5.恋をしよう!

5‐1

 八百万の神様たちが住む、小さな国がある。今日も今日とて平和な国ではあったが、毎日のように疎まれている神様がいた。

 いろんな神様が居るのだから、それも仕方のないことではあるのだが。

 つまりは、相も変わらずな二人の、その後はどうなっているのか、というお話だったりする。



 相変わらず奈津美は毎日、疫病神に付き纏わられていた。

 出逢って三ヶ月に突入しただろうか。最近は苛立つことも少なく、居るのが当たり前に思えてきているのだから、慣れとは恐ろしいものである。


 その日、いつもの如く目覚まし代わりに奈津美を起こした疫病神は、いつもと違うセリフを言った。


「奈津美、俺は2、3日顔を出せないからな。気をつけて生活しろ。」


 まるで口喧しい母親のような言葉に、寝惚け顔の奈津美がぼんやりと頷いた。


「おい、分かったのか?俺が居ない間は危険だからな、気をつけろよ。」


 何が危険だと言うのか、分からない。いつ夜這いするか分からない疫病神が居る方が、断然危険度アップじゃないのか、と寝惚け頭でツッコミながらも、奈津美はとにかく頷いた。

 よく分からないが、2、3日来ないらしいのは分かった。


 洗面所で顔を洗い、歯を磨き、いつものようにササッとやっつけメイクをして、身支度を終えた奈津美がキッチンへ現れた時には、疫病神は姿を消していた。


「あれ?」


 もう居なくなってしまったのかと、奈津美はキョロキョロと辺りを見渡す。いつもならカウンターキッチンの隅で、まるで亭主のようにコーヒーを淹れろと待っているのに。

 そこまで考えて奈津美は赤面した。

 これではまるで、同棲中の恋人同士のようではないか。


「よし、呑みに行くぞ!」


 照れを隠すように意味も無く気合いを入れ、奈津美は朝食の準備に取り掛かるのだった。


 いつものように家を出て、通勤電車に揺られて会社のある駅に着くと、人波を掻き分けるようにして、奈津美に向かってくる青年が見えた。

 見たことはない青年である。が、何故か自分に向かって来ると、奈津美は思ったのだ。

 

「えっと、はじめまして。城戸奈津美さん、ですよね?」

 青年は真っ直ぐに奈津美を見つめて、確認するように名前を呼んだ。


「俺は千坂八尋ちさかやひろです。歩きながら説明してもいいですか?」


 通勤中なのだから、その方が有難い。奈津美は八尋と名乗った青年と、肩を並べて歩き出した。

 八尋は端的に奈津美に説明をする。

 何故自分が朝から奈津美を待ち受けていたのか、どういう状況なのか、何かあった時の対処はどうするか。

 端的明瞭な説明に、八尋は優秀な営業なんだろうなぁと奈津美は思った。


「八尋くん、ありがとうね。良かったら今夜、一緒に呑まない?」

「えっ?いいんですか?」

「見ず知らずの私に、わざわざ説明に来てくれたお礼させて。」


 別れ際、連絡先を交換して待ち合わせ場所を決めると、八尋は奈津美に一礼して人波の中に消えて行った。

 その時になって奈津美は気づいた。八尋が奈津美を会社まで送ってくれたのだと。


「人がいいなぁ…。」


 静流といい、八尋といい、神様と共に生きる人はみんな人がいい。

 思わず拝みたくなる奈津美だった。



 その夜、待ち合わせ場所には八尋が先に来ていて、初対面だと言うのに妙に意気投合した奈津美は、神様談義に盛り上がってしまった。

 まぁ、仕方のないことである。

 見えない神様の話を、誰にでも出来る訳ではないのだ。

 普段話せない話を、遠慮無く思う存分に話せる相手を捕まえたら、誰だって話が止まらなくなるだろう。


「…だけどさぁ、神様繋がりで連絡網みたいになってるとは、思わなかったわぁ!」


 奈津美は何度目かのため息をついた。

 知っていたらもっと早くに、溜まった鬱憤を話しまくってスッキリしていたのに、と笑う奈津美に八尋が苦笑する。


「奈津美さんは、まだ夫婦めおとつがいではないから、正式に連絡網には入ってないんですよ。」

「そっかぁ…。じゃあ今回は本当に特例ってとこかしらね?」


 本来なら、こんな風に八尋が来ることは無かったのかと思うと、無理を通した疫病神が、どれだけ奈津美を思っているのかが分かる。

 分かるだけに、ちょっと奈津美は切なくなった。


「どうして、私なんだろ…。」

「奈津美さん?」

「んー、なんかね。疫病神が何故私なんかにくっついてるのか、まだ分からないんだよねぇ…。」


 奈津美は切ないままに呟いた。

「名前を教えて貰ったら、何か分かるのかなぁ…。」

 呟いた奈津美に、八尋が真顔になった。


「それは違うと思うよ、奈津美さん。詳しいことを知らない俺が、口を挟むべきじゃないけど、名前を聞いて済む問題だったら、とっくに教えてくれてると思う。」


 痛い核心を突いてる八尋の言葉に、奈津美は苦笑いをするしかなかった。


 分かっているのだ。

 たぶん答えは奈津美が握っていて、疫病神にもどうしようもない状態なのだろうということは。


「うん、ありがとう。八尋くんと話せて良かった。ありがとうね。」


 自分は恵まれている、と奈津美は思う。困った時、悩める時に、こうして背中を押してくれる存在に巡り会えるのだから。

 その縁をもたらしてくれる疫病神は、奈津美にとってもう“疫病神”ではない。


 大事なの、私には──…。

 まだ胸を張って言えない想いでも、今の奈津美は大事だと偽らずに思えるのだ。


 八尋は親切に駅まで奈津美を送ってくれた。


「奈津美さん、御守り離さないで、ちゃんと注意してくださいね?」


 心配性なのか、何度も念を押す八尋に、奈津美は首に掛けた御守りをチラリと見せて笑った。

「大丈夫!何かあったら連絡する。」



 翌日、けたたましい目覚ましの音で目を覚ました奈津美は、疫病神が居ない事実を痛感しながら起き出した。

 あんなに疎ましくて、居なくなってくれたらと思っていたのに。


「奈津美、朝だ。起きないと襲うぞ。」


 少し掠れた耳に心地好い低音の、笑みを含んだ声と共に額に触れる唇の感触を思い出し、奈津美は赤面する。


 居ないという事実が、こんなにも切なくて寂しいなんて…。

 たった三ヶ月くらいなのに。そう思った瞬間、奈津美はふと考え込む。


 今、何かを思い出し掛けたような気がしたのだ。

 考えても分からない。

 違和感を抱いたまま奈津美はシャワーを浴びる為に、浴室へ向かった。



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