第5話 お嬢様下士官、身勝手戦記 前編
中緯度地方に属するアヴォン・オタ・メイは、季節によって夜が冷え込むこともあるが、おおむね一年を通じて過ごしやすい。
しかし六月ごろ、短い雨季がある。
そんな少し嫌な季節の前も、機装砲運用研究所での基礎的訓練は続いていた。
九式改のギアなどの部分改造も進む。カルネア兵長は、整備担当のレフェクティオー軍曹に協力し、かなり感謝されていた。
その女性助手、太めでやや動作の緩慢なオベーサ伍長は、大柄なカルネア兵長を憧れの眼差しで見つめる。カルネアもそのことに気づいて少し戸惑うが、伍長はうぶだった。
オベーサは休憩時間などによく、菓子などをさしいれる。
「恐れ入ります、伍長殿」
「あなた、あのきれいな特科軍曹と、むかしから知りあいなの?」
「そう言うわけではないんです。元々機甲学校で整備工やってて、あの人になんと言うか、スカウトされましてね。世話にもなったし、まぁこれも運命です」
「あんなきれいな人にお仕えできて、うらやましいな」
オベーサ伍長はその「お嬢様」がやってくるのを見て、立ち上がり敬礼した。
「どうかしら、わたしの象さん、燃料パイプの具合なおった?」
機装砲のあだ名は幻の巨獣「象」になった。もっともみんな、図鑑でしか見たことはないが。
「ありがとう、伍長。この大きな兵長、役に立つでしょ」
「はい、優秀な整備士です。軍曹や少尉まで、褒めてます」
「ただし腕は貸してもいいけど胸はだめよ。形のいいおっぱい、私の専有物よ」
と去って行く。オベーサは驚いてカルネアの顔を見つめる。突然振り向いたミーマは、背後から太目の伍長の背中に抱き着いた。
「大きけりゃいいってもんじゃないのよ。カルネアみたいに形がよく、肉体とつりあいがとれてないとね。もっと修行しなさい」
ミーマが去った後、オベーサは驚愕の表情で、カルネアを見つめる。
「自分の肉体には絶対の自信をもっているけど、胸だけはあたしのをうらやましがってる。出来れば取り換えたいらしい。まったく迷惑な話ですよ」
訓練は順調に進んでいく。砲術も模擬弾での基礎訓練が終わり、緊張する実射訓練が近づいていた。その頃になると「脚」はやや気楽である。
カルネアは整備も手伝っていることで、よく自由時間に酒保で気さくなレフェクティオー軍曹に奢ってもらっていた。一般の兵営と違って消灯時間も自由である。整備班は夜通し作業することもある。
最近カルネアは深夜をすぎて、腹いっぱいになって個室に戻ることが多い。たいてい美容にも気をつけるお嬢様は、眠っている。
就眠着に着替えてベッドにもぐりこむと、カルネアはたちまち眠ってしまう。しかしミーマのはっきりとした寝言に、時々起きることもあった。
「わたくしに不可能なんてありませんわよ。ぬははははは」
「ええい、いいおっぽいをわたしによこしなさい! ああ、柔らかい」
あまりゾッとしない寝言も多いが、たまにこんなことも言った。
「お父様にかわって、我が家名を必ずあげて見せます」
「カルネアはわたしの脚ですの。命をかけて守りますわ」
この夜も暫くして、また目を覚ましてしまった。お嬢様は毛布をはねのけている。カルネアは起き出して、毛布をかけなおした。
「つくづく、変わったお嬢様だな」
と額にキスをして、また寝ることにした。
ミーマ特科軍曹と精悍なアギリス曹長、砲兵出身のセウス曹長は機動砲の特訓に入った。
野戦機動砲兵の使っている最新の六十ミリ野戦砲の改良版だが、直接照準式の運用に、セウス曹長も少し戸惑う。砲兵は距離と包囲を測定し、曲射弾道を計算することが多い。
最初は地上に固定した模擬砲塔の中で、模擬弾の発射手順を学ぶ。続いて少し離れた草原地帯の演習地で、いよいよ実弾射撃訓練に入る。
それぞれの脚であるカルネア兵長、スクリープトル伍長とコローヌス兵長も一応発射方法を覚えることになる。いざと言う時は自分で撃つのである。
狭い砲塔での模擬弾発射の轟音は、ミーマも辟易した。また発射後の熱い空薬莢の熱気にも、慣れるのに時間がかかった。
それでも三砲術長と三人の操脚手は、なんとか模擬弾発射が可能になった。やはり砲兵出身のセウス曹長の熟達が早く、ミーマは少し悔しがった。
続く実弾訓練は、特別に砲兵隊から砲兵中尉か出向してきて指揮を行う。六十ミリ野戦砲はさほど威力がないが、速射性にすぐれ堅牢だった。
同時に、九式改機装自行砲での歩行、走行、そして射撃の訓練も続けられる。 フィーデンティア大尉の期待以上に、また所長が驚くほど六人とも上達していた。またカルネアなどの進言もあって、三機の九式改の操作性能も向上した。
そして短い雨季が終わる頃、ついに機動砲撃訓練の日を迎えた。場所はあの、広大な演習地である。機装砲の真価を発揮する訓練だった。
新兵器である機装砲で街中を走るわけにはいかず、まだ数の少ないアルコール内燃機関自走輸送車三台を、所長は輜重部隊から借りて来ていた。
移動は目立たないよう、夜になって行われる。整備班特製の大型運搬台に、それぞれの機装砲は「正座」した。それを軍曹たちが太く頑丈なロープで固定し、上には大きな帆布をかけて隠す。その他の機材や燃料は、耳馬たちにひかせる。
ミーマたちは特別夜食を配給された後、二頭立ての輜重馬車に乗って、分散して離れた演習地へとむかう。大尉は「寝ておけ」と指示していた。
誰もが本格的演習にやや興奮して寝づらかったが、ミーマは早くに眠ってしまった。
高原近くの演習地到着は夜明け前だった。すでに工兵隊がテントや本部を整備しているが、小雨がパラついていた。
演習は草原機動から荒れ地踏破、鋼脚歩行中の空砲射撃と続き、最後は目標である的に実弾を発射する。各機走砲には実弾が五発、空砲が十発積まれている。
実戦となると各種実弾を合計七十発積むことになる。実弾射撃訓練は終えていたが、皆はやはり緊張した。午前中に雨が降り出したが、当然演習は続く。
三機の機装砲は雨の中、三か所から一斉に目標を目指す。人の大きさほどある布張りの標的にむかうのである。途中の間食も砲内で缶詰である。
荒れ地を歩行し、旗のある場所で緊急走行モードとなり、空砲を発射する。また立ち上がり荒れ地を越え、空砲を発射するなどをくりかえす。
そして最後に、布張りの目標に向かって六十ミリ砲の実包を発射する。
さすがのミーマも緊張した。
「カルネア、停止後三秒で照準あわせる。平坦地で停止前に声かけて」
「三秒? 短すぎますよ」
「まかせて。不可能なんてないわよ」
岩場の斜面を登ってきたカルネアは、狭い平坦地を見つけた。
「あと少し。三、二、一、停止します!」
機装砲が佇立する。
目標までは直線距離で五百メートルほど。雨で視界はやや悪い。
「目標捕捉、照準調整!」
照準器は砲塔内の砲のすぐ横にある。何度も訓練を受けた通りに、ミーマは調整した。五百メートルと言う至近距離では、砲弾はほぼ直進する。
「発射用意! 発射!」
叫びつつ、トリガーを引く。轟音が砲塔を振動させる。砲弾は赤い光となって直進し、布張りの標的の丸い中心を破いた。
さらに百メートルほど飛んで、背後の岩にあたって炸裂した。満点だった。
「すごい。照準三秒で中央命中ですか。さすがお嬢様」
続いて文学青年スクリープトル伍長の操縦する機があがってきた。カルネアは急いで射撃に適した場所から、降りて行く。
状況発動位置に戻るまでに浅い河を渡り、一度空砲を撃つなどの課題が残っていたが、ミーマとカルネアには他愛のないことだった。
演習は整備担当のレフェクティオー軍曹とフォルティス少尉が、高台に立って双眼鏡で確認し、点数をつけていく。勇敢な少尉はひとりごちた。
「やるなあ。美人お嬢様。口ばっかりじゃない。いつも大したものだ」
しかし、と少尉は思う。実力は大したものだが、いかんせんあの性格である。ベテラン曹長二人は口にこそ出さないが、かなり警戒しているようだった。
少尉は敬愛する女大尉から言われていた。個々人の技能向上よりも、三機六人のチームワークが大切だ。
その為にも信頼されるリーダーを見出して欲しい、と。
人間としての幅、頼もしさから言えば、背の高いカルネアが一番だ。しかし身分が一番低い。
しかもまだ兵長である。下士官ですらない。そして軍歴も一番浅かった。つい数か月前までは軍属とは言え地方人だったのだ。
難しい岩場での歩行にコローヌスが遅れたが、おおむね順調に午前の演習は終わる。雨のそぼ降る中で、機装砲兵たちは自分たちで昼食を用意した。風も少しある。雨で火がたけないので、佇立した機装砲の下で缶詰などをあける。
「雨の中での冷たい食事なんて、人権侵害よ。お湯わかしてよ」
例によってお嬢様は無理を言う。砲周辺で火を使うことは厳禁だった。
それでもカルネアは少し離れた岩陰の雨のかからないあたりで、雨天でも使える軍用アルコール・カンテラを使って火をおこし、万能鍋で湯を沸かして肉缶とスープを温めた。
戻るとミーマはいつ持ち込んだのか、折り畳み式のキャンプ用椅子を二つ並べ、優雅に待っていた。機装砲が屋根がわりである。
風の雨の中で二人して温かい食事をしていると、見回りに来た少尉は呆れた。
「体力の温存も重要な作戦要素と教範で習いました。温食は兵食の基本ですわ」
確かにそのとおりなので、フォルティス少尉も何も言わなかった。
午後から雨脚が強まった。ラジオの天気予報によると、嵐が来そうだと言う。作戦不可能なほどの風雨になると、当然中止される。明るいうちはそれほどでもなく、また同じ演習が続く。
午後は二回目三回目が予定されていた。
午後の第二回総合砲撃演習では、三機とも午前にくらべて成績がよく、統裁官であるフィーデンティア大尉も満足だった、
射撃の腕前は、やはり砲兵出身のセウス曹長が一番、鋼脚歩行はカルネアが一番だった。総合点数では、ミーマ機とセウス機が並んだ。
そのことでお嬢様特科軍曹は不機嫌で、大休止中もずっと不平を言っていた。
「美貌点、名門点とか加算されないの、不公平だわ」
「……無茶ですよ、お嬢様」
とカルネアは低く笑った。大休止の時間がやや長い。
その間、風雨は強まって行く。
「天気予報だと、日暮れから相当荒れそうです」
熱血少尉は女大尉に報告する。勇敢な少尉だが、無謀ではない。無線で研究所長に指示を仰ぐと、兵と砲の安全を優先しろとの答えだった。
暴風になると、賢い耳馬たちが言うことをきかなくなる。人間の言葉をある程度理解するうえ、自然現象の変化に敏感だった。危険な命令は拒否する。
「よし、帰りのこともある。第三回の演習は中止だ。少尉は研究所に報告せよ」
こうして風雨が強まり暗くなった頃、機動演習隊は撤収をはじめた。軍曹たちが機装砲を点検しているあいだ、輜重馬車の準備が出来た。
風雨が強まる前に馬車は出発。機装砲兵は内燃自走牽引車に分乗し、それぞれの機装砲をひっぱって帰ることにした。
荷台への搭載作業中、無線で天候を確認していた熱血少尉フォルティスが、精悍な女性大尉に報告する。
「この先で、幼年学校一号生徒隊が孤立しているとの連絡が入りました」
「なに? こんな中で?」
広い演習地の片隅で、一号生徒たちが分隊ごとに野営と夜間戦闘訓練に来ていた。あらしの為に急遽撤収帰営となったが、水源確保のために川辺で天幕を張っていた一分隊五人が、増水した為に渡河不可能となった。
片側は切り立った崖で、登るのは難しい。どんどん増水しつつあると言う。近くに他の部隊もなく、救援を求めている。
「よし、所長少佐に現状報告。機装砲は直ちに救援に向かう。こんなあらしの中で動かせるのは、この鉄の象ぐらいよ。いいわね」
六人は台車に乗せようとしていた機装砲の、出発準備をはじめた。
三十分以内に、三機は濁流渦巻く森の中の谷川についた。少尉は風雨の中、アギリス曹長とスクリープトル伍長ののる「象」の砲塔につかまって現場に着く。
一号生徒を引率していた幼年学校教官、オヌス大尉はたたき上げの苦労人で、問題生徒ミーマのこともよく知っていた。増水した河岸で再会して驚く。
「お久しぶりです、教官殿。どうです、ますます綺麗に立派になったでしょう」
「君か……確かにまあ。それよりも見てくれ、向こう岸に五人取り残されてる」
こちら側には士官学校生徒二人と補助教官の軍曹がいて、川をまたいでロープを張ろうとしている。フォルティス少尉は無謀だと言う。
「なんとか機装砲で渡河し、五人を砲塔につかまらせて、渡します」
「しかし川の深さは二メートル以上ある。あれでは流されないか」
苦労人大尉の言うとおりだった。雨は激しくなり、流量はかなり増えている。
「教官大尉殿に意見具申。機装砲渡河は危険です。一号生徒を対岸の崖、少しでも高いところに避難させ、嵐が過ぎるのを待った方が安全です」
そう進言するミーマを、少尉と大尉が見つめる。少尉も悩む。
「しかしあんな足場もないほぼ垂直の崖に、一晩つかまっていられるかな」
「行きましょう。自分には自信があります。他の機は待機してください」
言い切ったのはカルネアだった。ミーマは少し厳しい顔をする。
「兵長、自機を危険にさらして、わたしの意見を無視するの?」
「いえ……お譲……特科軍曹はこちらでお待ちください。自分一人で行きます」
「よし、兵長、危険だが……」
「待って下さい。あの機の砲術長はわたしです。脚に勝手に判断させないで下さい。一人で行く? 頭なしの脚で渡河なんて無理です。わたしも行きますっ!」
「でも、危険ですよ。もしも犠牲になるなら一人でいい」
「天から選ばれた私が行くのよ。流されなんかしないわ」
少し怒った顔のミーマは、U字型の谷川の上流を悔しそうに見つめる。
対岸の砂州はもう、濁流に洗われている。天幕を流された一号生徒五人は、岩壁に張り付いて風雨に耐え、青ざめて無口である。女性も一人いるらしい。
上流に両側から岩壁の迫っている部分がある。はっとしたミーマはふりむき、アギリスとセウスの両曹長に行った。
「演習用実弾が三発づつ残っていますね。
それをあの狭まった岩場に撃ちこんで!」
「な、なにを言いだすんだ、特科軍曹」
「両岸の岩を崩して、一時的にダムをつくるのであります、少尉殿。わずかな時間、川の流量は減ります。そのあいだに我々が渡河し、一号生徒を救出します」
「なに………そうか! しかし、崩れた岩と土砂のダム、いつまで持つか。
ダムが崩れたら、それこそ砂州もこちら側も流される」
「賭けです。少尉殿と他の機装砲は、川岸の高台で避難しておいてください。わたしと強脚のカルネアで行きます。しっかりハッチを閉めてね。いいわね」
大柄なカルネアは大きくうなづいた。
「あなたにお仕え出来て光栄です。たとえ共に遭難しても、幸せです!」
「……馬鹿! わたしが死ぬものか。天が許さないわ。さあ、急いで!」
二人は「象」に乗り込んだ。本体にある操脚部の出入りハッチは、しっかりと閉じられた後、外からスクリープトル伍長とコローヌス兵長が緊急補修用のゴムパテを、隙間に塗りつけた。そして残った二機と共に、濁流が増水しつつある河岸に並ぶ。感動した熱血少尉が叫ぶ。
「目標、川の狭隘部両岸壁面っ! 各自撃てっ!」
三機の鋼鉄の「象」は、二発づつ左右の崖に撃ちこんだ。鋭い爆発音ともに岩崖は崩れ出す。
ほどなく崩れた岩が濁流をせき止めだした。機装砲塔の中でミーマは叫んだ。
「やったわっ! カルネア! 流れを見ていて。減ったら行くわよ」
「すごい! さすがお嬢様だ」
そそり立つ両岸の岸壁が崩れ、雨の中でも濛々たる砂煙をたてる。大小の岩は流れを塞ぎ、機装砲の半分程度の高さの「ダム」を作り出した。
暗灰色の濁流はほぼせき止められ、その下流の水位はどんどん下がって行く。ほどなく人の腰ほどになった。
しかし急造ダムの上流には渦巻く濁流がたまって行く、やがて決壊し、すさまじい奔流となって残された砂利の河岸を押し流すのである。
カルネアはすでに歩き出していた。ざぶざぶと流量の減った谷川に入って行く。最深部でも、鋼脚の三分の二ほどの深さである。
慎重かつすばやくカルネアはわたって行き、ついに崖の迫る対岸の狭い砂利浜に達した。
反対側の川岸高台から、歓声が起きる。幼年学校一号生徒五人は、涙を流しつつ鋼鉄の象の周囲に集まった。砲塔上部のハッチを開けて、ミーマは幾分収まった風雨の闇夜に、上半身を出した。
その間、機装自行砲は車輪走行モードに転換しつつあった。
「さあ、急いで砲塔に取りついて! あまり時間ありませんことよ」
幼年学校一号生徒は荷物も捨てて、低くなった機装砲の砲塔によじ登った。
「ス、ミーマ様…まさか、ミーマ様が助けに来て下さるなんて……」
「え? ラウキタース? あなたもいたの……知らなかった。
さ、しっかり砲塔に抱き着くようにして。手すりをつかむのよ。
……あなたに岩にへばりつくなんて、無理ね。来て本当によかった」
一号生徒たちは「問題有名人」ミーマを知っていた。皆が驚き感謝する。こうして五人を救出すると、機装砲はまた鋼脚歩行モードに立ち上がった。
「さあ、川を渡りますわよ。
みんなしっかりつかまって! 落ちればおしまいよ」
ミーマは砲術長席に戻ったが、砲塔上部のハッチは開けたままにした。
「カルネア! 戻って!」
対岸の高台上では、機装砲兵や士官学校生徒か、雨にぬれつつ「早く」「急げ!」「ダムが崩れる!」などと叫んでいる。
カルネアはやや増えた黒い濁流の中に躊躇わず踏み込む。今度は鋼脚のほぼ上まで泥水が達していた。大小の岩が築いた俄かダムは、崩れ出している。
流れる濁流もまた増水していた。機装砲の鋼脚が黒い濁水にすっかり沈んでしまい、操脚手ハッチの半分が浸かるほどだった。
カルネアは両脚下のペダルと八本のギア・シフト・レバーを巧みに抗い、水量にまけないよう一歩づつ着実に進む。
「カルネア! もうすぐですよ。がんばって!」
「上の連中にしっかりつかまっているように言って下さい。上がる時揺れます」
九式改機装自行砲はついに増水しつつある川を渡り切り、対岸に上ってきた。 川に面した高台からより高い歓声が起きる。
砲塔につかまる五人も、声をあげた。
「いいよ! そのままみんなのところへ」
「上が重すぎて倒れそうです。まず下ろします」
と脚が折れて走行モードになる。ハッチから顔を出したミーマは叫ぶ。
「みんなを下ろす! ロープを投げて!」
鋼鉄の「象」が正座すると、ラウキタースと四人の一号生徒は次々と砲塔から飛び降り、急斜面の崖に投げ落とされたロープを使って、高台へと登り出した。
九式改が再び立ち上がった時、なんとか持ちこたえていたにわか作りの石のダムが、ついに決壊した。まさに堰を切って黒い濁流が押し寄せる。
「崩れた!」「早く!」「危ない!」
崖の上の声を聴きつつ、カルネアは機装砲を確実に高台へと動かす。前脚二本をほぼ折りたたむようにして崖の上に置き、前かがみになるようにして崖の上に乗り上げだした。
その時、黒い奔流が迫り機装砲の後脚二本にぶつかってしぶきをあげた。さきほどまで一号生徒のいた狭い砂利浜も、瞬時に濁流に飲み込まれてしまう。
みなの歓声の中、ミーマとカルネアの機装砲は、川岸の高台に立ちあがってふらついた。
カルネアはバランスを取ろうと巧みにシフト・レバーを動かし、いっきに四脚を折った。九式改はその場に「座り込んで」しまう。
かなりの衝撃だったが、ミーマお嬢様も耐えた。
「いって……カ、カルネア、大丈夫?」
「平気です、お嬢様こそ、ケガはありませんか」
「言ったでしょ。わたしは天に守られてるのよ」
濁流は小高い丘を洗い出した。フォルティス少尉は、全員に即時撤退を命じた。ラウキタースは涙を流しながら、ミーマの名を呼び続けていた。
三機と生徒たちが演習の野営地に戻った時、風雨はやや収まりかけていた。
少尉は女性大尉に報告し、無線で研究所長に連絡した。雨風が強まるなか、無線の調子はよくない。
三機の機装砲は台車に鎮座し、帆布もかけられないまま急いでロープでしっかりと固定された。
濡れて震える一号生徒はミーマの発案で内燃自走車の狭い座席に分散して乗せ、他の元気な下士官や士官学校生徒は、帆布を被って台車に乗った。
三台のトレーラーはこうして出発したが、やがて迎えにきた幼年学校の内燃走行輸送車に合流した。幼年学校一号生徒たちと士官学校生などはそちらに乗り、やっとミーマたちも温かい車輛に乗ることが出来た。別れ際、幼年学校教官オヌス大尉は泣きながら、フォルティス少尉の両手を握った。
「なんてすばらしい兵器なんだ。ミーマ達もありがとう! お礼はあらためて」
生徒たちも口々に顔見知りのミーマに礼を言って、輸送車に乗り込む。何人かは涙を流す。しかしお嬢様は特に嬉しそうでもなかった。
「ミーマ様。やはりあなたはわたしの女神です! 本当にありがとうっ!」
とラウキタースは泣きながら抱き着いてきた。
「違うは。わたしはあなただけのものじゃない。世界の為に生きているのよ」
「そ、そうでした、すみません。わたしもきっと立派な兵士になります」
そう言って輸送車に乗り込んだ。一号生徒と教官たちは幼年学校へと戻って行く。かくて一人の犠牲者も出さず、三機とその搭乗員が研究所に帰還したのは、日付がかわってしばらくした頃だった。
機装砲兵たちは疲れ切っていたが、興奮して誰も眠らなかった。
研究所も全員が起きて待っていた。女性大尉はともかく下士官たちに熱いシャワーを浴びて眠るように命じた。報告や細かな事情聴取は翌日でよかった。
風雨もかなり弱まり、朝までにはあがりそうだった。
カルネアは熱いシャワーをあびると、白い就寝着に着替えた。
濡れた戦闘服と下着を簡単に湯で洗い干した後、洗面所においてある飲料水の小さな樽から、かなりの水を飲んだ。
そして個室へ戻ると、先にシャワーを浴びたミーマが毛布をかぶって動かない。 戻る間もほぼ無言だったことが、気になっていた。
「お嬢様……」
顔を見ようとすると横をむく。泣いているのかも知れない。
カルネアは驚いた。
「どうしたんです。今夜の英雄じゃないですか」
カルネアはミーマの隣に、頭一つ大きい立派な肉体を横たえた。
するとミーマは毛布をはねのけてごろりと反対向きになり、カルネアの筋肉質だが豊かな胸に、顔をうずめたのである。
「お、お嬢様……」
小さく嗚咽していたようだ。
「そのまま抱いていて。そしたら許してあげる」
「許すって……そうか。自分はなまいきな口をききましたね。すみません。
自分が逆らったことで、お嬢様を傷つけました。でも結局お嬢様の咄嗟の適切な判断と果敢な行動が、五人を救いましたよ」
「別に命令違反されても、たとえ罵倒されてもわたしは平気。
わたしが悔しいのは、あなたの判断が正しかったことよ。
もし五人が岩の壁にはりつかせたら、真っ先にラウキタースが落ちてた。わたし本当は、怖かったの。あの濁流をわたるのが。だから反対したの」
「自分だって怖かったよ。
お嬢様がダムを作ってくれなかったら絶対に流されてました」
「あれは咄嗟の思いつきよ。ああうまく行くとは思わなかった。わたしは一瞬、同じ学校で学んだ生徒を見捨ててもいいと思ったの。そんなわたしが許せない。
わたしが間違っていたの。この完璧な私が、判断を間違えるなんて」
「間違いのない人間はないですよ。あんたは、いえお嬢様は命令違反を咎めもしなかった。
いつも美しく寛容です。それに、恐怖を失えば人間なんて簡単に死んでしまう。 恐怖は、危険を避けるように神様が授けて下さったんですよ」
「……やわらかい。わたし、趣味かえようかな」
「ち、ちょっと……」
「命令。もう少しこのままにして」
「………はいはい」
カルネアは細身だがグラマラスなお嬢様の頭を、左手だけで抱きしめた。
翌朝、研究所長少佐が官舎を出て執務室に入ると、快挙を聞いた各機関や知人からの電話攻勢にあった。祝電と激励通信も多数舞い込んだ。
教官だけの朝のお茶の時間に、フィーデンティア大尉は本日午前の課業中止、事情聴取と報告書作成に費やすことを提案し、技術少佐に了承された。
昨晩は興奮してほとんど寝られなかったフォルティス少尉は言う。
「もう、訓練の必要もないほどです。あのミーマもカルネアも、大したものだ。
大尉殿が見出しただけはあります。情報部の情報収集能力はさすがです」
「身分も出自も誓う六人の機装砲兵。結束も固まったわね。それに今度こそ、参謀本部の石頭共も、機装砲の威力を知ったでしょう」
野性的な美しさを持つ浅黒いフィーデンティア大尉も心底嬉しそうだった。
この機装自行砲による快挙は、事なかれ主義の狸親父だけに顔の広い、幼年学校校長マギステル大佐によって、軍首脳部に尾ひれをつけて広げられていた。
ともかく彼の大切な生徒五人が、あの厄介なミーマによって救われたのだ。
保身に走りがちな官僚的大佐が、そのことを深夜オヌス大尉から報告された時、成人してはじめて男泣きしていたのである。
「まったく、無理に卒業させたワシの判断は正しかったな」
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