11:忍び寄る仮面と迎撃の令嬢

「明智さん、のお知り合い?」


 明智翠子。その人物を知るため、大護と『インデコ』の中で身を潜めているリリアンは思い切った行動を取った。明智翠子がの教室を訪ねた。

 まだ放課後を迎えたばかりの教室には数人の生徒が残っていた。当人……翠子の名前を出してみると、ドアの側まで出てきてくれた二年生の女子生徒、そんな言葉を口にした。


「あの……えっとそちらは……」

「ああ、私は倉木涼子と申します。どうぞよろしくお願いいたします」


 こちらの意図をくみ取った心と静かに一礼する仕草は、上品であり優雅さを許なったものだった。


(も、もしかして本格的な「お嬢様」?)

(その程度で気圧されるでない。情けないぞ大護)


 心の中でリリアンに突っ込まれながらも、大護はぎこちない自己紹介で返した。ししねにも淑女たる立ち振る舞いを見ることが出来るが、こちらは令嬢といったものか。仕草一つ一つが体に染みついている。


「それで、明智さんにご用とは何でしょうか」


 凜とした佇まいに雅びなはにかみで、気品そのものが体全体を包んでいる。ただ話すだけでも気後れしそうだ。

 だが、それだけに言葉の裏に潜んだ異物は分かりやすかった。柔和な笑みの奥底ではこちらを警戒する眼差しを向けていた。それだけ、「明智翠子」というキーパーソンはデリケートなものだという認識を改めさせた。


 この人は、きっと明智翠子という人物に近しい存在だろう。イジメに苦しむ人物をどう思っているか……それは用心深くこちらを伺う姿勢から現れていた。決して好奇の目では通さない。番人の気質がそこにあった。


「部活の後輩です。様子をお伺いできれば、と思いまして」


 努めて丁寧に返したつもりだったが、ぼろを出さないようにするのが精一杯だった。後ろめたさすら覚えそうになりながらも、要点だけを出した。余計な言葉の装飾は慣れないものであり不要な疑いをもたれかねない。


 その姿勢が届いたのか、若干の間を置いてから倉木涼子はこくりとうなずく。


「その様子ですと、明智さんが今どうしているかご存じですね」

「聞いただけの話ですが……自分としてもじっとしていられなくなりまして」


 ここでししねの名前は出せない。あくまでこれは独断行動だ。ししねにも迷惑をかけるかもしれない上に大護自身の説得力もなくなる。あくまで自分の意志で……それが大前提のクラス訪問だった。


「……分かりました。私もいつまでもこのままでいい、とは思っていません」


 唇にかすかな笑みを残し、倉木も心を決めたようで強くうなずいた。大護もその言葉で肩の力が抜けて、自然と口元がほころんだ。


「幸い、今日のプリントを明智さんのご自宅に届ける用事がありました。では、ご同道お願いいただけますか?」


□□□


 学校から徒歩十分という道すがら、大護はこの倉木涼子という少女から明智翠子の様子を聞くことができた。


「……私も言い訳できたものではありません。一年生の時もクラスメイトでありましたし、もっと早く行動に移すべきでした」


 イジメとは、かなり陰湿なものだったらしい。人の目には映りにくく、教師側も何も出来ないまま登校拒否になってしまった。


「どれだけ彼女が孤独で心を苦しめていたかと思うと、自分の無力さに情けなくなります」


 深く息を落とて言う倉木の横顔には、暗い影がかかっていた。


「仲、よろしかったんですね」


 そこまで心を痛めている様子は、クラスメイトという枠にだけ投じるものではなかった。大護は合いの手を打つが、そんな言葉も出てきてしまう。


「本当の親友でしたら、独りにさせる前に何か出来たはずです。無念、その一言ですね……」


 無理に笑みを作って見せたのだろう、しかし憂いの色はとれない。


(……)


 ともに下校してから、リリアンは黙ったままだった。ただ大護が倉木の言葉を聞き漏らすまいと集中していたからか。心の中に浮かぶリリアンは腕を組み、じっと倉木に目を向けているようだった。


(どうしたの?)

(いや……どうにもな……)


 倉木との会話を続けつつも、今度はリリアンの言葉に耳をかたむける。


(しおらしいというか、責任感が強いというか……)

(それだけ明智さんって人を心配してるんだろう、良い人じゃないか)

(そうなのだが……うーむ)


 リリアンにしては歯切れの悪い返答だ。何が気にかかっているのだろうか。


 そんなやりとりをしていれば、徒歩十分はあっという間の道のりだった。一戸建ての家が建ち並ぶ閑静な住宅街だった。ほんのりと赤さを出し始めた空の色が、真っ暗な窓を照らしていた。しかし、その中にまで光は入り込まない。


 倉木がチャイムを押すが返事はなかった。ここに来るまでの間で聞いたことだったが明智翠子の両親は共働きで夜が遅いらしい。何度目かのチャイムにも返答はなく、倉木は大きくため息を落とした。


「仕方ありませんね……郵便箱にでもプリントを入れておきましょう」


 倉木がくたびれた笑みで言う。無理に押し入るわけにもいかず、接触は出来ない……何か策を立てなければここから先は難しそうだ。


「藤崎さんも早めに帰宅してくださいね。最近、物騒な噂が出ていますから」


 物騒、とは昨夜の出来事だろうか。不意に思い出してしまった威圧感に鳥肌が立ってしまう。何も描かれていない仮面、大きく広がる羽根。そして、手に持っていた巨大な弓と矢。

 刃とも鈍器とも言える、コンクリートを打ち割った刃先を持つ矢には、体が恐怖を覚えていた。


「そ、そですね……日が落ちる前に帰ってしまえば後は……」


 ぎこちない声で返す。まだ時刻は夕暮れを迎えたばかりだ。闇に羽ばたく細長い影に怯える時間ではない。


(……結局その『仮面天使』との関連も分からなかったな)


 帰るか、と大護も息を落とした。今は明智翠子と接触がとれなかった以上に、倉木涼子のお嬢様対応に気疲れしていた。一度帰って対策を練り直すか……。


 そんな思案を打ち抜く、抜き身の殺意。


「……!?」


 体だけが反応していた。精神は置いてけぼりを食らっている。何が起こったと身構える前に倉木の前に立ち、肉体が思い出した恐怖が膝を震えさせた。


「え……」


 後ろで倉木の声がかすれて聞こえた。

 夕焼け小焼け。物静かな路地に落ちる長いシルエットは、当然のように電柱の上に立ち、その長身以上の長い弓と矢を赤い空に掲げた。


「……なん、で」


 いや、何もかもあったものではない。「夜に出る」、そんな噂がいつ確定事項になっていたのだ。相手の素性など不明であり、なおかつそれは『』なのだ。


 こちらの常識に合わせる必要などない。存在そのものがすでに常識の枠を壊しているのだから。


「……『ハリー』……っか!」


 仮面からは何も読み取れない。だがにじみ出る気配からは、獲物を狙う猛獣のような殺気が吹き荒れていた。


「あれが……」


 倉木も噂は知っているはずだ。だがこの獰猛さからどうかばえばいいか……そもそも戦う手段も持っていない。


「あれが、『ハリー』なのですね……」


 後ろにいる倉木は、落ち着いた呼吸で言葉を唇からこぼした。


「知ってるんですか!?」

「私も、一応プレイヤーです」


 と、一歩前に出て大護に並んだ倉木はスマートフォンを取り出す。それは『インデコ』として人気の高いモデルのものだった。画面に触れると、数値やメーターなどのステータスが浮かび上がってくる。


「あくまで趣味、ですが……この噂も、明智さんの『スティグマ』のことも知っています」

「え……!?」

「明智さんとは付き合いがあります。放課後第二体育館にお邪魔して試合をしたこともありました」


 倉木はスマートフォンの画面を何度かタップさせた後、周囲の赤を青く透明で、巨大な水槽のようなフィールドが広がった。リング外で設定出来る、クイックマッチのリングであった。


「く、倉木先輩!?」

「そしていつか、闇夜を飛ぶかう『彼』とのこともあるだろうと視野に入れて起きました。このリングはそのための特別製……『スティグマ』であろうとこの場では条件は同じです」


 水槽の上限は、高くそびえる電柱の上にまで達した。拘束具を思わせる体が、広がった青の大気に包まれていく様をただ黙って不動を保っていた。


「特別製、ですか!?」

「申し訳ありませんが、手を貸していただけませんか」


(大護)


 倉木とほぼ同時にリリアンが心の中で声を漏らした。


(な、何!?)

(……この倉木という女から目を離すな)


 天井で作られた『スティグマスペース』は二つそろっていた。大護の『スティグマ』と、倉木の『スティグマ』のための管制室である。セッティングは特に変わりないクイックマッチの仕様と思われた。


(今はしのぐ。その間もよく見ておけ)


 それだけ言ってリリアンは『インデコ』から『スティグマスペース』へと飛び立っていく。


「あら、可愛らしい『スティグマ』ですね」


 倉木のスマートフォン型『インデコ』からは、長く白い翼が膨れ上がり、猛禽類の足と人型の上半身を持った『スティグマ』が現れる。


「私の『スティグマ』は「ダブリスアンカー」。一応天使の『スティグマ』です」


 大きく翼をはためかせ、「ダブリスアンカー」は『スティグマスペース』に吸い込まれていく。巨体であったが、『スティグマスペース』内に収まるよう自然と体は小さくなる。


「この『ハリー』は暴走しています。イジメでそうなったのか、詳細はまだ分かりませんが……特にあの弓矢に気をつけてください!」


 そう言い放った倉木には、一振りの槍……だろうか。例えるならそれこそ矢のように見えるものを持って構えた。


(目を離すなって……リリアンは何だってそんなこと……)


 思考を巡らせるが、相手は待ってくれないらしい。

 『ハリー』は電柱から羽根を緩やかにはためかせながら地面に降り立ち、無言で弓矢を構えた。


「考えてる場合じゃない、か……」


 射殺す殺気を放つ「ハリー」に、こちらの事情をくんでくれる理由などなかった。


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