第一章:プレリュードはあなたのために

01:オーケストラ・リプレイ

 インデックスレコード起動。以下のデバイスを読み込んでます……

 プレイヤー:藤崎大護

 使用『スティグマ』・インストール……64% 71% 89%

 『スティグマ』コード名『リリアン』、照合を開始しています……リージョン情報獲得、GPSからの確認を行っています……

 スキル解放、フィールド適応完了、補助エフェクト起動を確認。セットアップまであとわずか。お待ちください……


 左右上下、丸い空間におさまった人影は、ずらりと並ぶ演算コードの明かりに照らされ、淡い青の風を帯びる。

 すらりと伸びる両手両足。逃げてきた際にどこかで傷ついたのか、所々がはだけている。しかし今はそれどころではない。

 目の前には全ての準備が整うメーターが浮かび上がり、もう90%を突破している。


「え、ええい! 我は知らんぞ! 小僧、貴様が言ったことだ、勝つ算段があってこそあのだろうな!」


 長い髪が後ろへと伸び、それをすくい取るようにして二対の翼が広がった。自らの身長、10センチメートルを超える翼だった。白く光り、円型の『スティグマスペース』には緑色のメッセージが流れ「オールグリーン」と、いたるウインドウに表記されていた。


「難しく考えないで。リラックスだよリリアン」


 声は真下から聞こえる。透ける足元から広く円上に広がり、半径5メートルのフィールドは薄い水色で閉じられている。まるい水族館で水槽を眺めているようだった。

 『スティグマスペース』はこのドーム状のフィールドの頂点に浮かび、中に立つ二人の人間を見下ろしていた。

 一人は背丈の低い、幼さを残す童顔の少年だった。柔和な笑みを浮かべながら軽い柔軟運動を繰り返している。

 数メートル先で対峙する少年は、同年代ながらも髪を染めピアスで耳を飾り付け、形相は視線で人を射貫くつもりでいるかのような、厳つい出で立ちであった。


「てめえさっさとしねえか。岸下さんに怒鳴られるんも俺らなんだからよぉ」


 かったるいといった仕草で首を回し、厳つい少年は苛立ちを隠さず言い捨てた。

 開けた森林の広場で、少年は未成年にかかわらず口にくわえていた煙草の吸い殻を捨てる。春先の空気が煙草のにおいで削られた。曇り空から流れる風は冷えたもので、豪雨を降らせた昨晩の名残を重たく空に残している。


「ダメだってば。いくら『オケリプ』って言ってもきちんとしたスポーツなんだよ? 準備運動しとかないと、どこかで怪我する」


 一方返す短身痩躯、童顔の少年は始終こんなペースだった。ゆるゆらと相手の罵倒や威嚇、敵意をいなすようにくぐり抜け、常に自分を保っていた。

 普通こんな強面の少年ににらまれもすれば、誰だって大人だって用心してしまうだろう。それだけの威圧感を持っているのだ、しかし少年は気にもとめていない様子だった。


 リリアンはため息をついて、自分の真正面にあるもう一つの『スティグマスペース』に目をやる。外部からは情報を得られないよう、マジックミラーのような作りになっているのが『スティグマスペース』だ。それもそうだろう、この『スティグマスペース』こそこれから始まる新たなるスポーツ格闘技『オーケストラ・リプレイ』の管制室となる場だ。

 その中身が透けて見えては、『スティグマ』と呼ばれる役割も台無しである。


「っうし。お待たせ」

「チ……だらだらしやがって。とっととあの『スティグマ』を渡せよ。リリアン、だっけか。それがすめばてめえも痛い目見ずにすむんだぜ?」

「それは出来ないよ。僕がリリアンを助けたんだ。あなたたちから逃げるため、昨日の豪雨の中を必死に飛んでいた彼女をね。そこまでして戻りたくないものを、返すわけにはいかないのが人情じゃないかな」


 軽く屈伸をした後童顔の少年は顔を上げ明るい笑顔で言った。強面の少年は真面目に待つのではなかったという、うんざりとした様子だった。


 ――――前中秀人:使用スティグマ『フェールゴ』・地属性、カテゴライズクラス『デーモン』


 目の前に立つ少年の持つ『スティグマ』の最低限の情報がフィールドの表面に浮かび上がる。その他体力や気力、ダメージ数など細かいパラメーターも表示された。


 ――――藤崎大護:使用スティグマ『リリアン』・天属性、カテゴライズクラス『フェアリー』


 表示される情報は互いに同じである。これを基軸にして相手の情報を手にして攻防を繰り広げる。「プレイヤー」はこうして相手と向かい合う。『オーケストラ・リプレイ』、通称『オケリプ』と呼ばれるものは、ここ近年でうなぎ登りの人気を勝ち取った新世代のスポーツ格闘技である。

 それには『スティグマ』と呼ばれる存在は不可欠だった。多種多様、存在する数だけ唯一無二の性能と個性を持っているデバイスであり、火を使い風を巻き起こし、稲光を輝かせ、時には万物の事象をもコントロールすることを可能だ。

 『スティグマ』の持つ超常的な異能力を我が物とし、自分のプレイスタイルそってカスタマイズする。その数も無限に、プレイヤーの数だけ存在する。

 自分だけの能力を作り上げ競い合う。それがこの格闘技、『オーケストラ・リプレイ』の醍醐味であり真骨頂である。


試合開始のカウントダウンが合成音で区切られていく。3,2,1……


「観念しろや!」


 開始と同時に、強面の少年、前川秀人は目をくらませる鈍い発光体を大護めがけて投げつける。剛速球、とまではいかないものの、構えを取る前に撃たれては回避できない速度だった。

 ずしん、と重たい音が唸り噴煙が舞う。それに前中秀人はにたりと笑った。


「な……いきなり攻撃とは卑怯ではないか!」


 リリアンが真下で起こる攻防に怒鳴り立てるも前中はヘラヘラと笑うだけだった。

しかし卑怯であろうが違反はしていない。前中秀人は正式なカウントダウンが終わった後に攻撃をしかけたのである。

 それはタイミングを明らかに把握した、前中という少年の技術だ。自らが勝つために徹底して腕を磨いた「努力」の形なのだ。


「いたた……」


 砂煙が落ちていく中で童顔の少年、藤崎大護が左手をひらひらと振りながら、けろっとした顔で出てきた。それには前中秀人もリリアンも目を丸くする。


「な……あ、当たっただろ……」

「当たったよ、痛かったんだから」


 唖然とした前中は、拗ねるように言う大護に言葉を続けられずにいた。痛みを振り払おうとしているのか、左手の甲には薄く傷ついた跡が残っていた。


「速かったし、虚を突かれたよ。でもそれだけだったかな。立て続けに撃たれてたら負けてた」


 大護の顔つきが変わる。浮かべた笑みはそのままに、目だけが別物となった。細部を細かく切り分けるような観察眼が、まだ動揺を隠せない前中の中に入り込み情報を細切れにしていく。


「攻撃力は中の弱、かな。速度重視で、かつ連発は出来ないようだ。あくまで隠し球として使うための技だよね。それだけに惜しかった。相手が向かってきていた最中ならカウンターになってクリティカルヒットを狙える」

「お……てめえペラペラと分かった風なクチを……!」


 言われた言葉が図星なのか、前中の右手と左手に再び灰色の光が生まれ始めた。薄暗い太陽の光でもかき集めようとしているのようで、その輝きは微細なものになる。少なくとも初撃の勢いは見て取れない。


「意識の差だよ」


 焦りを見せていた前中は、大護の言葉に首をかしげた。


「初撃の思い切りの良さは、「必ず自分の攻撃があたる」という自信があってからこそのものだったんだ。でも今は違う。コンディションは大きく崩れて状況も変わった。もう、あの自信ある一撃は撃てない」


 大護はゆっくりと足を肩幅に広げ、左足を前に右手を伸ばした。左手は右手首に添して静かに息を吐く。

 明らかな戦闘態勢に入った大護に、前中はびくりと体をのけぞらせ半歩さがった。


「ま、待て……俺らが追っかけてるのは……目的はあのクソ生意気なリリアンっていう『スティグマ』だけだ! お前もイラッときたんじゃね? 我、なんて偉そうに自分からふんぞり返ってるあの『スティグマ』によお! ちっと特別にしゃべれるだけで、うぜえだろ!?」


 それに大護は無言のままだった。沈黙に焦燥感をあおられ、前中は立て続けに、聞いてもいないことまで話し出した。


「岸下さんって知ってんだろ? あの岸下コーポレーションの一人息子さ。この辺じゃ幅きかせてる……あの人がレアもんだって手元に置いといた『スティグマ』……それに逃げられて、俺らが探さなきゃいけねえんだ」


 またしても大護は何もしゃべらない。口も開かず笑みはいつの間にか消えていた。


「怒らせるとヤバい人なんだって! それに自分からしゃべる『スティグマ』だなんて不気味じゃねえか? 俺のもそうだし、市販されてるものなんてしゃべるどころか単なる装置だぜ? プログラムだぜ? それを……」

「リリアン。攻撃スキルは」


 言い訳じみて来た前中の言葉を裂いて大護が言う。リリアンははたと我に返り『スティグマスペース』から声を放つ。


「……すまん、口惜しいが我は補助系のスキルしかもっておらん……」


 『スティグマ』にはそれぞれ得意とする部類の「スキル」が備わっている。今の前中のように発光弾を放つというような、特技と言い換えてもいい。


「な、なあこの通りだろ!? お前にとっても弱い『スティグマ』じゃんか、俺らに手渡してくれよ……使えない『スティグマ』なんてよお」

「リリアン、使用可能なスキルの情報を全て回して」

「お、おい!」


 戸惑うのはリリアンも同じだった。あの前中という少年の言うことは癪ではあるが事実である。派手な攻撃技もなければ優れた防御力もない。それが『フェアリー』というクラスの持つ特徴で、その代わりに使用可能なサポートスキルは幅広く性能も高いものが多い。


 リリアンは『スティグマスペース』から自分のステータスを大護に送信する。受信する装置は、『インデックスレコード』と呼ばれる、この『オケリプ』と『スティグマ』を管理するターミナルである。形は様々で市販されている中では腕時計タイプのものが多い。大護もまた同じく、液晶画面が広い腕時計型の『インデックスレコード』を身につけていた。

 その画面にずらりとスキル名と効果がならび、それを片目で確認していた大護はにやりと口元をつり上げた。


「なんだ、すごいものがあるじゃないか。じゃあこれを使うよ。『速度アップ』、と」


 大護がセレクトしたスキルは、『速度アップ』というありふれた、どの『スティグマ』でも持ち合わせているような平凡なものだった。

 『速度アップ』を選んだ大護に、前中は目を点にしている。リリアンも言葉をなくした。


「は、はあ?」

 

 前中が出せた言葉もそのぐらいで、大護はそれをよそに『速度アップ』のスキルの恩恵を受けたことを確かめているようで、伸ばした腕を閉じ、伸ばしを繰り返していた。


「体が軽くなった気がする。すごいなぁ」

「ば、馬鹿者! 遊んでる時ではあるまい!」


 『スティグマスペース』から声を荒げるリリアンは、徐々に冷静さを取り戻しつつある前中に視線を飛ばせた。

 前中は唖然としながらも、両手に光る発光の色を保ちながら、ぎしりと指を折りたたんで拳を握りしめる。


「な、なめんのもいい加減にしろやてめえ!」


 前中は我慢の限界だった。自らの攻撃が見透かされたショックは、平凡たる様子の大護にとって何のこともなく、一人震えていたことが馬鹿らしくなってきたのだ。

 憤慨とかっとなった怒りが入り交じり、両拳から灰色の発光体を投げつける。

 もう前中には迷いはなかった。それが本来初撃で発生する「思い切りの良さ」につながり、灰色の牙は大護の首へとめがけ飛んだ。


 ドン、という鈍く深い音がフィールド内に響いた。


「相手のスピードが上がったということは、それだけ向かってくる攻撃の速度は遅く認知されるということなんだよ」


 膝を地面にぶつけ、腹部を押さえくぐもった声を漏らす。


「打撃の力も普段より攻撃力を増し、相手に近づくのも難しくない。それに『速度アップ』のスキルは体だけが速くなるわけじゃない。思考も、運動神経も、動体視力も情報処理の速度が上がっているんだ」

 

 大護の言葉は、意識の奥で消えているかもしれない。体をくの字に曲げ、前中は地面に倒れた。

 決まり手は、大護の腹部による拳の一撃。本来なら腕も細く重量もない大護のパンチなど蚊が刺した程度でも、速度がつけば高い打撃に化ける。


「使えない『スティグマ』なんていないよ。『スティグマ』と呼吸を合わせ創意工夫する。『スティグマ』との絆を紡ぐ……それがこの格闘技……『オーケストラ・リプレイ』なんだ」


 前中が意識をなく寸前に聞こえた言葉はそれだけだった。

 大護はふぅ、と息をつき『スティグマスペース』にいるリリアンに向けてVサインを送ってみせた。朗らかで屈託のない、無邪気と言える笑みだった。


 イレギュラーを超えた事態の最中だというのに、その笑みを向けられたリリアンは何故か安堵を覚えていた。これからお前はどんな目に遭うか分かっているのか? と問いだたしても、きっとこの笑みで乗り切るのだろう。

 たった一晩と半日を供にしただけなのに、何故か揺るぎないものをこの少年に持ってしまっている自分に苦笑し、リリアンは前髪を乱暴にかきあげる。


「……我自身が厄ネタであるのに……救われた先も厄ネタモノとはな」


 まったく、と自分に軽いため息をついて、どうなっても知らんぞとつぶやいた。

 『スティグマスペース』は試合が終わると自動解除される。リリアンは二対の翼をはためかせ、大護の側に降り立った。


 空に垂れ込めていた暗雲の切れ間から日光の柱が差し込み、雨の出番は遠のいたように見えた。

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