20:call
二度と聞けなくなった声。
いや、聞くことから逃げたのだ。
逃避行。感傷に浸り空から空へと渡り歩き。
たどり着いた先の失墜はあまりにも深く。
……ィ……リィ……ハリー!
やっと。
自らが封じたものの重さに身がよじれた。
全ては、己の重みに。
□□□
「ハリー!」
あらん限りで。自分の中にある何かが外れたかのように、しかし声を発する体は温かく支えられ、何の遠慮もなしに声が出た。
「うるさいわね……!」
倉木は叫ぶ翠子をにらみつけ、口の端をつり上げた。
「あんたなんかの声なんて、ハリーは望んじゃいない。聞きたいのは私の声だけ。正しい主である私の声だけ!」
その通りだと言わんばかりに、仮面の奥から地面を揺らすようなうなり声が鳴り響いた。手に持った巨大な矢を大きく振りかぶり、大護と永藤が回避した地面に突き刺さした。大護と永藤は左右に分かれ、横に飛んで逃げたがすぐには動けなかった。
大護は迷わず回避したが飛んだ瞬間、永藤の舌打ちを耳にした。永藤はハリーを見据え、横顔は険しいまま盾を掲げていた。
「……防げませんか」
大護の声は暗く重い。
大護の言葉に無言で返す永藤は、ハリーが大きく振りかぶった次の一撃に備え盾を掲げるが、足元はつま先立ちになる。足を軽く、いつでもサイドステップで回避できるように準備しているのだ。
大護の拳程度ならさばけるが、身の丈ほどあるハリーの矢を直接いなす防御力はない……永藤の沈黙と屈辱で歪む険しい顔が、そう語っていた。
『大護、どうする! お前の防御力を上げても、ハリーの攻撃力には体が耐えられんぞ!』
『スティグマスペース』からリリアンの声が飛ぶ。それは言われずとも分かっていた。自身のポテンシャルを上げても、平均値である大護のステータスで盾にもなれない。
あんな攻撃を受ければ一撃でノックアウトになる。
「……ッ!」
ぎしりと奥歯をかみしめた。拳を固めても、ハリーは目算で2メートルほどある。大護は小柄な体型でウエイトは60kg前後だ。どれだけ攻撃力を上げても体躯に差がありすぎて、決定打は打てないだろう。
このままでは消耗してじり貧で負ける。
「ハリー! 私の声を聞いて!」
翠子が、聞いたことのないほどの大きな声で叫び、思わず大護も永藤も振り返った。
「ハリー! ふがいない私にうんざりしたかもしれない……でも違う! 今のあなたは違う!」
「ったくうっとうしい女……!」
倉木の苛立ちを現すかのように、ハリーの持つ矢がぶわりと横薙ぎに降られた。フィールド側にいた翠子とししねを脅すような行動に、翠子は揺らがなかった。
肩にししねの体を借りて、震える膝をそのままに、悲鳴を飲み込み代わりに叫んだ。
「本当のあなたはそんなに弱くない! 知ってるから……私、ハリーの強さを知ってるから!」
「よ、弱い……ですって!?」
倉木がこめかみをひくつかせながら握りこぶしを震わせる。だが倉木の眼光にもひるまない声は更に大きな声となってフィールドに降り注いだ。
「間違えたのならやり直そう! 私がいるから! 私と一緒に、間違えたことをやり直そう!」
白い巨躯は仮面越しに顔をわしづかみにした。まるで苦悩するかのような動きに、倉木は顔を上げた。
「な、何よ……ハリー! あんな女の言うこと、真に受けてんじゃないわよ! 正しいのは私! 今は私があなたの主なのよ!?」
ずしん、と重い音がフィールドを揺らす。ハリーは膝を折り、矢を杖代わりにしてなんとか倒れ込むのをこらえているように見えた。
「ハリー! 私、強くなるから! あなたにふさわしい自分にじゃない!」
仮面を掴む指の間から鈍い音がもれた。
顔を覆う仮面に、亀裂が走り始めた。
「な……ハリー、しっかりしなさい! 私が……真の主がここにいるでしょうに!」
倉木は狼狽の色を見せ始め、視線を翠子とハリーの間で右往左往させていた。
「強くなる……! 私があなたを支えられるように強くなる! だから!」
地の底からくぐもって聞こえるうなり声は、ビリビリと大護たちの肌を打つ。
「私があなたを支える! 私の側にいて! 自分を責めないで、ハリー!」
矢尻が地面に落ち、フィールドの底に突き立てられていた矢の先端が滑るように転がった。
陶器が割れる音で、抑えつけられていた表面が日の光を浴びる。全身を覆っていた白い拘束具は本来の姿に耐えきれず、内側から引き裂かれた。
「あ……あ……」
目の前で崩れていく束縛が、倉木から言葉を奪った。膝がガクガクと震え始める。一歩後ずさり、フィールドの端まで足を引きずりながら首を横に何度も振る。
「う、嘘よ……だって「杭」は……嘘! こんなの嘘!」
「往生際が悪いぜ倉木」
永藤は構えた盾を下ろし、わめき始めた倉木を見据えて言う。
「一応、その「杭」とやらも没収しましょうか。どこで使われるかわかったもんじゃない」
大護も構えと警戒を解き、地面に片膝をつくシルエットを見上げる。
長い前髪は顔の半分を覆うほど長く、細く引き締まった体を纏うのは鎖で編み上げたかたびらだった。
仮面は粉々になり、振り下ろした握りこぶし一つで粉と消える。それにびくりと身を震わせた倉木を見て、永藤は「はん」と鼻で笑う。
「おいチビ。フィールド解除してやれ」
「逐一チビっていうの止めてくれませんか」
『インデコ』を操作し、淡い青の壁は溶けて消えた。同時に、永藤が装備していた盾も消滅する。『スティグマスペース』の制御下から空間が解放され、立っていられるのは自我のあるものだけとなった。
「君が……ハリー、か」
フィールドの粒子が消えても、スラリとした長身の影は消えなかった。肩に舞い降りたリリアンは満足げににやりと笑い、翠子に向かってぐっと親指を立ててみせる。
「……ハリー……」
ししねの肩からゆっくりと体を離し、一歩一歩踏みしめるように、まだうつむいたままの『スティグマ』の元へと歩いて行く。
「……ハリー。ごめんね。合いに行くの、遅くなって……」
頭を垂れるがまま、ハリーは動かずにいた。ただ、かすかに肩を振るわせ、拳は固く握ったまま力なく地面に貼り付けていた。
「ハリー……ただいま」
そっと、白い陶器のような頬に手を添えて、涙目になった翠子はこみ上げるものをなんとか抑えていた。
「……遅くなりました……このハリー、ただいまよりあなたの側に立ちます」
太く通った声が、ゆっくりと上がった顔が、そよ風のような笑みが、抑えていたものの蓋を取り除いた。
きつく閉じた両目から粒の涙をこぼし、声にならない声で思いの丈を述べる。広い胸に抱かれ小さく震える少女は、帰るべくして帰った戦士の元で、何度も何度も名前を呼んだ。
「……一段落、ですね」
ハリーと翠子を見ながら大護がつぶやいた。
「遅いお帰りだな。倉木の奴、いいザマだったぜ」
「そうですね……ってあれ!? いないじゃないですか倉木さん! あ、逃げ……られた?」
フィールドを解けと言ったのは永藤である。だが永藤は底意地の悪そうな笑みを浮かべてクツクツと笑う。
「いいんだよ。ひとまずは『スティグマ』を取り戻す。そっからでも遅くねえ」
「確かに……不可解な点は残ったままだものね。直接聞くのは次の機会にしましょう」
二人の会話にししねが微笑を浮かべて混じり、大護は「そんなもんですか」と不満げに口を尖らせていた。
「じゃあ何か? あれに水を差すと?」
次第に落ち着きを取り戻してきた翠子はハリーの名を呼び、ハリーもまたそれに答え、何度もうなずき側にいると返し続けていた。
その光景を眺め、大護はふうと息をつく。
「そうですね……次の機会に、たっぷりと「問答」に専念できるようにしますか」
「お前って……結構血の気多いよな」
肘をぐりぐりと当てられ、大護は抗議の声を上げるも永藤は柳のようにのらりくらりと交わし続けた。それを見てししねは苦笑し、リリアンと視線を合わせる。
「声とは届くように出来ているのだ。伝え続ければ、な」
「そうみたいね」
涙をごしごしとこすり、翠子がこちらに向き直った。側に立つハリーと供に手を振り大護たちに駆け寄る。
逃避行は終わりを告げた。ひとまずの幕間が、今までの戦いに休憩を告げる。
そして次の戦いは、万全の体勢で行われるだろう。なぜならこんなにも心強い相棒が、供に帰還を果たしたのだから。
続……
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます