6‐2

 それから暫く、霊守の気配はふっつりと消えてしまっていた。

 明花の傍には居ない。でも、何処に居るのかも分からない。

 会って謝りたいと思いながら、明花は霊園の園庭に通った。だが、霊守に会うことは叶わなかった。


 春休み最終日。

 明日は中学校に入学するという日に、明花は倒れた。

 母親と同じ病だった。

 

 学校には通えない。いつ容態が急変するか分からない。そう告げられた明花は、取り乱すこともなく、ただ小さく頷いただけだった。


 明花は、本当は一度死んでいる。

 産まれ落ちた、あの日に。


 死産だったのだ。


 母親が命を懸けて分娩へ臨んだが、あまりの難産で時間がかかり、産まれる直前、明花の心肺は停止したらしい。

 産声をあげずに産まれた明花を助けてと、母親は気が狂ったように叫んだと聞いている。

 半狂乱の母親がショック状態を起こし容態が急変する中、突然、明花はかぼそい産声をあげ、その声を確認した母親が息を引き取ったという。

 だから明花は母親が命を与えて助けた子なのだと、教えられた。

 それが事実なら、その場に居たはずの霊守が何か関わっているのではないかと、明花は考えていた。


 明花がずっと訊きたかったのは、霊守に訊いて確かめたかったのは…。

 あの日、自分は死ぬはずだったのではないか、ということだった。

 今となっては、もうどうでもいいことだが。


 遅かれ早かれ、自分は死ぬ。死ぬ為に産まれた。それは、自分ばかりではない。

 命は、必ず散るのだ。どんな命でも、生まれた瞬間から死への時間が動き出すのだから。


 病室で過ごす明花の元に霊守が姿を現したのは、入院からひと月も経ってからのことだった。


「迎えに、来てくれないのかと…、思っていたわ。」

 そう囁いた明花に、霊守は悲しげな目を向けた。


「…話したいことがある。」

 霊守は低く、そう呟くと、明花の返事を待たずに語りだした。



 明花の母親、香里かおりが病を発症したのは、10歳の頃だった。

 原因不明の難病で長くは生きられないだろうと言われたが、香里は病と向き合いながら高校を卒業し、就職した先で明花の父親と出逢い結婚した。


 香里の病のことを理解した上で結婚した明花の父親は、香里の体を考慮して子供を望まなかったが、

「私は子供を産みたいの。たとえそれで死ぬことになっても、子供が欲しい。」

 香里はそう強く願い、明花を授かったのである。


 だが。命を胎内に宿すということは、香里の体にはあまりにも過酷なことだったのだ。

 何度となく危険な状態になった。その度に中絶を勧められた。

 このままでは母子共に死ぬと、医師に何度となく説得された。


 香里は曲げなかった。絶対に産むと、絶対に産めると強く信じて。

 その強さの源はなんなのか、周囲には不可解でしかなっただろう。

 絶対に産めると言う香里を支えていたのは、他ならぬ霊守の存在だったのだ。


 病を発症してからずっと香里と共に居る霊守に、香里はしてはいけない約束をしたのである。

 ──この子を、絶対に生かしてと…

 それは最大の禁忌。

 霊守がやってはいけない、何人も行ってはいけない、命のやり取りだ。


 どんな科が下るのか、どんな罰を与えられるのかさえ分からない、恐ろしい禁忌を香里は霊守に望んだ。

 それを霊守は、受け入れたのだ。


 本当は迷っていた。そんなことは出来ないと思っていた。

 だが、あの日、あの瞬間。

 

 声すらあげられずに産まれた赤ん坊の、うっすらと微笑みを浮かべたような安らいだ顔を見た、あの瞬間。

 今まさに抜け出て行こうとした赤ん坊の光る魂を、霊守は右手で掴み、赤ん坊の体内へと突き入れたのだ。


 ──ぐあぁぁあ、あぁぁ…!


 魂を掴んだ右手に焼け爛れるような激痛が走り、霊守は絶叫した。それでも霊守は耐えた。

 赤ん坊がようやくか細い産声をあげた瞬間、焼け爛れた右手を引き抜いた霊守は、己れが犯した罪の大きさに気づいたのだ。


 右手は、手首から先が無くなっていたのである。

 掴んだ魂に融合して赤ん坊の体内へと宿ってしまったのだ。その事実に愕然とした霊守の頭の中に、直接語りかける声がした。


 ──ソレ、がお前の科だ…


 声がソレと示したものを、霊守は苦痛に満ちた目で見る。

 霊守の悲痛な眼差しの先で、赤ん坊が必死に生きようと泣いていた。


 自分が罪を押し付けてしまった魂。

 科を負わせた、命──。

 哀しく愛しい明花を、霊守は見守り続けた。見守りながら願い続けた。

 どうか、罰は自分だけに科して欲しいと。聞き届けられはしない願いと知っていても、願い続けた。

 叶わぬ夢でしかなかったが。


 語り終えた霊守に明花は静かな微笑みを浮かべ、そっと胸に両手を当てた。


「私の命は、あなたの右手が、ずっと守ってくれていたのね。」

「明花…。」

「嬉しい。私ずっと、あなたが好きだったの。だから幸せだわ。」


 明花の言葉に、霊守は目を見張った。まさか自分の犯した罪を、こんな風に幸せだと笑ってくれるとは、考えもしなかったのだ。

 言葉にならない霊守の両目に涙が浮かび溢れ出す。ただ黙って涙を流す霊守に、明花は両手を伸ばした。


「私を抱き締めて。ちゃんと連れて行って。」

「明花は、命の輪には戻れない。俺の命と融合して、永遠に霊守となってさまようのだ。」

「融合?私はあなたとひとつの命になるの?」


 悲しげに頷く霊守に、明花は美しい花のような笑顔を向けた。


「嬉しい。私、ずっとあなたと離れなくていいのね。こんな幸せなことないわ。」


 恋に燃える明花の熱い言葉に、霊守は罪を忘れて震えた。

 こんなにも愛しい魂を知らない。

 美しく、愛おしい魂。我を忘れて救おうとしたあの瞬間から、ずっと囚われてきた。


「明花。おまえに俺の名からひと文字をやる。おまえの名のひと文字と合わせて、花乱かろんと名乗ってくれないか。」


 罪人が望んではいけないことかもしれない。だが最後にひとつだけ、この愛しい魂と共に過ごした証を、遺したいと霊守は願う。


 明花は不思議そうな顔をしていたが、小さくその名を口にした。

「…花乱。」

 愛らしい響きの名前、と霊守に言うことは出来なかった。


 名を口にした瞬間、明花の胸から光が発し、明花としての意識は消えた。

 焼け爛れた右手に掴まれた光球が、明花の体内から姿を表す。その魂を左手で掴むと、霊守は自らの胸に突き入れた。


「明花…、愛してるよ…。」


 それが最期の言葉だった。

 明花だった魂を呑み込んだ霊守の魂は変化へんげする。

 混沌の渦に投げ込まれ混ざり合い、意識も何も無い塊となり、やがて新たな魂へと形を変えていき──…。


 そこに佇んでいたのは、もはや全く違う者だった。


 白銀の髪に琥珀色の瞳をした、柔和な美しい顔立ちの女は、不思議そうに辺りを見回し、ベッドの少女に気づく。少女は既に事切れている。

 自分は、ここで何をしているのだろうかと思い悩んでいると、


「おまえは霊守だ。これから俺が霊守の仕事を教えてやる。」

 背後から声を掛けられた。

 振り向くと、大柄な男が自分を見ていた。


「…霊守?」

「そうだ。おまえ、名前は?」

「名前…。」

 問われて、ふと頭の中にひとつの言葉が浮かんだ。


「花乱…。」

 呟くと男は頷き、花乱の頭に手を乗せた。


「そうだ。その名を、大切にしてやれ。」


 何故か、涙が溢れた。

 散った命が紡いだ恋の名残だったのか、ひとつになった魂の記憶だったのか…。

 涙を拭い顔をあげ、花乱は棘の道を踏み出す。




 今日もどこかで

 罪深き霊守たちが

 命を見守り送り出している





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