第三章:ルーザーズホープ-episode:木戸静騎-

24:エンカウント

「良いペースだぞ木戸。一年の途中から入ったとは思えないな」


 こんこんと打ち込んだ。考えることもせず、考える間もなく。


「これなら次の試合にも出られるな。短距離走のエース間違いなしだ」


 ただ走ることだけに専念し、終始した。それだけで結果が出る。実に分かりやすくシンプルで、安易だった。


「陸上部として期待しているぞ木戸。お前なら出来るさ」


 だが、熱はなかった。



□□□


「……『タンタラ』か。聞いたことがある名前だな」


 放課後、第二体育館に集まった大護たちは、有原から今後の動きの指示を仰いでいた。


「『スティグマ』に対する非合法の薬を扱う麻薬組織……そんな大物が引っかかるとはな」

「あの……そこで素朴な疑問なんですけど」


 大護がおずおずと手を上げる。


「そんな大それた相手に、僕たち高校生で相手が務まるのでしょうか……」


 聞けばとんでもなく闇が深そうな相手だ。ヤクザ以上かもしれない。正直腰が引けるものだった。麻薬組織……聞くだけでおっかない。

 しかし有原はその心配をくみ取ったのか、笑みを浮かべて「そんなことはない」と首を振った。


「君たち学生組はあくまできっかけ作りが仕事だ。本体に食い込むのは本格的に捜査に乗り出すGメン本体さ。危ないと思ったら俺の権限で身を引かせる。もちろん現場の判断で……君たちの判断で危ないと思ったら逃げることも大事だ」


 緊張しているのは大護だけではなかった。Gメンとして初の活動となる翠子も背筋を固くさせ、顔をこわばらせている。


「よって君たちには情報収集を行ってもらう。二人一組になって聞き込みだな。咎原と明智、藤崎と永藤で動いてもらう。だが危ないと思ったらすぐ連絡するか離脱するように」

「情報収集……どんなことでしょう」

「うむ。『タンタラ』は『スティグマ』に働きかける薬を扱う組織だ」


 大護の言葉に有原が落ち着いた声で返す。


「何かしら『スティグマ』に異常があるような噂があるかどうか調べてきてほしい。例えば明智のハリーのように、所有していた『スティグマ』に異変が生じたという事例があったら、即座に報告してほしい。だがそれ以上は踏み込むな。そこからはGメン本部が捜査する」


 翠子は言葉を飲み込み、無言でうなずいた。その目には強い意志が宿っている。もう気後れするなどといったことはないだろう。


「では活動を開始してくれ。くれぐれも、安全重視でな」



□□□



「噂っていいましても……」


 街中へと出た大護と永藤は人で賑わう繁華街を歩いていた。


「どこから調べましょうか。具体的にどう調べればいいか……」

「まあ、無難なのはジムだな」

「ジム?」

「オケリプのジムだよ。今や世界的格闘スポーツなんだぜ? ジムの一つや二つ、どの町にもあるっての」


 なるほど、と大護はその考えに至らなかった自分に恥を覚えた。鍛えるという点においてはいつも自己流で、正規のジムなど念頭になかった。実際にはオケリプの訓練を行えるジムは永藤の言葉通り随所に設けられ、それだけ人気のあるスポーツだという現れになっている。


「たくさんのプレイヤーが集まるジムなら、何かしらの異変が起こってるか話ぐらい出るだろ」

「確かにそうですね。この町にもあるんですか?」

「ああ、二つほどな。……しかし、ローラー作戦になるんじゃ、あいつがいれば話が早いのによ……」


 最後にぼそりとつぶやいた言葉が大護の耳に入る。大護は「あいつ?」と小首をかしげた。それに永藤は面倒くさそうに後頭部をかきながら、


「あいつ……木戸静騎きどしずき。一年の途中で辞めた部員だよ。顔広いから連絡も通達も一気に出来るのになーって思っただけ」

「きど、しずき……あれ、それって……木戸静騎さんですか!?」


 永藤は答えず、嘆息だけをよこした。


「知ってます! 小学生の頃から大会制覇の常連で、ししね先輩と双璧を成す「天才児」って言われてた……そういえば最近聞かなくなったと思えば……辞めてたんですか……」

「ま、ちょっとあってな……」

「木戸さんもGメンだったんですか?」

「……ああ」


 一歩先を歩く永藤は振り返る気配を見せない。言葉は端的に返ってくるだけだった。


「あの……何か、あったんですか」

「……そりゃ、俺が話していいもんじゃねえ。聞きたきゃ本人に聞きな。ついたぜ」


 繁華街を少し離れた街角に、スポーツジムのような構えを取った店舗があった。ガラス張りの窓からは、練習用のリングで試合を行う選手同士の打ち込みやミットをたたく青年、筋力トレーニングに励む少年たちがいた。


 永藤は遠慮などせず中に入り、選手たちを指導していたコーチたちに話を持ちかけた。大護はその後ろでトレーニング風景を物珍しそうに見ていた。


(何だ大護。じろじろと)


 腕時計型の『インデコ』の中からリリアンが話しかけてくる。


「いやあ、こんな整った設備で鍛えられるって良いなあって思って」

(遊びに来たわけではなかろう。今は仕事に専念せよ)


 怒られてしまった。

 そうこうしているうちに、コーチたちと永藤は話をつけてしまっていた。訓練中の選手たちは手を止め、話を聞いてくれることになった。


「『スティグマ』に「薬」っすか……」


 ガタイの良い青年がいぶかしげに言う。


「それって、ドーピングみたいなやつなの?」


 小学生だろうか、幼さの残る少年が手を上げて言う。


「まあそんな所だ。『スティグマ』に作用して効果をもたらすものだな」

「それって……あれじゃない?」


 先ほどミットを打っていた青年が口を開いた。それに何人かの選手が「あの噂か?」「ヤバいって言われてた奴か」と口々に言葉を発し始める。


「な、何か心当たりがあるんですか?」


 ジム全体がざわつきだした。大護が問いかけると、青年は「あくまで噂なんですけどね」と前置きして言った。


「何でも、『スティグマ』に強化処置を行ってるプレイヤーがいるって話なんですよ」

「強化処置……?」


 きょとんとする大護に、別の少年が補足するかのように声を上げる。


「『スティグマ』に薬打って強化させて強くさせるんです。要するにチートですよ」

「……!!」


 大護と永藤が目を合わせる。


「それ、詳しく聞かせてくんないかな」


 永藤が水を向けると、何人かの選手は顔を見合わせうなずきながら口を開いた。


「何でも注射を『スティグマ』に打ってパラメーター強化するみたいなんです。でもあんまり強化しすぎると今度はプレイヤーがやばくなるって話で……」

「この間もそれで一人病院送りになったって話聞きました。廃人になった奴もいるって……」


 ジムの中にざわめきが広がる。皆噂レベルでは知っていたらしい。あちこちで似たような話が出てはプレイヤーの悲惨な末路が語られる。


「……廃人、か」

「注射……「杭」みたいなタイプでしょうか」

「多分な。いきなり当たりを引いたらしい」


 永藤はうなずくと、集まったジムの選手たちに「Gメンといて感謝する。ありがとう」と一礼した。また、選手たちもうろたえながら「お、押忍……」と覇気のない声で返す。


「最後に聞きたい。その噂はどの辺りで起こっているか……聞き覚えはないか?」


 永藤の言葉に、先ほどの青年が手をあげて言った。


「それなら……隣町の一ノ瀬ジムってのがそういう奴らのたまり場になってるって、誰も最近近寄ってないって話、聞いたことあります」

「一ノ瀬ジムか……ありがとう。みんなは近づかないように。あとはGメンに任せてくれ」


 立ち会ってくれたコーチたちにも一礼すると、永藤はジムを後にした。大護も慌てて礼をしながらドアをくぐる。ペースはすっかり永藤に任せきりになってしまった。


「この後どうするんです? 一ノ瀬ジムってのに行ってみるんですか?」

「バカ言え。有原先生にも言われただろ、突っ込むなって。もう聞き込みは充分だ、報告しに帰るぞ」


□□□


「はあ……何もしてないのに何だか疲れた」


 グラウンドを一望できるベンチに座り、自販機で買ったジュースを口につけながら大護はぼそりとつぶやいた。


「まったく……ほとんど仕事は永藤に取られておったではないか」


 腕時計型の『インデコ』の上には、腰に手を当て憤慨するリリアンが立っている。


「そんなこと言ったってー。僕ノウハウもないし新人だしー」

「言い訳とは見苦しい。現に報告まで永藤に任せよって……貴様本当に後輩か?」

「僕がたどたどしく中途半端に行くより事情を詳しく知ってる永藤先輩が行った方が適任でしょ?」

「……堂々と言うな」


 リリアンはあきれかえってため息を落とした。


 グラウンドでは運動部が部活の撤収を行っている。サッカー部や野球部は機材の片付けを、陸上部はグラウンドの整備を行っていた。目の前を、足早に手際よく片付けに入る運動部員たちが通り過ぎていく。


 その最中ちらほらと視線を感じたが、おそらくはリリアンの姿に目がとまったのだろう。普通、世間一般では『スティグマ』は実体化しない。が、珍しさに時間を割いてる暇はなく、運動部員たちは規律に従い片付けに奔走していた。


「さて、僕も一端体育館に戻ろうかな……」


 腰を上げたところで、一人の少年とすれ違う。眼鏡をかけた少年はすれ違いざまに大護に……大護の肩に止まるリリアンに目をやり、つぶやいた。


「……『スティグマ』?」


 また好奇の目に捕まったか。厄介なことになる前に、適当にごまかし立ち去ろうと大護が取り繕うとする前に、少年は「驚いたな」と言葉を続けた。


「まさかハリー以外にも見ることがあるとはな」

「え……?」


 眼鏡をかけた少年は、陸上部のユニフォームを着ていた。手には土ならしのトンボを持ち、それを片付けに行く途中だったのだろう。だが、大護が気になったのはそんなことではなかった。


「えと……なんで、ハリーを知ってって……ハリーって、翠子先輩の『スティグマ』のハリーですよね」


 大護が探りながら言うと、少年は苦いものをかんだかのように顔をしかめた。

 大護の脳裏に、妙なデジャブがよぎってくる。この少年は、どこかで見たことがある顔だ。


 整った端整な顔立ち。眼鏡は知的な印象を与え、落ち着いた話し方。

 大護の中の点がすぐに線で結ばれる。


「ああ! 木戸静騎さん、ですよね!」

「……」

「知ってます! オケリプ天才プレイヤー! 雑誌で何度も拝見しましたよ!」

「……昔の話だ。やめてくれ」


 テンションが上がる大護に、ひやりとした冷たい声が浴びせかけられる。少年……木戸静騎はきびすを返し、無言で立ち去ろうとした。


「あ、あの……!」

「……」

「……って、談笑できる雰囲気じゃないか」


 木戸静騎の後ろ姿を見送った大護は、ため息をついて肩をがくりと落とした。


「昔の話……部活を辞めたのにも、理由がありそうよな」


 リリアンの横顔は真剣なものだった。それに大護はうなずく。


「うん。それも、深刻なものだろうね。決して立ち話で聞ける範囲のものじゃない、大きな理由だと思う」


 やめてくれ、と言った木戸静騎の声は、まるで悲鳴のように聞こえた。たった一言だけだったが、どれほど深い傷をもっているのか……少なくとも、見通しが付かないほどの深さだとは知れた。


「体育館に戻ろう。僕たちには僕たちがやることがある」

「そうだの。今はそっちが先だ」


 永藤が当人に聞けと言っていた事柄がこの先必然となることに、大護は予想もしていなかった。



 続……

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