第十二話 新しい朝が来た


「……様! ヴァイン様、朝ですよ」


 俺を呼ぶ声がする。ラクシャルの声だ。

 重い瞼をこじ開けると、部屋には朝日が射し込んでおり……。



「おはようございます、ヴァイン様。……ゆうべは、素敵な夜でしたね」


 裸のラクシャルが、俺の腕の中にいた。



「……え? ゆうべって、まさかお前……」


 俺は驚きのあまり言葉を失った。普通こういうのって夢オチじゃないのか。

 しかし、頬を赤らめてはにかむラクシャルの表情は、嘘などついているようには見えなかった。


「ヴァイン様。……えへへ、ヴァイン様♪ 好きです、だーい好きです♪」


 ごろごろと胸板にすり寄って甘えてくるラクシャル。


 ……いかん。

 昨日までは残念美人だと思っていたラクシャルが、一線を越えたせいか、普通に可愛らしく、愛おしい存在のように思えてきてしまう。


 かける言葉に迷っていると、ラクシャルはすっきりとした笑顔で俺を見つめた。


「ヴァイン様? どうかなさいましたか?」


「ん……いや、なんていうかな……」


「ああ、中に出されたことならご心配いりませんよ。高位の魔族は排卵も自由にコントロールできますので!」


「排卵とか言うな」


 ムードが一気にぶち壊しになった。やっぱりこいつは残念な子だ。

 とはいえ、おかげで変にギクシャクせずに済みそうだ。


「……余韻に浸るのもいいが、もう朝だろ。今何時だ? 起きて学校行くぞ」


「お待ちください。今、時計を見て参り……きゃっ!?」


 ラクシャルは、ベッドから身を起こして部屋を見渡し、小さな悲鳴をあげた。

 視線の先を追うと、昨日のゴーストが床でぐったりと横たわっている。

 魔法の無限ループは夜のうちに効果が切れたらしいが、現在、意識はないようだ。


「な、なんですか、この女は! ここは男子寮ですよ、非常識な!」


「お前が言うな」


 俺は昨日、この幽体と遭遇したことをかいつまんで説明した。

 ラクシャルは持参していた服に袖を通しながら相槌を打つ。


「そういうわけだから、その幽霊にはちょっとお仕置きしてただけだ。この一件で懲りたら出ていくだろ。それよりラクシャル。そもそもお前、どうやってここに来た?」


 俺が訊ねると、ラクシャルは豊かな胸を張ってドヤ顔を作った。


「ヴァイン様は不用心ですね。窓から簡単に入れましたよ?」


「あれ。鍵かけてなかったか?」


「かかっていましたが、窓を割ったら簡単に入れました」


「おい」


 俺は説教を始めようとしたが、ラクシャルの姿を再度よく見て、口を閉ざした。

 ラクシャルは、学校の制服に身を包んでいた。


「あっ、この服ですか? ヴァイン様の部屋で一夜を明かすつもりだったので、用意してきたんです。少し、胸が窮屈なのですが……」


 王立学校の制服は黒を基調としており、エロゲーの学生服にしてはかなり落ち着いたデザインだ。

 制服から漂う品の良さが、ラクシャルの豊満な肉体とのギャップを生み、かえっていやらしさを増しているように感じられる。

 スイカに塩をかけたら更に甘く感じるのと同じ理屈だ。


「……興奮されてます? ヴァイン様♪」


 見透かしたように、頬を赤らめてラクシャルが微笑む。


「してちゃ悪いか? ……でも、ここで襲うのはさすがに遅刻フラグだからな。お前はさっさと自分の寮に帰れ」


「ええっ!? 私はヴァイン様と一緒に登校したいです!」


「気が早いんだよ。顔洗って着替えて朝飯食って、学校行くのはその後だ。後で迎えに行ってやるから待ってろ」


 当たり前のことを言ったつもりだったが、ラクシャルは俺の言葉に目を丸くして、深く感じ入ったようなリアクションを見せた。


「ヴァイン様が、私を迎えに……! かしこまりました。待つのも愛ですよね! 私、犬のような従順さでヴァイン様をお待ちしています!」


 俺がツッコミを入れる間もなく、ラクシャルは廊下に飛び出していった。


 ……俺の部屋から出ていくところ、他の奴に見られてないだろうな?

 女が男子寮に入ること自体は、受付に申請すればいいだけなので、言い訳は利くと思うが……変に目をつけられたら困るぞ。


「ま、いいか……さっさと支度しよう」


 身支度を整えつつ、そういえばラクシャルが窓を割ったとか言っていたのを思い出し、部屋の窓を確かめる。


「ん? 割れてなんかないぞ……?」


 部屋の窓には、傷一つ入っていなかった。


 まるで狐につままれたような気持ちになりながらも、俺は身支度を済ませて部屋を後にした。

 なお、俺が戸締まりをする段になっても未だ、幽体は快楽の世界から戻れていないようだったので、「俺が帰ってくるまでに出て行けよ」とだけ言い残しておいた。




 女子寮の門前で待っていたラクシャルを拾い、学校に向かう。

 周囲には同じ制服を纏った少年少女たちが歩いており、俺もまた彼らと同じ学び舎の一員になったのだということを実感させられる。


「この歳で学校に入るってのは、新鮮というか懐かしいというか……」


「何をおっしゃいます、ヴァイン様! ヴァイン様はまだ人間の中でも年若い身ではありませんか」


「いや、前世というか……まあいい」


 それにしても……ラクシャルと並んで歩いていると、あちこちから視線を感じる。

 注目を集めているのは無論、俺ではなくラクシャルの方だが。


「うおっ……誰だ、あの美人。初めて見るぞ……?」


「すっごく綺麗な人……編入してきたのかしら……?」


 囁き合う声が、ひっきりなしに辺りから聞こえる。

 俺はささやかな優越感を覚えて、ラクシャルの顔を見つめた。


「……? いかがなさいましたか、ヴァイン様?」


「ああ、なに、大したことじゃない」


「もしや、私の下着が気になっておられるのではありませんか? 本日はピンクの――」


「見せんでいい」


 自らスカートをたくしあげようとしていたラクシャルの手を、俺は素早く掴んで止めた。そんなところを人に見られたら、初日から露出狂扱いだ。

 やっぱり、いくら外見が良くても、ラクシャルはラクシャルらしい。




 職員室に入ると、見知った笑顔が出迎えてくれた。


「あっ、来た来た! おはよー、ヴァインくん、ラクシャルちゃん!」


「よう、タマラ……先生」


「ん、よしよし。あたしはクラス担任はやってないんだけど、訓練には顔を出すから。その時にはよろしくねっ」


 タマラと軽い挨拶を交わしていると、長身の女性が近づいてきた。

 キッチリまとめた黒髪、切れ長の瞳。棒のようなものを手にしている……あれは、教鞭か?

 なんというか、教官か女軍人って感じの先生だ。


「私が実用戦術部の担任、ドミナ・エムルスだ。貴様ら2名が、今日からクラスに編入される生徒か?」


「ああ、そうだけど――って、うぉっ!」


 生返事で答えた俺の眼前に、教鞭が振り下ろされた。

 高ステータスのおかげで、避けること自体は簡単だったが、油断していたので少し驚かされてしまった。


「チッ……! この私の鞭をかわすとは、反抗的な生徒だな。そもそもの問題として、言葉遣いがなっていない! 目上の人間に向かって敬語も使えないとは、貴様は言葉のわからんサルか? 入学を認める前に、その性根を叩き直してやる!」


「いや、あの。反省しますんで、ちょっと待ってくださいって」


 言ってることは正論だし、ゲームだと思ってタメ口で話した俺も悪かったとは思う。

 とはいえ、いきなり体罰もどうなんだ?


「大人しく、私の教育を受けろっ!!」


 ドミナが再び鞭をふるう。

 俺が紙一重でかわすと、ドミナは更にムキになったように鞭を振り下ろした。


 ヒュン! ヒュン! ヒュンヒュンヒュンヒュンヒュン!!


「すみません、でし、たっ、以後、気を、つけますっ、と」


 俺が謝りながら避け続けていると、やがてドミナは肩で息をし始めた。

 職員室にいた他の先生たちも、最初はドミナを止めようとしたらしく腰を浮かせていたのだが、鞭が一向にヒットしないせいか、そのままの姿勢で呆然と事の成り行きを見守っている。


「……ゼェ、ハァッ……ゼェェッ……!!」


 やがて、ドミナが疲れ果てて膝をついた。

 汗で濡れた服が肌にはりつき、まとめられていた髪も乱れている。


「汗だくのドミナ先生、なんかエロいですね」


「~~ッ!!」


 ドミナは俺の言葉を侮辱と捉えたのか、顔を真っ赤にして鞭を振り上げる。

 しかし、当たらないと判断したのか、その腕を力なく垂らした。


「……ついてこいっ!」


 怒気に満ちた声で叫んで、ドミナは職員室を出て行った。

 入れ替わるようにラクシャルが駆け寄ってくる。


「素晴らしいです、ヴァイン様! 格の違いを見せつけてやりましたね! もしもあの女の鞭がヴァイン様の頬をかすめでもしたら、私はあの女の首が折れるほどのビンタで返礼してやるつもりでいたのですが……さすがはヴァイン様です!」


「印象悪くするから、そういうこと言うんじゃない。ほら、行くぞ」


 ラクシャルの手を引き、踵を返す。

 職員室を出る直前、タマラの漏らした呟きが、俺の背に届いた。


「ヴァインくん……きみ、何者……?」


 俺は聞こえないふりをして、ドミナの後を追った。




 ドミナの先導で教室へ向かう途中、【心眼】スキルで彼女のステータスを確認した。

 一般人と比べれば遥かに高い能力だが、タマラには遠く及ばない。


(やっぱり、タマラが異常に強いってことなのか? だとしたら、ひとまず安心なんだが……)


 考えている間に、教室の前に着いていた。

 引き戸の向こうから、がやがやと談笑する声が聞こえる。


「私の後に入ってこい」


 不機嫌全開のドミナが引き戸を開ける。

 逆らう理由もないので、俺とラクシャルも続いて教室に入った。


「静かにしろ、ブタども!! ……今日から、クラスに新しい仲間が加わることになった」


 教壇に立ったドミナが怒鳴りつけると、生徒たちは一斉に口を閉ざして背筋を正した。

 教室中の視線が、俺とラクシャルに注がれる。


「勝手に自己紹介をしろ。私はしてやらん」


 スネやがったぞ、この教師……。

 仕方ないので、勝手に自己紹介を始めることにした。まずは俺からだ。


「ヴァイン・リノス、18歳です。趣味は、エロゲ……じゃなかった、えー、特にないです。特技は……まあ、なんか色々と。えー……まあ、はい。よろしく」


「ラクシャルと申します。歳は、人間で言うと――ではなくてっ、17歳です! ここに来る前は、ゼルス様の右腕として……と、いうのは冗談で! ええと、と、とにかく、ヴァイン様ともども、よろしくお願いいたします!」


 …………不穏な空気が教室中に満ちた。


 俺、自己紹介下手すぎる。ラクシャル、怪しすぎる。

 大勢の前に立たされると、どうしても生来のコミュ障が足を引っ張ってしまう。

 しかし、ラクシャルの方はうっかりゼルスの名前まで出してしまっていたが……今ので誤魔化せたのか? まずいんじゃないだろうか。


「では、貴様らの席は最後列の左端と右端だ。さっさと席に着け」


 一向に意に介さない様子で、ドミナが投げやりな指示を下した。

 ……たぶん問題ないんだろう。そう思うことにする。


 俺とラクシャルがそれぞれ指定の席に着く。

 すると早速、隣の席に座る女子が声をかけてきた。

 金色のポニーテールを揺らし、弾けるような笑顔を浮かべている。一目で活発だとわかるタイプだ。


「どもっス! アタシはミユ。これからよろしくっスよー♪」


「ああ、よろしく」


「なんスか、元気ないっスねえ! さっきも結構どもってたけど、もしかして具合悪いんスか?」


「元からこんな感じなんだ。察してくれ」


 ミユは無邪気な笑顔でツッコんでくるが、残念ながら俺の地雷を踏んでいる。

 こういうグイグイくるタイプはちょっと苦手だ。


「ま、いいっス。それでヴァイちゃん、ラクちゃんとはどういう関係なんスか?」


「……ヴァイちゃんって俺のことか?」


「ヴァインだからヴァイちゃんっスよ! さっきのラクちゃんの挨拶の感じからしてー……ぬふふ、ただならぬ仲なんじゃないっスか? アタシ、噂話には目がないんスよぉ」


「それはいいが……俺を見るより、前を向いた方がいいぞ」


「へ?」


 俺の指摘で、ミユが前に向き直ると……ドミナが、鬼の形相で立っていた。


「……この後、すぐに訓練を行うから訓練場へ移動するように。私は確かに今、そう言ったんだが、聞こえなかったのか? ミユ・ラピス・ニュアージュ」


「ド、ドミナ先生……あはは。ちょっと、お喋りに夢中で――あだっ!?」


 ドミナの振り下ろした鞭が、ミユの頭部に炸裂した。


「うぐぐ、ひどいっスよぉ。ちょっとの私語くらいで、ドミナ先生……先生?」


 ミユは反省の色もなく抗議するが、ドミナの様子を見て首をかしげた。


 ドミナはなぜか驚いたように自分の鞭を持つ手を見つめてから、やがて顔を上げると、ニヤリと不気味に笑った。


「……そうだ。私の鞭は当たる。当たるのだ! 教鞭を執って5年、磨き続けた鞭の腕は、決して一生徒に見切れるような軟弱なものではない……」


「あの……先生?」


「あっははははは、あはははは! もっと高らかに響け、我が教鞭よ!!」


「ちょ、先生、目がヤバい……ってぎゃあ!? ひっ、ア、アタシそんなにぶたれるようなことしてない、って痛ぁ! いったい何なんスかぁぁぁ!?」


 ドミナは嬉々として鞭を振るい続け、逃走するミユを追って廊下へ飛び出した。

 ……俺に避けられたの、相当ショックだったのか。


「ヴァイン様。お怪我はありませんか?」


 ラクシャルが心配そうな顔でこちらにやってくる。

 ミユに気を取られて気づかなかったが、他の生徒は既に訓練場に移動しつつあるらしく、教室内はがらんとしていた。


「俺は巻き込まれてない。大丈夫だ」


「先ほどの女の子は?」


「んー……まあ、ミユにも落ち度はあるし、放っといていいだろう」


「では、私たちも訓練場へ移動しましょう」


 そうしよう、と頷きかけた時、ふと頭の隅に引っかかることがあった。

 ミユ……ミユ・ラピス・ニュアージュ?


「ニュアージュ……なんか最近、どっかでそんな名前を聞いたような……?」


「私の記憶にはございませんが……」


「……思い出せない。いいや、どうせ大したことじゃないんだろう。さっさと行くぞ」


 俺は気持ちを切り替え、他の生徒を追って訓練場へ向かった。

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