06:精密失墜


 まだ朝の水気を残した空気に大きな羽根が空を打ち、岸下を加速させた。燃える剣を横に構え、火の粉を散らす一撃は空振りとなる。大護が素早く後ろへと飛び、剣の届く範囲から脱出した。


「っち! ちょこまかと!」


 苛立ちを隠すこともなく、うなり声とともに斬りかかろうと岸下は剣を真上から真下へ落とす。鈍い金属音が地面をたたき、風圧が燃える刀身をしびれさせた。


「っふ!」


 半歩下がり垂直に降られた剣を紙一重で回避した大護は、岸下が次の行動に移る前に右拳を握り、『速度アップ』で加速する一撃を甲冑と鉄仮面のわずかな隙間に放つ。

 だが、拳は鎧よりも更に手前で弾き返された。その瞬間、岸下はにたりと笑った。


「おらぁ!」

 

 剣をなぎ払うように横へと流し、大護を更に後ろへと追い詰めた。大護の背中にはリングフィールドが壁となり、真正面からくる岸下の攻撃をしのぐ選択肢が一つ消えた。


「っへ! さっきからペラペラと『サポートスキル』云々言ってたな。それに俺が疎いと思ってたか? 残念、自分の使う『サポートスキル』ならその機能は把握済みだ」


 岸下の鎧を打った右手が鈍く痛む。速度を上げた状態で放った拳だった。返ってくる反動は倍になり手の甲をその分だけ痛めた。打った拳から感じられる痛みは、ただ相手が固いだけではすまない分厚い障壁を打ったような手応えだった。


「知ってるのはお前だけじゃねえ、『攻撃力アップ』系統の『サポートスキル』には必ず『付属効果』が発生する。俺のような剣での一撃を出すなら、踏み出す足や伸びる腕も一瞬だが無防備になる……だが、そこを自動的に保護する『付属効果』は弱点をカバーする。スキルを使ったと同時にな」

「……」

「今もてめえが殴ったのは俺の甲冑じゃねえ、『攻撃力アップ』に付随する防衛のための『付属効果』だ。どうしても生まれる隙をカバーする。その強みを理解し駆使するのが実力者ってやつよ」


 大護は体から力を抜き、つま先でステップをとると横に飛び、リング中央へと出た。


「なんだ、ずいぶんおとなしくなったな。もっとおしゃべりしようぜ? 藤崎ちゃん」


 岸下は楽しそうに笑い、盾を前に迫り突進した。まともに防御すれば重量で押しつぶされ、横に回避しても盾の後ろに控えている剣が出番を待っている。大護はバックステップで後退を余儀なくされる。またしても壁際、岸下は愉悦に浸る心をにたりと笑うことで表現した。


 炎を纏う剣を振りかぶり、身をひねって打ち出す大きな一撃が大護の足元で弾けた。大護の足元を狙った斬撃に触れる寸前、飛び上がって回避した大護はすぐさま腕と足を地面から見て垂直に伸ばした。岸下の肩につかまりリングの壁に両足をつけて、壁を蹴り上げる。大護の膝が、振り下ろした岸下の脇腹に突き刺さる。


 しかしそれも固い手応えだけで終わった。岸下が振り返りと同時に放った真横の斬撃を後ろに飛んで回避するが、ペースはあくまで岸下の元にあった。

 斬撃を避けられてもゆっくりと構えを直し、飢えた猟犬のような目で大護を視野の中に捉える。


「……逃げ回るだけか? だんだん苛ついてきたぜ」


 一歩岸下が足を踏み入れたと同時に、大護は速度をそのままに前に出た。『速度アップ』の補助を受けた大護の体はするりと岸下の盾をかいくぐり、掌底を作ると真上に腕を押し出した。


「だから無駄だって言って……」


 剣を振ろうと大きく刃をあげたとき、岸下の足下がもたついた。大護はすぐさまクロスレンジの間合いから脱出し、二メートルほどの距離で止まった。


「て、てめえ……まぐれ当たりがいい気になってんじゃねえぞ!」


 岸下が突進すると同時に、大護も前に飛び出した。互いの距離は『速度アップ』を身につけた大護がすぐさま間合いを縮める。岸下は迎撃のために刃を振りかぶるが、懐に入っている大護の方がもう一手早かった。

 先ほどと同じように、掌底を真下から打ち出される。

 バグン! と、鉄兜が激しく揺さぶられた。


「……!?」


 顎先を強打され驚きの声も上げられない。それも岸下は自分から走った分だけ勢いをつけ、大護の掌底を正面から受けた形となる。


「な、なんで……」


 かろうじて倒れるのを防ぐも、もたついた足はすぐさま攻撃に出られる状態ではなかった。バランスを整えることも難しく、おぼつかない足取りで、なんとか倒れ込むのをこらえた。


「確かに。あなたの言う通り全ての『サポートスキル』にはそれを補う『付属効果』があります。強烈な一撃も当たらなければ意味がないように、それを潰されないようケアする必要があります……しかし」

 

 大護が言葉を句切ったと同時に、剣を構えていた岸下の動きが鈍くなる。前に出ようとしたのか足を前に動かそうとするが、が上にあがらず、引きずる形で体が前のめりに上半身が傾いた。


「……!?」

「そのケアがどのぐらいのエネルギー負荷として体にのしかかるか……そこまで計算のうちでしたか? 攻撃主体のスタイルで『サポートスキル』を併用し、なおかつ防御の『付属効果』を発生させる……いえ、させられた」

「……何、だ……!?」


 岸下の膝が笑い始めた。ぐらぐらと揺れる頭から、鉄仮面がこぼれ落ちる。

 むき出しになった岸下の顔色は蒼白で、まったく血の気が見えない死体のような顔だった。


「普通に戦えば僕が負けていました。その『スティグマ』は高い攻撃力を持つオフェンスに優れたタイプでした。故に出力のメインは攻撃力。守りとなる『付属効果』が本領ではありません。通常の防御よりも特殊で高い消耗となってしまう……今あなたは状態です」


 怒声か、罵声か。何かを飛ばそうとしたのだろう。しかし岸下の唇は血の気をなくし、大きく口を開いても声は出なかった。かろうじて紐のようにか細い呼吸が漏れるだけで、ついには膝をついてしまう。


「何故『スティグマ』の単純な火力だけで勝敗まで判断してしまったのか。『スティグマ』の特性を活かし勝つための努力をしなかったのか。あなたは戦う前から負けていました。性能だけで見切りを付け、リリアンを使わなかった……それがあなたの敗因です」


 岸下の呼吸が激しく乱れ始める。何度かに渡る顎先への強打と、複数回において『付属効果』の防御を使用させられた疲労は、分かりやすい形で露見した。


「て……め! こ、この野郎……」


 からん、と手にしていた剣が落ちる。腕がしびれ、鎧がきしみを上げてこすれ合う。それでもにらみつける気迫は見る者を充分に威圧する。野次馬たちはこれ以上関わっては危ないと本能が知らせたのか、徐々に遠のいていき、人もまばらになっていく。


「リリアン、『攻撃力アップ』のスキルを」


 大護は表情を特に変えることもなく、ゆっくりと手を上にかざした。指は硬く握られ、固い拳を作る。「鉄槌」と呼ばれる、握った小指を底にして上からたたき落とすスタイルだった。空手や拳法などで用いられる拳の形だった。


「こ、の……! てめえ、これですむと思うなよ……何度でも狙ってやるからなぁ!」

「それでは約束を反故にすることになりますよ。試合前に快諾してくださったじゃないですか」

「なめてんのかてめえ! んなもん知るか! これが終わったらてめえをぶっ殺しにいくぞ!」


 大護の手が分厚い鋼で出来た手甲へと変わる。今度は防御重視の厚みではなく、鈍くぎらめく鋼鉄の塊。それはアイスホッケーのキーパーが装備するグローブに似た作りだった。


「一つ訂正します。先ほど「あなたは弱い」といった言葉を出しましたが、これは正しくない。あなたは、「未熟者」です」



□□□


「……終わりましたね」


 そうつぶやく頃には、女子生徒はスマートフォンで通報を終えていた。それをだまって少年教師は横で聞き流し、どよめきが渦巻く野次馬たちの様子を見ていた。

 岸下は気絶し倒れ、仲間二人はどうしていいものか混乱しているようだった。間もなく警察が駆けつけ、事態を収拾するだろう。


「彼の……藤崎大護という少年。彼の体技は……空手、ですか?」

「ああ。左文字和尚の空手は琉球の古武術に近いのだが打突を主とする実戦空手だ。彼があの寺で更生生活を送ること一年、だったか」


 少年教師は口の中で「しかし……」とつぶやく。


「更生生活……? 一年?」

「そこはいずれ本人から聞いてくれ。プライベートなことだからな」


 そう言って少年教師はきびすを返し、学校へとつながるなだらかな坂道を前にした。その後ろで、まだごたついている大護たちを見ながら、女子生徒は振り返ることなく口を開いた。


「ではその前に言いよどんでいた言葉……よろしければお聞かせ願いますか」

「……」


 サイレンを鳴らすパトカーとともに、警察官が駆けつけた。往来など人の出入りが多い場所でのクイックマッチを行うことは、原則として違反である。それ以上に、岸下たちの喫煙行為やバイクの違法改造なども警察に引っ張られる要因となるだろう。


「たいしたことじゃない。が……咎原。君の意見も聞きたい。彼の格闘を見てどう思った?」

「……無駄なく鍛えられていると思います。一年であそこまで身に染みつけるには、相当打ち込んでいたかと」

「……健全に見ればそうだろうな」

「健全……?」


 そこで初めて女子生徒……咎原と呼ばれた少女は振り返った。


「彼の打撃、体さばき、足運び……体術をこの目で見てはっきりと分かった。あれは空手ではない」


 少年教師も肩越しに振り返り、パトカーに乗せられる大護を見やって言う。


「あれは格闘技ではない。『暴力』だ」

「暴力……?」

「彼が相手に攻撃する際動きに無駄がないのは、「加害」することに慣れているからだ。『暴力』を振るうことに慣れた……そんな動きだな」

「……」

「警察への取り次ぎは俺がやる。彼の力……ここから先必要になる。我々の力にな」

「あの……有原先生」


 歩き出した少年教師、有原と隣に足早へと急いだ咎原は、やや困惑顔で言う。


「まさか、彼を?」


 見上げる有原教師は口元にかすかな笑みを浮かべてうなずいた。


「ああ。彼を我が校の『オケリプ』部活動へと招待する」

 

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