7.名もない神様

7‐1

 八百万の神様たちが住む、小さな国がある。穏やかで平和な、神様も動物も人も、それぞれがそれぞれの領分で暮らしている国である。

 けれど小さな国ゆえに神様に遭遇してしまう事も、かなり頻繁に起きるのだ。そして世の中、神様にもいろんな神様が居る訳で。

 出逢ったら大変な事態になることもあったり、無かったり…。



 会社からの帰り道、八尋やひろはいつもの自販機でお決まりの缶コーヒーを買うと、いつもと同じく公園へと足を向けた。

 この公園は市街地にある割にはかなり広く、緑も豊かで人気の公園だ。


 昼間は子供連れや犬の散歩で賑わうが、夜はランニングをする人や健康の為に散歩に励む人の姿が見られるくらいで、静かでいたって健全な公園である。

 仕事疲れの気持ちを落ち着かせるには、もってこいの場所だ。


 八尋は缶コーヒーをひと口飲み、深いため息をついた。

 最近、仕事量が増えていて疲れは溜まる一方だ。気分転換をしたくても、八尋は無趣味である。しかも少し前に、彼女とケンカ別れしたばかりだ。


「つまんねー…。」

 つい口に出てしまったぼやきに、

「なんで、つまんないの?」

 小さな声が返った。


「…え?」

 八尋は慌てて周りを見回したが、誰も居ない。気のせいか、と思った八尋の膝にぴょんと何かが飛び乗った。


「ねぇ、なんで?」

「うわぁっ!?」

 膝に飛び乗った何かが喋った。驚く八尋など気にせずに、首を傾げたそれは、小さな小さな人の形をしていた。


「な、ななな、な、何っ!?」

 半ばパニックになる八尋に、小さな人はムッとむくれた。

「ボクは神様だ。おまえ、神様を見たことないのか?」


 か、神様───っ!?

 偉そうにふんぞり反った神様は、何故か真っ裸だった…。


 いくら小さくても真っ裸はないだろう、と八尋はハンカチで神様を包み、ぶうぶう文句を言い続ける神様を自分の部屋に連れ帰った。

 連れ帰ったところで、どうしようもないのだが。思わず連れて来てしまったのである。


 神様は八尋の部屋の中を、興味津々といった感じで眺めた後、

「──居心地良さげな処じゃないか。気に入った。」

 と、満足そうに笑ってベッドの縁に座った。そうして先程から繰り返している質問を口にする。


「で、どうしてつまんないの?」


 改めて問い返されると、八尋はなんだか「つまらない」などと呟いていた自分が恥ずかしくなった。


「いや、まぁ…いろいろとあるんだよ。」


 ゴニョゴニョと口籠る八尋に、神様は「フーン…」とさして興味無さげに頷いた。


「おまえ、名前は?」

 唐突に名前を尋ねられ、八尋は面喰らう。


「え…、俺?俺は、八尋。」

「八尋か、いい名前だ。」

 ニコニコと笑う神様に、名前を誉められ悪い気はしない。


「神様は、名前あるの?」

 思わず問い返した八尋に、

「ボクは淫神。」

 神様がサラッと怖い答えを返したのだが。


「インシン?」

 元より神様なんぞに縁も所縁もない八尋は、全く気づいていなかった。


「変わった名前だなぁ、じゃあ、呼びやすく“イン”でいい?」


 淫神と聞いても動揺もせず、あまつさえ略名なんて言い出した八尋に、今度は神様が面喰らった。


「イン?それは、まさか、ボクの名前か?」

「うん、だって呼びやすい方がいいし。あ、嫌だった?」


 あっけらかんとしている八尋に、アワアワと慌てながらも、神様は力一杯首を左右に振り回した。


「嫌じゃないっ、凄く気に入った!!」


 湯気が出そうなほど、顔どころか全身を真っ赤なゆでダコにしている神様に、

「良かった。じゃ、よろしくね、イン。」

 八尋は無邪気に、罪な笑顔を返したのだった。



 よろしくね、と八尋に言われた神様は、八尋の部屋に住み着いた。

 八尋が会社に行ってしまうと神様は暇を持て余す。当たり前だが、神様に趣味なんかないのだ。


 ベランダの手摺で日向ぼっこをしてダラけていると、

「こんなとこで何やってるんだよ、淫神?」


 一羽のカラスが飛んできた。

 カラスの姿がふわりと小さな人型に変わる。


「いい餌でも見つけて、とり憑いたのか?」

「なっ、違うぞ!!」

 神様はムキになって否定する。


「八尋は、餌じゃない。ボクに名前をくれたんだぞ!」


 得意げにふんぞり反った神様に、カラスが絶句した。

「名前ぇ!?じゃ、おまえ、喰ってないのか!?」


 神様はヘタヘタとしゃがみこんで頷いた。その様子にカラスが頭を抱える。


「おまえなぁ…、ちっとでも喰わなきゃ、消えちまうぞ?」

「分かってるよ!」


 神様が不貞腐れる。

 神様とは言え、小さな淫神などは妖や魔のように弱いものだ。まして個々としての名前を持たない、数多居る取るに足らないような存在の神などは、ちょっとしたことで消えてしまったりするのである。


「精気喰っての淫神だろうが。」

 呆れるカラスに、神様は更にイジケた。


 確かに始めは、食糧にしようと思って八尋に声を掛けたのだ。

 暇そうにしてつまらないと呟いていた八尋を、誘惑してたっぷり精を頂こうと思ったのに。


 自分に名前を与えてくれた八尋の笑顔に、神様は惚れてしまったのだ。

 淫らなことに長けている神様は、恋愛にはてんで免疫が無かったのである。


「早いとこ食事しろよ!」

 カラスは呆れきって飛んで行ってしまった。


「…お腹、減ったなぁ。」

 もう限界が近いのかもしれないと神様は思った。このまま自分は消えるのかも。

 消えるなら、消えてしまう前に八尋に気持ちを伝えたい。

 せめて、一度でいい。

 八尋に抱き締めて貰えたら…。



「イン、ただいま。」


 誰かが居る部屋に帰るのは、楽しい気分になれる。たとえそれが人ではなく、小さな神様でも、だ。

 ご機嫌で帰宅した八尋が声を掛けても、返事がない。


「…イン?」


 普段なら迎えに飛んで出てくる神様が、出て来ないのは変だ。

 部屋の照明を点けた八尋は、

「イン!?」

 フローリングに倒れている神様を見つけて青ざめた。

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