4‐2

「…驚かないのか?」


 反応が薄い高梨に、荒神は不思議そうに首を傾げる。

 絶世の美女があどけない少女のような仕草をすると、不思議な艶かしさが醸し出される。

 高梨は抱き締めたい衝動を堪えながら、微笑んだ。


「いろんな神様が居ても、可笑しくないと思いますよ。」


 高梨の答えをどう受け取ったのか、荒神はにっこり笑った。


「明日も会えるか、高梨?」

 問い掛けの形を取りながらも、明日も会えと言わんばかりの言葉に、高梨は頷いた。


「いいですよ。貴女のお陰で仕事は済んでしまったので、明日は夕方まで時間が空いてます。」

「では、明日は吾の社に行こう。」


 まるでデートの誘いのようだ。

 こんな美女に誘われて、断ったりしたら男が廃る。当然、誘いはしっかり受ける高梨だった。


 

 翌日、朝食後にホテルをチェックアウトした高梨は、荷物を駅のコインロッカーへ預け、荒神との待ち合わせ場所へと向かった。


 荒神は昨夜と同じ場所で、高梨を待っていた。これが人だったら、誰もが振り向くような美女を待たせる自分は羨望の的だな…などと、ちょっとした優越感を覚える自分に、高梨は苦笑する。

 そんな下世話なことを考えては失礼だと反省したのだ。

 美女は、曲がりなりにも神様だ。


「高梨!」

 荒神は高梨を見つけると、大輪の花が綻んだような笑顔を見せた。


「おはようございます、神様。」

 囁く高梨に、荒神は高梨の手を掴むと、待ちきれなかったように引いた。

「こっちだ、高梨。早く行こう!」


 まるで無邪気な少女のようだ。手を引かれるまま、高梨は荒神と歩きだす。何故、こんな愛らしい女神おんながみが、荒神と呼ばれるのだろうと、高梨は不思議に思う。


 肩の辺りで切り揃えられた艶やかな黒髪、切れ長の涼やかな黒い瞳、蠱惑的な紅い唇、白いかんばせ…。

 絵に描いたような美女というのは、まさにこういうものだと納得せざる美貌の女神。

 確かに、出逢いの時の行動や不遜で挑戦的な表情を思えば、なよやかな女神ではないとは思うのだが。

 高梨の手を引き、楽しそうに笑う今の姿からは、荒ぶる神のイメージは湧かないのだ。


 荒神は人の多い通りを急ぐように抜け、郊外へと向かう道を進んで行くようだった。


「結構、遠いですか?」

 スーツ姿でかなりな距離を歩くのは、さすがに厳しい。

 思わず尋ねた高梨に、

「人の言う遠いの感覚は、吾には分からない。行く先はあの小高い山だ。」


 荒神が、前方の小高い里山を指し示した。それほど遠くではないが、3、40分は歩く距離だ。


「神様、ちょっと上着脱ぎますね。あと水分補給用に飲み物買います。」


 手を繋いだままでは、動きが取れない。高梨の言葉に、荒神は頬を染め手を離した。


「待っててくださいね。」

 高梨は荒神に微笑むと、今しがた通り過ぎたコンビニへと引き返した。

 人には見えない神様とのデートだ。

 洒落た店でランチとはいかないのだから、昼飯用の食べ物も調達しておくべきだろう。

 あれこれと買い物を済ませ、レジ袋と上着を手に店を出た高梨は、思わぬ光景を目にして立ち止まった。


 荒神のすぐ近くで二匹の猫が、派手に唸り声をあげてケンカしている。

 盛りの時期でもないのに、互いを喰い殺しそうな勢いだ。その様を見ている荒神の横顔に、高梨は気づいた。


 ───そうか…、

 だからあんな寂しそうに、荒神だと名乗ったのか。あの騒動も、荒神故に招いてしまったものだったのか。

 きっと望まぬ諍いなのだ。

 猫のケンカを見つめる荒神は、泣きそうな目をしている。自らを呪っているような哀しい横顔に、高梨は胸が痛んだ。


「お待たせしました。行きましょう。」


 努めて明るく声を掛けると、荒神は高梨を振り返り、ホッとしたような笑顔を浮かべた。


 高梨は荒神に手を差し出す。

「さぁ、行きましょう。」


 荒神は、嬉しそうに高梨の手を握った。道中、高梨はいろんな話をした。専ら自分の話ではあったが、荒神が嬉しそうに聞いてくれるのが楽しくて、とりとめなく話しているうちに、里山の麓にあっという間に着いてしまった。


 麓には古い鳥居が建っていた。

 石造りの堅牢な鳥居は、薄汚れ苔むしている。


「社は山頂だ。」


 荒神が指差す先は、半ば崩れかけた石段が延々と続いていた。

 手入れがされているとは、お世辞にも言えない有り様である。

 高梨は首を傾げた。


「そう言えば、立派な神社が街中にありましたが、あれは違う神様を祀っているんですか?」


 ここの土地神様の神社ではなかったのかと、不思議がる高梨に、

「あれも荒神の神社だ。」

 荒神は心底嫌そうな顔で答えた。


「…神様?」

「吾の本当の社は、あれではない。吾の社は、この山頂にある。」


 辛そうに呟き俯く荒神に、高梨は握る手に少し力を入れた。


「社に、行きましょう。」

「高梨…。」

「山頂で食べるおにぎりは、美味しいですよ。」


 微笑む高梨に、荒神も笑った。

 


 鬱蒼とした森の中、荒れた階段を登りきると、現れたのは小さな古い社だった。

 周りが高い杉木立に囲まれている為、見晴らしは全く無いが、ぽっかりと開いた空からの明るい光が、社を柔らかく照らしている。

 静かな空間には穏やかな雰囲気が満ちていて、荒神も穏やかな笑みを浮かべていた。

 

「良い所ですね。」

「昔は、人も来る賑やかで楽しい社だったのだ。」


 懐かしそうに荒神は目を細め、ぽつりぽつりと語り始めた。


 何十年も前になる。

 村の鎮守様と祀られていたここには、春と秋には祭りの登り幡が立ち、賑やかな声が満ちていた。

 あの頃、荒神は別の神として奉られていたのだ。 

 けれど…───。

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