05:天翼の領域

 ―――藤崎大護:使用スティグマ『リリアン』・天属性、カテゴライズクラス『フェアリー』


 大護は短く息を吸って、とんとんとリズムを刻むように軽いジャンプを繰り返す。


 ―――岸下光太郎:使用スティグマ『アパルトジャックス』・天属性、カテゴライズクラス『天使』


 不敵不遜に笑う岸下の背景に、ふわりと大きな翼を纏う鎧姿が浮かび上がった。頭は鉄仮面で覆われ、手には剣と盾を装備している。


「……『天使』、か」


 若干大護の顔色が曇る。その様子は『スティグマスペース』にいるリリアンにも伝わっている。


『似合わぬことにな……だが強い。奴のバトルは何度か見たが、圧倒的だった』


 脳内に返ってきたリリアンの言葉に、でしょうねと大護は苦笑いする。

 『天使』のカテゴライズクラス……どのプレイヤーでも対戦したくない相手ベストスリーに入るクラスである。

 その理由は他でもない。


「んじゃあ行くぜ!」


 天使の翼が岸下の背中に吸い込まれ、甲冑そのものが岸下を覆う。右手には剣がかかげられ、距離五メートルをあっという間に詰めた。天使の羽根の羽ばたき一つで肉迫出来るスピードを持つ。


「っ! 『速度アップ』!!」


 大護は身を引かず背中から倒れるよう、岸下の突進をのけぞる形で回避し、身をひねって横に脱出した。三回地面をはねた背中が痛い。だがすぐに立ち上がらなければ追撃のチャンスを与えてしまう。


「へえ……それなりに慣れてるみてえじゃねえか」


 鉄仮面で包まれた岸下は、鋭い猛禽類を思わせる目を光らせた。その背後にはぶわりと大きく膨らむ天使の翼が広がっている。


 『天使』クラスとのバトルにおいて常に悩まされるのはそのフィジカルの強さである。


「じゃあもっともっと遊ぼうぜ!」


 またしても翼が空気を穿ち、岸下の突進を後押しする。

 今度は回避が間に合わない。大護は『防御力アップ』のサポートスキルを反射的に使用オーダーした。リリアンからはほぼ時差なく大護の腕に分厚い強固な手甲が授けられる。

 おそらくこれが『防御』のサポートスキルの中で秀でたものだろう。形となって現れる手甲を十字に重ね、大護は真上から打ち込まれた剣の一撃を受け止める。

 剣の刃と手甲の表面がいがみ合い、いびつな金属音が耳を突き刺す。


「ははは!」


 岸下の笑い声と供に、腕にのしかかっていた重量が一瞬軽くなった。それが剣を引いたのだと分かる頃には、岸下の前に押し出す蹴りでみぞおちを打たれ、地面に倒れてからだった。手甲はわずかな間だけ効力を発揮するのだろう、倒れ、なんとか起き上がろうとする大護の腕にはもう手甲は消えていた。

 防御の役割を終えたためか、ダメージで消耗したのか。腕を鬱血させる打撲痕が残っていた。


「……ここまで強いかぁ」


 フィジカルに強いということは、真正面から戦うことを得意とし、正攻法でのバトルを可能とするスタンスである。小手先のごまかしは通じない、実力が如実に出る……それが『天使』クラスの強みであった。


「おいおいどうした。前中に勝った程度で自慢げになってたか?」

「はは……ちょっぴり」


 言葉で虚勢は張れつつも、今の一撃をしのいだだけで体が重くしびれ、膝はいつ震えるかどうか分からない。


「そもそもリリアンなんざ、バトルには使えねえ『スティグマ』だ。価値があるとすりゃ見世物にする程度だぜ? それで戦うなんて馬鹿らしいだろ?」

「……」

「俺なら使わないね。もっと有意義な使い方が出来る。何なら解体ショーでもやっていいさ。「マニア」にはたまらねえだろうぜ。もっ使い方があるだろ? ルックスはイケてんだ、悦ばせてもみてえじゃねえか」


 ふぅ、と息を吐いて大護は軽い屈伸で弛緩していた足を引き締める。腕を何度か曲げて伸ばしてを繰り返し、肩を回してもう一つ息をついた。


「リリアン、あの人は弱いよ」


 大護は拳を握ると、『インデコ』の画面をタッチし、使用スキルを選ぶ。選んだのは『速度アップ』のスキルだった。

 その効果を確かめるために二、三回ほど軽く拳を前に出した。


 その仕草はまるで小用を片付けるかのように気軽なもので、言葉はいともあっさり口に出せる日常会話のものだった。故に岸下はすぐにリアクションが出来ず、屈伸と前屈をと準備体操を始めた大護に、握った剣の柄に更に圧力を加えた。


「なめてんのかガキが! ヒーロー気取りか、ええ!? そりゃ格好良いわな、悲劇のヒロインを助けて敵をやっつける……学芸会か!? こんな馬鹿にされたのは初めてだぜ!」

「あなたはリリアンを『使スティグマ』と言いました」


 首をゆっくり左右へと倒し、体全体をリラックスさせる。


「それが敗因につながる。あなたは『サポートスキル』を軽く見過ぎています」

「っは! じゃあ俺にも使える『サポートスキル』を見ても言えるか?」


 岸下が剣を掲げ、その背中に広がる羽根が赤く燃え上がる。その羽根に剣の刀身が包み込まれ、やがて火の粉を散らし羽根が飛び交い、地面につく前には炎で消滅してしまった。


「こっちにも『攻撃力アップ』程度の『サポートスキル』はあるんだぜ? 今度は腕ごと持って行ってやる」

「……『攻撃力アップ』、ですか」


 それだけつぶやくと、大護は足を肩幅に開き、左足を下げた。拳は握らず腕を上げ、肩に力を入れるように体幹を傾ける。


『だ、大護……?』


 脳裏に直接リリアンが語りかけてくる。その声色は震え、岸下が現れた時から持ち始めた恐怖心で体を硬直させていた。声もぎこちなく、手や膝は震えてることが感じ取れた。


「大丈夫。あの人は自らプレイスタイルの弱点を白状した」


 予想通りにね。と、心の中でリリアンに告げた。勝つ算段……その根拠が確立したと、火種は一回り大きく膨らみ、煌々と明かりを燃え上がらせる。


 大護の口にした言葉は岸下にも届いていた。届くよう、大護は日常会話のトーンで口に出した。


「……舐められるのも飽きたな。てめえはとりあえず死んどけや」


 火の粉が散り、朝の日差しの中に消える。ざわめきが重なり合いどよめきに変わった。


□□□


「警察に通報しますか?」


 女子生徒がぽつりと言う。


「いや、待とう。どうやら彼は仕掛けるきっかけを掴んだらしい。せめて決着だけでもつけさせてやろう」


 対して言葉を返したのは長身のスーツを着た、同年代の少年であった。

 女子生徒は見て分かる通り、静仁高等学校の制服を着ている。胸元には二年生である証のピンバッチ。対してスーツの少年が襟元につけているピンバッチは教員を示すものであった。


「彼が……藤崎大護、ですか」

「ああ。どうやら左文字和尚に相当絞られたらしいな。格闘スタイルが様になっている……が」

「が?」


 表情に温度のない女子生徒が少年教師に視線だけをよこす。


「……いや。今はこのバトルの先を見物といこうか」

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