25:木戸静騎という少年

「朝練に行こう」


 朝の五時。朝食を済ませた大護は自室で支度をしながらつぶやいた。

 リリアンは最近のお気に入りである少年漫画の上に座り込み、読みふけっていた時だった。


「あされんとはなんだ?」

「朝授業が始まる前の部活だよ。ここのところ、ちゃんと部活してないなーって思ったから」


 思い返せばドタバタ騒ぎばかりで、「部活!」と言える活動をした記憶がない大護だった。

 幸いにして時間はある。寺住まいである大護の朝は早い。和尚の生活リズムで時間は過ぎ、普通に登校するには充分に時間は余る。ならいっそのこと、部活動に時間を割り振りたい所である。


「むー。まだ続きが気になるのだが……」

「学校に持って行って休み時間にでも読めばいいよ。ばれなきゃ大丈夫だからさ」


 リリアンは渋々少年漫画から顔を上げ、大護の腕時計型の『インデコ』の中へと姿を消した。大護はリリアンの読んでいた漫画を拾い上げると鞄に入れて部屋を出た。


 校門が開く時間は五時半からだと聞いている。今からなら充分に間に合うだろう。大護は左文字和尚に挨拶を済ませ寺を出て、澄んだ朝の空気で満ちた通学路を歩く。

 路地に面した道路を通る車はまばらで、空も高く晴れて気持ちの良い天気だった。


 学校が近づくにつれ、ぽつぽつと生徒の姿を見かけるようになった。大護と同じく朝練に向かう生徒だろう。向かう先は同じだ。


「……あれ?」


 歩いて行く生徒の後ろ姿の一人に、見覚えのある背中を見つけた。

 昨日、否定の言葉をかけ、去って行った背中だった。


「静騎さん!」


 そんな背中に、陽気な声が降りかかった。声の主は誰でもない、大護本人である。


「……?」

「やっぱり静騎さんだ。おはようございます」


 駆け寄ると一礼して大護は笑顔を浮かべた。それに対し木戸静騎は怪訝な顔をしたままで、無言のままである。


「静騎さんも朝練ですか?」

「……そうだが……お前は何だ?」

「僕も朝練です。一緒に行きませんか?」


 静騎の態度は明らかに疎ましく思っていることを隠していないものであった。だが大護はそれにも構わず笑みを浮かべたまま、返事も待たず隣に付いた。


「静騎さん、陸上部ですよね。どんなところなんですか?」

「……。走るところだ」

「種目ってどんなものがあるんですか? 長距離走とか短距離走とかしか知らないんですけど……」

「……。大体それだけ知ってればいい」

「あ、棒高跳びとかも陸上でしたっけ。難しそうですよねあれ。空中で体ひねるみたいな。考えただけで体がつりそうな……」

「……いい加減にしろ」


 苛立ちを隠そうともしない静騎の声に、大護の言葉は遮られた。


「もう俺はオケリプとは関係ないんだ。いくらお前と話したって何も変わらんぞ」

「オケリプの話なんてしてないじゃないんですか。僕は静騎さんとお話したいだけですよ」

「……はあ?」


 静騎の整った顔立ちが間の抜けた形に変わる。


「……何故なにゆえ

「なんとなく。人間的に」

「意味が分からん……」

「まあ好奇心ってやつですよ。どんな人か気になって」

「……それは、オケリプやってた人間だから気になってるって前提じゃないのか?」

「ひねくれてますねえ~」


 そっぽを向いた静騎に大護は感心したかのように言う。


「とにかく、オケリプやってる人間が俺に近づくな。お互いためにならんだけだ」


 そう言うと静騎は歩くペースを速め、拒絶の意を示す背中を見せながら歩いて行った。それを見送った大護は小さく息を落とすと、「難攻不落だなあ」と一人つぶやいた。


「お前は何がしたいのだ?」


 『インデコ』の中からリリアンの声が響いた。


「何っていうか、据わりが悪いっていうか。喧嘩別れしたみたいで嫌じゃない? もやもやしてさ」

「それはあやつがオケリプ部を辞めたことを言っておるのか?」

「それもあるけど、単に人間関係。人との接点だよ。かつて仲が良かった人たちと溝ができたままっていうのは寂しいからさ」

「だからお前が取り持つと? 先ほどのように、道化になってか?」

「はは、そこまでお人好しじゃないよ。僕は僕でつながりたいんだ。普通に開いた溝が寂しく感じるから、埋めてみたいなって思っただけなんだ」


 それこそ道化……うざったく思われてもね。と心の中で付け足す。

 わざとらしいぐらい話題を盛った接しぶりだったが、ただ話すだけでは木戸静騎という少年は心を開くことはないらしい。自分が嫌がられる程度で何かのきっかけになればとも思ったが、それも難しいようだ。それこそ、過ぎたことだろう。


「さて、僕らも朝練に出よう。部活部活!」


□□□


「あら、おはよう藤崎くん」


 第二体育館はすでに稼働状態にあり、電光掲示板には火が入り、リングはすでにスタンバイされていた。向かえてくれたししねはシャツに短パンと動きやすい服装に着替えており、準備運動の最中だった。


「おはようございます。朝練に来たんですけど……」

「歓迎するわ。今日の所は私しかいないから、丁度いいわね。スパーリングに付き合ってもらえるかしら」

「喜んで。ところで着替えはどこで?」

「ああ、更衣室は壇上の裏にあるから。動きやすい服装なら何でも構わないからね」


 壇上端のドアをくぐり、裏口に二つ並んだドアの一つを空ける。更衣室は男女に分かれていた。まあ当然であろう。

 用意していたシャツと体育の授業で使うジャージに着替えた大護は改めて『インデコ』をはめ直して気合いを入れる。


「お待たせしました」

「うん。じゃあ始めましょうか。『パーソナルスペース』で『インデコ』をセットして」


 公式の設備にワクワクしながら大護は縦長のコンテナに入り、タッチパネルを操作して『インデコ』の情報をリンクさせる。モニターを確認し、準備が整ったことを確認した。


「そういえばししねの『スティグマ』はどんなものだろうな」

「あ……そういえば見る機会なかったね。どんなだろう」


 『パーソナルスペース』内のスピーカーからリリアンの声が響いた。


「やっぱり天使とかかな……」

「まあ相手も全国クラスの天才なのだろう。侮ることなかれである。気を引き締めろ、大護」


 前面のハッチが上にスライドし、リングへの門が開いた。ししねはすでにスタンバイを終え、リングの上に立っている。大護はししねのパラメーターが示された電光掲示板を見やった。


___咎原ししね:使用スティグマ:『クレイモア』・地属性、カテゴライズクラス『デーモン』 


「……『デーモン』……!?」

「じゃあ準備運動がてら軽く手合わせしましょう。力、スピードは半分以下ぐらいで互いにスキルは使用なしで」

「あ、は、はい……!」


 笑みを携えたままのししねが構えを取った。両肩をリラックスさせ、左手は前に、右手は胸元に引かれている。肩幅程度に開かれた足は軽く曲げられ、いつでも動けるような柔軟性を持っていた。


(い、意外だ。『デーモン』とは……いや、今は集中しないと)


 大護も構えを取り、ししねと対峙する。空手の右構えを取り、ししねの手足の一挙一動に目を走らせた。


(入れそうだけど……行ってみるか)


 右の前足をスライドさせるよう体重を移動させ、右腕を突き出す。後ろ足から体重を乗せて前足に踏み込んだ右の拳は、充分な重圧を持って押し出された。ウエイトが60kg前後の大護の体とはいえ、まともに受ければ成人男性でもたたらを踏んで倒れるだろう。動きとしては理想的で、綺麗な突きであった。


 それに対し、かざされていたししねの右手がふわりと大護の右突きを上から被さるように舞って降りた。


(いなし? それにしては押さえが弱い……このまま撃ち抜く!)


 まっすぐに放たれる突きは真正面から押さえるよりも横や下にずらし威力を削ぐ方が防御としては定石とされている。それにしてはししねの右腕は大護の体重が乗った腕をずらせるほどの力はなかった。


 ずしん!


「……え?」


 一瞬、大護は巨大な壁にぶつかったのかとでも思った。だがそれがリングのマットだと気がつくのに時間を数秒要した。自分が、自らが放った拳がマットに向けられ「そらされた」のだと分かるのにも数秒時間が必要だった。


「……?……!?」


 気がつけば倒れていた自分を、混乱したまま無理矢理起き上がらせた。その衝動か、頭がくらりとした。ししねは特に変わった様子はなく、構えたまま笑みを浮かべて立っている。


「どうしたの? まだ一合しかやってないよ?」

「は、はは……そうですね……」


 起き上がるも、頭はパニック寸前だった。


(何だ、何をされた!?)


 地面に拳を打ち込んでいた。拳を、そらされたのか? あの動きで……でもどうやって?


「これが……天才ってやつの領域か……」


 全く未知の世界に踏み込んだ大護は心のどこかで火が灯るのを感じていた。

 今の自分がどこまで通用するのか……どうしようもなく試してみたい。天才と呼ばれる、頂点にいる選手たち相手に、どこまで食い込めるのか。

 握った拳に熱がこもった。この時の握力は、底を知れずどこまでも握りしめそうな気がした。



 続……

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