4.約束が結ぶ恋
4‐1
八百万の神様たちが住む、小さな国がある。神様も動物も人も、それぞれがそれぞれの領分で暮らしている、極めて平和な国である。
平和な国、ではあるのだが。
不穏な神様が全く居ない、という訳ではないのである。
*
北の外れの小さな町に出張で来た高梨は、町の空気がピリピリしていることに気づいた。
もともと、妙な勘が働く方である。
そして嫌なことに、その勘はよく当たる。
「…旅先でまで、やなことに遭いたか無いんだけどな。」
思わず呟いて、高梨は苦笑いを浮かべた。嫌なことと決めつける必要はない。もしかするといいことかもしれないじゃないかと、前向きに考え直すことを、いつからしなくなっただろう。
くたびれたオヤジにはなりたくない、と思っていたのに。気づいたら30歳台に突入して、はや数年だ。
うかうかしていたら完全オヤジだな、と内心ため息をついた時だった。
高梨の進行方向で、なにやら騒ぎが起きている様子が見てとれた。
───やっぱ、やなことか…
なるべく騒ぎに巻き込まれないように通過したい、と高梨は距離を保って立ち止まる。
迂回出来ないかと遠目に眺めていると、騒動を取り巻く人波から弾かれたように、小さな女の子が車道へよろめき出たのだ。
「──っ!?」
危ない、と叫ぶ暇などなかった。
車は目と鼻の先。間に合わない、と思った瞬間、
「えっ!?」
轢かれる直前の少女を抱き、ふわりと宙を舞った人影が、高梨の目の前に音も無く着地した。
「えぇ──!?」
高梨は更に目を疑った。
無事に少女を救い出し顔を挙げたのは、息を呑むほどの絶世の美女だったのだ。
絶句したままの高梨に、美女は不敵な笑みを浮かべた。
「おまえ、
珍しげにそう言うと美女は高梨に少女を預け、
「見えた褒美に、おまえに名誉をくれてやろう。世の中、嫌なことばかりでもないぞ。」
高梨の心を見透かしたように囁くとクルリと踵を返し、ふわりと跳んだ瞬間に姿を消した。
───き、消えた!?
高梨が唖然とした瞬間、不快なブレーキ音とどよめく歓声が起きた。
ハッと我に返った高梨に、駆け寄ってきた恰幅の良い男性が、
「ありがとうございます!ありがとうございます!ああ、なんと感謝すれば良いのか、本当に、ありがとうございます!」
半狂乱とも思える興奮状態で感謝を繰り返しながら、少女を抱き締めた。
「え、いや…俺じゃ──。」
助けたのは俺じゃない、と高梨が言い掛けた所に、別の声が掛かった。
「矢田商事の高梨さんじゃないですか?」
「あ、堀田さん…。」
現れたのは、今日の打ち合わせ相手の営業だ。堀田は高梨の前に立つ親子の隣に並ぶと、深々と頭を下げた。
「高梨さん、ありがとうございます。社長のお嬢様を助けてくださって、本当に感謝します。」
───だから、俺じゃないっ!
もはや否定する気力も何も無い高梨だった。
*
命の恩人という名誉のお陰で、打ち合わせも商談もあっさりと成立。
更には豪華な夕食に招かれ、高梨は狐に摘ままれた気分のまま、社長宅で食事をしていた。
───そう言えば、くれてやると、言っていたな…
ふと、絶世の美女が口にしていた言葉を思い出す。あの時、確かに彼女は褒美に名誉をくれてやる、と不遜に笑った。そして世の中嫌なことばかりでもないと。
「…神様、だったりして?」
「え?」
思わず漏れた呟きに反応され、高梨は慌てた。
「あ、いや…、昼間は何の騒ぎだったのかなぁと…。」
苦し紛れに笑うと、
「ささいな原因だったのでしょうが、何せ諍いは絶えませんからねぇ。荒ぶる神を祀っているせいか…。」
思わぬ答えが返ってきた。
「荒ぶる神?」
問い返す高梨に、社長はこの街の信仰神の話を語り出した。
その話をざっくり纏めてみると、どうやら現在信仰されている神様は、荒神様の類いらしい。そのせいか、祭りも大変荒っぽいケンカ御輿が練り歩き、毎年怪我人も多く出るそうだ。
「大昔は、違う神様を信仰していたらしいんですが…。」
どんな神だったのか、それを知る者はもう居ないほどの昔だと、社長は笑っていた。
食事会の後、宿泊するホテルへと戻る途中で、高梨は騒動のあった場所へと足を向けた。
今更行っても何も無いだろうとは思ったが、あの美女に繋がる手掛かりは無いかと…、望み薄なことを考えていたのだ。
期待をしていなかったのに。
高梨は足を止めた。
絶世の美女が、待ち構えていたかのように、高梨を見て笑っていた。
「どうだ、良い目には遭えたか?」
良く通る声だが、聞こえているのは自分だけなんだろうと、高梨は思った。
「おかげさまで、命の恩人だと歓待されましたよ。面喰らいましたがね。」
高梨の答えに、彼女は心底楽しそうな笑い声をあげた。
「吾と言葉を交わせる者が現れたのは久々だ。おまえ、この街の者ではないようだが?」
「高梨、です。おまえじゃなくて、高梨と呼んで貰えたら嬉しいですね。」
にこにこと名乗った高梨に、美女は少しすまなさそうな顔をした。
「高梨、か。吾は名乗れぬが…。」
「分かりますよ。あなた方にとって、名前は命のようなものですよね。気にしないで大丈夫。俺は仕事で時々ここに来てるんですよ。」
本当は仕事だけではない。
昔、この街の郊外に、母方の祖母が住んでいた頃、高梨は時々ここを訪れていた。だから高梨には、この地の血が流れているとも言える。全く縁が無い土地ではないのだ。
「そうか…、旅人のような者なのだな。それは残念だ。」
美女は、会話が出来る相手に飢えていたのだろうか。お世辞抜きに残念がる姿が、思いの外愛らしくて、高梨は少し浮かれた。
「貴女は土地神様、ですか?」
こんな土地神様が居るのなら出張万歳だな、などと考えながら問い掛けた高梨に、
「吾は、荒神なのだ。」
ぽつり、と美女が呟いた。
予想はしていた答えだったが、やはりそうなのかと、高梨は思った。
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