1‐2


「うわっ!?」


 驚いた男が手を離す。

 次の瞬間、静流は背後からふわりと抱き締められていた。


「俺の嫁に手を出すとは、焼き祓われても文句は云えんぞ!」

「ひいっ!?」


 怒気を含んだ声に男達が逃げ出す。

 静流は自分を抱き締める逞しい腕に、背中を包む大きな温もりに言葉を失ったまま、恐る恐る振り向いた。


「…神、…さ、ま?」


 信じられない。

 いつも小さな小鳥サイズだった神様が、凛々しく逞しい青年の姿になっている。

 背中の翼は燃えるような緋色をして、焔を纏っているようだった。その姿に、静流は覚えがあった。


 この姿を知っている。

 自分は、この姿の神様と一度逢っている…───。



 静流がまだ小さな頃。確か3、4歳ほどの幼い頃。

 本宮が火事になった。

 火事の原因は連続放火魔の付け火だったのだが、その被害に遭った時、静流は運悪く本宮の中に居たのだ。


 古い木造建築の本宮は、火の手が上がると一気に燃え広がり、静流の逃げ道はあっという間に無くなったのである。

 小さな静流には、どうしようもなかった。


 悲鳴や怒号が燃え盛る焔の向こうで響いていた。消防のサイレン、焼け落ち始める壁や天井…。その時、静流を抱き上げてくれた腕があった。

 誰ひとり入っては来れない焔の中、泣いていた静流を抱き上げ、


「もう大丈夫。」


 そう告げて微笑んでくれた人。

 あれは、あの人は…───。


「神様、だったの?」


 静流の問い掛けに、神様は困ったような顔をした。


「憶えていたのか。」


 静流の記憶に微かに残る、焔を纏った鳳凰が、目の前で微笑んでいる。

 言葉を失う静流に、神様は真剣な表情を浮かべた。


「あの時、おまえの涙があまりに美しくて。このまま拐ってしまいたいと思ったのだが。幼いおまえを奪っては、親御に申し訳ないと…、おまえの成長を待つことにしたのだ。」


 ずっとずっと待っていたのだと、神様は切なく囁く。


「静流、俺では駄目か?」


 俺の嫁には、なっては貰えぬか。

 切なく掻き口説かれ、静流の心は震えた。

 自分を助けてずっと見守っていてくれた神様に、押し殺そうとしていた想いが溢れる。


「私で、いいの?」


 もっと神様に相応しい女性がいるだろうと、静流は思う。それでも、求められる甘い心地好さを手離せない。


「静流がいいんだ。」

「神様…。」

火烙からくだ。」

 静流の耳許で神様が囁く。


「俺の名は、火烙だ。」

 それは魂の真名まな

 特別な者にしか渡さない、真実の名だ。

「俺の名を呼んでくれ、静流。」


 静流は甘く、小さな声で囁いた。

「火烙…。」

 私の神様。

 私だけの鳳凰…───。



 神社の境内を綺麗に掃き清め背伸びをした静流に、いつもの声が掛かる。


「終わったか、静流。」


 鳥居の上にちょこんと座っている神様に、静流も同じ言葉を返す。


「飽きないね、神様。」


 神様は鳥居から舞い降りると、美しい青年へと変化して、静流をそっと抱き締めた。


「飽きないぞ。静流は俺の嫁だからな。」


 まだ学生の静流に配慮して、神様はもう暫く待つことにしたのだ。

 静流が卒業したら、晴れて夫婦めおとの契りを結ぼう、という約束を交わして。


「私で、本当にいいの?」

 不安げに問う静流に神様は笑う。


「俺の真名を握ったのに、何を怖がるんだ?」


 俺はもう逃げられないのだぞ、と悪戯っ子のように囁く神様を、静流はギュッと抱き締め返した。


 神様は静流の為に、夫婦になっても人の世で生きようと言ってくれたのだ。

 静流が人として寿命を全うし、神様を遺して逝ってしまうことになっても良いと。静流が生きたいように生きて良いと、言ってくれた。


 遺される悲しみを甘んじて受け留めると誓った神様の、深い深い愛情に静流は泣きながら感謝したのだ。

 こんな人には、二度と出逢えないと静流は思う。

 もう、手離せない。

 この愛情を。


「火烙、愛してる。」


 囁く静流に、神様は満面の笑顔を浮かべた。





 今日も。

 八百万の神様の住む国は

 つつがなく平穏である。



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