第五話 魔帝ゼルスとの対面


 長かった廊下を抜けて、いよいよ玉座の間に続く扉が見えた。


「ゼルス様はこの奥にいらっしゃるはずです」


「俺が開けてもいいのか?」


「いえ、ここは私が……ゼルス様! ラクシャル、ただいま戻りました」


 ラクシャルが扉を開き、玉座の間へと足を踏み入れる。

 俺も周囲を警戒しながら後に続いた。


 ダンスホールのようにだだっ広い部屋の中央を、真紅の絨毯がまっすぐに貫いている。

 絨毯の端には石造りの玉座が置かれ、1人の少女が腰を下ろしていた。


「……ラクシャル……これはいったい、どういうことじゃ?」


 耳をくすぐるような甘ったるい声。

 俺は松明に照らされた少女の顔をよく見ようと、目を凝らす。


 緩く波打つ黒髪を、肩の高さで揃えたボブカット。

 俺と並べば胸の位置に頭が来そうなほど小柄な体。

 ボディラインは華奢の一言で、レオタードのような服が尚更細い体つきを強調している。

 俺を睨んでいるツリ目がちの童顔にも、精一杯強がる仔犬を思わせる愛嬌があった。


「ヴァイン様、いかがですか? 可愛いでしょう、うちのゼルス様は」


 ラクシャルが得意満面な笑みで言い放った。

 ようやくご対面を果たしたゼルスは確かに可愛い少女だったが、同時にすさまじい殺意のオーラを噴出させている。

 無邪気に喜んではいられない雰囲気だ。


「ゼルス様は強くて愛らしくて、まさに魔族の帝王、魔帝の名に相応しいお方なのです。しかも、ただの魔族ではなく、なんと……」


「ラクシャルよ……余は、どういうことじゃと訊いておるのじゃぞ」


 ゼルスが語気を荒くして、ラクシャルと俺を順番にねめつける。


「余の与り知らぬところで何が起こったのじゃ? ラクシャルから力の波動を感じぬ……そして、そこの男! 貴様から、人間の身ではあり得ぬほどの強大な力を感じる……!」


「バレてるか」


 そこまで見透かされてるんじゃ、不意打ちは狙えそうにないな。

 10メートルほどの距離で、俺とゼルスは睨み合う。

 張りつめた空気を破ったのは──ラクシャルの声だった。


「ゼルス様、お待ちください! 私が全てを説明します。私は、この方の……ヴァイン様のものになることを決めました」


「えっ」


 ゼルスが呆気にとられた声を漏らす。

 ラクシャルは頬を赤く染め、もじもじとしながらこちらを見た。


「私はヴァイン様との戦いに敗れ、人前で全裸にさせられた挙句、恥ずかしいところを弄られて……初めての快感を教え込まれた末に、全ての力を吸収されました」


「…………」


「ですが、ヴァイン様は私の命までは奪わなかった……その優しさに心打たれ、私は彼に生涯尽くすことを決心したのです」


 何ひとつ間違っていない、仔細な報告だ。

 俺は曖昧に苦笑しつつ、玉座に目を向ける。


 魔帝ゼルスは、微笑んでいた。


「貴様。ヴァイン……といったかの?」


「名乗るのが遅れて悪かった。ヴァイン・リノスだ」


「ではヴァインよ。ひとつ余の頼みを聞いてくれ──」


 言いながら、ゼルスはおもむろにこちらへ手を伸ばす。

 その双眸が──殺意の色に満ちて、見開かれた。



「死ね!!」



 ゼルスが呪文を唱えると、その手から一条の雷が撃ち出された。

 俺は横っ飛びに雷をかわしつつ、ラクシャルを抱きかかえて部屋の隅まで運ぶ。


「よくも……よくも我が腹心を辱めてくれたな、貴様ぁぁッ!! 余の雷で消し炭にしてくれるわ!!」


 全身に憤怒をみなぎらせて、ゼルスは絶叫した。虎の尾を踏んだどころの騒ぎじゃない。


「おいラクシャル。何なんだ、あの尋常じゃないキレようは」


「変ですね。普段のゼルス様は温厚な方なのですが……」


「そりゃ、部下のお前に対しては温厚だろうが。俺が敵だってことを差し引いても、ただごとじゃないぞ」


「何か誤解があるのでしょう。話せばわかってもらえるはずです。ここは私に任せてください!」


「それでさっきもダメだっただろ、お前……」


 意気込みとともに、ラクシャルがゼルスに向けて1歩進み出た。

 俺は期待せずに事の成り行きを見守る。


「ゼルス様、おやめください! 私は辱められてなんかいません! むしろ、とても気持ちのいい思いをさせていただきました!」


「やかましいわ、愚物が! 貴様は余の側近であろうが! なぜそんな下劣な人間などにたぶらかされた!?」


「先ほども申し上げました。敵対する身でありながら私の命を奪わなかったヴァイン様の器の大きさに、私は感服したのです!」


「……どうやら、口で言ってもわからぬようだな。ならば、そこの男を我が手で抹殺し、貴様の目を覚まさせてやるとしよう……!!」


 ゼルスは怒りを全身にみなぎらせて、魔力を集中させ始める。

 これ以上話し合うのは時間の無駄と見て、俺はラクシャルをかばうように前に出た。


「下がれ、ラクシャル。こういう事態も想定済みだ。多少怒ってるくらい、どうってことはない」


「私も微力ながら手助けします! どのように戦うおつもりなのですか?」


「脱がして犯す」


「なるほど!」


 鼻息荒く、ラクシャルは納得した。

 今の俺はドレインによってラクシャルの力を吸収してはいるものの、その上位存在である魔帝には、正面対決では及ばないだろう。

 となるとやはり、神から授かったテイム能力で戦うほかない。


「ですがヴァイン様、お気をつけください。先ほども言いかけましたが、ゼルス様はただの魔族ではありません。ゼルス様は……」


 びしゃっ、と何かが壁に叩きつけられる音が、ラクシャルの言葉を遮る。


 音のした方を見ると、広間の壁に、白い粘液の塊のようなものがへばりついている。

 粘液の塊は宙に糸を引いており、その糸を辿ると、部屋の中央に立つゼルスへ続いている。


「ヴァインとやら。今更忠告を聞いたとて、もはや遅いぞ」


 ゼルスの言葉で、俺は奴の能力を確信した。

 この白い粘液は、ゼルスが放ったものだ。


 目を凝らせば、ゼルスを中心として、部屋の壁や天井へと、何本も放射状に白い糸が張り巡らされている。その一本一本がつなのように太い。


「ゼルス様は、蜘蛛アラクネの血を引く魔族……糸の使い手なのです」


 ラクシャルの説明に、ゼルスは獣の笑みを浮かべると、数多の糸を絡めた両手を広げた。


「ヴァイン・リノスよ。余の生餌となるがいい!」


「……ッ!?」


 蜘蛛の巣を展開したゼルスを前に、俺は一歩たじろいだ。

 恐怖からではない。文句を言わずにはいられないショックを受けたせいだ。


「アラクネだと……? おい、待てラクシャル。ゼルスはどう見ても二本足で立っているし、目も複眼じゃないぞ。あれのどこがアラクネだ」


「えっ? はあ……確かに、血を引くといってもゼルス様のアラクネの血はそれほど濃いわけではありませんが……何か問題でも?」


「日和った真似を。アラクネといえば上半身は人間、下半身は蜘蛛の多脚生物で決まりだろうが! それが何だ、指から糸を出せるくらいでアラクネを名乗るとは片腹痛い。そんなことでモンスターマニアの心を掴めると思ってるのか」


「はあ……よく存じませんが、私にそう言われましても……」


 俺は不満を叩きつけるように言い放ったが、そこでふと、あることに気づいた。


「……いや、待てよ。そうは言っても亜人は好き嫌いが分かれるジャンルなのは確かだ。VRゲームの臨場感で巨大な蜘蛛に迫られたら、気分を悪くするユーザーも出てくるだろう。それじゃ抜くどころではなくなってしまう。冒険心を抑えたのは、あるいは配慮によるものと考えることもできるな……」


「あの、ヴァイン様……先ほどから何の話をされているのですか?」


「個人的な話だ。意味の分からないところは聞き流していい」


 ポジティヴに状況を捉えて、ひとまず納得した。こだわりは二の次だ。


 とりあえず、奴の種族はアラクネではなく『蜘蛛少女スパイダー・ガール』と呼称することで俺の心に折り合いをつけよう。

 どこぞのアメコミヒーローみたいだが、能力的にもなんかそんな感じだし、ちょうどいいだろう。


 ――直後、ゼルスの方からこちらへ、ピアノ線のように細い糸が飛んできた。

 真横に跳んでかわすと、一瞬前まで俺が立っていた床が縦横に切り刻まれるのが見えた。

 驚異的な切れ味だ。


「そいつはさっきとは別の糸か? やるじゃないか、蜘蛛少女スパイダー・ガール


「貴様……人間の分際で余の血統を貶める気か……!?」


「そう熱くなるなよ。名前なんてただの定義だろうに」


 間髪入れず、細い糸が俺に向けて放たれる。

 俺は輪切りにされないよう、ゼルスの攻撃を紙一重で回避した。


 ゼルスは更に広間の空中に糸を張り巡らせると、その糸の一本に飛び乗った。

 糸はたわみながらも、びくともせずにゼルスの体重を受け止めている。


「ヴァイン様! ゼルス様は【粘糸ねんし】【斬糸ざんし】【剛糸ごうし】の三種の糸を使い分けることができます! それぞれ、粘つく糸、鋭い糸、切れにくい糸の三種類です」


「それで、場合によって獲物を絡め取ったり、切り裂いたり、あるいは自分の移動に使ったりするわけか?」


「はい。それだけではなく、あの糸は……あっ、ヴァイン様!!」


 ラクシャルが叫ぶのとほぼ同時、左足に何かが絡みつく感触があった。

 ゼルスの指から伸びた、細い糸――。



「【ボルト】!!」



 強烈な電光で、一瞬、視界が真っ白に染まる。

 焼けるようなすさまじい熱が、左足から全身に流し込まれ、脳天を貫くような衝撃を産む。


 無防備に電流を浴びせられた俺は、その場に倒れ――。



「……痛いじゃねえか」


 倒れ――はせずに、ゼルスを睨んで舌打ちした。


「ほう、貴様……余の魔法を受けて、まともな口が利けるとはな」


「レベル1の初級魔法ごときで倒れてたまるか。何のつもりだ?」


「貴様の犯した罪……ラクシャルへの仕打ちを思えば、楽に死なせるのでは足りん。なぶり殺しにしてくれよう」


「なぶり殺し、ねえ」


 俺はラクシャルから預かっていた双剣の片割れを抜き、足に絡む糸へ振り下ろした。

 しかし、剣の刃を食い込ませても、糸はいっこうに切れる気配がない。


「無駄じゃ。その【剛糸】はラクシャルの力でも断ち切れぬ。まして、ラクシャルから力を奪ったばかりの貴様ごときに……」


「【エンチャント・エア】!!」


 魔法で剣に風属性を付与し、再び剣を振り下ろす。

 風を纏った剣は、糸を断ち切り、その余波で床を大きくえぐり取った。


「おっと。やりすぎたな」


「なっ!? ば、馬鹿な! 余の剛糸が、断ち切られた……!?」


「アラクネの糸は土属性を持っている。弱点の風属性には耐えられん。まあ、そんな話はどうでもいいんだが……お前、俺をなぶり殺しにするって言ったな?」


 狼狽の色を浮かべるゼルスに、俺は剣の切っ先を向けて言い放った。


「あいにく、俺はせっかちだ。だから、ゼルス――お前をあっさりと・・・・・倒す。3分以内に終わらせてやる」

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