08:始まりの鐘がなる

「あなたは、一人じゃないよ。人間はね、そう簡単に一人には……孤独にはなれない。だから、私はあなたの側にいるね。あなたは一人じゃない。……側にいるから。ずっと、ずっと」


□□□


 静仁高校には二つの体育館がある。

 一つは通常の……行事を行うための体育館。放課後や体育の授業ではバレーやバスケットなど、部活動にも使われる。どこにでもある体育館だ。

 だが、もう一つの体育館……第二体育館と呼ばれるものは別物だった。


「……ほええ……」


 間の抜けた大護の声が高い天井に登り霧散していく。

 第二体育館は広く円上に作られ、中央には『オケリプ』のリングが設置されていた。壁には電光掲示板。そこには試合中の選手の細かいパラメーターが表記され、逐次情報は更新される。ギャラリーにも分かりやすく、選手たちにも自分の状況を客観的に見ることができる目印だ。それは正式な試合場でないと見られない設備だった。


 リングの側まで歩き、第二体育館を見回す。リングの他には田舎のジムよりも豊富で優れた運動機器やトレーニングマシーンなども備えられており、やはり強豪校、何よりも『オケリプ』に力を注いでいるのだと改めて実感出来た。


「あら、見学の方かしら」


 凜と澄んだ声が大護の目を入り口へと向けさせた。

 そこには一人の女子生徒が上履きに履き替え、首からさげたタオルで汗を拭い、額にかかった前髪を軽くかきあげる。


 その仕草があまりにも美麗で、ふぅと吐き出された息は爽やかな春の風を纏っていた。


(び、美人さん!)


 思わず硬直してしまった大護に、その女子生徒はきょとんと小首をかしげていた。

 整った顔立ちにすらりと伸びる両手両足、身に纏っているものはこの学校の野暮ったいジャージなのだが、それすらもマストアイテムに変えてしまうスタイルの良さ。

 無造作に後ろの束ねた黒髪は美麗な容姿に反して愛らしく、アンバランスではない。


「って……ああ! も、もしかして咎原ししね選手……さん、ですよね!」


 大護が興奮気味に鼻息を荒くし、輝く目に少女を映し出した。その様子に少女は慣れたものだろうか、くすりと笑みで流し「ええ、そうよ」と女優のような優雅さでうなずいた。


(……大護。誰だこの女は)

「誰ってこの静仁高校のエースにて二年連続で個人の部優勝、去年は団体戦準優勝にまで導いた「天才」咎原ししねさんだよ!」


 何故かむすっとしたリリアンの声に、大護は大はしゃぎで言葉を吐き出す。


「あの……その通りで少しくすぐったいのだけど、一体誰とおしゃべりを?」


 『インデコ』に話しかける大護の姿を奇妙に思い、ししねは戸惑った表情になっていた。

 それに応えるかのように、ふわりと風が『インデコ』の中から浮かび、四方に強く羽ばたく翼の風圧を飛ばしながら、リリアンは姿を現した。


「まあ! もしかして、『スティグマ』なの?」


 驚く様にも優雅さがともなう。咎原ししねの驚きの声に、リリアンはとびきり目つきを荒くして向き合う。というよりも、にらんでいる。


「『スティグマ』が自分の意志で『インデコ』から飛び出すなんて、珍しいわね」

「別に見世物みせものではない。そう不躾な視線をよこすな、無礼である」


 無礼はどちらだ。大護は慌ててリリアンに謝るよう促すが、咎原ししねは苦笑して首を横の振り小さくうなずいた。


「ごめんなさい。物珍しげに好奇心だけであなたを見てしまったわ。あなたにも一つの意志がある……一つの魂なのに、そこを軽んじた私が悪かったわ」

「ぬ……す、素直でよろしい……ゆ、許す……」


 まっすぐにリリアンと向かい合う咎原ししねの瞳に、リリアンはたじろぎながらぷいとそっぽを向いた。その不機嫌面に大護は何度か咎原ししねに頭を下げた。


「いいの。それより……今朝は大変だったわね」

「え……?」

「私も遠くからだけど、見てたの。岸下コーポレーションの一人息子の人とのクイックマッチ。……私も、有原先生と一緒に見てたの」


 そう言うと咎原ししねは「ごめんなさい」と深く頭を下げた。


「助けに入れなくて……理由はどうあれ、私にはあのバトルに介入すべきだった義務がある。一般人のあなたを危険にさらしたことは言い訳できないわ」

「え、ええいや、その……」


 心から悔いるような口調に下げられた頭からの表情は、見たくても想像がついた。しかし、言葉から意味をくみ取ると、大護は一つの答えにたどり通いた。


「あの……咎原さんももしかして……『オケリプGメン』、ですか?」

「有原先生からは説明があったのね……。その通り、まあここの部長と兼ねて、だけどね」

「もしかして、他の部員さんたちも……?」


 思わず辺りを見渡すが、誰もこの第二体育館に入ろうとする気配もなく、閑散とした空気のままだった。


「……去年までは、ね。実は今、部員は私含めて三人しかいないの」

「え、三人!?」

「一人は普通の部員、もう一人は……私と同期だけど、『オケリプGメン』なの」

「え、でもそれじゃ試合どころか今年の大会とかは……」

「今のところ絶望的ね。離れていったみんなが戻ってこれば、静仁高校の部活動としては活動できるのだけど……」


 咎原ししねは肩を落とし、憂いをよせた眉に現せる。

 『オケリプ』の大会は個人の部は一人から、しかし大会の華となる団体戦は五人いなければ参加どころか試合にもならない。

 今大護が駆けつけて入っても一人足りない状態だった。


「離れた人たちって……呼び戻せないんですか」


 無駄と分かりながらも聞いてしまう。この学校の『オケリプ』は特殊だ。有原からの説明があった通り、現役の『オケリプGメン』も目の前にいる。そんな環境下の中で離れてしまった、となれば個人の事情どころではないのかもしれない。


「手は尽くしたわ。でも、私からじゃ……」

「……」


 静まりかえる第二体育館の空気が沈黙に浸され、遠くに耳鳴りを感じさせた。しばしの間、音すらも吸収してしまいそうな空気に当てられていた大護であったが、そこに「ふん!」と荒い鼻息で沈黙を破ったリリアンの声で顔を上げた。


「そろいもそろって何を暗い顔をしておるか! 策が尽きたのならまた別角度からの策を練ればよい!『オケリプ』強豪校の名が泣くというものだ!!」


 突然の叱責に、落雷でも浴びたかのように咎原ししねと、大護もびくりと背筋を正した。


「何があって諦めムードになったかは知らん。だが貴様らは『オケリプ』がしたいのであろう? 戦いたいのであろう? ならば戦え! !!」

「り……リリアン……」


 翼をはためかせ、青い風に乗りながら、リリアンは咎原ししねの側まで舞い、腕を組んでふんぞり返る。


「貴様からでは無理、と申したな」

「え、ええ……私のやり方が頑なだったのだと思う。もう口も聞いてもらえない状態なの」

「よろしい、ならば選手交代だ! 大護!」


 ビシ!っと指を向けてリリアンは厳しい口調のまま大護に発破をかけた。


「お前はここで『オケリプ』をやりたいのであろう、そのために来たのであろう。それが『オケリプGメン』だろうが何だろうが同じこと。ならば己の願いを叶えるため、離れていった連中をお前が説得していけ!」

「……!」


 さっと目が覚めるかのような風が吹き上げた。穏やかな春の気温の中にもまだ残る冬の残花が最後の芽を出したかのように、大護の体の中で芽吹き始めるものが生まれる。


 それは鳥肌にも現れ、どくりと脊髄がエネルギーを拾っていく。


「咎原先輩……」


 リリアンの突然の叱咤にまだ固まったままの咎原ししねは、その両手を大護に握られるまで動けずにいた。


「僕が、なんとかします! ここで『オケリプ』やりたいから……それに見てみたいんです。離れていった人たちの……『オケリプGメン』の本領を!」

「……私たちの、本領……」


 大護の言葉をなぞるかのようにつぶやき、しばし揺れていた瞳はやがて静寂な水面へと戻っていく。


「でも、いいの? もうこれであなたは普通の部員として活動出来なくなる。『オケリプGメン』としての仕事も優先される。危険もともなう……いえ、聞くだけ野暮な話みたいね」


 大護の手を握り返し、咎原ししねは大きくうなずいた。


「お願いするわ。みんなを連れ戻してきて。そして私たちの『オケリプ』を始めましょう!」

「はい!」

「それと、私のことはししね、でいいわ。そう呼ばれるほうが嬉しいの」

「じゃあししね先輩、早速行ってきます!」


 そう言うと大護は大急ぎで第二体育館出て……。


「……もうその人たちは下校していますよね……部活に出てないのであれば……」


 およそ五分で帰ってきた。


「……まず誰なのか聞かずに飛び出す時点でもうアウトだな」

「でも意気込みは頼もしいと思うわ」


 苦い顔をするリリアンに、ししねはくすりと目を細めた。

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