16:傷跡の裏側

 きっかけは、出来た。


 ――我のことは友と呼ぶがよい!


 自分以外に……ハリー以外に、姿を見せられる『スティグマ』がいるなんて、驚きを通り越して嬉しさを覚えた。

 でも、今そのハリーは……。


 だめだ、私がこんなことじゃ、本当にハリーは戻ってこない。帰ってこない。

 私が、ハリーを迎えにいかなきゃならないんだ。


□□□


 想定外のことが起こっている。

 確かに『杭』を撃ち込んだあの『スティグマ』はこちらの手中にあった。入った、と表現してもいい。すでに原型はなくなり異形となった体躯でスペック以上の数字を出した。


 だが報告は次第に異変を示していた。

 指示通りに動かなくなる。何から何まで完璧に支配出来なくてもいい、主導権さえあればよかった。だが、それが……植え付け書き換えたプログラム以外の行動を取り、ましてや『コントローラー』の前に暴威をふるって現れる……。幸い、『コントローラー』自体に全てを話してはいない。不審には思っていないだろう。


 しかし襲撃を仕掛けてきた事実は事実だ。もしその場で専用のフィールドプログラムを持たせておらず、余計な情報まで伝えてなければ大騒動となっただろう。不幸中の幸いと言えるが、このしわ寄せは中々に面倒なものになる。


 このままでは『コントローラー』も異変に気づく。そこからボロを出されては面倒だ。ならばここは……見捨てても構わないだろう。初手にしては、上々だ。


□□□


「いつも雑用ばかり頼んで悪いな」

「いいっすよ。まあ得意分野なんで」


 永藤と歳の頃は変わらない。少年にて教員免許を持った有原は、そういってくれる部員に「ありがたいよ」と言って再びモニターと向かい合い、キーボードをたたき始めた。第二体育館の事務室にて、有原は作業に追われていた。

 永藤は仕事にかかりきりの顧問の背中を見てつぶやく。


「それに、先生がそんなに忙しそうにしてて何もしないわけにはいかないっしょ? 歳だって同じぐらいだし」

「はは。上司が残業してるから部下も定時で上がれないとなると、ここはブラック企業だな」


 有原が取り込むモニターには英語で作られた文章がずらりと並んでいた。専門的な単語が並ぶ中、パッと見て何がどうなっているのかは理解出来ない。


 かろうじて分かることは、英語で海外の人間とチャットをこなしながら、テキストエディタでまた英数字を使い文章を書き込んでいるということだけだ。チャットとテキスト、ほぼ同時に英語で行われている。


 そんな気の遠くなりそうな作業を続ける顧問に永藤は、苦笑を漏らして言った。


「まあ冗談ともかく、ここしばらくリングのメンテや補修整備なんらで騒がしかったからですかね。先生もその関係で忙しくなってるんでしょ?」

「……。まあ。そうだね」

「俺も居残りするぐらい暇なんで、他にも何かあったら言ってくださいよ」


 小さな段ボールに細かな機材を詰め込んだ永藤は、足で事務室のドアを空けて廊下へと出て行く。足音が遠ざかる中、キーボードをたたく音の方が大きくなっていった。


「……さて」


 一人きりとなった事務室の中、有原は手元に置いたマグカップを口元に運び、


「……入れなおすか」


 すっかり覚めてしまったコーヒーに苦い顔をして唸った。


□□□


「……明智、さん?」


 第二体育館の入り口に、どう入っていいのかもためらっている人影を見つけ、ししねが声を上げた。

 ししねに基礎トレーニングを受けていた大護も慌てて立ち上がった。

 長く伸びて表情も隠す前髪は、緊張した肌の色まで隠せない。紅潮した頬で、観音開きのドアの隙間からこそっと体を見せている。

 おどおどとした様子は、間違いなく明智翠子だった。服装もこの学校の制服であり、校章もつけている。


「よかったな」


 リリアンは大護の肩に腰掛け笑う。大護もまたうなずいて、入り口へと走り寄ったししねの後ろ姿を見送る。

 走ってきたししねにまた挙動が不審になる翠子だったが、迷う前にししねが追いつき、ドアを開けて強く手を握った。


「あ、あの……私……」

「……ありがとう、来てくれて……何も出来ないで、本当にごめんなさい……」


 ししねの声は消え入るような懺悔の言葉に変わり、深くうつむいてしまった。それに慌てて翠子は声をかけようとするが見当たらず、しかし閉じた前髪の中から頬を伝うものが一筋落ち、首を大きく振る。


「私こそ、ごめんなさい……本当は、もっと早く来たかったけど……怖くて。でも部活なら……咎原さんがいると思って……」


 しばらくは会話になっていなかった二人だが、笑顔同士を向かいあわせるのに時間はかからなかった。


「全く。部活でなら我らもおるではないか」

「まあ今回はししね先輩に譲ろうよ。思いも気持ちも長く離れてたんだから」


 互いに顔を泣き笑いのように崩し、肩を抱き合うししねと翠子を見てリリアンは「まあよいか」と笑顔を見せた。


「あ~こりゃ。感動のご対面に来ちゃったねえ~俺」


 リング側の裏口から、茶化すような口調ではやし立てる声があがった。


「永藤先輩……!」

「おいおいにらむなよ藤崎。そこのちっちゃいのも」


 小脇に段ボールを抱えた永藤は、軽薄そうな笑みを口に浮かべた。

 出てきた永藤に翠子はびくりと肩をふるわせ、ししねはかばうように翠子の前に立った。


「永藤くん……今日は、遠慮してもらえると嬉しいんだけど」

「ありゃりゃ、部長にまでにらまれちゃった。怖い怖い」


 そう言いながら永藤の歩く足に止まる気配はない。


「何だよ、俺がイジメの真犯人じゃあるまいし。かつての部員同士再会を祝おうじゃないの」

「……ッ」


 翠子が息をのむ。近づき、手を伸ばせば届く距離で永藤は足を止める。永藤の体格は細身とはいえ身長がある。二人を見下ろす永藤は芝居かかった仕草で髪をかき上げ歌うように言った。


「よう明智。せっかくだ、『オケリプ』やってくだろ? 慣らしのスパーなら俺が……あ、そうかお前、今『スティグマ』いないんだったか~」


 足を踏み出そうとした大護は、肩に乗ったままのリリアンに手で制される。

 刺すような視線でリリアンへ振り返るが、リリアンは黙ったまま、首を横に振っただけだった。


「おっかねえよなぁ~『スティグマ』が通り魔になっちゃうっての。一体何があったらそうなるんだ? ちょい『インデコ』見せてみろよ」

「永藤くん、いい加減に……」


 口を開いたししねの側を、伸びた永藤の腕が横切る。その手は翠子が抱きしめるようにして腕に抱えていたものを、すらりと奪い取った。


 何をするのか。そうししねも叫びたかっただろう。大護もリリアンの制止を無視して走り出しそうになった。翠子は顔を青くし、体を硬直させる。


 何もかもが凍てついた一瞬の中、全ての視線は永藤が取り出したもの……スマートフォン型の『インデコ』に集まった。それに、誰よりも早く永藤がアクションを取る。

 露骨な舌打ち。眉間にしわを寄せ、吐き捨てるようにつぶやいた。


「……高い品物を……やってくれる」


 永藤が手にした『インデコ』は、液晶画面をひびだらけにし、裏面には無数の悪口が掘られ、本来『インデコ』を補強するフレームには刃物で切り裂いたような痕で切り刻まれていた。


「……イジメん時にやられたのか?」


 永藤の顔からは笑みは消えていた。裏面、側面を注意深く見ながら翠子に言葉を投げる。翠子は一瞬口を開き書けたが、結局言葉をなくしてこくりとうなずくだけに終わった。


「……ひどい……こんなになるまでやるなんて……!」


 駆け寄った大護も永藤の手にある『インデコ』を見て、悔しさと怒りに拳を強く握り震わせた。


「……」


 言葉をなくしたのはししねも同様だった。なまじ話しか知らなかったイジメの現実を目の当たりにしたのだ、感情が折り重なりどう表現すればいいのか分からず、奥歯をぎしりとかみしめる。


「……妙だな」


 憤慨で静まっていく中で、また永藤だけが言葉を発する。同時に段ボール箱を側に置き、そこからドライバーなどがそろう工具を取り出した。


「え……?」


 翠子が顔を上げた。大護とししねはまだ軋みを上げる沈黙に置き去りにされたままだった。その最中、永藤はドライバーを複数指に挟み糸を溶くように、すらりすらりと『インデコ』の外装を一つずつ外していく。


 ボロボロの液晶画面が外され、悪口で刻まれた裏面のカバーも外し、更に数枚の基板を取り出した。それらが何の役目を果たす装置か、細かすぎる電子回路とつながるケーブルなのか、大護にも分からない部分が多かった。


 永藤の「バラす」手も止まり、いくつか並べられた基板を手にしたまましばらく。


「……マシントラブルじゃねえなこりゃ」


 これらだけを見て何が分かったのか。誰もが目を点にしながらも、永藤が出した答えになんとか思考は追いついた。

 ししねはなんとか気持ちを言葉にして永藤に疑問を向けた。


「ど、どういうこと? マシントラブルじゃないって……こんなに乱暴されたから、ハリーだって……」

「いや、そうじゃないんだ。中身は見た目ほどダメージはない。むしろな

「壊れて……ない?」


 オウム返しに言うししねに、永藤はまだ基盤に視線を落としたまま返す。


「ああ。スマホ型ってのは元のスマホのイメージで壊れやすい、なんて印象があるが、実は逆だ。腕時計型ほどじゃないが持ち歩くに際してアクシデントに耐えられるようかなりタフに作られているんだよ」

「と、というか貴様……なんでそんなに詳しい? 解体も手慣れたものに見えたが……」


 リリアンは、大護の肩に乗ったままししねに目をやった。


「あ、言ってなかったかしら。永藤くん、整備検定準一級持ちなの……」

「じゅ、準一級ぅ!?」


 高い天井に大護の声がこだまする。リリアンはそれを聞いても小首をかしげていた。


「な、何がすごいのだ」

「す、すごいも何も……他の検定と同じだよ。一級二級クラスなら、プロ並みの……個人でならプロよりも詳しくて技能もあるんだよ」

「はあ……人は見た目によらんのだの……」


 誰もが唖然とする中、永藤はまたなめらかなドライバーの使いこなしを見せ、あっという間に基盤を元に戻した。それどころか、段ボール箱にあったスペアの工具も取り出し、液晶画面と傷だらけだった裏面も別のもので補強する。


「見た目は応急処置だ、ちゃんと直したいならメーカーに出してくれ」

「……あ、ありがと……」


 ほいと手渡された『インデコ』を、翠子は小さな声で返し、深々と頭を下げた。


「あ、あの……話戻しますけど、明智先輩の『インデコ』が壊されたからハリーが暴れてるってのは……」

「ああ、その噂話ならもう成り立たない。今点検した通り、『インデコ』には異常なかったんだぜ? それにこいつの『インデコ』がボコになったのもイジメ受けてた去年の話だろ。それが今になって『スティグマ』が飛び出したなんて、理屈に合わない」

「あ……た、確かに」

「何で今になって通り魔よろしくしちゃってんのか……『インデコ』とは無関係だ。この騒ぎ、裏がある。外的要因がな」


 外的要因。何らかのアクセスが今のハリーを暴走させている。原因がイジメでもなく『インデコ』の不具合でもない理由。


「……もしか、して」


 ぼそりと言葉をこぼした大護に視線が集まった。


「心当たりあるのか?」

「いえ、心当たりってわけじゃないんですけど、どっか引っかかっていて……」


 永藤の言葉に歯切れの悪い声を宙に泳がせ、視線もおぼつかない。だが大護は組んだ腕をほどけずにいた。


「なんであの時……あの人、そんなに用意がいいんだろって思ってまして……」

「あの時……」


 リリアンが大護の言葉をなぞり、同じように視線を宙に飛ばしたあと、「あ」と間抜けな声を上げた。


「誰なんだよ藤崎」

「えっと、明智先輩と同じクラスの」


 翠子の様子を気遣いながら言う大護だったが、翠子自身も身に覚えがないらしい。こちらの言葉を待っていた。

 大護は一つ呼吸を落として口を開いた。


「倉木さんって人なんですけど」


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