第二章:天使症候群 -episode:明智翠子-

09:夜気を揺らす彷徨いの弓矢

 外に出なくても、今はSNSが発達しているため何が起こっているか、把握することは容易であった。


「マジであの『仮面天使』が出たってか?」


 そんな書き込みからずらりとリアルタイムで話題が広がっている。


「去年もだよね。その天使に撃たれると、羽根をもぎ取られるって」

「いや羽根じゃなくて、羽根があったみたいに背中を引き裂かれるって聞いたよ?」

「なにそれ。一度矢を撃ってる理由なに? それとも背中にささるの?」

「呪いみたいなのじゃね? だって仮面つけてる天使が夜な夜な飛ぶなんて、前提からして非常識じゃん」

「被害者また静仁の奴ら? 狙われてるの?」

「ひどいイジメがあったって去年聞いたよ。それでそいつが使使してるとか」


 ブツン、とモニターが光を落とし、薄暗い室内を照らす光はまた一つ消えた。

 分厚いカーテンで窓は遮られ光はじんわりとしか漏れてこない。床に落ちているものは漫画から参考書、辞書に小説。一応の役割を果たしているゴミ箱にはスナック菓子の袋がぎゅうぎゅう詰めになって膨らんでいた。


「……天使……天使……」


 椅子に座り膝を抱えていた人影がぼそりぼそりとつぶやきながら机の上で傾いていたスナック菓子を無造作に掴み、口に入れてほおばる。


「……ごめんなさい、『ハリー』……」


 スナック菓子を咀嚼しながら、伝ってくる涙を拭おうともせず、更にスナック菓子にがっつく。


「あなたを苦しめてるのは……私なのにね」


□□□


 高校生活一日目。クラスでの自己紹介は昨日の入学式の後に行われていたようで、それをすっぽかした大護だけが目立つ自己紹介となった。

 そのせいか、もしくはこの学区内より外から来た人間だからか、やたらと質問攻めにあう。昼休みはこれだけで消化されそうだ、大護は苦笑しながらも一つ一つ答えていき、


「そういえば昨日誰か見た? あの『仮面天使』のこと」


 話題ついでに出た言葉に、その場に集まっていた数人の関心は大護から『仮面天使』というキーワードに移った。


「もうSNSじゃ話題持ちきりだった」

「もう『犠牲者』、出たって。やっぱ背中に傷あったらしいし」


 賑わう様子に大護はきょとんとしていた。何事かと聞く前に、一人の女子が大護に水を向ける。


「藤崎くんは知らないかもね。去年も出たの。『仮面天使』っていって、夜に現れ弓と矢で人を襲う……通り魔、みたいなものかな」


 ただの通り魔、だけではそれだけの噂にはならないだろう。大護が気になっていた言葉は『仮面天使』というものにあった。


「その仮面って、何かな」

「言葉通り仮面をかぶってるの。それに大きな翼があって、夜空を飛んでいく……その矢に撃たれた人は背中に大きな傷跡が残るってもっぱらの噂かな。その傷跡はまるで羽根がもぎ取られたような、肩甲骨の近くに外傷があるって聞いたよ」


 かなり具体的な情報だ。それらの話題がそろっているのなら、正体ぐらいつかめていそうなものだが。


「誰もその『仮面天使』っていう存在の正体が分からないの?」

「あー、これも噂程度でしかないんだけどよ」


 大護が疑問を投げかけると、男子生徒が腕を組みながら答えた。


「去年すっげえイジメがあったんだって。イジメられてた人はもう登校拒否。イジメてたグループは女子のグループらしかったけど、結構きかせててうかつに止めに入る人もいなかったってな」

「あ、それ私も聞いた。それからなんだよね。……『仮面天使』の噂が出始めたのって」


 そうなると、自然と浮かび上がる犠牲者は……イジメを行っていたグループの女子生徒たちとなるのが自然だ。


「出始めて……それで、どうなったの?」

「ああ、その人ら……去年の一年生だけど、イジメグループの生徒たちはみんな『仮面天使』に矢で撃たれたってさ。背中には話題にあがった通り、羽根をもぎちったような傷跡付きだよ」


(……やたら聞き入ってると思えば、剣呑な話よな)


 心の中からリリアンの覚めた声が聞こえた。


「……気になる、かな」


 周囲にもリリアンにも返事をするつもりでぼそりつぶやく。リアクションはリリアンよりも集まっていたクラスメイトたちの方が先だった。


「止めとけって、マジで。同じように好奇心で首突っ込んだ奴もしばらく学校に来なくなった……なんて話もあるんだぜ? ここでゴシップよろしく他人事で話の種にする程度が丁度いいさ」


 返事を返してくれた男子生徒は先ほどから多弁にしゃべっているクラスメイトだった。名前は確か、大木とか言ったか。情報をもってそうだ、と判断し大護は話しかけた。


「あのさ、去年にそんな事件があったのは分かったけど、なんで今になってまた?」


 くいくいと大木の服を引きながら言う。大木は振り返りながらまた腕組みをして唸るように言う。


「それなんだよな、また話題にあがった理由って。もし『仮面天使』がいじめられてた生徒に関わってるとして。去年にイジメの復讐をしたが、今になって動こうってなるとまたイジメの犯人たちに襲いかかる……やつがいるとなれば、なんで一年も間を空けてまた出たのか、理由が分からないよ」


 いじめられていた生徒が『仮面天使』などという不可思議な存在を操っているかのような話だ。だが、少なくとも無関係ではないだろう。


 話が一度落ち着いたタイミングを見計らってか、午後の授業の開始チャイムがなる。クラスメイトたちは足早に自らの席へと戻っていった。


(何だ、大護。首をつっこのか?)

(単なる好奇心でもあるけど……これ以上は立ち入っていい問題じゃないかな)


 なにせ発端がイジメにあるらしい。そこに土足で踏み込むのはあまりにもデリカシーがないと言える。大護は頭を切り替えて、授業に専念した。


 就業まで勉学に取り組み、あっという間におわりを告げるチャイムがなる。教室中、校舎全体がにぎやかな活気を取り込んでいた。


(大護、今日はどうするのだ?)

「今日から正式に部活動が開始されるから、『オケリプ』部に行くよ」


 今は先ほどの噂などすっかり忘れ、これから始まるであろう『オケリプ』での生活に大護は胸を躍らせていた。そのせいか昇降口でリリアンに返す大護は声に出して言う。

 何のことだかと集まる周りの目を気にしていない。浮かれているなぁとため息をリリアンがついたのを感じる。

 まあそれも今では勘弁してもらおう。


 果たしてどんな活動内容になるのか。基礎からの運動練習か、早速『オケリプ』のリングで指導が行われるのか。どんな内容だろうが胸が踊る。


 だったのだが。


□□□


「……リングとシステム面での緊急メンテナンス……」


 夕暮れも影を潜めだした公園の一角で、大護はベンチに座り深いため息を落とした。


「たいした落ち込みようだな。見ておれん」


 ふわりと風を纏い、『インデコ』の中から姿を現したリリアンは、がくりとうつむいている大護の頬を引っ張る。


「ひ、ひひゃい!」

「たった一日訓練できんだけでテンションどん底はうっとうしいぞ」

「ふえー……」


 半分涙目になりつつ、大護はパタパタと足を上げ下げしてだだをこねる。


「楽しみにしてたのにぃ……」

「だからといってこんなところで落ち込んでいてどうなる。もう日も暮れた。そろそろ帰宅せよ」

「はあ……」


 重たいため息を残しながら大護はのらりと体を持ち上げた。

 期待していた分だけ反動が大きい。気のせいか、足まで重く感じてしまう。自分の体を引きずるようにして足を動かした。公園の街灯が作る影にでも沈んでしまいそうだ。


 とぼとぼと視線を地面に落として歩く。自分の影は代わり映えしない。ただでさえ低身長なのにこうも背中を丸めていると更に小さく見えた。

 街灯が作る、ささやかな明かりに差し込んできた細長いシルエットと比べたら、より一層小さく思え……


「大護!」


 リリアンが叫ぶと同時に大護は横に低く飛んで地面を転がった。立ち上がる前に派手な音が耳を打つ。視界が遅れて目の前の出来事を認識した。


「これ、は……!?」


 長くしなる芯は衝撃を吸収仕切れず振り子のように揺れていた。地面につき立っている「飛来したもの」は棒状のものだった。

 コンクリートを穿った先端の無骨な刃と、柄に当たる部分が「矢羽根やばね」と呼ばれる装飾を施していたことで、その棒状のものは「矢」なのだとかろうじて表現できた。


 だが「矢」にしては大護の想像を超えている。

 地面を割る刃をどう例えればいいか。大護には「牙」に見えた。しかしその大きさを考えると、何の口に収まっていたのか想像するだけでスケールの大きさに震えが来た。本能が恐怖を刺激している。食い込んだ「牙」は人間の頭よりも一回り大きい。

 それが並ぶ口があるとすれば、短身の大護などひと飲みで終わるだろうと思われた。


「大護、構えよ!」


 リリアンの声が、恐怖心で麻痺しかけていた体に突き刺さった。

 地面を蹴って飛び上がり、荒くなる呼吸をできるだけ抑えようとするが、まだ体には恐怖でしびれる毒が残っていた。


 構えろ、とリリアンが険しい視線を送る先……街灯の上にそびえる人影は、こちらが驚くまでの様子を見守るかのように、ただ佇んでいるだけだった。


「人……じゃない」


 全身の毛穴が泡立つ。

 夜空に長く伸びる人影は、かなりの長身に見えた。すらりとした手足は白い包帯に包まれていた。胴体にも無規則に包帯が走り、まるで拘束具を身に纏っているような白い影だった。

 顔には仮面。目も鼻も口もかかれていない、能面であった。

 『仮面天使』。昼間聞いた単語がよみがえる。


「こいつ……この感覚は……」


 ゆらりと無造作に下げていた腕には、長身をも遙かに超える「弓」が握られていた。赤い錆をしみこませたなめらかな胴の反り返りが、大きく口を開けた化け物の顔を連想させる。

 先ほどの矢は誰が放ったのか……考えるまでもない。喰おうとしていたのだ。あの口からはなった牙で、コンクリートを粉砕する威力のものを発射した。


「大護、此奴こやつは……」


 ごくり、と喉が硬くこわばり息をうまく落とせなかった。

 だが言葉に出来ずとも分かる。同意に意志は伝わっているだろう。ひしめく異様な空気の密度が、互いに畏怖しあう者通しの気配をつないでいた。


此奴こやつは、我と同じ『スティグマ』であるぞ!」


 『仮面天使』の背中から黒に染まる翼が広がった。猛禽類を思わせる羽根は『仮面天使』の身長を軽く超え、夜空そのものを飲み込もうとしていた。

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