7‐2

 駆け寄り両手で包み込むように抱き上げる。

「イン?大丈夫?生きてるよな?イン?」

 そっと揺さぶると神様がピクリと反応した。


「や、ひ…ろぉ…。」

 微かな声が八尋を呼ぶ。


「イン、しっかり!」

「ごめ…ん、もう…限界。」


 弱々しく神様が八尋へと両腕を伸ばした次の瞬間、

「──!?」

 目の前で神様が変化へんげした。

 小さかった身体が八尋とさほど変わらない体格へと変わり、両腕が八尋の首へと絡みつく。

 唖然とする八尋の唇に柔らかな唇が重なった。


「ん、んんん──っ!?」


 もがく八尋に構わず、神様の濃厚な口吻けは続く。あまりに官能的な口吻けに、八尋は焦った。


 ──まずい…


 焦る八尋の気も知らず、神様の濃厚な口吻け攻撃は終わらない。

 このままじゃ、神様を襲ってしまいそうだ。いや、神様に襲われそうだ!


「なっ、何して…、イン!?」


 なんとか神様を引っ剥がして悲鳴のような声をあげた八尋に、神様がすがりつく。


「八尋、八尋ぉ…。」


 甘く掠れた神様の声に、八尋は頭の中が痺れクラクラしてくる。

 小さい時には気づかなかった。

 今、自分にしがみついている神様は、むしゃぶりつきたくなるような色香を放ち、美しく淫らな容貌をしていたのだ。


 ──どうしちゃったんだっ!?


 何が起きてるのか、どうしてこんなことになってるのか、全く理解不能な事態に八尋はパニックだ。

 そんな八尋に、神様が切なそうに一言呟いた。


「お腹、減ったよぉ…。」

「へ?」


 お腹が減ったのと、今、自分を襲おうとしている状況に、なんの関連があるのか全く不明である。

 目が点になったままの八尋に、神様は艶然と笑った。


「八尋ぉ…、食べていい?」

「えっ!?」


 言葉と共に再び濃厚な口吻けが…。

 ───う、ぎゃーっ!


 八尋は訳の分からないまま、声にならない悲鳴をあげた。


 数分後。

 ぐったりとした八尋の傍で神様がぽろぽろと泣いていた。


「…ごめっ、…ごめん、八尋。」

 泣きじゃくる神様に、八尋はぐったりしたまま問い掛けた。


「何が、起きたの?」

 自分に何が起きたのかが、分からない。


 いきなり自分と変わらない大きさになった神様に、濃厚な口吻けをされたとたん、何かを一気に吸い取られたように意識が飛んだ。

 たぶん数分の出来事だったのに、フルマラソンを終えたような疲労感と虚脱感に、全く力が入らない。


 尋ねずにいられなかった。

 八尋は何が起きたのか、きちんと知っておきたいと思ったのだ。


「ボクは…淫神だから…精を食べるんだ。精気を貰わないと、消えてしまうんだ…。」

「…え?」


 精気を食べる?

 インシン…って、名前じゃなくて、淫神ってこと?

 やっと根本的な大きな勘違いに気づいて、八尋は呆然とする。そんな八尋に、神様はぽつぽつと説明しだす。


 神様には格付けがある。

 一般的に神様と言うと、個々に名前を持つ神力のある神様を思い浮かべるだろう。けれど世の中に存在している神様の多くは、個々の名前など持たず性別も無く神力も弱い。

 日々生まれては消えていくような、本当に小さな神様ばかりなのだ。


 ものみなに宿る八百万の神様とは、数多存在する故に大きな力など必要としない神様が、大半を占めているのである。


 淫神も数多存在する。

 淫の神様として崇め奉られるような神様以外は、ほとんどが名前を持たず性別も無く、あちらこちらを浮遊しては、糧を求めるような存在だ。

 糧を得られなければ消える。

 消えても何処かで別の淫神が、日々生まれるから問題などない。


 八尋が拾ったこの小さな神様も、そんな数多の神様の一人だ。


「八尋が、名前をくれたから…。ボクは、八尋が好きだから…。」


 八尋を糧にするのが目的で近づいたことを知られたくなくて、八尋を糧にすることが出来なくて、ずっと我慢していたのだと神様は泣いた。


 我慢して消えようとしたのだと。

 でも八尋が好きだからこそ消えたくなかったと、八尋が好きだからこそ、他の人を糧にすることが出来なかったと…。


 ぽろぽろと泣く神様に、八尋は胸が締め付けられた。この数日、一緒に暮らしているうちに、八尋も神様が好きになっていた。

 けれど神様は性別も無く小さな人形のようだったので、恋愛の対象とは見ていなかったのだ。

 今でも八尋は、神様を恋愛の対象と見ていない。

 でも。このまま神様を離してしまえるのか…と自問すると、答えはノーである。

 出来ればこのまま神様と暮らしたいとさえ思っている自分に、八尋は苦笑した。


 ──なんだ、答えは出てるじゃないか…



「イン、行ってくるよ。」


 玄関先で八尋は頬に、小さな神様のキスをチュッと受ける。


「いってらっしゃい、八尋。」


 神様はまるで新妻のように八尋を見送り、今日もベランダの手摺で日向ぼっこをする。


「なんだ、淫神。やっぱりここにとり憑いたのか?」


 先日のカラスが近寄ってきた。

 神様はカラスを見るとニヤリと笑った。


「とり憑いてないぞ。ボクと八尋はつがいだからな!」

「つ、番!?」

 カラスが絶句した。


 番とは、簡単に言えば夫婦めおとに似たような関係である。

 違いと言えば子を為すか為さないか…だろうか。

 夫婦にしても番にしても、魂の伴侶であることは同じである。


 飢餓に負けて八尋を襲ったことを激しく後悔していた神様は、当然、八尋に棄てられるだろうと思っていた。

 淫神などと共に生きようと言うはずがないと。

 ところが。八尋は棄てるどころか、神様を受け入れたのだ。ゆっくり互いを知り合っていかないかと、八尋は優しく笑ってくれた。

 共に生きる番となることを、選んでくれたのだ。


 ノロケまくる神様に、カラスは白い目を向けた。


「物好きも居たもんだな。」

「失礼なっ!!」


 ぶりぶりと怒る神様に、カラスはシニカルに笑う。


「ま、でも。あんたらみたいなちっぽけな神様を拾うヤツが居るんなら、世の中まだまだ捨てたもんじゃないか。」


 愛されて輝きを増している神様をちょっとだけ羨ましげに見て、カラスは飛び去った。


 まだまだ、前途多難な二人ではある。けれど二人なら、乗り越えて行けるだろう。



 今日も。

 八百万の神様の住む国は

 つつがなく平穏である。



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