第五話 雪解けの街と元王女
朝食を摂ると、俺は三人を連れて街に出た。
数日前、俺たちを出迎えたのは雪に閉ざされた街だったが、既にその雪はほとんど溶けてしまい、人々は日々の営みを再開させている。
追いかけっこをする少年、荷車を引く商人、井戸端会議に夢中な婦人たち……。
ラクシャルはそれらの間を、ふらふらと千鳥足ですり抜けて、俺たちの先頭を歩いていた。
「……のう、ヴァイン。ラクシャルの奴、何があったのじゃ?」
俺の隣でラクシャルの背を見つめながら、ゼルスが訝しげに訊いてくる。
明らかに欲求不満のせいだが、正直には言いづらい。
「体調不良……かもな」
「えっ、ラクシャルちゃんもなの? あたしも何だか風邪っぽいんだけど……もしかして、うつしちゃったのかな……」
タマラはグスッと鼻をすすって、心配そうに呟く。
下手に言い訳しない方が良さそうだと判断し、俺は話をそらした。
「それよりゼルス。外で確かめたいことって何なんだ?」
「うむ。先ほどのガスパーとの話で思いついて、改めて明るいところで見てみたかったのじゃが……」
そう言って、似顔絵の羊皮紙を懐から取り出し、まじまじと眺める。
「……やはりな。思った通り、巧妙に隠されておるが、このスクロールには呪術が施されておる」
「呪術だって?」
「そうじゃ。見た者の理性と判断力を鈍らせる効果がある。普通の人間が見れば、内容に何の疑問も持たず信じ込んでしまうじゃろう」
スクロールを巻き直しながら、忌々しげな口調で答える。
「おそらく呪術師が作ったものじゃ。どこの誰だか知らぬが、忌々しい真似を……」
「少なくとも、悪意を持った何者かの仕業だってことは、これで確定か」
ゼルスと俺が同時に唸る横から、タマラが小さく挙手する。
「ねえねえ、ヴァインくん。吹雪の原因って、突き止められないかな?」
「調べてみないことには何とも言えないな」
「じゃあ、調べてみようよ! ヴァインくんの魔法があれば、安全に移動できるし。もしかしたら原因がわかるかも……」
「断る」
俺はタマラの言葉を遮って答えた。
「ええっ!? どうして!」
「こっちが訊きたい。なんで俺がそこまでしてやらなきゃいけないんだ」
「だって、吹雪はノースモア王国全土を襲ってるって聞いたし……ヴァインくんの助けを待ってる人たちが、他の街にも大勢いるんだよ?」
「やなこった、面倒くさい」
「むー……そんな言い方……」
不満げにむくれるタマラのジト目を、さらりと受け流す。
正義感で動いてもロクなことはない。他人に体よく使われるのはごめんだ。
「俺は自由に生きるって、前にも言っただろ。無関係な奴らを助ける義理はない」
「でもヴァインくん、王様なんでしょ? 無関係じゃないよ」
「…………」
痛いところを突かれた。
どう言い返すかと考えているうちに、ふと周囲の異変に気づく。
街の人々が俺たちを遠巻きに見て、ひそひそと囁き合っている。
一瞬、陰口でも叩いているのかと思ったが、向けられる視線は明らかに尊敬のそれだ。
「ヴァイン……ということは、あのお方が……?」
「街を救ってくださった、新しい王……」
「太陽王ヴァイン様だ……!」
見る見るうちに、俺たちを取り囲むように人だかりができていく。
俺は思わずたじろいだ。王立学校で活躍した時とは比較にならないほどの、畏敬のまなざしに圧倒される。
「な、なんだ? こいつら」
「いや……ヴァインくん、自分が何をしたのかわかってないでしょ。街の救世主が無防備に出歩いてたら、こうなるって」
タマラは苦笑しながら言ったが、さっきからタマラが俺の名を連呼していたせいで気づかれたのだと思う。
「っていうか、太陽王って何だよ。こっぱずかしい二つ名つけやがって」
「ヴァインくんが魔法の太陽を生み出したからじゃないかな? 恥ずかしがらないで、尊敬されてるんだから素直に喜ぼうよ」
俺は定期的に魔法を唱えることで、首都の上空に風の結界を常時展開させ、日中は光の球も浮かばせている。
延々と続く吹雪の中で、再び光を目にした民の感動は理解できなくもないが……。
「そういうわけだから、原因の調査に行こうよ! ね、太陽王ヴァインくん!」
「定着させるな」
茶化すタマラに、俺はむしろ意固地になって、周囲の人垣を押しのけようとした。
しかし、俺が近づくよりも先に小さなどよめきが起こり、人垣が割れて、その間からひとりの人物が姿を現した。
「ここにいたか……ヴァイン」
甲冑姿に一振りの長剣を携え、俺たちの前に立ちふさがるように現れたのは、先王の娘にしてノースモア王国の騎士――シンファだった。
「……よう。何日かぶりだな」
シンファの様子を窺いながら、軽く片手を挙げて挨拶する。
俺が首都を訪れて王位を奪ったあの日以来、シンファと顔を合わすのは初めてのことだった。今のシンファの心境は予想がつかない。
さっきまで俺を称えていた街の人々は、シンファの登場に気まずくなったのか、あるいは戦いの気配を感じてか、散り散りにその場を離れていく。
俺の警戒を察した様子で、シンファは薄く笑った。
「そう身構えるな、ヴァイン。我は君を恨んでなどいない。むしろ感謝している」
「本気で言ってるのか?」
もしも強がりでないのだとしたら、ガスパーといいシンファといい、王族のわりに順応性が高すぎる。
「ふふふ。我らアデムレット王家は代々、この厳寒の地を支配してきたのだ。王位を奪われるくらい、先代が直面した飢饉や疫病に比べれば、苦境のうちにも入らぬさ」
「そういうもんか……?」
「我に言わせれば、おかしいのはヴァインの方だ。王位を簒奪しておきながら、やることといえば城で寝泊まりするくらいで、贅沢をするでも政治に口を出すでもない」
「お前の親父と同じこと言うんだな。俺は王様気分を味わえりゃ充分なんだよ」
俺とシンファは同時に首をひねった。互いに価値観が噛み合わない。
「それで、シンファ。俺に何か用か?」
「用があるのはヴァインにではない。ラクシャル、君に対してだ!」
長剣の切っ先を向けて、シンファは高らかに叫んだ。
依然、夢遊病患者のようにふらふらと周りを歩き回っていたラクシャルが、名を呼ばれて緩慢にシンファの方を振り向く。
「……はい?」
気の抜けた反応だ。
一方シンファは拳を握り、語気を強めて力説する。
「城での戦いで、我は君に敗れた。そして感じたのだ……ラクシャル。君こそは、我の好敵手に相応しい女であると!」
剣を構え、シンファは臨戦態勢に移ると、再び吼えた。
「君にはもう一度、我と剣を交えてもらいたい。勝負だ、ラクシャル!」
「はあ……嫌ですけど」
「……な、なに?」
ショックを受けた様子のシンファに、ラクシャルは淡々と答える。
「だって、私にはシンファさんと戦う理由なんてありませんし。そんな暇があったら、ヴァイン様のお世話に使います」
「なぜだ! 君も剣士ならば感じたはずだ! 我が剣に宿る魂、熱き思いを……!」
「失礼ですが、シンファさんは剣を折られて一方的に負けただけでしょう。毎回うまく手加減できるとは限りませんし、帰ってください」
「ぐ……っ!!」
完膚なきまでに論破され、よろめくシンファ。
その視線が周囲をさまよい、そして――俺の顔へと留まった。
ニヤリと不敵に笑って、シンファは俺に近づいてくる。
「……ふ、ふふっ。いいのかな、ラクシャル? 我の挑戦を拒否しても」
「どういう意味ですか?」
「君が挑戦を拒むのなら、ヴァインをもらっていくぞ? さあヴァインよ、あんな臆病な女は放っておいて、我の部屋にでも――」
――ギャギィィンッ!!
激烈な金属音が響いた。
シンファの甲冑が袈裟懸けに断ち割られ、中に纏っていた肌着も裂けて、素肌が露わになる。
「…………」
自分を襲った凄まじい斬撃に、シンファは青ざめた顔でへたり込んだ。
かたや、魔剣の一振りで甲冑を破壊したラクシャルは、氷のように冷たい目でシンファを睨みつけて告げる。
「……毎回うまく手加減できるとは、限らないんですよ?」
シンファは腰が抜けたのか、へたり込んだまま尻で這うように後ずさる。
「は……はは、ははは。わ、我の負けだ、ラクシャル。認めよう」
「そうですか。それは何よりです」
乾いた笑いを漏らすシンファに、にっこりと微笑むラクシャル。
ふたりのやり取りに、血相を変えて飛び出したのはタマラだった。
「ラクシャルちゃん、何やってるの! ……シンファさん、大丈夫?」
タマラに支えられながら、シンファは虚勢めいた笑みを漏らし続ける。
「ふふ、ふふふ。本気で死ぬかと思ったぞ。この容赦のなさ、これでこそ我が好敵手に相応しいというものよ……」
「……意外と懲りてないなぁ……っ、はくしゅん!」
余裕めいたシンファの様子に呆れて気が抜けたのか、タマラはくしゃみを零す。
「おや、君は風邪をひいているのか? そういえば、街に来た時は凍えていたな。街の温泉がそろそろ営業再開するそうだから、一度行ってみてはどうだ?」
シンファの口から興味深い単語が聞こえたので、俺は話に割って入った。
「この街には温泉があるのか?」
「ああヴァイン、あるとも。この通りを進んで、広場を左手に曲がればすぐだ」
「へえ……そりゃいい。今から行ってみよう」
振り返って提案すると、ゼルスはすぐに怪しむ素振りを見せた。
「いやに乗り気じゃな……さては不埒なことを考えておるじゃろう」
「気のせいだろ」
適当に誤魔化したものの、俺の中にはある確信があった。
俺が前世で、ゲームとしての〝クロスアウト・セイバー〟をプレイしていた頃、大陸南部の温泉街に行ったことがある。その街にある温泉は、なんと全て混浴だった。
すなわち、この世界の温泉文化は混浴が基本……ここもそうに違いない。
「我は腰が抜けてしまったので、迎えの兵士を待つとしよう。君たちだけで楽しんでくるといい」
平然と言い放つシンファに見送られ、俺たちは通りを歩き出した。
「……もうちょっと脅しつけてやるべきだったでしょうか……」
去り際にシンファを一瞥して、ラクシャルが恐ろしいことを呟く。
言っても無駄だとわかっているが、俺は一応ラクシャルに注意することにした。
「あんまり怒るな、ラクシャル。さっきシンファが言ったのは、ただの冗談だろ」
「冗談だから怒っているんです」
眉を逆八の字にしたまま、ラクシャルは答えた。
「ヴァイン様はとても魅力的な方です。だから、本気でヴァイン様のことを好きな方になら、私は文句は言いません。でも、シンファさんはヴァイン様を好きでもないのに、私を怒らせるためにあんなことを言ったんです。だから許せません」
「へえ……」
思わぬ返答に、俺は少しラクシャルを見直した。
てっきり、俺に近づく女は誰彼構わず敵視しているのかと思っていたが、相手が真剣な気持ちを抱いていれば、ある程度は認めているらしい。
分別のつけ方を、褒めてやろうかと思った――の、だが。
「そうです、あんな……ヴァイン様と、ふたりきりになんて……本当なら、私が今すぐなりたいのに……はぁっ……」
想像から何かのスイッチが入ってしまったらしく、ラクシャルは再び甘ったるい声を漏らし、歩調がおぼつかなくなり始めた。
……大丈夫なんだろうか、こいつ。
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