21:決起
「今回は自分の至らなさのため皆様にご迷惑をおかけしてしまい、誠に申し訳ありません……」
そう言って長身の『スティグマ』、ハリーは深々と頭を下げた。
もう日の暮れた第二体育館の中。場所を移した大護たちはハリーから事情を聞こうとしていたが、当人からは謝罪の言葉しか出てこない。
「もういいんだよそれは。お前さんだって好きでやってたことじゃないだろうに」
「しかし……」
腕を組んで息を落とす永藤に対しハリーの顔色は暗い。やはり後ろめたさが完全に前に出ている。何をするにも申し訳ないという気持ちでいっぱいなのだろう。
「真面目な性格は相変わらずなのね」
ししねが隣にたち、うつむきがちだったハリーの腕にぽんと手を置いてゆっくりうなずいて言った。
「もう誰もあなたを責めてたりしないわ。それに言ったじゃない。ね?」
ししねが、すぐ側に立つ翠子へと視線を送った。翠子はただハリーの手をぎゅっと握り、口をつぐんでいた。
「もう自分を責めないでって」
「……」
ハリーの目が、見上げる翠子の瞳に吸い込まれていく。そこに、これ以上の言葉は不要だった。ハリーはやがてこくりとうなずき、「では改めて、挨拶だけでも」と背筋を伸ばした。
「私の名はハリー。地平線属性の『スティグマ』、カテゴライズクラスは『シノビ』であります」
「……しのび、とは?」
大護の肩でリリアンがきょとんとする。
「ざっくり言っちゃえば『忍者』だね。まあその能力は多岐にわたるから一概に世間一般のいわゆる『忍者』っていうと語弊があるんだけど」
「おお、アレか! 時代劇に出てきて火を噴いたり水の上を歩いたり空を飛んだりするアレか! 手裏剣投げたりするアレ!」
「……火遁の術などは自分の領域ではありませんが……中にはそういった部類が得意な『シノビ』も存在します」
目を輝かせるリリアンに若干気まずそうなハリー。早速語弊が生まれている。
「んでハリー。お前さん、この一年間どうしてたんだ? 明智の元から離れてからしばらく、そんでまた急に姿を現した……何があった?」
永藤の言葉に場が静けさを取り戻す。誰もが触れたくはない、しかしいずれは聞かねばならない内容だった。あえてそれを無造作に踏み入った永藤は、和気藹々となっていた空気をこれもあえて壊したのだ。そうでもない限り、誰も触れようとしないだろう。
しかし。
「聞かせて、ハリー」
手を強く握った翠子が、またうつむきかけていたハリーの顔を見上げて言った。
「私の不甲斐なさから離ればなれになってしまった一年間に何があったのか……聞かなきゃいけないの。きっかけは私なんだから。私が聞かなきゃいけないことだから」
「……そう、ですね」
翠子の手の中に、ほのかな温もりが灯った。握り返してきたハリーの手の体温を感じながら、翠子はハリーが口を開くのを待った。
「私は……」
自分の主に問題が生じたと察するに時間は必要なかった。
例え『インデコ』の中にいようとも、彼女の痛みは、涙は、理不尽な悲しみは刺すように入り込んできた。
主は何かに訴えることはしなかった。出来なかったのだろうとも知っていた。
怖かったのだ。報復も、恥辱も、何もかもが怖くなる。どこに手を伸ばそうとも、棘のように鋭く研ぎ澄まされたナイフが指先を切りつける茨で周囲を囲まれている……。
なら、己が下そう。
鉄槌を。
裁け。不条理な歪みはこの煮えたぎる憎悪でのみ破砕できる。
裁け。一人目。
裁け。二人目。
裁け。三人目。
裁け。四人目。
裁け。五人目。
裁け……裁いて……憎悪は、癒えたか?
傷は、塞がったか?
ただ広がっただけではないか? 開いただけではないか?
傷跡が、痕跡が、自らの行為により……安易な行いにより、怯える主を更に追い込んだだけではないか?
噂が広がる。『スティグマ』だ、『スティグマ』にやらせたのだ、と。
見知らぬ空を転々とした。もう主の元には居られない。
これは完全な逃避行だ。逃げたのだ。自らの行いに責任も持てず、課せられる責務も果たすことも成し遂げようともせず、ただ主から逃げた。自分まで、主を裏切ったのだ。
雨風を走り晴天を避け、暗雲を歩き夜に空を飛んだ。
頭はとうに思考を放棄し、体は痛みすら感じなくなった頃。彼女が現れた。
蠱惑的な声で言う。
「今日から私があなたのマスターよ」
「……情けない話です」
ハリーは声を落としながらも、顔をうつむかせはしなかった。右手に支えられる体温を頼りに顎を上げて自らに集まる視線に答えるよう、毅然と前を向いた。
「逃げ出した果てにあの倉木涼子という少女の甘言に乗ってしまい……」
「一年間かけてお前さんは洗脳され続けてたってわけか……そして今になって洗脳は完全なものになり牙を剥いた、か」
「そういえばあの人、「杭」とかどうとかって言ってたけど……」
永藤がつぶやく洗脳、というおぞましい単語に結びつくものが大護の脳裏にふつと浮かび上がる。岸下との会話に出てきた言葉に思い当たるものがあった。
「おそらく、このことでしょう」
大護がそう言うと、ハリーは上着の袖をめくり上げた。腕の内側には、まるでひっかいたような刺し傷が無数に走っていた。
「注射のようなものを打たれ、そのたびに意識が失われました。その間の記憶はほとんどありません……」
「……「杭」ってそういうことか……薬で無理矢理言うことを聞かせてたなんて……」
「おそらく特別に調合した薬であろう。『スティグマ』に作用する薬なんぞ市場に出回っているとは思えん。それなりのバックボーンがあると見える」
拳を振るわせる大護に落ち着けと諭すように言うリリアンは、翼を羽ばたかせてハリーの腕へと飛び移る。
「もう痛みや違和感はないのか?」
「ええ。遅効性のようで痛みのようなものはないんです。麻痺しているような感覚や夢うつつのようなおぼつかない感覚が常にあります。効力が消えたのは、奇跡的なものだったかと」
「……それだけ、翠子との繋がりが強かったということだな」
リリアンの言葉に、ハリーはかすかに頬を緩めた。
「……『タンタラ』」
ぼそりと永藤がつぶやく。
「それ、岸下さんが言ってましたね。倉木さんは岸下さんから「杭」を買ってハリーに使ってたって……」
「まっとうなもんじゃねえだろ。Gメンとして動かなきゃならねえ相手だろうぜ」
「動くにせよ、一端先生の指示を仰ぎましょう。相手が具体的になったのならなおさら、慎重に行きたいわ」
ししねの言葉に大護と永藤もうなずいた。
「それにハリーと翠子にはゆっくり休んでほしいもの。後のことは私たちが……」
「あ、あの……そのことなんだけど!」
語気を強め、振り絞るようにして翠子は声を出した。
「わ、私にも手伝わせて……お願い!」
「え、でも……」
たじろぐししねであったが、まっすぐにししねを見る翠子の瞳は強い意志で揺るぎないものとなっていた。
「埋め合わせなんていうつもりはないの。もしハリーみたいに自分の『スティグマ』が奪われちゃうような人がいるなら……私、もう放っておけない!」
「翠子……」
「これは私自身の意志なの。ちゃんと先生ともお話する。だからこの戦い……私も連れて行って!」
「……そいつはGメンに入るってことだが……いいんだな?」
永藤の言葉に、翠子は視線だけで返す。強く結ばれた双眸の輝きに、永藤は苦笑した。
「ハリー……私に力を貸してほしい。あなたと一緒なら、どこでだって、誰とだって、戦える」
見上げるハリーはこくりとうなずき、微笑を浮かべた。
「もちろんです。この力、主の新たなる決意のために使いましょう」
握った手は更に力強く、固い握手へと形を変えた。
そんなハリーの元からリリアンは朗らかな笑みを持って大護の肩へと戻ってきた。
「雨降って地固まる、というやつかのう」
「力強い味方が増えたのは確かだね」
「しかし、相手は非合法組織の類いか。楽観視はできんな」
「僕だって緊張するさ。でもね」
ちょんと肩に乗るリリアンを指でつつき、にこりと笑ってみせる。
「僕にも頼りになる相棒がいることをお忘れなく」
「……ば、バカもん! お、おだててもなんもでんぞ!」
頬を赤くしそっぽを向いたリリアンは、落ち着かないのか足をパタパタとさせていた。
(Gメンとしての活動……いよいよ本格化してくるんだな……)
心の中には漠然とした、砂粒のようなざらつきが不安の種となり落ち着きをなくしている。だが、今し方自分でも言ったとおり、リリアンがいる。ししねが、永藤が、翠子が、ハリーがいる。
(僕は一人じゃない。一人じゃないんだ。……もう、一人じゃない)
続……
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