第八話 討つべき敵
服を着てから全員が目を覚ますまでの間に、俺はキアの力を【ドレイン】した。
テイムによって、キアは俺には攻撃できなくなったが、他の相手に対してはその限りではないし、俺の命令に絶対服従するわけでもない。
そのため万一に備えて、無力化しておいた方がいいだろうと判断したのだ。
ちなみにドレインの収穫としては、氷属性の魔法がレベル5まで使えるようになったほか、能力値も全体的になかなか高く、良い収穫になった。
もしも、キアが本来の能力で俺たちに不意打ちを仕掛けていたら、仲間のうち誰かは深手を負っていたかもしれない。バカなおかげで助かった。
キアを連れて城に帰ると、俺たちは国王の私室に集まり、ベッドに寝かせたキアが目覚めるのを待って話を聞くことにした。
待っている間にお茶を淹れてくれたラクシャルが、部屋のテーブルを囲む俺たちの前に順番にカップとソーサーを置きながら、真剣な顔で小さく唸る。
「そうですか……あの温泉でそんなことがあっただなんて……」
「うう……あたしまで、ヴァインくんに迫ってたんだ……」
女湯に入ってから先のことは、全員おぼろげに記憶があるようで、タマラも顔を真っ赤にしてうつむいている。
ラクシャルは指を組んで両手を重ね、感激した様子で叫んだ。
「もしもヴァイン様がいなければ、私たちは全員、その刺客にやられていたかもしれないのですね。やはりヴァイン様は命の恩人です!」
「いちいち俺を持ち上げんでいい」
というか、キアの間抜けさを見る限り、仮に俺が何もしなかったとしても失敗していたような気もする。
「問題は、キアの背後にいる黒幕の正体じゃ」
眉間に皺を寄せながら紅茶を啜って、ゼルスが言った。
「呪術を使ってきたことといい、回りくどいやり口といい……これはもしや……」
「もしや?」
俺とタマラが同時に訊き返した。心当たりのありそうな口ぶりが気にかかる。
ゼルスは何かを言いかけて唇を動かしたが、思いとどまったように首を横に振った。
「……いや、決めつけは早計じゃな。この話はキアが目覚めてからにしよう。それよりヴァイン、貴様……風呂での一件、忘れてはおらんじゃろうな」
唐突に話を変えたかと思うと、ゼルスは殺意のみなぎる視線で俺を睨んできた。
「風呂? 俺が女湯に飛び込んだことか?」
「それも非常識極まりないが、そっちではない……ラクシャルとのことじゃ! 貴様、よくも余の大切なラクシャルを汚しおったな!?」
「汚してないって。和姦だし」
「そういう問題ではない! 今日という今日は許してはおかぬぞ、よいか……」
青筋を立てながらゼルスが説教を始めようとした時、ラクシャルが割って入った。
「少し落ち着いてください、ゼルス様。私は……」
「ラクシャルは黙っておれ! この愚物めには、一度ガツンと言ってやらねば――」
「ゼルス様」
再び遮ったラクシャルの声には凄みがあった。ゼルスにもそれは感じられたようで、たじろぎながら訊き返す。
「な、なんじゃ」
「ゼルス様が私を大切に思ってくださるのは、とても嬉しいです……ですが、もう何度も申し上げたはずです。私はヴァイン様を、心から愛していると」
「……そ、それは……」
「私はヴァイン様に抱いていただけて幸せですし、そもそも、ヴァイン様を誘ったのも私からです。どうしても責めたければ、私を責めてください」
きっぱりと言い切るラクシャルに、ゼルスは泣きそうな顔をする。
「ラ……ラクシャルは、ヴァインに騙されておるのじゃ……!」
「ゼルス様……私はヴァイン様と出会って、変わったのです。それは良い変化だったと確信しています。ゼルス様にも、祝福していただきたいのに……」
そう言ってゼルスを諫めるラクシャルの表情も、ひどく寂しげだった。
ふたりの間に気まずい沈黙が流れる。
俺とタマラは顔を見合わせて、口を挟むべきかどうか決めかねていたが、次の声があがったのは、まったく別の方向からだった。
「……ううっ……ここは、どこ……?」
ベッドの上で、もぞもぞとキアが身を起こした。
俺を含めた全員の視線が、そちらに集中する。
「お目覚めだな、キア。俺がわかるか?」
「……っ!? 貴方は……キアを媚薬漬けにしたうえ、誰が見てるかもわからない上空で無理やり犯したド鬼畜男……」
「一応言っとくが、媚薬食らったのも空飛んだのもお前のせいだからな?」
それ以外の点については、強引だったと言えなくもないが。
気を取り直し、事情を聞くことにする。
「キア、お前の力は吸わせてもらった。抵抗は無駄だってことは先に言っておく」
「……みたいだね。それで、キアをどうするの? 捕まえて飼う? 苗床にする?」
「そんなことは言っとらん」
「数人がかりでキアの穴という穴を犯しまくって、子供を産ませて、生まれたその娘もキアの目の前で貫通させる? 人間のオスって、そういうの好きなんでしょ?」
「俺の趣味とは違う。……どこから出てきた、その発想」
「前に、人里の近くで拾った本に描いてあったよ」
「人間の欲望ってのは、どこの世界でも大して変わらんな……」
俺が呆れていると、もどかしげにゼルスが押しのけてきた。
「キアよ、余は魔帝ゼルスじゃ。貴様は、ノースモア王国を住処とするロック鳥の一族じゃな? なぜ余たちを襲ってきたのじゃ?」
ゼルスの問いに、キアは目を丸くして驚いた。
「えっ? ま、魔帝ゼルス……? こんなつるぺたでちっこい貴方が?」
「つるぺたでちっこいは余計じゃ!! 質問に答えんか!!」
怒るゼルスを前に、キアは沈痛な表情を浮かべた。
「……ごめんなさい、ゼルス様。キアは、何も聞かされてなかったの。ただ、貴方たちを全員殺せば、群れの仲間は解放してやるって言われて……」
「解放じゃと?」
「ゼルス様……お願い、キアたちを助けて。このままじゃ、キアの仲間はみんな、あの女に殺されちゃう……!」
「あの女? 貴様に暗殺を命じた者か……いったい誰なのじゃ?」
すがるような目でゼルスを見つめて、キアは答えた。
「ジェナ……あの女は、そう名乗ってた」
キアの口からその名が出た瞬間、ゼルスとラクシャルの目つきが変わった。
「予想はしておったが……この迂遠で陰険なやり口、やはりジェナか!」
忌々しげに吐き捨てて、ゼルスは歯ぎしりをする。
俺はそれだけで理解できるわけもなく、ラクシャルに訊ねた。
「誰だ? ラクシャルとゼルスの知り合いか?」
「はい……まだゼルス様が魔帝の座を争っていた頃、敵対していた魔族のひとりです。結局はゼルス様に敗れ、海を渡って逃亡したはずですが……」
険しい表情で語るラクシャルの言葉を引き継ぎ、キアが続ける。
「ジェナは、魔王リジールの元部下だって言ってた」
「魔王リジールじゃと? ジェナめ、他の魔族のもとに身を寄せておったか……」
また知らない名前が出てきた――というか、その肩書きも気になった。
「度々中断してすまんが、ゼルス。その魔王リジールってのは?」
「海の向こうにある、別の大陸を支配しておる魔王じゃ」
「そこ、確認したいんだが。全ての魔族を統べる帝王がゼルスなんだろ? なんでゼルス以外にも、魔王なんて奴がいるんだよ」
俺のツッコミに、ゼルスはむしろ訝しげな顔をした。
「妙なことを言うな。人間の王だって、国ごとに何人もおるではないか。なぜ、魔族の王が余だけだと決めつけておるのじゃ?」
「……それはまあ、そうなんだが」
ゲーマーの先入観で、魔王的立ち位置の人物はひとりだけだと決めつけていた。もしくは、魔王の裏にラスボスの大魔王が控えているか。
俺のモヤモヤをよそに、ゼルスはキアへの聞き取りを進める。
「とにかく、その魔王リジールの部下になっておったジェナが、今になって戻ってきたわけじゃな?」
「うん、ゼルス様……ジェナはよくわからない魔法を使って、キアの仲間たちを一瞬で洗脳したの。今はみんな、ジェナに操られてるの……」
「……ジェナは呪術の使い手じゃ。力の弱い相手なら、たちどころに自分の傀儡にしてしまう。おのれ……よくも、余の配下を……!」
握り拳を震わせて、ゼルスは怒りと不快感を露わにした。
説明された事情を頭の中で整理しながら、俺はキアに確認する。
「キア以外の仲間は、全員呪いにかけられたってことか?」
「うん……キアは群れの中じゃ若いけど、戦う力は一番強い。だから呪いにはかからなかったけど、命令には従わなきゃいけなかった」
「群れの連中を人質に取られたから、か……」
キアのような間抜けをわざわざ暗殺によこした理由も、これで理解できた。
呪いで支配できない以上、キアの存在はジェナにとって危険だ。
暗殺任務に出して、首尾よくいけば共倒れ……少なくとも、ゼルスとキアのどちらかは消せると踏んだのだろう。
その時、それまで黙って話を聞いていたタマラが、不意に口を開いた。
「ねえ、キアちゃん。そのジェナって魔族、もしかして、この猛吹雪を起こしてる原因なんじゃないの?」
「えっ?」
「だって、ジェナが来たのも最近で、猛吹雪が始まったのも最近なんでしょ? 偶然の一致にしては、タイミングが良すぎると思うんだけど……」
「……キアはわからない。ジェナはそんなこと言ってなかったけど、もしジェナのしわざだったとしても、ジェナがキアに話すとは思えないし」
いささか突飛なタマラの予想に対し、キアの答えは意外にも慎重だった。
俺は、タマラの予想には前提からして無理があると思った。
「いくら魔帝の座を争った魔族でも、そのジェナって奴はひとりなんだろ? 天候を操るような大それた真似、できるもんか?」
「……不可能ではないじゃろう」
懐疑的な俺の問いには、横からゼルスが答えた。
「呪術は、生物を含めて『物の状態を変化させる』効果に特化した術じゃ。周到な準備さえあれば、局地的に天候を変えることもできるじゃろう」
「えっ……そうなのか?」
ゲーム中でも呪術というスキルは存在したが、使用の前提条件が多く、汎用性に欠けるため俺は使用していなかった。そのため、効果についてもあまりよく知らない。
ゼルスは小さく頷くと、キアに視線を向けた。
「いずれにしても、余の配下が操られておる以上、余はジェナを倒しに行く。キア、余をジェナのところまで案内せよ」
「みんなを、助けてくれるの? ……ありがとう、ゼルス様。案内はキアに任せて」
真剣な表情で見つめ合うゼルスとキア。
ふたりの間で勝手に話がまとまりそうな空気だったので、俺は割って入った。
「お前ら待て。特にゼルス、勝手に決めるな。俺は、まだ行くかどうかなんて……」
「貴様は来なくていい。これは余の……『魔帝ゼルス』の問題じゃ」
ゼルスの鋭い眼差しには、拒絶の意思があった。
「余は、貴様と人間たちとの諍いには口を出さなかったじゃろう。今度は魔族同士の問題なのじゃ。貴様に口を出される筋合いはない」
「お前だけの問題じゃねえ。俺がテイムした女の問題は、俺の問題でもある」
俺はムッとして言い返したが、ゼルスは涼しい顔で受け流した。
「余は貴様のものになった覚えはない。……キア。明朝には街を発つぞ」
一方的に言い置いて、ゼルスは部屋を出て行った。
「あっ……待ってください、ゼルス様!」
先の口論が尾を引いているのか、少しためらいながら、ラクシャルが後を追う。
俺は一瞬迷ったものの、追いかけると話がこじれそうな予感もしたので、その場にとどまることにした。
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