第四話 王の目覚め


 深い眠りから醒める瞬間は、決まって、頭の芯が揺れるような心地がする。

 胎動にも似たその感覚とともに俺は瞼を開き、泥の中を泳ぐように、ベッドの上でもがく。手足の動きはひどく緩慢だ。


 このままもう一度瞼を閉じて、寝てしまおうか……そんな誘惑に囚われそうになっていると、ドアの開く音がした。


「ヴァイン様、おはようございます。朝ですよ」


 優しく呼びかけるラクシャルの声とともに、肩を揺すられる。

 小麦とバターのかぐわしい香りが鼻腔をくすぐると、体に活力がみなぎってきた。

 えいっと気合を入れて上体を起こし、ラクシャルに目を向ける。


「……おはよう、ラクシャル」


「お目覚めですね、ヴァイン様。うふふ。ヴァイン様の寝顔も、今のように眠たげな顔も、とっても可愛らしくて大好きです♪」


 俺の顔を一目見るなり、ラクシャルは朗らかな笑みで言う。

 一方で俺の目は、ラクシャルの頭から生えた角に向いていた。


「お前、角は隠さなくていいのか? それじゃ周りに魔族だってバレちまうぞ」


「ヴァイン様……もう、何をおっしゃってるんですか。ヴァイン様がこの国の王となられた今、正体を隠す必要なんてないじゃありませんか」


 しょうがないな、とばかりにくすくすと笑って、ラクシャルは答える。


 …………この国の王……俺が?


「あー……あっ。そうだ、そうだった」


 瞼をガシガシと強くこすり、ようやく完全に目を覚ます。

 改めて部屋を見渡せば、そこは広々とした寝室であり、俺は天蓋つきの巨大なベッドの上にいた。


 ラクシャルはベッドの傍らで、皿をトレーに乗せて立っている。

 皿にはバターロールとスクランブルエッグが盛られており、先ほどの芳醇な香りの出所はそれだとわかった。


 しかし同時に、料理以上に俺の目を引くものがあった。


「……ラクシャル。お前、なんで裸エプロンなんだ……?」


 ラクシャルはその豊満な裸体に、フリルのついた可愛らしいエプロンだけを纏った姿だった。

 俺の指摘に、ラクシャルは頬を赤らめ、艶やかな笑みを浮かべる。


「ヴァイン様が喜んでくださるかと思ったものですから……いかがでしょう?」


「とてもいい」


 思ったままの感想を告げると、ラクシャルは飛び上がって喜んだ。


「嬉しいですっ♪ 私、昨晩もヴァイン様にいっぱい可愛がっていただけたので、ヴァイン様を喜ばせてお返しをして差し上げたくて……」


 ……その言葉で、やたらと体がだるい理由を思い出した。

 俺が国王の座を手にしてから数日経ったが、その間、ラクシャルは毎晩俺の寝床を訪れては、続けて何度も激しい交わりを求めてくるのだ。


 だが我ながら現金なもので、裸エプロン姿で飛び跳ねるラクシャルのきわどい姿と、昨晩も俺の下で乱れていた姿が重なり、急激に欲望が膨れ上がってきた。


「ラクシャル、来い」


「えっ? ヴァイン様、どうされ……きゃっ!」


 細い腰に腕を回し、ラクシャルの体を抱き寄せる。

 ラクシャルは慌てて近くのサイドテーブルにトレーを置くと、不思議そうに俺の顔を覗き込んできた。


「あの、ヴァイン様? 朝ご飯は……」


「お前を食べる」


 エプロンの胸元の布を谷間に寄せ、たわわな胸を露わにする。

 プリンのように揺れる胸へと顔面から飛び込み、桜色の突起を口に含んだ。


「はううぅっ! あ、ぁっ、ヴァイン様ぁ……やっ、いきなり、吸っちゃ……」


 ラクシャルは突然のことに動揺しながらも、決して俺を拒もうとはせず、むしろ俺の頭を抱きしめるように腕を回してくる。

 その包容力に甘えて、俺はもっと強めに、音を立てて乳※を吸い上げる。


「ふぁっ、あ、あぁっ! や、ぁっ、食べられてます……私、ヴァイン様に、食べられちゃうっ……」


「ん……っ。なあ、ラクシャル。お前、乳は出ないのか?」


「ふえっ? で、出ませんよぉ……だってまだ、子供もできてな……ひゃふぅぅっ!」


 答えを最後まで聞かずに、文字通り手に余る巨乳を揉みしだき始める。


「こうやって……ちゅっ。念入りに揉みほぐしてやれば……ん、っ……そのうち、出るようになるんじゃないか?」


 乳房の根元から先端に向かって、搾るように強めに揉みながら、双方の先端を交互に口に含み、緩急をつけて吸いつく。

 ラクシャルの腕から力が抜け、背は弓なりに反りかえっていく。


「あっ、あっあっ! あぁぁっ! ヴァイン、さまっ、だめ、ですっ♪ そんな、そんなにしたら、やぁっ、出ちゃうっ♪」


「乳は出ないんじゃなかったのか?」


「む、胸じゃなくてぇぇっ……あ、ぁ、あっ、だめ、だめぇぇっ!」


 ラクシャルの声のトーンが上がってきたのを見計らい、乳※に軽く歯を立てる。

 刹那、ラクシャルの体がビクンと激しく跳ねた。



「ふあああああぁぁぁぁっ!!」



 熱さと甘さの極致に達した声をあげて、ラクシャルは果てた。

 だらしなく開いた太腿の間から、とぷとぷと音を立てて、シーツをぐっしょりと濡らすほどの愛※が滴り落ちる。

 エプロンのせいで直接は見えないが、ラクシャルのそこは今、ぐっしょりと濡れそぼっていることだろう。出ると言ったのはこのことか……。


 ラクシャルは潤んだ瞳で俺を見つめ、震える声で懇願する。


「は、ぁ……はぁっ、ヴァイン様……ください、こっちにも……」


 そう言ってエプロンの裾に手をかけ、自らその部分を露わにしようとして──。



 ──コン、コンッ!



「ひゃう!?」


 突如響いたノックの音に、ラクシャルは驚いてベッドの上を転がった。


 返事を待たずにドアが開かれ、ゼルスとタマラがなだれ込んでくる。


「ヴァイン! 貴様、いつまで寝ておるのじゃ! こっちは大事な用があるというに、だらだらと怠けるでないわ!」


「ヴァインくん! 今まで何があったのか、さっきゼルスちゃんに聞いたんだけど……ノースモアの国王になったって、どういうこと!?」


 ふたりは一斉に詰め寄ってきたが、どうやら別々の用件があるらしい。

 ゼルスはベッドの隅に避難したラクシャルを見ると、怪訝そうに眉根を寄せた。


「むう……ラクシャル、またヴァインめに奉仕しておったのか? ヴァインはケダモノ同然じゃからな、襲われぬよう最低限の節度は保つのじゃぞ」


「誰がケダモノ同然だ」


 ……襲うも何も今更な話で、俺とラクシャルはとっくに一線を越えているのだが。

 ラクシャルを溺愛しているゼルスがその事実を知れば、おそらくショックを受けると思って、一応は秘密ということにしている。


 俺は話をそらすついでに、タマラの方へ顔を向けた。


「タマラ、もう体調はいいのか?」


 俺たちが城で大立ち回りを演じた後、タマラは高熱を出して、ずっと寝込んでいた。

 昨晩には熱も下がってきたと聞いていたが……。


「うん、あたしはもう大丈夫だよ。……問題はそのことじゃなくて」


 覚悟を決めるように何度か深呼吸してから、タマラは俺の顔を覗き込む。


「さっきの質問に答えて、ヴァインくん。王様の座を奪ったっていうのは本当?」


「本当だ」


「…………うううう」


 タマラは肩を落とし、苦しそうに頭を抱えた。


「非常事態だったとは聞いたけど、訪れたばっかりの国でいきなり国家転覆を起こすなんて……あーもう、どうしてこんなことに! ドミナや学校の子たちに知れたら、どう説明すればいいの!?」


「過ぎたことだ、前向きに考えろよ。簒奪者の一味として歴史に名が残るぞ」


「ちっとも嬉しくないよ!! ヴァインくんのばかー、ばかー!!」


 半泣きでぽかぽか殴ってくるタマラ。ステータスに差があるので全く痛くない。

 軽く笑って受け流していると、今度はゼルスが近づいてきた。


「ヴァインよ。別件で貴様に相談がある」


「……ゼルスは今回の件について何も言わないんだな。てっきり小言のひとつくらい言われるかと思ったが」


「貴様は人間、王国の連中も人間じゃ。魔帝たる余が口出しする筋合いはない」


 心からどうでもよさそうに話を打ち切って、ゼルスは一枚の羊皮紙を広げてみせた。

 先日、国王が持っていた、ゼルスの似顔絵が描かれたスクロールだ。


「この異常気象について、当然ながら、余は関知しておらぬ。しかしこのような風聞があるということは、何者かが余を陥れようとしておると考えられる」


「それはちょっと考え方が飛躍してないか?」


 言葉を選びながら、俺は答えた。


「単に、魔族に恨みを持ってる奴が、責任の所在を魔族に求めようとしただけかもしれないだろ。どっちにしても厄介は厄介だが」


「根拠はそれだけではないのじゃ。余は大陸北部にも、配下の魔族たちを配置しておるのじゃが……その者たちと、連絡がつかぬ」


 ゼルスの深刻な声音に、俺も一瞬遅れて、事態の重さを理解する。


「吹雪のせいで連絡がつかないだけ、って可能性は?」


「残念じゃが考えにくい。北部には当然、寒さに耐性を持つ魔族を配置しておる。この猛吹雪の中でも、普通に活動できるはずじゃ」


「……何かあった、って考えるべきか」


「うむ。今はまだそれ以上のことはわからぬが、いずれ状況が動くかもしれぬ。貴様も何か手がかりを掴んだら、余に伝えよ」


「ん? 手がかりを伝える……だけ? 力を貸せってことじゃないのか?」


 てっきり、協力を求めているのかと思ったのだが。

 ゼルスはプライドを刺激されたらしく、憤慨して言い返してきた。


「当たり前じゃ。余は魔帝ゼルスじゃぞ? 自分の問題を解決するのに、貴様ごときの手を借りるほど落ちぶれてはおらぬ」


「でもお前、俺の奴隷だろ」


「それは、あくまで立場上そうなっておるだけで、余は心まで貴様に従属した覚えはない。勘違いするな!」


 こちらを指さして言い切るゼルスに、俺は肩をすくめる。


「可愛げのない奴……素直になった方がお互い楽だろうに。なあ、ラクシャル?」


 さっきから黙っているラクシャルに話を振る──と、ラクシャルは俺の方を見つめたまま、ぼうっとしていた。


「……ラクシャル?」


 もう一度呼びかけると、少し間を置いて、びくりと肩を震わせる。


「えっ? ……は、はい、ヴァイン様! どうされましたか?」


「いや……大したことじゃないから、別にいいんだが……」


「そ、そう、ですか……はぁっ……」


 エプロン越しに下腹部を抑えて、艶っぽい吐息を漏らすラクシャル。

 ──その様子で、ピンときた。

 途中で邪魔が入ったせいで、ラクシャルの興奮が治まっていない。


 これは、隙を見て連れ出した方が良さそうだ──と思っていた時、間の悪いことに、開きっぱなしのドアをくぐって次の来客があった。


「ヴァイン国王陛下、ご機嫌麗しゅう。本日のご公務について申し上げます」


 そう言って、王冠のない頭を垂れたのは、国王のガスパーだった。

 

 俺にすがりついていたタマラが、飛び起きて姿勢を正す。


「あ、あなたはまさか、ノースモアの王様……っ!?」


「そういう君は、ヴァイン陛下の……体調が戻ったようで何よりだ。わしはガスパー・アデムレット。現在は国王補佐の仕事を仰せつかっている」


 タマラの反応に首をひねりながら、ガスパーは朗々と答えた。

 本人の言う通り、ガスパーは表向き国王補佐という役職に就かせており、毎日こうして俺のもとにやってくる……のだが。


「そう毎日律儀に顔を出さなくていい。俺からの命令はずっと同じだ。公務はお前らの方が慣れてるんだから全部任せる。よきにはからえ」


「ええ……いえ、ですがその」


「何度も言わせるな。俺は自由に振る舞える権力が欲しかっただけで、政治に口を出すつもりはない。好きにしろ。以上。終わり」


「そう言われましても……本当によろしいので?」


 まくしたてると、ガスパーが眉をひそめたので、仕方なく少し付け加えてやる。


「国のトップが変わったからって、急に政治の方針まで変わったら、国民が振り回されるだけだろう。お前らに任せているのは、決して面倒くさがっているわけじゃなく、民を思ってのことだ。俺がいかに名君であるか、わかったか?」


「暗君の間違いじゃろ。暴君でないだけマシじゃが」


 ゼルスが横から茶々を入れて、ガスパーを見やる。


「人間の王よ、落ち込むでない。どうせヴァインの奴めは、好きにさせておけばそのうち飽きてどこかに行ってしまうからの」


「子供か、俺は」


 俺の抗議をよそに、ガスパーは「はあ」と驚いた目でゼルスを見つめる。

 ゼルスもガスパーの方を向いたまま、声のトーンを落として続けた。


「じゃから、くれぐれも早まった真似はするな。血を流す程度では済まぬぞ」


「……はて。何のことでしょう、魔帝ゼルスどの」


 警告めいたゼルスの言葉に、ガスパーがわずかに声を硬くする。

 構わずゼルスは続けた。


「今のところ、おそらく貴様が城の重臣を抑えておるのじゃろう。でなければ、このような事態に他の者たちが大人しくしておるはずもない」


「いえいえ、わしは心からヴァイン陛下に敬服して……」


 その反応を見て、ゼルスは呆れたように深い溜息をついた。


「王位を奪われて、平然としている王がいるものか。面従腹背、いずれヴァインに牙を剥く気でおるのじゃろうが……やめておけ。貴様らでは戦いにすらならぬ」


「…………わかりました、認めましょう。しかし、少し思い違いがあるようです」


 張り詰めた緊張の糸を緩めるように、ガスパーは穏やかな笑みを浮かべた。


「わしはヴァイン陛下と……いや、ヴァインどのと争う気はありません。力量差のこともありますが、それ以上に、彼が有益無害な人物だとわかったからです」


「無害……? こやつがか?」


 ガスパーの言を聞いたゼルスが、信じられないという目で俺を睨んでくる。

 俺がしかめっ面を作って応戦すると、ガスパーは小さく噴き出した。


「その気がないからこそ正直に申し上げますが、もしもヴァインどのが暴君として振る舞うようなら、勝てぬとわかっていても、わしはヴァインどのと戦ったでしょう」


「ほう」


 俺は怒るでもなく相槌を打つ。正直な姿勢にはむしろ好感が持てた。


「ですが、この数日でヴァインどのがなさったことといえば、部屋に引きこもって食っちゃ寝しては、連れの女性とイチャつくくらいのもの。王位を奪っておきながら、わしを自由の身にしていることといい、常識では考えられない行動です」


「それは俺を褒めてると思っていいのか?」


「ははは……何よりも、ヴァインどのは約束通り、シンファに手を出さずにおられる。ゆえに、信頼に値する方だと見込んだのです」


 俺の問いをはぐらかして笑うガスパーに、ゼルスは再び切り込む。


「貴様個人の感情はそれで済むとしても、名声を損なうことは構わぬのか?」


「失った名声は後の行動で取り返せばよろしい。しかし愛娘の純潔と、民の命には取り返しがつきません」


「……そのふたつは同列に並べてよいものなのか? というか、むしろ娘の純潔の方がメインになっておらなんだか? 貴様」


「当然です!! シンファはわしの命よりも大事な娘。騎士になりたいなどと言い出した時も、危険だとは思いましたが結局押し負けて認めざるを得ませんでな。出生から毎月宮廷画家に肖像を描かせているのですが、よろしければご覧に――」


「いらん」


 活き活きと目を輝かせて親バカを披露し始めるガスパーを、俺は即座に止めた。

 頭痛を堪えるように頭を抱えていたゼルスが、苦い声で訊ねる。


「……まあ、よい。そんなことより、貴様に訊きたいことがある。余が異常気象の犯人であるという噂を広めた人物、まだ目星はつかぬのか?」


「ああ、その件ですか……未だにハッキリしません。今にして思えば、なぜそんな出所の不確かな噂を信じ込んでいたのか、不思議なくらいで……」


 ガスパーは眉間に皺を寄せて考え込んでいたが、ふと我に返ると、かぶりを振って背筋を伸ばした。


「っと、いかん。ヴァインどのの決定を皆に伝えなくては。それでは、失礼します」


 もう一度頭を下げて、ガスパーは部屋を出て行った。

 タマラがその後ろ姿を見送って、ぽつりと漏らす。


「……あの人、本当に王様だったの?」


「要するにあのジイさんも、ある意味俺と同類なんだろ。自分が幸せならそれで満足なタイプらしい」


 俺がいることで首都の気候が安定するという実利もあるとはいえ、ああも清々しく割り切れるのは大したものだ。

 感心していると、何かを考え込んでいたゼルスが、不意に提案した。


「ちと、外に出ぬか? 確かめたいことがあるのじゃ」


「いいけど……朝メシ食ってからな」


 色々あって冷めてしまったサイドテーブルの朝食を見やり、俺は答える。

 ラクシャルを一瞥すると、相変わらず熱っぽい瞳で、俺を見つめ続けていた。


「食べて、ください……ヴァイン様ぁ……」


 ……その言葉がいかがわしい意味に聞こえたのは、俺の勘違いではないだろう。

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