14:負け戦のロジック
――――藤崎大護:使用スティグマ『リリアン』・天属性、カテゴライズクラス『フェアリー』
透明な青いリングの壁に浮かび上がる、互いのステータス。数値化されたモニターを、水の壁のように沸き立たせていた。
まるでアクアリウムの中をくぐっているかのような澄んだ青色に包まれ、心は穏やかになっていく。
今までのクイックマッチとは違い、正式なリングで正式な形をとる試合である。プレイヤーの心理までケアするためにどんなささやかなものでもスタンバイしている。
即席のクイックマッチとは大きく違う。それは正式なリングでしか感じることのできない特等席でも座ったような気持ちだった。
リングのコーナーに体を預け、永藤深志は薄笑みを浮かべて大護のステータス欄を見やる。
「へえ、
かったるそうに前髪をかきあげる永藤の背後にも、永藤深志が持つ『スティグマ』と選手たる永藤のステータスも表示される。
――――永藤深志:使用スティグマ『ラウンドキーパー』・地平線属性、カテゴライズクラス『番人』
リングの側面から流れるステータス欄に、大護は思わず眉間のしわを深くする。
(厄介ごとか?)
すでに『スティグマスペース』に入ったリリアンから脳裏の直接声がかかる。
(そうだね、かなり厄介だ。……地平線属性。今までと全く異なる相手と構えることになる)
(『スティグマ』の我が無知なのも申し訳ない話だが……地平線とはどういう意味だ?)
スロープから背中をはがし、軽く柔軟運動を始めた永藤を見据え、大護はステータス欄にも目を配りながら心の中での会話を続ける。
(地平線ってのはね……まずはリリアン自身のステータスを振り返ろうか。リリアンの属性が『天』とされるように、天使や妖精、時には神様クラスの「聖なる領域の住人」を意味するんだ。天高く飛ぶ翼が連想出来るような……それが『天』の属性だよ)
こちらが内緒話をしている間に、永藤はすでに『スティグマスペース』に我が分身を送ったらしい。スタンバイの表示が記されている。外見だけでも見ておけばよかったと大護は軽く舌打ちする。
(『天』と真逆なのが『地』さ。大地に降りた力を指す。例えば悪魔や邪神なんかがそれに当たるかな。土着の信仰の部類も当てはまるけど、それはケースによるか……。とにかく、堕天使でもそう扱われる一般的に見て『悪役』といえば、『土』の属性になるんだ)
さらにもっと言うなれば。
大護は大きく息をつき、喉から固く尖った空気を無理矢理喉で押しつぶして飲み込んだ。
(以前『天』でも天使が厄介なのは知ったと思う。でも僕個人が最も厄介だと思うのはこの『地平線』なんだ。これが何を指すのか。簡単に言えばいにしえの勇者や英雄、時に蛮勇と、共通していることがある。それら『地平線』属性の『スティグマ』は全ての全ては元人間なんだ)
(元……人間……?)
リリアンは困惑しているらしい。確かに、これだけの言葉では大護の言いたいことと感じてほしいことを察するには短い。
(そう、歴史に名を残す偉人たちや落ちていった犯罪者、それらの魂を『スティグマ』とパッケージし作られるものは千差万別、同じ性能の『スティグマ』は存在しない。ただしくは同一の『スティグマ』を購入しても、設定で要求されることも人間臭い。プレイヤーも対戦相手にも読むことの出来ない厄介さを持つ……場合によっては天使よりも手を焼くかな)
「作戦会議なら、一回だけにしてほしいんですけどぉ? だれたり萎えたりするでしょうに」
充分に体をなじませた永藤はストレッチを終え、手首を回しこちらに薄笑みを向けた。
「……お待ちくださってありがとうございます。こちらも用意は出来ました」
まだ苛立ちは心の隅っこで小火となっている。リリアンとのやりとりで客観的なものの見方ができたことで、むき出しになりそうな感性を抑えられた。
「じゃあお手並み拝見と行こうか」
永藤がパチンと指を鳴らすと、その身長ほどはありそうな細長いボードがリングに突き刺さった。サーフボードを思わせるものを片手で持ち、内側に備え付けられていたバンドに腕を通して掲げた。それは笹の葉のような形を持つ、巨大な盾であった。
「そっちから攻撃していいよ。まずはお前のターン、ってやつさ」
「先手を譲ってくださると」
「はは、まずはお前も相手の出方を知りたいだろ? そのくらい、ウチの部員となれば特割するさ。俺は優しい性格だからなあ」
軽口を交わしながら、それでも大護は慎重に永藤の一挙一動に視線を飛ばした。相対距離五メートルはあるにも関わらず、大護は身構えたまますり足一つしようとしない。
(……相手は「盾」を使うタイプ……防御に優れた『スティグマ』なのは確かだ。ここからいきなり打ち込むのはあまりにも幼稚。確かに探りを入れたい……)
肩の力をリラックスさせ、大護はとんとんとリングの表面につま先をなじませると、それをステップにして一足飛びに永藤との距離を詰めた。探りを入れる。それも選択肢の一つだ。だが。
「おおっと!」
瞬時に間合いを詰められた永藤はそれでも慌てることなく、大護が踏み込み打った右のストレートを盾の表面に滑らせた。
拳はしびれるような痛みを伴い、なめらか盾の表面をなぞり流されていく。
それに大護は舌打ちをし、前のめりになりかけた上半身を無理にこらえようとはぜず、勢いに任せてリングの上に転がった。前転で勢いを殺し立ち上がりざまに背後……永藤へと構え直す。だが、当の永藤は余裕の笑みを口の端にのせ、盾を前に悠々と大護の動きを見守っていた。
「で、どうする?」
「……このッ!」
安い挑発だ、乗るなとどこかで声が聞こえた。リリアンの声か、自身が発した危険信号か。だが大護はそれらを振り切って足を踏み込んだ。
盾の表面は広い。高さは人間をすっぽりとかぶせるほどのもので、幅は細長く高さに比べれば狭いと言えるが、表面は丸みを帯びた加工がなされている。うかつな拳は……
「へえ、クロスレンジでも連打は出来るのか」
左の二発のジャブ、前足を固定したままの右ストレートはあっさりと弾かれた。これは盾の表面で受け流されたのではなかった。攻撃対象である永藤が半歩下がり、拳の到着地点を浅くしている。
拳の速度を見ただけの弾かれ方ではない。極めもしないかぎり、人間にそこまでの動体視力はないだろう。ならば何故拳がいなされているのか。
「はは、鋭いなあ。あのお寺の和尚さんに格闘技教わったって聞いたけど、へえ! 悪くないよ!」
柳のように揺れ、へらへらと笑う口元をそのままに、永藤の盾は次々と大護の拳をさばいていく。連打する中には踏み込み腰を回したストレートも放った。だがそれでも盾がわずかに傾いただけで打撃の突進力は殺されてしまう。
もう言い訳もしようがない。これだけの拳の数をほとんど打ち落とされている。これは繰り出される拳を見てから合わせているわけではない。
相手の拳のリズムを掴み、息を探り踏み込む足の距離も体感で感じることが出来る……つまりは、大護の動きはほんのわずかな拳の数だけで、完全に見切られていた。
「このぉ!!」
頭に血を上らせていてどうにかなる相手ではない。だが大護は苛立ちを声にして叫び、力任せの右回し蹴りを放つ。力任せの一撃は、特に永藤を動かすことなく、「おっと」と軽く盾を沿わせただけで弾かれてしまった。
「俺はあの和尚さんは知らないけどさ、教わっているのは確か空手の類いなんだろ? 格闘技って言われてもピンとこないけど……それはお前がたいしたことないの? それとも格闘技自体がたいしたことないの?」
「……」
「いや、違うね。俺も手合わせした中にも格闘技経験者はいたし現役の選手もいた。なのにお前は俺に一撃も与えられなかった。これが何故か分かる?」
いつの間にか永藤の顔から笑みが消えていた。つぎはぎだらけの呼吸と、大きく肩を上下させる大護は、それでも次の一撃を狙っていた。だが。
「お前が弱い。お前自体が弱いんだ。技術面の問題でも『スティグマ』の性能差でもない。言い訳できないほど、お前が弱いから俺にかなわないんだ」
何を、と怒鳴りそうになる自分がいかに図星を疲れ戸惑っているのか。大護は言葉を飲む混む瞬間何故か妙に冷静になれた。
ああ、これは負けたからだ。負けたと思ったから、思考は次へと動こうとしている。つまり、この一戦では、大護は大敗したという事実がのしかかる。冴えた敗北と認めたくない現実が双方にのしかかり、息が……呼吸が上手くとれないでいた。
「何をしているの!」
入り口から女子生徒の叱責が飛ぶ。大護は肩越しに振り返った。もう今は、崩れ落ちた膝を立てる気力もない。女子生徒……咎原ししねは歩幅を大きくとりリングへとたどり着いた。
「……永藤くん。時間外のリング稼働は禁止されてるはずよ」
「おっと、もうそんな時間だったか。いはやは後輩への指導に熱が入ってねえ?」
ね? と笑う永藤の顔を見上げることは出来なかった。
「まあおかげで良いテストになったよ。リングはもうバッチリさ」
いつの間にかリングフィールドは解除されていた。それにどうこう言うまでもないだろう。確認するまでもなく、大護の敗北が記されているだけだ。
「ああそれと藤崎、お前……妙に明智に肩入れしてるみたいだけど、同情だけならもう関わるな」
この試合を始めるきっかけになった名前にはっとなり、大護はリングを降りた永藤の背中を目で追った。
「てめえの『スティグマ』一つ飼い慣らせないようじゃ……いや、その現状に甘んじてるようじゃあ、なんの進展もない。もう周りがとやかくいう時でもないんだ、あとは当人が前に出るしかない。……まあその場合」
振り返る様子も見せない永藤は、ノート型パソコンをさっさと鞄に納め、帰り支度を終えていた。
「俺は俺なりの評価を与えるよ。何事にも大してイーブンでいる。それが俺のスタンスだ」
「な……何を勝手なことを言って……」
「難しく考えるなってことさ。ま……もう当たり前になってるんだろうな、明智の中じゃ」
言葉の最後、永藤はまるで砂利を奥歯で潰したような声を残し、第二体育館を去って行った。
『スティグマスペース』から出てきたリリアンも、ししねもどう声をかけていいか戸惑っている。大護はリングのマットに膝をつきうなだれていた。
狙いはそもそも『オケリプ』の競り合いではない。永藤の目は、もっと奥を見据えていた。ただカッとなって突っかかっただけの自分とは違い、永藤の精神は強く安定していた。目の前のことだけに囚われていない、冷静で本質を見抜く慧眼を持っていた。
「負け、た……」
あらゆる意味で、永藤は遙か先を歩いていた。マットについた膝がひどく重く、まともに持ち上げられる気がしなかった。
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