23:明智翠子の戦い

 第二体育館に掲げられた掲示板に、リングへと降り立った選手のステータスが表示される。


―――倉木涼子:使用スティグマ『ダブリスアンカー』・天属性、カテゴライズクラス『天使』


 不遜な笑みを浮かべる倉木の手には、倉木本人の身長を超える長い槍が握られていた。


――――明智翠子:使用スティグマ『ハリー』・地平線属性、カテゴライズクラス『シノビ』


 一方、翠子には装備らしきものは見当たらなかった。しかし、両の手には手甲のようなものがつけられている。拳を保護する目的であろうか。手甲は何重にも折り重なるように作られており、甲殻類の甲羅を連想させる。


「なあ大護。翠子はどう戦うつもりだ?」


 リングから少し離れた場所で見守る大護たち。リリアンは大護の肩に座り、視線をリングに向けたままつぶやく。


「……ハリーの暮らすは『シノビ』。あの手甲に秘密があると思うけど……少なくとも殴りに行くことはないと思う」


 重なり合った手甲は盛り上がって断層を作っている。直接ぶつけることに向いているとは思えなかった。


「一応最後に聞いておくけど……ハリーを手放す気はない?」


 倉木は槍をぐるりと振り、切っ先を翠子に向けた。それに翠子は答えない。ただ不動のままで翠子を見据え、その表情からは怯えや甘さなどが消えていた。

 それに、倉木のこめかみがひくついた。


「何ガン飛ばしてんのよこのクズ!」


 倉木は槍を前にすえたまま、後ろ足を蹴り前へと突進した。だがその突進が見えない壁に阻まれ、倉木はたたらを踏んだ。


「!?」

「まだ試合開始のコングは鳴ってないよ」

「……ッ……!!」


 悪鬼羅刹とはこのことか。ぼそりとつぶやいた翠子の言葉に、倉木の表情は鬼の形相を作った。殺意むき出しの眼光で翠子を射貫く。にらんだまま、倉木は定位置まで下がっていった。


 リングの外周に設置されたアナウンスルームからししねが指示を出す。


「試合は1ラウンド制とします。制限時間は10分。公式試合に乗っ取り、KOされた方が負けとなります。降参しても負けとなります。準備はよろしいですね」


 翠子が無言でこくりとうなずく。倉木は奥歯をかみしめ、ししねをにらみつける。


「では……試合開始!」


 カン! と甲高い音が第二体育館の高い天井に鳴り響いた。


「明智ぃぃぃいい!」


 たがが外れたかのように、怒号を上げながら倉木が槍を前に構え突進する。何も手にしていない翠子にはリーチの差で圧倒的に不利となる。しかし、倉木が走り出すと同時に翠子も動いていた。


 身を低くかがませ、手甲を交差させて叫ぶ。


「ハリー! 十字手裏剣を!」


 翠子が叫ぶと同時に左右の手甲の断層から鋭い刃が飛び出した。ナイフのような突起を持ったそれは翠子の手のひらの上まで伸びると、刃は四方に展開する。


「何!?」


 倉木の槍があと二つ分と迫る前に、マットの上を二つの影が滑空する。倉木は飛び下がり、なおも追ってくる影二つを槍で弾くが、その重みは手をしびれさせた。

 弾かれた影はマットの上に突き刺さり、すぐさま姿を消す。


「立て続けに攻める! 棒手裏剣を!」


 今度は右手の手甲を倉木にかざし、断層の中から細長い影が疾走する。

 倉木はそれに反応しきれず、槍を構えることなく身を投げ出し翠子の射線上から脱出した。

 倉木がいた直線上のリングの壁に、立て続けに甲高い音が重なり合い、釘のようなものがマットの上に転がる。


「なんと! 飛び道具か!」


 リリアンが興奮した様子で叫んだ。


「これならいくら相手が槍であろうが間合いの不利などないな! これは勝ったも同然であろう!」

「……」

「何を黙っとる大護」

「……そう簡単にいくかな……」


 大護の視線の先は、追い詰められている倉木にあった。髪を振り乱し、苛立ちと憎悪に顔を歪ませる倉木は槍を握りしめ、荒く息を吹き出す。


「お前が……お前なんかがぁ!」


 ばしん! と槍をマットの上にたたきつけた。ヒステリックに鞭を打つように槍をひたすらマットに打ち続け、倉木は怨嗟の念を口から吐き出し叫ぶ。


「な、なんであるか……八つ当たりか?」

「……」


 異様な光景だった。その異質さを感じ取ったのは翠子も同じで、攻め手を止めて様子を見ることに徹していた。

 倉木はひたすらに槍をマットの上にたたきつけている。みしり、と槍がひび割れる音が聞こえた。芯は綻び、鉾は砕け、嫉妬と憎しみに支配された罵詈雑言の言葉が吐き出される。そのたびに槍は破損していき。


「……! ハリー! 棒手裏剣を……」


 右手を持ち上げ倉木に狙いを定めるが、倉木から……倉木の槍から盛り上がる破壊音が、鉾を四方に弾き飛ばし芯を四散させ槍そのものが爆ぜた。飛んできた破片に思わず目をつむり、翠子は大きく後ろへと飛んだ。


「お前なんか……お前なんかぁあ!」


 ぐるりと大きな牙が回転し、どしんとマットの上にたたきつけられる。人間の頭より一周り大きな矛先は鋭さこそないが、かみ砕こうとする凶暴性を荒々しく発露させていた。

 柄には矢羽根がそろい野太い芯は無骨な矢となり、倉木の手の中に収まっていた。


「あれは……!」


 リリアンが思わず大護の肩の上で立ち上がる。


「……ハリーが……暴走していた時に持っていたやつだ」


 大護から苦々しい声がもれた。


「もしかしたら「杭」は単に『スティグマ』を操るだけでなく自分の『スティグマ』の能力も押しつけることが出来るのか……?」


 身も心もどころか性能すら自分の『スティグマ』にする。それが「杭」の性能なのだろうか。そんなものが流通している……それは『スティグマ』のアイデンティティを真正面から否定していることに他ならない。


「こいつでぶちのめしてやる!」


 重たそうな牙を軽々と振り回し、倉木は翠子に躍りかかった。


「ハリー、サポートスキル! 『速度アップ』!」


 俊敏さを得た翠子は寸前の所で振り下ろされた牙の一撃を回避した。そのまま踏みサイドステップで間合いを取りバックスステップで倉木の背中に高速で回り込んだ翠子は十字手裏剣を取り出した。


「ダブリスアンカー! サポートスキル、『重力解除』!」


 倉木が振り向きざまになぎ払った牙が、速度アップでスピードを増した翠子の十字手裏剣を軽々と弾いた。倉木の身長を超える矢と人間の頭以上の大きさを持つ牙の切っ先を、まるで紙のように扱う身のこなしの正体に翠子は息をのんだ。


 あの槍は、今の牙の姿が本来の姿なのだ。出なければ『重力解除』などという、重さのハンデを軽減するサポートスキルは付属しない。

 そして『重力解除』のサポートスキルは、何も牙だけに作用していない。


 とん、と倉木の足がマットを蹴った。それだけで、大きく離れていた翠子との間合いが一気に縮まった。


「なッ……!?」

「甘いんだよクソが!」


 丸い牙が翠子の腹部めがけてねじ込まれる。倉木の体そのものの重力も、このリングの上では解法されていた。それ故たった一歩の踏み込みで接近を許してしまった。


「内側から食い破ってやる!」

「うッ……!」


 牙が半透明な光を放ち、翠子の体にめり込んでいく。辛うじて引き上げた右腕から発射した棒手裏剣が倉木の腕に当たり、二人は同時に倒れた。

 だが、すぐに起き上がったのは倉木だけで翠子は倒れたまま動けずにいる。


「く……ふう……う……」


 腹部を抱え、身をよじりなんとか立ち上がろうと膝を立てるが、呼吸すらままならない。


「あは……あはは! 良いザマね明智ぃ!」


 巨大な牙をステッキのようにふるい、口の端をつり上げる。


「命令よ明智翠子。自分の喉をかっ切りなさい」

「え……」


 虚ろな目で倉木を見上げる翠子は、右の手甲から取り出した十字手裏剣を握りしめていた。それが、震えながら翠子の喉へと向かっていく。


「何をしておる翠子! 奴の命令など聞く必要など……!」

「もしかして……」


 ぼそりとつぶやいた大護は冷や汗が流れる背中を気持ち悪く感じながら言う。


「あの矢……「杭」と同等の性能があるんじゃ……」

「何だと!?」

「要するにハッキング能力だ。相手の中に侵入して支配する能力を持っている。「杭」と同じような力……暴走したハリーが持っていたように、相手を服従させる力でもあるんだ」


 暴走時にハリーが所持していたのは、倉木の完全な征服下にあった証であろう。自らの『スティグマ』の能力を植え付けられ、暴徒と化した。


「う、うう……」


 鋭い刃の先端が、翠子の喉元に迫っていく。

 『オケリプ』はスポーツである。このまま実際に喉が切れるわけではないがそれ同様のダメージが課されポイントとしてフィードバックされ、意識は遠のきKOとされる場合もある。


「わ、私は……」


 手裏剣の切っ先から喉元まで、あと数センチ。その十字手裏剣の形が、一つの刃の形に収まり翠子の手のひらの中で握りしめられる。手は、勢いよく一気に引き寄せられた。


『我が主は』


 『スティグマスペース』から、ハリーの堂々たる声が響く。


『同じあやまちは繰り返さない』


 吸い寄せられた刃は、翠子の食いしばった歯に止められていた。荒い呼吸を口内から切れた血と供に流しながら、翠子はゆらりと立ちあがる。握った手裏剣を放り捨て、血まみれのつばをリングに吐き出す。


「……何それ」


 冷めた目で倉木が言う。くるくると身長を超える矢を振り回し構えを取ると、苛立ったため息をついた。


「あんたは……ちゃんとくたばってなさいよ!」


 軽々と持ち上げた矛先を翠子めがけてたたきつける。しかし牙は誰もいないマットをたたいただけに終わった。


「!?」

『軽業がお前一人の芸だと思わぬ事だ』


 『スティグマスペース』からハリーの声が飛ぶ。そして倉木が宙を仰いだ時にはすでに、リングを形成するフィールドの天井に張り付いた翠子が両手を突き出し、手甲からいくつもの刃を煌めかせていた。


「な……ッ!?」

「これで……最後!!」


 翠子は落下しながら手甲の断層から無数の棒手裏剣を発射した。棒手裏剣は雨のように倉木へと降り注ぎ、矢を盾にしても防御は間に合わず、倉木は悲鳴を上げるだけに終わった。


「ぐ……う……」


 折れそうな膝を矢で支え、倉木は全身を殴打したダメージでついに膝をついた。

 うなだれそうになった首の前に、ふわりと翠子が降り立つ。若干乱れた息をそのままに、右腕の手甲を倉木に突きつけたまま言った。


「私の、勝ち……」

「……」

「まだ、やる?」

「……くそ」


 にらめつけようと顔を上げかけた倉木の体がマットへと沈む。パラメーターを示す電子掲示板には倉木の体力を示すゲージはゼロとなっていた。完全な、KO勝ちであった。


「試合終了。勝者、明智翠子」


 ししねのアナウンスが流れ、リングからフィールドの機能が解かれる。『パーソナルスペース』が開き、ハリーがリングへと出る。今にも倒れそうな主をとっさに支え、「お見事でした」と賞賛の言葉を贈った。


「やるではないか翠子! よもやここまでの戦いができようとは!」


 リングをまたいでリリアンが飛び、息を途切れさせている翠子に顔を輝かせた。それに翠子は「ありがとう」と小さく返して、倒れたままの倉木に伏せ目がちの視線を送った。


「今『オケリプ』専属の救急を呼んだから心配ないわ。受けたダメージと疲労で気を失っているだけね」

「……」


 ししねがリングに上がり、翠子の側に立つ。供に視線の先には、眠るように瞳を閉じた倉木の姿があった。


「こんな形でしか終われなかったのは、残念だけど……」

「……私、明日からちゃんと学校に行くよ」


 ハリーの手を借りて両足で立ち、自らの力で倉木の側にしゃがみ込んでつぶやく。


「倉木さんからは拒絶された。今後も、受け入れられることはないと思う。でも、学校に行く。全部が全部、上手くいくだなんてこと……あるわけないんだから」


□□□


「おはようございます、翠子先輩」


 通学路の途中で出会った大護に、翠子は目をぱちくりとさせた。


「お、おはようございます……あれ、藤崎くん……通学路こっちだったの?」


 翠子の自宅と大護の住まいである寺とは正反対である。


「いえ、寄ってみたんです。ちゃんと朝来れるかなと見張りに……」

「といっておるが心配でじっとしておれんかったのがこやつである」


 後ろから出てきたリリアンを追いかけ回す大護。


「良き関係ですね」

「微笑ましいね」


 鞄に入れたスマートフォン型の『インデコ』からハリーの声がもれる。それに翠子は微笑を浮かべた。


「ハリーも出てくる?」

「私では……目立ってしまうでしょう。リリアン殿のように小柄でしたら隠れもできましょうが」

「ふふ、冗談よ」


「と、ともかく行きましょう! せっかくなのに遅刻しちゃいけないし!」

「そうね。せっかく迎えに来てくれた藤崎くんにも悪いしね」

「い、いえ僕はその……」

「ありがとう」

「え……?」

「ちゃんとお礼、言ってなかったから。これからたくさんの人に言わなくちゃいけないから」


 翠子はスマートフォン型の『インデコ』を取り出しにこりと笑った。


「私はもう、一人じゃないから」




天使症候群編・終

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