第二話 豪雪


 タマラを剣の呪いから解き放ち、ついでに【奴隷化テイム】した俺は、エナの勧めに従って、今度は大陸の北部に向かうことにした。

 それまで滞在していたシーフェンの街は大陸の南部にあり、北部へ向かうためには、ツェッド山脈という山を越えねばならなかった。

 とはいえ、その気になれば魔法で空も飛べる俺がいる以上、大した苦労になるわけもなく、山越えは難なく終わった――のだが。

 問題は、その先だった。



「……ふざけてんのか、この天気は」


 思わず呟いた俺の声は、視界全面を覆う猛吹雪にかき消された。


 切りつけるような暴風。無数に降り注ぐ氷の粒。足元に至っては、膝まで雪に埋もれてしまっている。

 水平に手を突き出すと、その手が見えなくなる。視界は最悪だ。


「ヴァイン様! 手を繋いでいないと、はぐれてしまいます!」


 心配と不安の強い声で言って、ラクシャルが後ろから俺の手を握ってくる。

 この吹雪の中では、もっともな意見だ。


「想定外でした。まさか山をひとつ越えただけで、こんな豪雪に見舞われるなんて……大陸の南部は、むしろ暖かいくらいの気候だったのですが……」


「ああ、まったくだ。北部は多少冷えるとは聞いてたが、こりゃどう考えても異常だ。何をどう考えたらこんなマップ配置になるんだ、まったく」


「マップ……ですか?」


 ラクシャルがきょとんと首をかしげる。

 今更言うまでもないことだが、俺が転生したこの世界は、VRエロゲーの世界だ。

 俺は現実世界でここまで進められなかったのだが、ここに雪が降っているということは、ゲームにおいてもそうだったに違いない。

 文句を言っても無駄とわかっているが、なにしろ寒すぎる。黙ってはいられない。


「歯の根が合わなくなりそうだ……ラクシャルは平気なのか?」


「私も寒さは感じますが、魔族は人間と比べて、寒暖への適応力が高いんです。ですから、私とゼルス様は耐えられると思いますが……」


「ヴァイン! タマラが弱っておるぞ!」


 更に後ろの方から、ゼルスの怒鳴り声が聞こえた。

 雪に足を取られながらもどうにか引き返すと、タマラはゼルスに肩を借りた状態で、ぐったりと全身を弛緩させていた。


「ヴァイン、くん……ごめん……」


「おい、しっかりしろ。まだ山を下りたばっかりだぞ」


「ごめんね……あたし、もうダメみたい……短い間だったけど、ヴァインくんと冒険できて……楽しかったよ……」


「本当に短すぎるんだが、お前それで満足か……?」


 タマラとは前の街を出る時に一緒になったばかりなので、冒険も何もしていないのだが……寒さで意識が朦朧としているのだろう。


「ヴァイン様! 私、こういう時は裸になって温め合うのが一番いいと聞いたことがあります。ヴァイン様が凍えてしまわないうちに、私と……!」


「服を脱ごうとするな、ラクシャル。というかなんで俺を温めようとする」


「私にとってはヴァイン様が、誰よりも大切な人だからです!」


「気持ちは嬉しいが、やってる間にタマラが死にそうだから、今はどいてろ」


 窮地を脱するには、一刻も早くこの寒さを何とかするしかない。

 俺は考えを巡らせながら、天に手を伸ばす。


「まずは、この風と雪を防ぐか……【ウィンド・フィールド】!」


 風魔法を唱え、俺たちを中心とした半径三〇メートルほどの範囲に、風の障壁を展開する。

 半円形の障壁の内側は無風状態だ。これで吹雪は防げるだろう。


 次は寒さへの対策だ。

 炎魔法が使えれば最適だったんだが、あいにくそれは使えないので、以前タマラから吸収した光魔法を使う。


「【サン・ビット】」


 魔法で形成した光球を、俺たちの頭上に浮かび上がらせる。

 生み出した光球は小型の太陽とも言うべきもので、光と高熱を発している。これを障壁の内側に浮かせておけば、そのうち空気も温まるだろう。


「ついでに歩きやすくしておくか。【サン・レーザー】」


 光球から、集束された光線が降り注ぐ。

 俺のコントロールによって、光線は俺たちの進路上の雪を溶かし、道を切り開いていく。


「よし。大体こんなもんだろう」


 ひとまず、これで先に進めるはずだ。

 振り向くと、ゼルスが珍しく感心したような顔でこちらを見つめていた。


「この状況下でも、焦ることなく的確な魔法で対処するとはのう……前にも感じたが、貴様の応用力は大したものじゃな」


「お前が俺を褒めるなんて珍しいな。見直したか? 抱いてほしくなったんなら、いつでもリクエストに応えてやるぞ」


「貴様の人格がまともなら、普段からもう少し褒めておるわ」


 ゼルスの目は、一瞬で軽蔑のそれに変わった。

 ラクシャルが間に割って入り、俺の腕に頬を寄せてしがみついてくる。


「そういうことでしたら、私が代わりに! ヴァイン様の魔力と適切な判断力、本当に感服いたしました! たくさん労って差し上げますね♪ ぎゅ~っ♪」


「おっ。おお。二の腕に胸が当たって……」


 腕に伝わる柔らかさに意識を集中させる。もどかしいこの感じ、悪くない……。


「早く街に行かぬと、タマラが死ぬぞ」


 ゼルスの一言で、俺は夢心地から醒めた。危ない危ない。

 聞いた話では、山を越えてすぐ近くに街があるということだった。まずはそこに急いだ方が良さそうだ。


「……ん?」


 その時――ふと、遠くから誰かの視線を感じた。

 確かに山脈の方角から気配がしたのだが、障壁の外側は相変わらずの猛吹雪で、誰の姿も捉えることができない。


「ヴァイン様、どうなさいました?」


「いや……誰かに見られてるような気がしたんだが……」


 気のせいかと思ったが、ゼルスが神妙な面持ちで口を挟んできた。


「貴様が余から奪った【心眼】スキルには、直感を鋭敏にする効果もある。誰かに見られておるのは事実じゃろう……が、今は気にしている場合ではあるまい」


「……まあ、そうだな。手出ししてこないんなら放っておこう」


 相手が魔物か人間かわからないが、これだけ目立つことをしているのだから、見られるくらい変なことではない。今は街に向かう方が先決だ。

 気持ちを切り替え、歩を進めるうちに、やがて謎の気配は消え去った。




 雪を溶かしながら移動しているのが道標にもなり、俺たちは遭難することもなく、目的の街を視界に捉えた。


「……おかしいな」


 街は高い城壁に囲まれているが、どう見ても、半ば雪に埋もれかけている。

 もし、この地方で普段からこれほどの大雪が降るのなら、街のつくりも気候に適応したものになっていなければおかしい。

 ということは、この雪は相当な異常気象に違いない。


「とりあえず、街に入るぞ。ラクシャルは人間に擬態しておけ」


「はい、ヴァイン様!」


 ラクシャルは答えながら角を隠し、人間に擬態する。角が消えるのは、パッと切り替わるように一瞬のことだから不思議だ。

 準備を終え、様子を窺いながら街に近づく。


 門の周りだけはかろうじて除雪されており、開いた門の辺りに何人かの兵士が固まっているのが見えた。

 いや、それだけではない。よく見ると、兵士たちに囲まれるような形で、甲冑に身を包んだ女が何やら言い争っている。


「王女殿下、おやめください! この雪の中を出ていくなんて無茶です!」


 懇願する兵士たちを、女は雷鳴のように響く声で一喝する。


「止めるな! 我はノースモア王国の第一王女にして騎士、シンファ・アデムレットなるぞ!! このような時に矢面に立たず、いつ立てと申すか!!」


 兵士と言い争う女……シンファは、覇気が鎧を着て立っているような、そんな印象を受ける女だった。

 歳はまだ一〇代も半ばに見えるが、鋭い眼光、堂々とした立ち姿からは、高貴な血筋に特有の気高さが溢れている。


 凌辱系のエロゲーなら、オークや触手に襲われるのがさぞかし似合うタイプに違いない。

 俺はそういうゲームはあまりやらないが。


「……む? な……なんだ、あれは!? 魔法の結界……?」


 シンファが俺たちの接近に気づき、次いで周囲の兵士たちも驚きの声をあげた。

 俺はできるだけ不審がられないよう、風の障壁を一旦解除して、シンファたちに近づいていく。


「旅の者だ。凍えかけてる仲間がいるから、街に入れてほしいんだが」


「き、君は……? 雪を溶かしながら歩いてきたようだが……」


 シンファが戸惑っている間にも、吹雪は容赦なく俺たちに降り注いでくる。

 ……ほんと邪魔だな、この雪。


「【ウィンド・フィールド】!!」


 俺は効果範囲を大きく広げ、街全体を風の障壁で包み込んだ。

 不可視の結界がドーム状に街を覆い、雪と風の侵入を食い止める。

 シンファと兵士たちは天を仰ぎ、感嘆の声をあげた。


「なんと!? 吹雪が止んだ……いや、防いでいるのか! なんという強大な魔法だ!」


「これほどの魔法が使えるなんて、とても人間業とは思えない……!」


 事実、俺の魔力は魔族の帝王であるゼルスから吸収したのが大半なので、普通の人間にはこれほどの使い手はいないだろう。

 もちろん、わざわざそんなことは説明しないが。


「そこの君っ!!」


 シンファは爛々と目を輝かせて、俺に歩み寄ってきた。

 そのまま、有無を言わさぬ強引な調子で、俺の手を掴もうとして―ー。



「――街に入れていただけますか? シンファさん」



 割って入ったラクシャルが、にっこり笑顔でシンファの手を取った。

 シンファは眉根を寄せて、怪訝そうにラクシャルを見つめる。


「君に用はない。我はそこの彼と話したいのだ。どきたまえ」


「私たちの仲間が凍えかけていると、先ほどヴァイン様が申し上げました。四の五の言わず、まずは街に入れてください」


 ラクシャルの口調は丁寧だったが、その声音にはシンファへの敵意が滲んでいる。

 まあ、俺に近づく女がこういう態度を取られるのは、いつものことだが……。

 シンファは怯む様子もなく、すっと目を細めた。


「彼はヴァインというのか。それで、我の邪魔をする君は、いったい何だ?」


「ラクシャルと申します。ヴァイン様の忠実なしもべです」


「ほう?」


 答えを聞いて、今度は目を丸くするシンファ。その視線は俺の方へと向く。


「吹雪から街を守れるほどの魔力……何人もの女を引き連れ、従えるカリスマ……なるほど。彼は大変な傑物のようだな」


「…………」


 シンファの言葉に、ラクシャルは怜悧な眼差しを投げかけて――。



「えへへ。わかりますか、ヴァイン様の素晴らしさが!」



 ふにゃっと相好を崩し、シンファの手を両手で握り直した。


「そうなんです! ヴァイン様は本当に本当に素敵な方で、強くて優しくて勇ましくて……私がヴァイン様に付き従うと決めたのも運命的な出会いを果たしたからなのです。あれはまだ私が愛に目覚める前、とある村を襲った時のことなのですが――」


「すまんシンファ、案内してくれ」


 すごい勢いでノロケ始めたラクシャルを無視して、俺はシンファに声をかけた。

 シンファはラクシャルの変貌に面食らっていたようだが、俺に向かってぎこちなく笑い返すと、上ずった声で答えた。


「何というか……変わっているんだな……君たちは」


 ……どうやら、『変人』という評価でひとまとめにされたようだ。




 シンファに案内され、俺たちは街の中に入った。

 城壁の内側も門の周りと同様、最低限の雪かきはされていたが、この豪雪では追いつかないのか、足首までは雪に埋まるのを避けられなかった。


「自己紹介をしておこう。我の名はシンファ・アデムレット。大陸北部を占める大国、ノースモア王国の第一王女であり、国を乱すものと戦う騎士だ」


 シンファは歩きながら振り返って、得意げに微笑む。

 自分で自分の国を大国と言うのはどうかとも思ったが、それだけ愛国心が強いことの表れなんだろう。


「ヴァイン・リノスだ。それで早速訊きたいんだが、シンファ。この大雪はいったいどういうことなんだ?」


「……わからない。ノースモア王国は冬には雪で閉ざされるが、これほどの豪雪に見舞われたことは、歴史上一度もなかった」


 やはり俺の予想通り、この雪は異常気象らしい。

 今まで行けなかった大陸北部ばしょへ行けるようになった、というから来てみたのに、このままじゃ探索どころか観光すらままならない。

 もちろん、当事者である王国の住民たちにとっては、更に深刻な状況だ。


「本来なら今頃は大麦を蒔く時期なのに、このままでは食糧難に陥ってしまう。なんとしても、原因を突き止めなくてはならないんだ」


「そうか」


 ……面倒ごとに巻き込まれそうな予感がする。

 警戒しつつ次の言葉を待っていると、シンファは振り返り、真摯な声で言った。


「ヴァイン、頼みがある。しばらくこの街にとどまってほしい」


「……え?」


 意外と控えめな頼みに、思わず俺は訊き返した。

 こういう時は『原因を突き止めてどうにかしてほしい』と言われるのが、ゲーム的には定番の流れだと思っていたんだが。


「ここは王国の首都だ。雪が溶けて機能が回復すれば、充分なもてなしができる。王女の名にかけて、君たちの助けに報いると約束しよう」


「だが、魔法で吹雪を防いでも、根本的な解決にはならないだろ」


「ふっ……原因を突き止めるのは我らの使命さ。旅人の君たちにそこまで頼るわけにはいかないとも」


 余裕めかして微笑むシンファに、俺は心から感心した。

 兵士に出撃を止められているのを見た時は、猪突猛進のバカかと思ったのだが、そんなことはなかったらしい。


「シンファ。そこまで自信満々に言うってことは、何か手がかりがあるのか?」


「いや、ない」


 即答だった。


「しかしどうにかなるだろう。我は清く正しい騎士なのだ。天におわす神も、我らに加護を授けてくださるに違いないからな!」


 腰に手を当てて笑うシンファの様子に、俺は再び考えを改めた。

 こいつはバカだ。

 ついでに言えば、この世界の神がいかにアテにならない存在かということも、俺は骨身にしみて知っている。


 じき、城が見えてくると、俺は一旦シンファについて考えるのをやめた。

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