第七話 交渉しましょう


「いい感じだな……じつにいいペースだ」


 二人目の獲物にして、魔帝を掌握することができた。

 これで監禁生活の遅れを大きく取り戻した……いや、もはや帳消しにしたと言っても過言ではあるまい。


「ゼルス様っ!」


 事を終えると、それまで見守っていたラクシャルが駆け寄ってきた。

 潤んだ瞳をゼルスに向け、言葉を詰まらせている。


「ああ、ゼルス様……なんてこと……なんて……」


「……ちょっと、やりすぎたか?」


 ラクシャルが反発するのではと思い、俺は慎重に反応を窺う。

 こちらへと振り返ったラクシャルは──歓喜の色に、目を輝かせていた。


「なんて、素晴らしいんでしょう! これでゼルス様もヴァイン様の虜! 魔帝軍を離れても、ヴァイン様のしもべとして同じ旗を仰げるのですね!!」


 おかしいわ、こいつ。


 俺は聞こえなかったフリをして、ゼルスの肩に触れた。

 魔帝ゼルスの力はいったいどの程度のものか……吸収して確かめるとしよう。


「【ドレイン】!」


 ゼルスの体に触れている右手から、火傷しそうなほどの熱量の塊がせり上がってくる。

 それは俺の肩を抜けて心臓に達すると、一度だけ強い鼓動を響かせて消えた。


「……手に入れたぞ。魔帝の力を」


 実感を言葉にして吐き出すと、笑いがこみ上げてきた。

 転生以来、地の底で苦汁を嘗め続けること18年。ついに俺は一発逆転の大勝利を成し遂げたのだ。


「文字通り、人知を超えた力を手に入れた。ここから先はチート三昧だ! 俺の行く手を遮るものは何もない!」


「おめでとうございます、ヴァイン様! このラクシャル、一生あなた様について参ります!」


「……おい。おのれら……」


 喜びを分かち合う俺とラクシャルに、ゼルスのかすれ声が投げかけられた。

 ドレインの作用か、ゼルスは二日酔いのように気だるげな様子で床に降り立つ。


「くっ、力が出ない……! ヴァイン、貴様。人の身でありながら、余の力を吸収できたというのか?」


「ああ。そういうシステムだからな」


「わけのわからぬことを! それに、余が貴様ごときの奴隷だと……? この魔帝ゼルスを意のままにできると思っているのか!?」


「正確に言えば、何でも好きにできるとは思っていないが。少なくとも、お前は俺に攻撃できなくなった」


「ほざけ!!」


 ゼルスは勢いよく跳ね起きると、俺に向かって拳を繰り出してくる。

 しかし──俺に触れる寸前、まるで見えない壁に阻まれたかのように、ピタリとその拳は静止した。


「……えっ?」


「だから言っただろ。俺には攻撃できないって」


「ば、馬鹿な……ならば、魔法……っ、なぜだ!? 攻撃魔法を使いたいのに……体が、言うことを聞かぬ……!」


 自分の意思と異なる行動を強制され、ゼルスは頭を抱えて悶え苦しんだ。

 困り果てた様子のゼルスに、ラクシャルが優しく語りかける。


「理由はわかりきっています。ゼルス様も私と同様、ヴァイン様に惚れ込んでしまったということですよ♪」


「それだけは絶対にあり得ぬわッ!! ラクシャルよ、こんな変態に容易く懐柔されおって、魔帝軍ナンバー2としての誇りはどこへ捨ててきたのだ!?」


「私は、誇りよりも大切なものに気づいたまでです。そう……愛という、最も尊い感情に……」


 頬に紅を散らして言い切ったラクシャルに、ゼルスは大口を開けて硬直した。

 ついでに俺も似たような顔をしていたと思う。

 俺、愛なんて一言も言った覚えないんだけど。


 やがてゼルスはラクシャルを無視して、俺に詰め寄ってきた。


「おい、ヴァイン……! 今すぐ余の力を戻せ。吸収できたのなら、元に戻すこともできるのであろう?」


「そうとは限らないだろ……まあ、一応できるんだが」


 厳密には返還ではなく、ドレインで吸収した能力は、自由に仲間へ振り分けることができるようになっている。

 他の味方からドレインした能力をお気に入りのキャラに注ぎ込み、最強の嫁と冒険することも可能というわけだ。


「だが、俺がお前に力を返すメリットはないぞ」


「底の浅い愚物め……よいか? 魔族は力ある者にしか従わぬ。余が魔帝軍を統括しておるからこそ、全ての魔族が余に従っておるのじゃ」


「だから?」


「もしも余が力を失えば、各地の魔族は余の制御下を離れ、暴れ始めるであろう! 無関係な人間どもの血が流れるのじゃ! 貴様は、それでも構わぬというのか!?」


 人差し指をこちらに向けて問い質すゼルスに、俺は即答した。


「構わん」


「えっ」


 ゼルスは目を点にしてフリーズした。


「俺はな。生まれてから18年間、ずっと村の地下に監禁されてきたんだ。この世界の人間どもを恨みこそすれ、守ってやろうなんて気持ちはこれっぽっちもない」


 俺はこの上なく率直な気持ちを口にした。

 転生した直後は、ヒーロー的な生き方をしてみようかと思ったこともあったが、そんな純情はとっくの昔に捨てている。


「なっ……しょ、正気か、貴様!?」


「当たり前だ。というか、ラクシャルに俺の住む村を襲わせたのはお前だろう? 俺は別に気にしないが、どのみちお前らは人間を襲うんじゃないのか」


「あれは、あの村の連中が余の配下である魔族を襲ったのが先じゃ! ラクシャルにも、抵抗する人間以外は殺すなと命じておった」


「なるほど……まあ、ラクシャルが村を襲ってくれなかったら、俺は未だに牢獄暮らしだったからな。そういう意味では感謝してるが」


「じゃったら、余に力を返せ」


「それとこれとは話が別」


 笑顔で即答する俺と、額に青筋を浮かせるゼルスが見つめ合う。

 横で話を聞いていたラクシャルは口元を手で覆い、ぽろぽろと涙を流して嗚咽した。


「おいたわしや、ヴァイン様……! 私は、私だけは何があろうとヴァイン様の味方です! そう、たとえ世界を敵に回そうとも……!」


「ラクシャル、待たぬか!? 魔族の一員として、その反応はおかしいじゃろうが! 同胞を見捨てるつもりか!?」


「ゼルス様こそ、ヴァイン様を可哀想だと思わないのですか? もはや私は、魔族である前にヴァイン様のしもべなのです。そう決めました!」


 忠犬という言葉でも到底足りないほど、ラクシャルは従順さを貫いている。

 嬉しいといえば嬉しいが、妄信されるのも微妙に居心地の悪さがあるな。

 一方、ゼルスはよろめきながら俺の顔を指さす。


「その男の目をよく見ろ! それが孤独に震える哀れな男の目か? ドブの底に溜まった汚泥のように濁りきっておるではないか!」


「あっ、傷ついた。ゼルスが俺にひどいこと言うから超傷ついたわー。もう立ち直れない。癒してくれ、ラクシャル」


「ヴァイン様……! よしよし、もう大丈夫ですよ。どうぞ、ラクシャルの胸に甘えてください」


 俺の三文芝居に、ラクシャルは本気で腕を広げて誘ってきたので、遠慮なくラクシャルの胸に飛び込んだ。

 二つの天然クッションに顔をうずめ、慈しむような優しい手で頭を撫でられる……。

 ああ、脳髄がとろけそうだ。すごい勢いでダメ人間になっていく。


「やめぬか、ラクシャル! そのような男を甘やかすな!」


「ゼルス様も甘やかしてほしいんですか? いつもの膝枕が恋しいのはわかりますが、私はもうヴァイン様のものになってしまいましたので、そろそろ部下離れをしていただかないと……」


 困ったように言うラクシャルを見上げて、俺は首を傾げた。


「いつもの……ってラクシャル、いつもゼルスに膝枕してやってるのか?」


「はい。ゼルス様にとって、幼なじみの私は唯一本音で接することのできる相手ですから。何かトラブルがあった時などには私の膝に顔を埋めて『もうイヤじゃ、魔帝やめたい』などと泣き言を──」


「わあああああああッ!!」


 ゼルスは大声でラクシャルの言葉を遮った。その慌てようからすると、ラクシャルの言ったことは事実らしい。


「今その話は関係なかろうが! とにかくヴァインよ、余から奪った力を返せ! 交換条件があるなら、できる限り呑んでやる」


「交換条件ね……たとえば、どんな条件を提示できる?」


 俺が訊ねると、ゼルスは少し考えてから答えた。


「城には財宝がある。引き替えに渡してやってもよい」


「じゃあ貰おう。でも、今の俺がその気になれば力ずくで奪えるんだから、引き替えにしてやる理由はないな。お前が一方的によこせ」


「……人でなしめ……」


「人じゃない奴にそう言われましても」


 強烈な敵意を込めてこちらを睨むゼルスに、俺はわざとらしく肩をすくめてみせた。レベル1の眼光など、怖くも何ともない。


「ですが、ヴァイン様。ゼルス様のおっしゃることにも一理あります。本当に世界がめちゃくちゃになってしまったら、ヴァイン様のこれからの生活にも支障をきたすのではないでしょうか?」


 ラクシャルが意外にもまともな意見を出してきた。


 まあ……確かにそうだ。

 今後のことは何も決めていないが、仮にどこへ行くにしても、魔物が暴れているのでは面倒だろう。


「仕方ないな。ラクシャル、何割くらい返せば足りると思う?」


「そうですね……ゼルス様のお力は元々圧倒的ですから、魔帝軍の部下を従えるだけなら、2割ほどもお返しすれば充分かと存じます」


 ゼルスが「全部返せ!!」と抗議するが、俺は無視して、力の振り分け作業に入った。


 システムログは自動的に表示されるが、それとは別に、頭の中で意識すればシステム画面を呼び出すことができる。

 テイムキャラクターの管理ウィンドウを展開し、ラクシャルとゼルスの二択から、ゼルスを選択。


「さて、パワー注入だ」


 ログを確認したところ、元々のゼルスのレベルは187だった。その2割だから、40も返してやればいいだろう。

 俺はおもむろにゼルスに歩み寄ると、その平たい胸を包み込むように手のひらを押しつけた。


「ひぇっ!? な、何をするのじゃっ!?」


「力を注入する間は、胸を揉んでなきゃいけないんだよ。大人しくしてろ」


「ん、んっ……い、いやらしい手つきで触るでないわぁ……」


 俺が胸を撫で回すと、ゼルスは甘い吐息を漏らして身じろぎした。


 ちなみに、力を分ける時には体のどこかに触れていないとダメなのだが、別に胸を触る必要はない。


 でも、女体のどこか1カ所を選んで触れと言われたら、そりゃ胸を触るだろう。

 俺は悪くない。


 胸を触り続けるうち、やがてゼルスの体に変化が訪れた。


「ふ、ああっ……! 力が……熱いのが、流れ込んでくるっ……う、ぁぁぁぁッ!!」


 振りほどくように小さく体を丸めて、ゼルスはひときわ高い声をあげた。


【システム】ゼルスにレベルを振り分けました! ゼルスのレベルが41になりました!


「……ひとまずこんなもんか。ついでに、俺のステータスも確認しておくかな」


 俺は自分の仕事が終わったことを確かめてから、最終的な今回の戦果を表示した。


▽ヴァイン・リノス

性別:男

種族:人間

レベル:252

ジョブ:村人

HP:270274/270274

MP:185150/185150

EP:451/451

筋力:57771

体力:81725

素早さ:39796

知力:14010

幸運度:19724

性技:999999

パッシヴスキル:【物理耐性Lv9】【魔法耐性Lv9】【MP自動回復Lv4】【心眼】

アクティヴスキル:【クロスアウト・セイバー】【風魔法Lv9】【雷魔法Lv7】【闇魔法Lv7】【重魔法Lv7】


 ゼルスから奪った雷魔法、闇魔法、重魔法――重力の魔法だ――が、それぞれ使えるようになっている。レベル7で止まっているのは、ゼルスに力を一部返したせいだろう。

 それ以外では、軒並みステータスが大幅に向上している。

 パッシヴスキルのMP自動回復も嬉しい。これで魔法も、乱発しない限りは使い放題になる。


「……ん?」


 確認していて、ふとおかしな点に気がついた。

 元々最大値の65535だったはずの性技のパラメーターが、上限を超えて999999まで上昇しているのだ。

 そういえば、体力のパラメーターも最大値を超えている。


 何かシステムの変更でもあったんだろうか。

 もしもエナに会ったら、聞いておいた方がよさそうだ……いつになったら会いに来るのか、見当もつかないが。


「あと、この【心眼】ってスキルは……ゼルスから奪ったのか? 初めて見るな。おいゼルス、スキルについて訊きたいんだが……」


「ああっ! ヴァイン様、ヴァイン様っ!」


 俺が言いかけた声にかぶさるようにして、ラクシャルが歓喜の声をあげた。


「見てください! 私のレベルも、30まで上がってます!」


「ん? ラクシャルには何もしてないぞ?」


 突然はしゃぎだしたラクシャルの言葉に、俺は首を傾げた。

 試しに、ラクシャルのステータス画面も開いてみる。


▽ラクシャル

性別:女

種族:魔族(悪魔)

レベル:30

ジョブ:剣舞の魔将

HP:57501/57501

MP:24855/24855

EP:2/2

筋力:3920

体力:3053

素早さ:2001

知力:25

幸運度:827

性技:31

パッシヴスキル:なし

アクティヴスキル:【魔剣Lv4】


 ……本当にラクシャルはレベル30に上がっていた。すごい成長速度だ。


「多分、ヴァイン様がゼルス様を倒した分の経験値が、私にも入ったのだと思います」


「ああ、そういえばそうか……俺には経験値入ってないから忘れてた」


 ゲーム的には、テイムはドレインとセットの扱いだ。

 すなわち、ドレインで能力が上昇することを前提としたシステムなので、敵をイかせて倒した場合、倒した本人には経験値が入らないようになっている。


 そのため俺は経験値をもらっていないのだが、パーティーメンバーのラクシャルには普通に経験値が振り分けられたようだ。


「ってことは、ラクシャルももうそこそこ戦えるんだな」


「はい! 剣舞の魔将と呼ばれた私の剣術を、今こそヴァイン様に披露……あれ?」


 不意に、ラクシャルが虚空の一点を見つめて首を傾げる。

 広間の天井近くから絨毯の上へ、光の柱が降りてきていた。


「なんだ、もう朝か?」

「愚かなことを言うな。この部屋に天窓はないし、天井も崩れておらぬぞ」


 議論する俺たちをよそに、光の柱は、より強く輝き始める。

 次の瞬間、光に包まれて現れたのは──銀色の髪、白いローブの美女。



「お久しぶりですー、転生者さん! あなたのエナが、会いに来ちゃいましたよー!」



 俺を転生させた張本人──いや、張本

 管理神エナが、そこに立っていた。

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