17:決起 紡がれた縁故に
「明智が来てるって!?」
そう言ってリング側の裏口から、有原が駆けだしてきた。嬉しそうな顔で若干息を弾ませている。知らせに行ったししねは後から姿を現した。
「明智! よく来てくれた……放課後の、部活だけでも出てくれるだけで……あれ、その明智はどこだ?」
ふと大護は周りを見渡すが、人影はなかった。先ほどまですぐ側にいたのだが……。
大護の疑問を悟ってか、隣にいた永藤が小脇をつつき、リングの側を指さす。そこには翠子がリングの裾に身を隠し、あたふたとしている姿があった。
「……何してるんですか明智先輩……」
「え、ふぁあ!? き、来ちゃダメです! せ、先生に見つかっちゃいます!」
頭隠して尻隠さず。スカートと足がはみ出していた。裾をのれんのように上げて翠子の姿を確認するが、当人は顔を真っ赤にしながら髪の毛を手ぐしでとき、制服にしわがないか汚れはないかとチェックに大忙しだ。
「せ、先生がいるだなんて当たり前なのにすっかり失念……せめて髪を切りに行ってから来るべき……」
「明智?」
「ふやごふ!」
真後ろへと立ち小首をかしげた有原の声に驚いたのか、翠子はリングの下に張られた鉄骨の網に、勢いよく後頭部を打ち付けた。
「あ、あの! あ、あ、あああ有原先生! 長い間その不登校でえっと私は今えっとその!」
「お、落ち着こう有原。頭は大丈夫か?」
翠子はパニック頭が真っ白だ。だが顔は赤で塗りつぶされ、ジェスチャーを忙しくくわえながら目をぐるぐるとさせていた。動揺という言葉が見事に当てはまる。何を一体慌ているのか。
「そ、それでわわわわわた私その……」
「ああ、構わない」
とん、と有原は翠子の頭に手を置いて、慈しみの眼差しで笑いかけた。
「今は声を聞けただけで嬉しい。姿を見れただけで嬉しい。明智が明智であってくれること……先生はそれが何より嬉しいんだ」
若くして教鞭を持つ身でありながら、同年代であるはずの少年の顔は、まさに生徒を導く「先を生く者」の慈しみがであった。声は穏やかに、瞳は嬉しさに満ち、存在そのものが不動で頼もしい。
「良き教師よな」
肩の上に座るリリアンも口元をほころばせている。大護もつられて笑い、そうだねとうなずいた。
が。
「は……」
翠子の顔が赤くなるその上限を超えたのか。ぼすん、と音でも聞こそうなほどさらに赤く瞬時にそまり、翠子は硬直したまま真横に倒れた。
「あ、明智!?」
「し、しっかりして明智さん!」
「……あーうー……」
ししねも駆けよるが、翠子は固まったまま起き上がる様子は見られない。大護はアメリカンコメディ番組のような様子にたじろいでいたが、
「あ~あ。大変だなあ女の子は」
口元をニヤニヤとさせ、永藤がつぶやく。顔をふやけさせ目を回したままの翠子を有原が抱き起こした。
「おい明智、しっかりしろ」
「せせせせ、せんせ……ばふ」
二度目の爆発が翠子の顔から発動し、今度は自分で立つことも出来ない状態となってしまった。
有原が声をかけるたび、翠子の限界を突破し顔の紅潮の度合いはさらに深く更新されていく。
その様子を見て、「ははあ……」と大護は唸った。
「……もしかして、明智先輩、有原先生のこと……」
「うむ。見事のベタ惚れであるな」
介抱と爆発はエンドレスに続いている。リリアンの察した通り翠子が控えめな性格なだけではなく、有原が相手だからこうも暴走を繰り返しているのだと知れた。
確かに有原のルックスは「美少年」と称してもおかしくはない、整った顔立ちである。長身で足もスラリと長い。憧れる女子生徒は他にもいても不思議ではない。
そしてそれを横目ににやついていた永藤は、
「本人の前でいうなよ。変に遠慮させちゃあ悪い」
「……貴様にしては物わかりの良い言葉よな」
「馬鹿言えチビ。これ以上の娯楽がどこにあるかよ」
永藤の悪質さは健在だった。大護共々ため息を落とすが、永藤はあくまで静観の姿勢だ、これ以上状態が悪化させることを進んでやりはしないだろう。
「ま、ラブコメもこの辺にして……本題に入らないか?」
とんとん、と手のひらをたたいて永藤が言った。
「お前、倉木が怪しいって言ってたな」
「怪しいというか……引っかかる点がいくつか」
永藤は笑みを消して大護に向き直る。大護もおちゃらけ気分を片隅に追いやり、こくりとうなずいた。
翠子がヨロヨロと立ち上がった。ししねに支えられながらだが、動けるようにはなったらしい。そんな翠子を視野に収めたまま永藤はぼそりと言う。
「で、お前の「引っかかる」ってのは?」
引っかかる点……昨日の帰り道。博愛とも思えた倉木の言動と、ボロボロになって家から這い出した翠子の姿を見て、倉木は特にアクションを取らなかった。
あっさりきびすを返した様子には矛盾を覚えてしまい、彼女の意図がいまいち読み取れずにいた。
「……リリアンも疑問に思っていたみたいだけど」
「うむ……あの女の言うことを鵜呑みする気にはなれんな」
ぼそぼそと話す傍らで、ししねが支えてやっと翠子が自力で立てるようになり、有原もそれを気遣いながら歩いてくる。
「話の流れは先ほど咎原から聞いた。……その前に明智が登校してくれたことで順序が逆転してしまったが……」
有原はこほん、とわざとらしい咳払いで場を仕切り直そうとした。
「事態は深刻だ、確実に危険を伴う。この件はここから、我々の裏側……『オケリプGメン』として動く」
有原から勧誘を受けて初めて。
『オケリプ』を不法不当に扱う存在を摘発する組織……『オケリプGメン』としての言葉が現れた。思考に氷の定規が突き刺さる。これから計られるのは意識の違いだ。大護が……ルーキーがどれだけ組織となる部隊でどこまで動けるか。緊張がビリビリと手先の感覚を放電させるように飛ばしていく。
「せっかく来てくれた明智には悪いが……あとは任せてくれるな」
「はい……私はGメンではありません……しかし」
言いよどむ翠子には自責の念が積もっているのだろう。自分のことなのに……と。
『オケリプGメン』のメンバーではない部員が一人と聞いていた。どうやら翠子がその一人のようだ。
「ハリーのことなら任せよ! 我らが吉報を届ける。ハリーと一緒にな」
リリアンは大護の肩から飛び立つと、とんと翠子の肩に着地した。満面の笑みでリリアンは握りこぶしから親指を立てた。それに、翠子は弱々しいものながらかすかな笑みを浮かべ、こくりとうなずいた。
「では、私は一度明智さんを送っていきます。……歩ける? もうちょっと休んでからのほうがいいかしら」
「だ、大丈夫です。その、咎原さんにはいつもお世話になってばかりで……」
遠慮と気遣い、よそよそしさは互いの気配りからくるものだが、譲り合いのまま話は前に進まなかった。
「ストーーップ!」
及び腰で言う翠子と、様子をうかがっていたししねの間にリリアンが飛んで入った。
「え、な……何かしら」
「あ、え……?」
リリアンは目を点にしたししねと翠子の両方に手を伸ばし、その頬をぐいっとつまみ上げた。
「ひ、ひふぁいひふぁいれふう!」
「ひゃふーうー!」
「貴様らそれでも友人同士か!」
リリアンの喝が高い体育館の天井にこだまする。
「配慮するばかりで何も本質に触れようとしない……名を呼び合えぬ程度で友人とほざくか! それで背中を預け合うことなどできようはずもない!」
頬をつねられた両者は互いに視線を合わせ、ぽかんとしていた。
「名があるなら名で互いを示せ! 畑に立つかかしでもあるまいに! それでは任せるものも心許なく、出向くものも覚悟が揺らぐというものだ!」
胸を張り、羽を羽ばたかせ言うリリアンに大護は苦笑した。
「じゃあ僕も、明智先輩のこと名前で呼んでいいですか? 翠子先輩」
「……藤崎くん……」
つねられた後が小さく残る翠子の頬は、自然と笑みにかたどられた口元でえくぼとなった。
「……そう、そうね。翠子さ……ううん、翠子。ここは私たちが。あなたの『スティグマ』は任せて。待っててくれる人がいるなら、頑張れる」
「う、うん……待ってます……待ってる。ししね……ちゃん」
最後は口をこもらせてしまい、気恥ずかしさで翠子はうつむいてしまった。リリアンは「ま、最初はそれくらいよな」と満足げな笑みを浮かべて大護の肩へと戻った。
「ふへー。見てるこっちが恥ずかしくなるよ。よくあんな臭いこといえるね」
「まあ永藤には縁のない話だ。永藤だから。なあ永藤」
「……むかつくチビめ……。言っとくけど、俺はそういうのはごめんだ。やるならお前らだけでやってくれよな」
やだやだと首を横に振り、永藤はため息をついた。
「では、咎原が戻り次第具体的な方針を決める。藤崎、お前にとっては初の仕事となるが、気張りすぎないでさがる時はさがり、先輩たちの仕事を見ておけ」
大護はごくりとのどを鳴らして有原の言葉にうなずく。
翠子は一礼して、ししねとともに第二体育館を後にした。外は夕暮れが終わりかけている。
夜が来る。あの仮面は、今もハリーを閉じ込めているのだろうか。夜空を待つこともなかったあの翼をそのままにしてはおけない。
「一緒に帰るんだ、ハリーと一緒に。翠子先輩のところへ」
大護は自分に言い聞かせるようつぶやき、その声にリリアンも「その通りだ」と強い語気で双眸を鋭いものに変えた。
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