2‐2 

 疫病神も同じように素を辿れば、最初から疫病神ではない場合の方が多い。

 結ぶべきえにしを上手く結べずに歪んでしまったり、とがを課せられた神様が疫病神となっているのだ。だから、歪みを取り除けば神様は復活する。

 疫病神だ、諍いの神だ…と忌み嫌われる神様ではなく、崇め奉られる神様に戻れるのだ。


「名のある神様の場合、の話だけどね…。」

「名のある…?」

 問い返す奈津美に、静流は続けて話し始めた。


 八百万の神様みなが、個々に名前を持っている訳ではないこと。

 力のある、名前を持つ神様はごく一部であり、大半は名も無い、力の弱い、崇め奉られることなどもない神様なのだということ。

 そういう格下の神様は、生まれ出でる時からの疫病神であり諍いの神である、ということ。

 けれどそれら小さき神々は、大きな影響力がある訳ではないということ。


 そうして…───。

 奈津美に憑いている神は、小さき存在の神ではない、ということ。


「力のある神様はね、突然顕れて夫婦になれ、なんて言わないの。だから奈津美さんとこの神様には、深い繋がりがあるはずなのよ。」


 静流がキッパリ言い切ると、疫病神が低く威嚇するように唸った。


「それ以上、余計なことを言うなよ。」

 黙って聞いているのは限界だったのだろう。しかし静流は気にもせず、


「もちろん、これ以上はあなた方の領分だわ。私は静観するしかないのよ。」


 凛とした声で言い返す。その真っ直ぐな強い眼差しに、疫病神は更に唸った。


「チッ…、さすが、貴様が選んだだけある。キツイ女だな、らく。」


 烙と呼ばれた神様は、静流の隣でニヤリと笑った。


「静流は、俺の妻だからな。」


 誇らしげな言葉。

 そのやり取りを見て、何故か奈津美の胸がチクリと痛んだ。



 泊まっていけという静流の言葉に、奈津美は甘えることにした。

 疫病神が静流の神様と話をしていて、自分に付き纏わないのが嬉しかったせいもあるが、奈津美はもっと静流に聞きたい事があったのだ。


「さっき、疫病神が静流さんの神様を“らく”と呼んでたけど、名前ですか?」


並べて敷いた布団に寝転がって、奈津美は尋ねた。


「そう。正式な真名ではなくて通り名と言うかニックネームと言うか…。」

「真名って、何ですか?」

「奈津美さん、神様に興味が出たの?」


 畳み掛けるように問う奈津美に、静流はクスクスと笑った。


「すみません。…でも、訳分からないまま疎ましがったり、邪険にするのは…、間違ってるなって、静流さんを見ていて思ったんですよね。」


 奈津美の答えに、静流は嬉しそうに微笑んだ。


「…ありがとう。奈津美さんはやっぱり、神様に選ばれた人、なんだね。」


 選ばれた人…。

 そんな風に考えていなかった奈津美は、ドキッとした。

 なんだか自分が、とても特別な存在になったような錯覚をしてしまいそうになる。


 戸惑っている奈津美に、静流はゆっくりと語る。


 神様には、真名がある。

 それは神様の魂、存在そのものを顕している特別な名前だ。

 神様が真名を与える相手は、夫婦やつがいになった魂の伴侶だけである。


 ちなみに当然であるが、同等格の神様同士も、互いの真名は知っている。そうでなければ、互いを呼び合えない為、会話がややこしくなってしまう。

 ただ、真名は相手を縛ってしまう力を秘めている為、おいそれと口には出来ない。


 通常は、真名の一部などを呼び名として使うのだ。

 だから疫病神は静流の伴侶の神様を、真名の一部である「烙」と呼んだのだ。

 つまり、烙の呼び名を口にした疫病神は、同等格もしくはそれ以上の、力のある神様だということになる。


 静流は、神様が何らかの問題で奈津美との縁をきちんと結べず、疫病神になってしまったのではないかと考えていた。

 だから奈津美が神様を受け入れられれば、疫病神から戻れるのではと思うのだ。

 もちろん確信はないのだが。


「真名って、なんだか怖いですね。」

「怖い?」

「だって、存在のすべてを縛っているんですよね?私達、人の名前にはそこまで影響する力が無いから、簡単に呼んでるじゃないですか。」


 名前を呼ぶだけでも、大変な責任が有るのだと思うと怖いと、奈津美は呟く。

 その真摯な眼差しに静流は、きっとこの二人なら乗り越えて行けるだろうと思うのだった。



 結局、疫病神を祓うことは出来なかったのだが、静流に出逢えたことは、奈津美にとって大変意義深いものとなった。


 全く知らなかった神様のことを少しでも知ったことで、無闇に苛立つことも少なくなったし、何より、奈津美は疫病神と向き合おうと思えるようになっていた。


 疫病神は、相変わらずではあったのだが。

 今日も今日とて疫病神は、不遜で高飛車な態度で奈津美を口説く。


「俺の名前を聞く気になったか?」


 いい加減にしろ、と呆れながらも奈津美は、疫病神を真っ直ぐに見つめる。


「あのねぇ、そんな大事な名前を、私みたいな女に、簡単に教える気になっちゃ駄目よ。」


 真名は命そのもの。

 そんな大事なものを簡単に渡さないで欲しいと、奈津美は思う。


「おまえだから教える、と言ってるんだ。」

 憮然とする疫病神に、奈津美は困ったように笑った。


 自分は、そんな特別な人ではない。

 我儘で短気で、まだまだ大人げない半端者だ。

 静流のように神様を受け留め、その命ごと愛しきれる自信なんて、これっぽっちもない。


 だけど…──。

 たとえ疫病神だとしても、こんな自分を選んでくれたのだ。


 奈津美は思う。

 本当ならとっくに名前を明かしてしまえばいいのに、こうやって毎日気持ちを確かめる疫病神は、もしかしなくても奈津美の成長を待っているのかもしれないと。


「俺の嫁にしてやるぞ、奈津美。」

「…祓うぞ。」


 上から目線の疫病神に威しを掛けても、笑い飛ばされるだけなのだが。


「その気の強さが最高だな。」


 疫病神の眼差しの奥にある、限りない慈しみの色に気づかないふりをして、焦らすのも楽しいかもしれない、と腹黒く思ってみたりする奈津美は、確実に変わろうとしている自分に、まだ気づいていない。


 とどのつまり、意地っ張りな似た者同士なのである。

 そんな二人の恋は、これからちゃんと育っていくのか、はてまた…。




 今日も。

 八百万の神様の住む国は

 つつがなく平穏である。


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