひとつついてから、先にキアの背に乗る。
「ゼルスがなんと言おうと、俺たちにも異常気象の調査って目的がある。そしてキアは俺の奴隷だ。一緒に行くのが嫌なら、ゼルスがここに残れ」
「……この卑怯者……空中交尾王……」
「どつくぞ」
苦し紛れの悪口に、俺は拳を掲げて笑い返す。
渋々、といった顔でゼルスもキアの背に乗り、ラクシャルとタマラも乗ってくる。
四人が背に乗ると、キアは翼をはためかせ、宙に飛び上がった。
国民たちの声援を受けながら、俺たちを乗せたキアは、南の山脈に向かって飛び立った。
猛吹雪に逆らうように、キアは風を切って羽ばたき、空を舞う。
俺たちを振り落とさないよう速度は控えめにしてくれており、またキアの羽ばたきが風を打ち消しているのか、俺たちへの吹雪の影響も最小限で済んでいる。
座席もシートベルトもないので、さすがに安定はしないが、それにしても快適な空の旅を満喫できる環境と言えるだろう。
「キア。お前、けっこう乗り心地いいんだな」
純粋な褒め言葉として俺はそう言ったが、キアは呆れたように応じた。
「ヴァインはこんな時もすけべなこと考えてる。そういうのは後にして」
「お前を組み敷いた時の話じゃねえよ」
すけべはどっちだ、と俺の方こそ呆れてしまう。
「ならいいけど……スピード、もっと出す? キア、群れの中じゃ一番速いよ」
「いや、今くらいで充分だ。ゆったりできるしな」
「しとる場合か」
緊張感の欠如を咎めるように、ゼルスが俺をじろりと睨んだ。
「ヴァイン。貴様にひとつ言っておくことがある」
「なんだ、改まって」
「今回の件……ジェナのことは、余だけで対応する。貴様は手を出すな」
「どうしてだよ。協力してさっさと終わらせた方が早いだろ?」
眉をひそめる俺に、ゼルスは厳しい目をして言う。
「これは魔族の問題と言ったはずじゃ。貴様に介入される筋合いはない」
俺が答えるよりも早く、ラクシャルが手を挙げた。
「でしたら、私がお手伝いします。私は魔族ですし、この件にも関係が……」
「ならぬ」
はっきりと拒むように、ゼルスは言い切った。
「ラクシャル、貴様はヴァインのものになる道を選んだ身じゃ。余は今後、魔族同士の問題を解決する際に、貴様の手を借りることはせぬ」
「……何をおっしゃるのですか、ゼルス様」
ラクシャルは非難の眼差しを向けたが、ゼルスは臆せずに切り返す。
「余は誰の力も借りぬ。自分の力で問題に立ち向かう。魔帝として当然のことじゃ」
「ゼルス様!」
なおもラクシャルは食い下がろうとしたが、俺は手振りでそれを制した。
キアから聞いた話では、ゼルスは魔族同士の争いを止めるために魔帝になった。今回の件も、魔帝として許せない気持ちがあるのだろう。
ゼルスの感情とプライドを尊重するなら、手出しは無用だ。
「わかった。この件はゼルスひとりに任せる」
「そんな、ヴァイン様まで……!」
ラクシャルは戸惑いの目で俺を見つめたが、それ以上何か言おうとはしなかった。
一方、ゼルスには俺の気持ちが伝わったのか、ばつが悪そうに顔をそむける。
「……礼は言わぬぞ、ヴァイン。これは余の問題じゃからな」
「わかってるよ」
短く答えた言葉にかぶさるように、キアが声を張り上げた。
「みんな、もうすぐ目的の場所。ジェナはこの先の山頂に……」
「キアちゃん、待って! 何か来る!」
タマラの叫びを受けて前方に目を凝らすと、それはハッキリと見えた。
白い翼をはためかせ、ロック鳥がこちらに向かってくる。
――あまりにも、猛烈なスピードで。
「おい……まずいぞ! キア、避けろっ!」
俺の命令から一瞬遅れて、キアが旋回する。
当たるかどうかすれすれのところで、キアはロック鳥の突進をかろうじて避けた。
「くそっ……どうやら、接近がバレたらしいな」
さしずめ、あれは刺客というところだろう。
旋回して再びこちらを追ってくるロック鳥に、キアは必死で呼びかける。
「リーニャ! 待って、キアだよ! お願い、やめて!」
そのロック鳥は、どうやらキアの仲間のようだったが、呼びかけに反応する様子はない。呪術で操られているというのは本当のようだ。
以前、タマラが呪いで操られた時も、こちらの呼びかけは届かなかった。あの時と同じ手が使える相手ではないし、別の対処法を考えなくてはならない。
しかも、状況は悪化の一途を辿っていた。
「気を取られるでない! 囲まれておるぞ!」
ゼルスの言う通りだった。
四方八方から、俺たちを取り囲むように三〇羽以上のロック鳥が現れ、じりじりとその包囲を狭めてくる。
俺はとっさに手を突き出し、重力魔法を唱えた。
「【プレス】!!」
近くにいたロック鳥の二羽が、強い重力に押し潰されて落下していく。
このまま撃退していけば確実だと思ったが、ゼルスが横から腕を掴んできた。
「ヴァイン! 奴らは操られておるだけなのじゃ。傷つけるな!!」
「馬鹿言うな。止めなきゃ俺たちが怪我するだけだぞ」
俺ひとりならどうとでもなるが、皆を守るためには応戦するしかない。
ゼルスも、頭ではわかっているのだろう。
それでも俺の腕をぎゅっと握って、懇願するように、震える声で繰り返した。
「……頼む……頼む、ヴァイン。奴らには何の罪もないのじゃ。余の配下を、傷つけないでくれ……」
「……ええい、くそっ」
こうも下手に出られては、強引な手段は取りづらい。
「わかったよ。でも、戦わずにどうやって突破するんだ?」
大人しくやられるわけにもいかず、俺はゼルスに代案を求めた。
ゼルスはキアに向き直って訊ねる。
「キア、全力で飛べばこやつらを振り切れるか?」
「全力? ……できると思うけど、全力で飛んだらゼルス様たちも吹っ飛ぶ」
それでは振り切っても意味がない。キアに乗り続けることができなければ……。
――その時、ふと俺の頭にある考えが浮かんだ。
「タマラ、マントを最大限に伸ばせ。その布で、俺たち全員をキアの体に縛り付けるんだ。急いでくれ!」
「えっ? う、うん!」
俺の急な指示にタマラは戸惑いながらも、マントでキアの体をぐるぐると巻くようにしつつ、その背に乗る者全員の体を固定した。
「全力で飛べ、キア!」
俺が命令した直後、すさまじい風圧を感じた。
普通ならたちまち吹き飛ばされそうなほどの風だが、タマラのマント――簡易シートベルトのおかげで、俺たちは全員無事だった。
風圧に慣れて周囲を見回すと、ロック鳥の群れは遥か後方にいた。俺たちを追いかけているのが見えたが、差はぐんぐん広がり、やがて見えなくなる。
「ヴァイン様……! さすが、素晴らしい機転です! あの状況で、適切にタマラさんのマントを活用するなんて……!」
「大したことじゃない。キアの背中に乗ってる間、少し考えてただけだ」
尊敬の眼差しを向けてくるラクシャルに、俺は居心地悪く答えた。
長話をする余裕もなく、キアが俺たちに少し硬い声で告げる。
「もうすぐ目的地だよ。山頂に降りるから、みんなも降りる準備を――」
――その時、巨岩のような火球が、眼下からこちらに飛んでくるのが見えた。
「【アイス・シールド】!!」
元ゲーマーの反射神経が俺を衝き動かし、瞬時に氷魔法を唱えていた。
キアの全長を上回る巨大な氷塊が宙に形成され、火球を受け止めて爆散する。
もうもうと立ち上る水蒸気に包まれながら、俺はキアに向けて叫んだ。
「キア、降りるんだ!」
「えっ……えっ? 降りろって……今の、なに?」
「下から攻撃されたんだよ。いいから、目くらましがあるうちに降りろ!」
キアは混乱している様子だったが、俺の強い語気に緊急性を悟ったらしく、速やかに下降して着陸した。
タマラがマントでの拘束を解き、キアの背に乗っていた者は急いで降り立つ。
相変わらずの猛吹雪の中、俺は油断なく周囲を睥睨し、気配を探る。
「……そっちだな。出てこい」
気配のする方に向かって言うと、その途端に妙なことが起こった。
今まで俺たちを襲っていた吹雪が、急におさまってきたのだ。
空は曇天のままだが、ほどなく雪も風も完全に止んでしまうと、俺たちから数十メートルほどの距離に、ひとりの女が立っていた。
「いい『目』を持っているのね……あなた、ただの人間?」
切れ長の瞳で俺の顔をじろじろと眺め、女は小馬鹿にしたような笑みを浮かべた。
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