第九話 魔帝たちの過去


 出て行くゼルスとラクシャルを見送った俺たち三人の間に、微妙な沈黙が降りる。

 その空気を打ち破るように、不意にタマラが声をあげた。


「……あ、そうだ、キアちゃん。キアちゃんが着るもの用意してきたから、ちょっと合わせてみてもいいかな?」


「着るもの……?」


 きょとんと小首をかしげるキア。

 キアは元々服を着ておらず、一応、ここに来る間は上着を羽織らせておいたのだが、今はベッドのシーツを巻いて肌を隠しているような状態だった。

 タマラはいつの間にか持っていた紙袋を開くと、キアに抱きつくようにしながら、何かを着せていった。


「これで……よしっ、と。サイズは紐で調節できるから、苦しかったら言ってね」


「……平気」


 そう答えてベッドから降りたキアが身に着けていたのは、どう見ても、ビキニに近い形状の水着だった。


「なんで水着なんだ……?」


「キアちゃん、翼があるから普通の服着れないもん。これならちょうどいいでしょ?」


「そりゃそうかもしれんが、水着なんてどこから持ってきたんだ」


 水着、しかもビキニなんて、この北国には似つかわしくないイメージだ。

 ツッコミを入れると、タマラはなぜか恥ずかしそうに頬を染める。


「冒険してたら、泳ぐ機会もあるかと思って……ヴァインくんに、気に入ってもらえたら……なんて……か、鞄にスペースがあったから、あくまでついでにね!?」


「はあ……」


 別に文句を言うことではないが、タマラもたいがいマイペースな奴だな。

 キアの反応を窺うと、自分に着せられた水着を撫で回し、落ち着かない様子だった。


「これ、キアにくれるの? ……貴方、名前は?」


「まだ自己紹介してなかったっけ。あたしはタマラ。キアちゃんがゼルスちゃんの仲間なら、あたしとも友達だね。よろしく!」


「……よろしく」


 握手を交わしながら、キアの目は爛々と輝き始める。


「貴方、人間なのにキアに贈り物してくれた……タマちゃん、いい人」


「え? えーと……タマちゃんって、あたしのこと?」


「うん。タマちゃんは羽があるんだね。とても立派」


「羽って……これはマントだよ。空は飛べないけど、形を色々変えられるの」


 タマラは苦笑しながら、背のマントをいくつかに枝分かれさせ、バラバラに動かしてみせる。


「おおおおー……」


 キアの目が更にキラキラと輝く。手品を見る子供のような目だ。


「タマちゃん、すごい。キア、タマちゃんのこと好き」


「ええっ!?」


 唐突で大胆な告白をかましながら、キアはタマラに抱きついた。

 タマラが困惑している間に、俺はずかずかとふたりに近づく。


「お前ら、百合百合してないで俺も混ぜろ。ラクシャルも行っちまったし、今は奉仕とか癒しとかが欲しい気分だ」


「も、もうっ! ヴァインくんってば、そういうことばっかり……!」


 顔を真っ赤にして恥じらうタマラの横で、キアが首をかしげる。


「奉仕、ってなに? ヴァイン、キアと交尾したいの?」


「お前は直球すぎるな……」


「強いオスと交尾できるのは幸せなことだって、群れの姉さんたちはみんな言ってた。ヴァインがしたいなら、今からする?」


 言いながら下の水着を脱ごうとするキアを、タマラが必死で止めに入る。


「ダメっ!! キアちゃん、女の子がそういうこと言っちゃダメっ!」


「なんで? 交尾しないと子供できないよ。タマちゃん、子供嫌い?」


「そうじゃなくって……あー、もう、どう説明したらいいのー……!?」


 頭を抱えるタマラの様子に、俺は乾いた笑いが出てきた。平和な悩みだ。


「俺が言えた話じゃないが、今はキアの仲間を救えるかどうかって大事な時期だろ? ゼルスを案内してやれるように、準備だけはしておけよ」


「ゼルスを、って……ヴァインくんは一緒に行かないの?」


「行きたくても、ゼルスが来るなって言うんだから仕方ないだろ。どうせ俺はゼルスに嫌われてるし、ラクシャルとのことがバレたら、こうなるとは思ってたけどな」


 投げやりにそう言うと、タマラから意外な答えが返ってきた。


「……違うと思う。ゼルスちゃんは、ヴァインくんのこと嫌いじゃないよ」


「なに?」


「だってゼルスちゃんって、口では色々言うけど、ヴァインくんのこと認めてる感じがするもん。態度の端々に、そういうのって出ちゃうから」


「冗談言うな。さっきのゼルスの怒りよう、見てなかったのか?」


「あれは……ゼルスちゃんが、ラクシャルちゃんを好きすぎるんだよ。ヴァインくんにラクシャルちゃんを取られて寂しいから、つい怒っちゃうの」


 まるで直接ゼルスの心を読んだかのように、タマラの言葉には妙な確信があった。


「なんでそう自信たっぷりに言い切れるんだ?」


「うーん……ほら、あたし先生だから。ああいう子って、今までにも見たことあるの。自慢のお姉ちゃんに彼氏ができた時の妹の気分というか、大好きなお母さんが再婚相手を連れてきた時の娘の気分というか……」


 わかるような、わからんような。

 俺がモヤモヤした気持ちでいると、キアが得心のいった様子で頷いた。


「それ、近いかも。ゼルス様とラクシャル様は最高のパートナーだって、キアも聞いたことあるよ。族長に教わった話だけど」


「最高のパートナー……か」


 それはおそらく、俺とラクシャルが出会うより前の話なのだろう。

 少し興味があったので、目線でキアに話の続きを促す。


「まだ、みんなを束ねる魔族がいなかった頃、魔族の社会はめちゃくちゃだった。みんなが縄張りを争って、何の秩序もなくひたすらに殺し合ってた」


 戦国時代みたいなもんか、と俺は解釈して頷く。


「そこにゼルス様とラクシャル様が現れたの。ゼルス様は争いを制し、頂点に立って魔族を束ね、ラクシャル様はゼルス様の右腕としていつも支えていたって」


「ふうん……しかし、それだけであんなにラクシャルに依存するもんかね」


「ゼルス様もラクシャル様も、家族がいないから」


 ……衝撃的な言葉に、俺とタマラは驚いて固まった。

 そういえば……ラクシャルは今まで、いつも自分の気持ちを包み隠さず俺に話してくれたが、家族の話は聞いたことがない。


「あいつらの家族がいない……ってのは、つまり……?」


「全員死んだの。ゼルス様とラクシャル様がまだ幼かったころに、戦いに負けたから」


「……そうか」


 俯く俺に構わず、キアは淡々と話を続ける。


「負けた者は殺される。それは私たち魔族の中で、当然のことだったの。だから、命を狙ったキアを許してくれるヴァインは、すごく優しいと思う」


「……前に、ラクシャルにもそんなこと言われたな。俺は、自分が優しいなんて本気で思ったことは一度もないが」


「あなたと同じくらい優しいのは、ゼルス様くらいだよ。ゼルス様は、自分たちみたいな不幸な子を増やしたくないから、魔族を束ねる魔帝を志したの。みんな言ってたよ。ゼルス様は、配下にいつも優しくしてくれるって」


「優しい……か」


 今回のことは魔族同士の問題だ――ゼルスは、そう言っていた。

 ゼルスは、自身が魔帝であることに強いこだわりと誇りを持っている。

 自身が志した『配下に優しい魔帝』であり続けるためには、呪術で操られた配下を、自らの力で助け出すことに固執するのは確かに当然だろう。


 ……だが、ゼルスは本当にそのままでいいのだろうか?

 あいつには今、誇りよりも必要なものがあるはずだ。それをわからせるためにも、ゼルスひとりでは行かせられない。


 俺はガシガシと頭を掻き、本当の考えをごまかしながら答える。


「……やっぱり、俺もついて行くか。俺はノースモアの国王でもあるわけだし、原因を調査する義務と責任があるからな」


「義務と責任って……ヴァインくんが一番似合わないこと言ってる……」


「ほっとけ」


 ……自分でも似合わないとは思ったが、他人に言われるのは別だ。

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