04:怒気の刺客と小さな火種

「聞いたか? また『連盟』が動くってさ」

「ああ、この間そんな話きたきた。やばくねえ?」


「あれだよね、『連盟』って数年前に事件起こした……」

「それだけじゃないらしいよ。駅前でまた集まりだして……」


「うわー、『オケリプ』やってる奴まだ的にされんの? 悲惨だなあおい」

「あいつらマジ容赦ねえからな……」


「なんでも部下? が負けて『連盟』……あの岸下って奴の怒りを買ったってよ」

「マジで!? 普通ありえんわー……『連盟』のやつらって時点で逃げ出すわー……」


「岸下が直接出張ってくるって話だぜ?」

「うわ、何それ。一体誰が逆鱗に触れたよ……とばっちりは勘弁だぜ……」


□□□


 電車に揺られ約二十分。作業的な乗り換え案内を後ろに大護は地下鉄から高校……静仁高等学校へと向かう一本坂を前に深呼吸した。


「すがすがしいなあ。今日から高校生活が始まる……うん、新鮮な気持ちだね。入学式だ」

(貴様……電車内で聞こえていた話題を聞いてなかったのか?)

「ん? なんとか連盟の人たちのこと?」


 大護は腕時計型の『インデコ』に返事する。『インデコ』内にいる『スティグマ』……リリアンの声は、大護にしか聞こえない。それに声のトーンは変わりないので、大護は一人でしゃべっている状態にある。時折……すれ違う人や後ろにいる人などが奇妙な目を向けていた。

 

「話は持ちきりだったね。よっぽど怖い人たちみたいだ」

(怖い、ですむもなにも……それより貴様、声にせずとも会話は出来るぞ。脳内でこちらに話しかければ『インデコ』の検知機能でも拾えるのだからな)

「まあいいよ。こっちの方がおしゃべりしてるって実感あるもん」

(……はあ。貴様は抜けておるのか寛容なのか……なんとかは紙一重というものだな……)


 ため息をはくリリアンの仕草が脳裏に浮かんだ。


「それに目立つななんて今更だよ」


 と、大護が足を止める。周りを歩く人間たちは、足早に通り過ぎ、また別の道へと散っていく。

 ざわめきも遠くなり、朝の駅前だというのに閑散となった。通学路には胃にのしかかるほどの重低音を吐き出す大型バイクが二台。それにまたがり、または寄りかかり煙草を吹かしている少年たちが三人いた。


 年の頃だけなら大護と同年代だ。しかし、顔つきや髪の色、整え方には大きな差異がある。金色や茶色に染めた髪に鮮やかな表面が光るピアスと、指には三人とも煙草を挟んでいる。

 大護がここに来るまで彼らは早かったのか、吸い殻がいくつか転がっていた。


「よぉ……お前だな、藤崎大護ってやつは」


 バイクにまたがっていた茶色の髪の毛の少年が詰め寄った。振動機能などないのに、左腕の『インデコ』が震えた……ような気がした。


「あなたが、岸下さん?」

「ああ? 聞いてるのはこっちだゴラ!」


 けん制を含めて大きな声で怒鳴りつける。周囲の視線も集まりだしたが、後ろに控えている残り二人がにらみをきかせる。特に中央でバイクに体を預けている金髪の少年を、誰もが見ようとしない。

 特に赤く染められた前髪の少年には誰もが目を向けまいとそそくさと立ち去っていく。彼の腕は太く分厚く、体つきも良い。大きな体躯とそれに負けない筋骨が薄着の春服の上からでも見ることができた。


 『インデコ』の液晶画面がかすかなノイズを見せた。それに大護は柔和な笑みを浮かべ、そっと『インデコ』に右手を添えた。


「大丈夫。全部やっつけるって約束しただろ?」

「……あ? 約束……?」

「すみません、こっちの話で。で、その後ろにいる方が岸下さんと」

「てめえいい加減にしろや!」


 血管が切れるのではないかと思えるほど怒りで顔を歪ませた茶髪の少年は大護の胸ぐらを掴みあげる。片手の拳を握った寸前、


「まあ待て。ご指名なんだ、俺が出るぜ」


 振りかぶった拳がびたりと止まる。茶髪の少年はすぐに手を離し、一礼すると後ろへと下がった。ゆっくり歩いてくる赤い前髪の少年は、大護のつま先から髪の毛の一本にまで視線を通し、手を伸ばせばすぐ捕まる距離まで近づいた。


「藤崎大護、だな」

「岸下さん、ですね」


 岸下の表情に変化はない。ただ射貫くことが当たり前となった眼差しで、柔和な笑みを浮かべる大護を映していた。


「てめえが俺のレアもん、預かってくれてるってな。実戦じゃ全く使えねえザコだがよ」


 今度こそ勘違いではない……『インデコ』の表面に一瞬の震えが走った。手首を締めるベルトが震いをこらえようと巻き付いているのではなか、と思えた。


「まあちょっと面かしてくれ。ウチのもんが世話になったこともあるし、今後のお付き合いも兼ねて落ち着いたとこで


 ゆらりともう一人の少年も立ち上がる。一瞬だが、腰に隠し持っている警棒のようなものの柄が見えた。


(……逃げろ)


 ささやく声が、震えていた。『インデコ』からは『スティグマ』の意志は特殊な脳波と、微弱な神経細胞を震えさせる電流で言葉となり、プレイヤーの脳に語りかける。

 そこに混じり気などない。どう取り繕うが、漏れ出るものは本心である。物理的にポーカーフェイスを気取れるが、心が向きだしになる意思疎通には不可能であった。


(もういい。我に構うな。貴様の命も保証できん。こいつらはまともに取り合う気などない)


 脳内に浮かぶ『スティグマ』の様子は、『インデコ』を通して人間の脳が装飾を作る。『スティグマ』の姿は千差万別と言われ、その仕草や表情まで連想出来るように、通話と同じく電気信号が送られ、それが脳裏に再現される作りである。


 そこに、笑顔はあるか?


(こいつらのたちの悪さは見た目以上だ、搾取されるだけ吸い取られ、貴様の心も壊すだろう。暴力を振るうことはこいつらにとって日常茶飯事なのだ!)


 拳を作って示しあったあの笑顔はあるか?


「まあ難しい話じゃねえんだ。てめえが持ってても仕方ねえ、サポートスキルだけが取り柄の『スティグマ』なんて使えねえだろ。とっととアレを返してもらって、今後同じく『オケリプ』やるもん同士、仲良くやろうって話だよ」


 ぬっと、岸下の手が大護の左手に伸びる。

 声が聞こえた。震える足で屈せず耐えてまでこちらの安全を叫ぶ声が聞こえた。


「場所、ここでいいですよ」


 左腕をあげて、液晶画面をタッチする。同時に、大護と岸下を中心にして透き通る青い壁が広がった。遠巻きにしてこちらの様子を見ていた野次馬たちもどよめきをあげる。


「クイックマッチでいいですよね。昨日……確か前中さん、でしたっけ。その人ともそれでやれたんで」


 クイックマッチとは名前の通り、即席のリングを作り気軽にプレイヤーがバトルを行えるものである。勝敗は一本勝負で決まり、設定された時間制限が終わると即席リングは消滅する。同時に『スティグマ』を使った能力の使用は不可能となる。

 ジャッジは互いの『スティグマ』による自動評価で、勝敗の数は公式な記録には含まれない。その分気楽に腕を競える手っ取り早い試合方法である。


「ああ!? 何ふざけてんだおい! 誰がんなもん付き合うか……」

「いいぜ、やろうか」


 岸下が歩いてきた少年たちを目で制し、ゆっくりと大護に振り返った。


「その代わり……レアもん返してもらうだけじゃあなくなるな」

「でしょうね。今からでも逃げだしたいぐらい、おっかない雰囲気ですから」


 大護の言葉には特にコメントせず、岸下は一端下がると『インデコ』をタッチし、エントリーを行った。


(……愚か者)


 むくれるような声が聞こえた。それに大護は苦笑いを浮かべ、乾いた笑いを漏らす。


「でも僕の気も伝わってるでしょ? 充分におっかない」

(だから愚か者だと言ったのだ! 本心なら感じ取れた。正式なリンクを行って初めて貴様の感情も伝わってくる。……まさか昨日もこんな調子だったのか?)

「そりゃそうだよ。おっかないったらないんだもん。怖い目つきしてさ」

(分からん……貴様という奴はとことん分からん。どうして逃げない、どうして対立する方をとった)

「約束したでしょ。守るって」


 青い防壁に互いのデータが映される。リリアンは『インデコ』の液晶画面から風を纏って二対の翼を広げ姿を見せた。


「本気か?」


 『インデコ』に流れていったものは、間違いなく大護自身の恐怖心だ。射すくめられ、喉も痛くなるほど渇いていた。生唾を強引に押し込み、大きく息を吐く。


「怖いものは怖い」


 上空に『スティグマスペース』が現れる。勝負を降りるのであれば、このタイミングが最後となる。各自の持つ『スティグマ』が『スティグマスペース』に入ってしまえばあとは自動的にゴングが鳴り、試合が開始される。

 大護は「でも……」と声を落とし、


「約束は約束だ。リリアンを守る。それと怖いのとは別じゃないかな」


 リリアンは押し黙る。大護の言葉は屁理屈だ。約束を反故にすれば怖い目に遭わずにすむ。

 だが、脳を使い言葉を取り繕うとする前に、鼓動が光っていた。火種が、胸の内に灯りだした。

 恐怖心は絶え間なく心臓を揺らし、脳髄にまで痛みを差し込んできていた。

 手足の感覚がない。恐怖で意識が今からシャットダウンする準備を整えていたのかもしれなかった。

 怯えている。しかし同時に、暗闇に沈む思考を切り裂く火種の明かりは、かき消える気配を見せないでいた。

 だが、まだ小さな種火程度で肌すら温められない。こんなものでは、『インデコ』の中身はさぞ寒かっただろう。もっと燃焼させる必要がある。

 そう、リリアンが、安心して過ごせるようにするためには。


「岸下さん、一つお願いしたいことがあります」


 岸下ではなく後ろにさがった少年二人がわめき立てるが、それは岸下が「だまってろ」と一言で抑え、言葉を出す代わりに視線だけをこちらによこした。


「この勝負、僕が勝ったら二度とリリアンには関わらないって、約束してほしいんです」


 岸下は一瞬きょとんと目を丸くしたが、すぐさま笑いに……嘲笑に変わる。


「笑わせんなって。勝てるわけねえだろ? まあいいぜ? 俺は優しいからな、約束してやるよ」

「では……」


 もう岸下の『スティグマ』は上空に上がったらしい。見ておけば見かけから攻略のヒントも一つもらえたかも知れないが、まあ仕方ないと気を引き締める。


「……貴様……今度こそ、勝つ算段はあるのだな」


 翼をはためかせるリリアンは不安げな顔であるが、大護ははにかんで見せた。


「もちろん。むしろ、今じゃないと立てない算段がある。それはさっきまで話していて分かった」

「……どういう意味だ?」

「大丈夫。僕はリリアンとの約束を守りたいんだ。それだけだよ」

「……。信じておるぞ」


 リリアンは振り返ることなく『スティグマスペース』へと入っていく。ウインドウが閉じても、『インデコ』を通じて相手の心境は手に取れた。

 互いに不安の種をもっている。圧力、恐怖心。のしかかるものは重く固い。

 だが、その分厚さを照らすかがり火はもう目覚めたのだ。それはかすかなものであるが、確実に存在する自分自身の意志である。

 だから、その熱も感じてほしい。


「よーし、勝つぞ!」


 頬をたたいて声に出し、気合いを入れる。それは不良少年たちにとっては笑いの種になったが、こちらにとっては消せない……消えない火種だ。体中に熱を運んでくる。恐怖で冷えた指先にさえ、赤い鼓動が熱を送り込む。


 試合開始のゴングが鳴った。体を赤に染める脈動が、大護の全身に行き渡った。


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