第4話 強制相棒の奮戦 前編

 四月半ば、この国の各地で入学式などが開催される。首都北郊にある教導団術科学校のそれは、やはりそれほど華やかなものてはない。

 すでに兵役経験者が多く、速習教育から二年に及ぶ専門課程など、各種コースがあった。一応全員が教練場に集められ、学校長准将の訓示を受ける。そして各科ごとに点呼をとり、行進して各宿舎に入って行く。ほとんどが現役兵で行進も堂に入っている。

 背が高く目立つカルネアは、ややぎこちない。昨日まで「地方人」だったのだ。

 四週間予定の短期促成コースは、彼女を含め十二人だった。彼女以外は全員、入学時点で上等兵、兵長や伍長なのである。中には予備役から志願してきた、カルネアの父親ほどの歳のフーマーヌス特科軍曹などもいる。身分は軍曹だが、やや俸給がいいらしい。

 少しこぶとり小柄で、人のよさそうな古参下士官だった。

「大きな姉ちゃんだなあ。ははは」と笑う。

 突然後ろから声をかけたのは、例のお嬢様だった。

「よろしくね。あなたは唯一の女生徒。わたしといっしょに暮すのよ」

 男性は二人一部屋が与えられた。しかしカルネアは、教官補助の部屋に荷物を下ろした。多少広い。小さな机もつていいる。

「あんたの言うとおりになったね。いえ、失礼しました教官補助殿」

「二人きりの時は、そんな言い方しなくていい。お嬢様でいいわよ」

「お嬢様って……」

「むさい男の多いとこだけど、四週間がまんしてね。今夜はみんなで歓迎夕食会。

 明日朝からはいろいろ大変よ。四週間で休暇は一日だけ。あなたたち速習コースは、夕食後もみっちり夜間訓練あるからね。身分は当面兵卒だけど我慢してね。

 あ、シャワーは奥にわたし専用のがあるから、いつでも使ってね」

 早口で一方的に言いたいこと言うと、ミーマはカルネアの背中にはりついて、両太ももをうしろから撫でた。

「あなたはわたしの脚になるのよ。苦労してここ入れたし悪いようにはしないわ」


 確かに一年以上所謂「軍隊のメシ」を食っていたカルネアは、見よう見まねで兵隊らしい動作も出来た。しかし所詮「元地方人」である。

 翌日からの苦労は仕方なかった。六時前、目覚まし時計でミーマは起きた。隣のベッドのカルネアを起こす。

「総員おこし、五分前よ。トイレ使って着替えはじめたほうがいいわ」

 カルネアは眠い目をこすって起き出した。着替えているときに起床ラッパが鳴り響いた。その時すでにミーマは制服に着替え、軍刀を吊っている。

「じゃあ、お先に待ってるわよ。美しいわたしを待たせるなんて、罪よ。

 身分は一番下なんだし、なんでも人より早くすること」

 起床ラッパとともに、五十人以上の各科生徒が教練場に集合。番号を叫んだあと、軍独特の体操となる。雨の日は廊下などでするらしい。

 この軍隊独自の体操で、カルネアは早くも躓いた。当然慣れていない。朝礼台から罵声が飛ぶ。人が罵倒されているのは見たが、自分ははじめての経験だった。

 体操が終わると室内清掃である。自室と廊下などの徹底した掃除のあと、洗面所で洗顔などを行う。新兵教育ほど慌ただしくない。そのあと制服で各個室の前にドアを開けて立っていると、週番の准尉が回って来て一人一人の名前を読み上げる。

 そのあとで食堂へ集まっての朝食である。自分たちで用意することはない、すでに若い当番兵が机に食事のプレートを置いている。

 下士官たちは勝手に食べはじめる。味は機甲教導学校とかわらないが、カルネアには量がいささかものたりなかった。フーマーヌス特科軍曹は、まずそうだった。

 少しの休憩をおいて、午前の講義がはじまる。補助教官のミーマは、講義室の横でずっとカルネアを注目していた。大きな眼の鋭い視線が、カルネアは痛かった。

 他コース兵と同じ講義と、違う講義がある。学科は軍事組織論、戦史、戦術と初等戦略などが主体である。その他統率方法や心理戦などについてみっちりと教えられる。カルネアには聞きなれない単語が多い。休憩時間も短い。

 今後地形学や気象学、薬草についての知識も叩きこまれると言う。

 特に気象学は重要だと言われた。世界情勢に関する講義では、特にイマニムの最近の軍事力増強が話題となった。密かに「超技術」と呼ばれ恐れられている。

 そんなことを「まともに」聞くのは、彼女にははじめてだった。

 学科によって教官はことなる。将校もいれば地方人の講師もいたが、おおむね全員が丁寧だった。ミーマはどの授業でも、講義室の後ろか横に座っている。

 彼女のことをまったく知らない下士官たちは、休憩時間に煙草を吸いつつ「あの美人は誰だろう」「天女様だな」などと噂し合った。カルネアも相当目立つほうだったが、「少しおっかないな」などと囁きあっていた。


 食堂へ入ろうとすると、ミーマが声をかけた。カルネアは敬礼する。

「どう、第一日目。なかなかたいへんでしょう」

「まあ、こんなもんでしょう。食事の量が少ないけど」

「早く食べたら給仕の兵士呼んで。あまってたら、おかわりもらえるわ」

 ミーマは教官たちと同じテーブルである。個人所有物である銀のナイフとフォークを使っている。他の教官たちは少し驚いたが、何も言わなかった。


 午後は肉体を動かす教科である。基礎的な体操にはじまって、ランニングや綱のぼりなどが続く。この方面ならカルネアは得意だった。むしろ四十代のフーマーヌス特科軍曹にはキツそうだった。カルネアは「コツ」を教えた。

「五年ばかりサボってたからのう」などと嘆く。故郷では農業指導技師だったらしい。また発火信号、野営のための簡易陣地構築、匍匐前進、銃剣術などもある。

 明日からは小銃訓練もあると告げられた。こうして夕方までの詰め込みの訓練が続いた。しかしカルネアはかなり体力があり、この程度では疲れない。

 当然講義より、実技が得意だった。なんでもすぐにコツをつかんでしまう。

 夕食は随時とる。今度は量があって満足だった。夕食後は自由時間があり、兵器の手入れから洗濯、そしてシャワーなどに使えた。一日目は免除されていたが、促成コースは自由時間後も夜間行軍や、夜間戦闘訓練があると言う。

「いよいよ明日から大変だな」

 そんなことを言いながら、カルネアは他の生徒とは別に、教官や週番士官の小部屋の奥、個人シャワールームを特別に使わせてもらった。

 個室の前に「使用中」の札をかけ、中で熱い湯を浴びた。自分では平気なつもりでも、腕を回したりすると、筋肉が痛んだ。

「……本物の兵隊生活って、なかなか大変だね。四週間かあ」

「おじゃまするわね」

 突然シャワー個室の扉があいた。入って来たのはタオルをまいたミーマである。

「あ、あの……今、出ます」

「あら水臭い。いっしょに使いましょう。うふふ、わたしと入れるなんて名誉よ。

 筋肉痛にきくハーブオイルもってきたのに」

 と自分もタオルをとって、シャワーにはいる。

「やっぱりすごい肉体、筋肉のかたまりにね! しかもその胸、嫉妬しちゃう」

「……どうも、あなたもその、恐ろしくプロポーションいいですね」

「あたりまえよ。そうでなくっちゃわたしの肉体じゃない。肉体も天の賜物よ。

 後ろ向いて。背中にオイル塗ってあげる。市販してない特製よ」

 カルネアは少し不気味なものを感じつつ、言われる通りにした。

「明日から射撃訓練よ。わたしが特別に押してあげるわよ。だからがんばってね」

 オイルを塗る手が、胸の方へと回りかける。カルネアは体をぬぐうのもそこそこに、シャワー室から飛び出してしまった。

 しかしオイルを塗られた部分は、痛みがとれていた。


 参謀本部と憲兵隊本部間に、幹部将校クラブがあった。使用できるのは大尉以上の幹部で、特に参謀本部関係者がよく集会などに使った。

 この夜、夜勤となっていたフィーデンティア大尉が夜食でも食べようかと、遅くまであいているキャフェテリアへやってきた。背の高い精悍な女性士官である。

 教育総監部とも兼任で忙しい。しかし貴族層に密かに反発している。保守的な軍上層部にも批判的な、青年将校の一人だった。夜食にはシチューなどが出る。

 カウンターで器と飲み物ののったトレーをもらい、椅子に座ろうとすると、主な電気の消されたキャフェテリアの隅で、誰かが座っているのに気づいた。

「……フォッサ少佐? お一人ですか、お珍しい」

 情報部きっての情報職人と言われる人物で、将校クラブで見かけることは珍しいし、また時間も遅い。彼女を教育総監部から情報部へと引き抜いた人物だった。

「フィーデンティア大尉か。情報評価会議で遅くなってな。今日は憲兵隊の宿舎にとまることになってる。君は飲まないのか」

「まだ夜間勤務がのこっております。朝までに報告書を仕上げますので」

 大尉はフォッサ少佐の正面に座り、シチューを食べだした。

「……作戦部作戦課は全軍のエリート集団か。大学校の成績のいいヤツばかりあつめると、やはりロクなことにはならないな。教育総監部も思想を改めないと」

 大尉は、少佐のボヤく理由が判っていた。最近危険な活動が目立ってきたイマニムについて、情報部はスパイを潜り込ませるなどして、驚くべき事実を報告している。しかし自ら全軍のエリートと称する作戦参謀たちは、自分たちにとつて不利な情報を軽視し、やたら精神主義に走るのだ。

 挙句の果ては情報部を、臆病者扱いまでする。

「……君は例の機装自行砲が、将来騎兵にとってかわるとか言う論文を出して、騎兵から追放されたんだったね。

 それで教育方面か。砲の発展と速射機関砲が、騎兵を終わらせるとか」

「今もその意見は変わっていません。情報部に送られて、よかったと思います」

「……作戦課その他が用無しと思うなら、情報部の方であれを運用してみたいな」

「機装自行砲をですか? 潜入には不向きと思います。目立ちますし」

「威力偵察は役立つだろう。密かに潜入するばかりが情報活動ではない。

 状況に応じては決定的打撃にも使えるような。そう、今の装甲騎兵偵察にとってわるような。耳馬と違って弾に強い」

「……なるほど。敵情を把握しつつ、いざとなると攻撃に使える。偵察部隊が待ち伏せにあって全滅なんてことも、過去にはありましたからね」

「問題はあの画期的新兵器をつかる人間が、ほとんどいないことだな」

「それは時間が解決してくれます。総監部の若い連中の中にも、あれの素晴らしさの判る者が、少しづつ増えていますよ。近いうちに、機装砲志願者も増えます」

「…だといいんだがな。しかしあのイマニムの急激な軍備増強と進化は不気味だ」

 フォッサ少佐はグラスに残った蒸留酒を、飲み干した。


 二日目からは夕食後の自由時間も一時間となり、夜間行軍や夜間の野営訓練、夜間潜入訓練などもはじまった。人のいいフーマーヌス特科軍曹は大変そうだったが、行軍時にはカルネアが重い小銃を持つなどして助けてあげた。特科軍曹は兵隊の知恵を彼女に授ける。

 遅くに戻ってシャワーを使う許可が出たが、カルネア以外は疲れていて、個室にもどって倒れてしまう。ベテラン兵士にも辛い促成訓練だった。

 カルネアはフーマーヌス軍曹の荷を解き、編上靴を脱がすなどしてから、自室へ戻った。教官補助室では、ミーマが待っていた。この女も相当な体力だった。

「おかえり。明日からこんなの続くわよ。食堂からパンケーキもらってきてるから、シャワー使ったら食べなさいな」

 ミーマは最後の点検に、出て行った。戻って来るとパンケーキはなくなっていたが、カルネアは寝間着も着ずにベッドで高いいびきだった。

 やがて一週間もすると、促成訓練の要領がカルネアにも呑み込めてきた。苦手だった、重い荷物を背負っての匍匐前進も、早くなってきた。フーマーヌスがコツを教えてくれた。上等兵の一人ははじめ「あのデカぶつ女」などと言っていたが、見直すしかなかった。

「女だてらでこんなトコにいるよりかよう、早めにダンナにもらってもらったほうがいいぜ。いい体してんだし。別の稼ぎ方だって出来らあ、ひひひ」

 などと言う。フーマーヌス特科軍曹がカルネアを慰める。

「ほっとけよ。まだまだ女性は珍しい。なにも出来ないヤツほど、女性に活躍されると腹立たしいものさ。みんな女から生まれてるのによ」

 もっともカルネアは気にもしていなかった。


 一週間に一度の外出日も、促成コースは教練だった。さすがに夜間訓練は免除され、夕食後は自由時間、自由就寝となった。

 男たちは酒盛をはじめ、故郷や原隊の思い出などを語った。

 しかしカルネアは、ミーマに連れ出された。夜間、特別射撃訓練だと言う。

 射撃訓練場は遠いので、練兵場わきの屋内試射場に連れてこられた。的までの距離は短いが、銃の撃ち方は練習できる。

 お嬢様は幼年学校でも、いい腕前で有名だった。

「猟銃とは勝手がちがうからね。反動に気を付けて」

 アンペラの上に伏せて、伏射の態勢となった。ミーマは彼女の耳元に口を近づけて、「銃身を安定させてね」などと囁く。

 一発撃つが、的の隅にあたる程度である。双眼鏡で的を見ていたミーマは言う。

「引き金は引くんじゃなくて、ゆっくりと絞るの。頑張ってね」

 こうして、自由時間の大半は射撃特訓となった。その指導は気持ち悪いほど丁寧だった。そしてミーマは意外にも、教え上手だった。

 翌週からは野外演習場で側図演習や、本物の擲弾を使った投擲訓練もあった。また雨の深夜の行軍、夜襲訓練もあり、軍曹など年配者はかなり堪えていた。

 若く頑強なカルネアはまた小銃などを持ってあげて、感謝された。

 かくて訓練の中間、二週間目の一日外泊日がやってきた。唯一の休日である。ベテラン兵たちは外出許可札をもらい、営門があくとまっさきに飛び出した。目当ては歓楽街である。フーマーヌス軍曹だけは、家族が市街地の旅館に来ていると、少しめかしこんで出て行った。

 カルネアは特に行くあてもなかった。故郷までは距離がある。汽車で行っても、すぐ戻らないと時間がなくなる。汽車賃も馬鹿にならなかった。

 今日は一日、体を休めていることにした。さすがに二週間、人生初の軍事教練は大変だった。

 男たちの中で暮らすことは慣れていたが、ミーマとの同室は緊張する。

 別に「女が好き」と言うわけではなさそうだが、やたらと胸などを触って来るし、「このたくましい脚はわたしのもの」などと断言する。

 その「お嬢様」も今日は、古巣の幼年学校に出かけていた。


 促成短期訓練も後半になると、実地訓練が増える。号令のかけ方や、行軍時の部隊掌握方法。

 また上官への報告方法。脱走者の捜索と処置などもあった。野営もあり、他の班と合同で突撃訓練なども行った。

 三週間もすると元整備工の彼女も、兵隊らしくなっていく。中年家庭持ちの特科軍曹が兵士としての知恵をなにかと授けてくれた。疲れない靴のはき方から、小休止時の体操、肩こりのなおしかたなど、長年兵隊たちが工夫した軍隊生活の知恵を、である。

 ベテラン特科軍曹はブランクが長いものの、班のまとめ役で、はじめ「女だてらに」とカルネアをも下していた連中も、しだいに打ち解けてきた。

 中には「除隊したら嫁にもらってもいい」などと言うものも出てきた。

 カルネアにそんな気持ちは毛頭なかった。今は自分をかってくれた、そしてなにかと目をかけてくれる「お嬢様」に、ついて行ってみようと決心していた。

 そのころ、故郷からの父の手紙がついた。すすめに従って、外国での木の切り出し作業を辞めて故郷に戻ったとの知らせだった。カルネアは嬉しかった。

 すでに予備役大佐の荘園から、採用したいとの手紙が着いていたのである。


 四週間目に入って夜間訓練が増えた。その日は雨だった。道路が泥濘化する。教官など十五人か、演習地で散開して進出、暗い中予定地点で合流するのである。

 全員、完全武装に防水ポンチョだった。小銃をあわせると体重の半分ほどになる。雨が降ると重みが増す。カルネアはまた、こっそりと特科軍曹の荷物の一部を持ってあげた。

 ミーマは目標地点のテントで温かいお茶をのみつつ優雅に待っていた。十数人の生徒はそれどれの地点から、信号弾を合図に一人で草原を抜け、川をわたって斜面をのぼるのである。

 幸い雨はあがりかけていた。途中、敵に扮した警備兵が夜の演習地をパトロールしている。それに見つからないように、予定時刻までにテントに達する訓練だった。夜の山を一人で歩いたこともあるカルネアには、苦でもなかった。

 彼女は田舎育ちで、山中の雨にもなれている。また、山に暮らす者ゆえ、夜でも目はよく見える。遊び過ぎて山で野宿したこともあった。

「誰か!」と誰何する声が闇にひびく。誰かが「敵」に見つかったようだ。敵につかまればかなりの恥だが、敵役も心得ていて、たいていは逃がす。

 闇夜の中にも空砲の音が数発響いて、やがて静かになった。カルネアは草をかきわけ、川をわたって、丘陵をのぼりはじめる。

 どこかで耳馬のいななく声がした。今夜の訓練に、騎兵は参加していない。はぐれ耳馬が、演習地などへ迷い込んで「自活」していることがよくある。

 賢い耳馬は人語を解し人に忠実だが、虐待や理不尽な扱いには反発する。時には他の耳馬と徒党を組んで、集団脱走などもした。騎兵は耳馬にも気を使い、戦友扱いしている。

 カルネアはいななきを無視し、さらに草に覆われた斜面をのぼった。

 のぼりきったあたりにも「敵役」の歩哨が立っている。そのむこうに、アルコールのカンテラをいくつも吊るしたテントがある。ゴールまであと少しだった。

 カルネアは近くにあった石を手にして、体を低くしたまま少し離れた草むらに投げ込んだ。

 古典的な手段だったが、まだ新兵の「敵歩哨」は「誰か!」と叫んで、石の落ちた方へと走り去ってしまう。こうしてカルネアは無事テントに達した。

「おかえり。あなたが一番よ。お茶でもどう?」

 ミーマは嬉しそうだった。


 予定時刻をすぎても、一人がテントに達しなかった。あの温厚で冗談好きなフーマーヌス特科軍曹である。脱柵の可能性はほぼないので、事故か迷ったかである。

「いかんな、朝を待って全員で捜索するか」

 と教官少尉は言う。「敵」十数人もすでにテント周辺に帰還しつつある。

「意見具申。事故だった場合、助けを呼べないほどのケガかも知れません。

 さきほどまでの雨で増水した川で、おぼれていたりすると大変です」

 ミーマは今すぐ捜査しようと言う。教官も同意し、三十数人でカンテラ、軍用懐中電灯や松明をたよりに、軍曹のいそうなあたりを探すとにした。

 ミーマはカルネアとともに、濡れた斜面を下りた。

「まずいわね。みんなで軍曹を呼んでるのに、助けを求める声が聞こえないわ」

 暫くさがしても特科軍曹は見つからない。やがて二人は小川にさしかかった。普段は浅い川だが、さっきまでの雨で腰までの深さになっている。

 耳のいいカルネアは、かすかに耳馬の鳴き声を聞いた。あの逃げた馬だろうか。

「耳馬? あっちの方なの? しめたわ、乗せてもらいましょう」

 お嬢様は気楽にそんなことを言う。しかし確かに機動力として馬があればいいかもしれない。

 耳馬は人間より耳がいい。カルネアは「恩義ある」ミーマに従った。

 広大な演習地には様々な地形がある。小川は簡単な渡河訓練用だったが、この雨でやはりかなり増水していた。かなりの音がする。

「また、いなないている」

 近付くと、かなしげな声である。今度はミーマにも聞こえた。カルネアはアルコール・カンテラを下げていた。そのあかりが近づくと、声がした。

「誰か……助けてくれないか」

 カルネアはハッとした。あのフーマーヌス特科軍曹らしい。

「軍曹っ!」

 雨に濡れた腰まである草をかきわけ、カルネアは幅数メートルの川岸に出て、カンテラをかかげた。闇の中に、青ざめた軍曹の顔が浮かび上がる。

 ミーマものぞきこんで驚いた。

 河の流れの端に、軍曹が胸から上を出している。その下流ではややぐったりとした耳馬が、水面から首だけをだしていた。

「フーマーヌス特科軍曹? 深夜に水浴びとは酔狂な」

「大丈夫ですか? 足をとられたかしら」

「ああ、引きあげてくれ…この馬が、泥に足をとられて呻いていてな。

 助けようとしたら、河岸か崩れた。おかげでこのざまだ」

 馬は首まで川につかり、脚が抜けずに弱っている。軍曹は雨で崩れた土砂や岩に下半身を埋められ動けず、胸のあたりまで水につかっている。

 常春のオタ・メイとは言え、高原の夜は冷えこむ。川の冷たい水で体力を失われている。

「軍曹、しっかり! お嬢様、カンテラ持ってて」

 カルネアは腰より深い川に躊躇わず入り、なんとか掘り出そうとした。しかし暗い夜、川の流れは早い。ミーマは信号灯を腰のホルダーから抜いて、上空に打ち上げた。続いて号笛を夜のしじまに鳴り響かせた。


 十分ほどして、下士官生徒や敵役の兵士たちが集まってきた。

 かくて十数人がロープや折り畳み式の工兵円匙を使って、二十分ほどで軍曹と馬を助け出したのである。

 特科軍曹は冷たくなっていたが、意識はある。耳馬もしばらく横になっていたが、たき火にあててやるとやがて立ち上がった。

 ミーマは訓練教官に、ことの次第を報告した。

「カルネアです。彼女が耳馬の声をききつけて、なにかあると察したんです。

 駆けつけたら、フーマーヌス特科軍曹がおぼれていました。そうよね」

 とウインクしてみせる。カルネアは黙っていた。

 教官少尉はともかく全員が無事そろったことで、満足だった。

「よくやったカルネア生徒。上に報告しておく。

 よし、担架に軍曹を乗せて帰営!」

 少し足を痛めた耳馬は、ともかく学校の厩舎でしばらく買うことにした。耳馬も感謝しているのか、黙ってついてくる。担架上の特科軍曹は涙を流して感謝していた。歩きながら、カルネアはミーマに聞いた。

「あれで、よかったんですか」

「黙ってわたしの言うとおりにして。機装砲への第一歩よ」

 こうして予定よりかなり遅れた夜明け前、短期促成班十数人は教導団術科学校に帰還し、フーマーヌス特科軍曹は医療部に担ぎこまれた。

 軽い打撲と擦過傷、低体温症ぐらいで、練兵休一日ないし二日と診断された。


 翌日は昼食後まで、自由時間だった。シャワーだけつかった生徒たちは、また泥のようにねむり、半分は朝食すらとらなかった。

 昼食時にカルネアが食堂に入ると、他班の生徒まで声をかけてくれた。昨夜のことで、彼女はヒロインになっていたのだ。教官たちも事故にならず感謝してくれた。訓練は特科軍曹含め全員合格、三日後の終了となる予定だった。

 みんなの賞賛の言葉がやや照れくさく、早めに食事を終えると食堂から出ると、出入り口ではどこか嬉しそうにミーマが待っていた。立ち姿は絵になる。

 カルネアは挙手の礼をした。この敬礼も御一新以降世界的にはやっている。

「昼休みはまだあるよね。お茶つきあいなさい」

 いつもながら一方的だった。教導団術科学校教務棟には小さなカフェテラスがあり、兵士である生徒も使える。比較的質素な作りだった。

 カルネアはいつものパンケーキと茶をもらった。

「ともかく昨夜のことで、あなたの評価はあがったわよん。もうあなたが兵役経験ないなんて、悪口言う人もいないし。今じゃ人気者じゃない」

「あたし、いえ自分は別に悪口陰口なんか、気にしませんよ」

「ふふ、さすがね。これで夢にまた一歩よ」

 しかしカルネアは素直に喜べない。

「大金に続いて父さんを雇ってくれたこと。この学校へ入らせてくれたことは、本当に感謝してます。昨夜のこともです」

「別に感謝はいいわ。あなたはわたしの脚になるべく、運命づけられてるの」

「でも四週間の促成訓練が終わっても、多分機装自行砲なんて動かせませんよ。

 機甲教導学校でも一機押し付けられて、扱いに困ってたのに」

 下士官を作る教導団術科学校の場合、正規の教育期間が終わる前に、希望兵科や希望勤務地が聞かれる。百パーセント希望通りになるとは限らないが。

 しかし短期促成コースは、進級前の再訓練や予備役が復帰する前のウォーミングアップ的なものだった。国家が危機になり動員令が発令され、特例規定で急いで下士官を育てなくてはならない場合には、このコースが賑わう。

 促成訓練される者はもともとの所属兵科があるかその技能等から決まっていた。 カルネアは予備動員令でその特別規定を「無理に」適応された形になっている。

「まあしばらくは、わたしといっしょにいなさい。騎兵だと従卒がつくからね」

「まだ身分は軍曹でしょう。従卒は将校以上だ。あたし…自分はここ出たら、いっきに兵長になれそうって、フーマーヌス軍曹が言ってました。

 兵長の従卒連れた軍曹なんて、聞いたことないですよ」

「実はここのあとどうするか、まだよく考えてない。でもあなたはずっとわたしといるのよ。それがあなたの運命、天意にそうことよ、ふふふ。

 凡ての手をつかってやる。その為にここにいれたのよ。私に不可能はないわ」

「……大した自信ですね。うらやましいよ」

「自信じゃないわ。事実よ。わたしは名門の我が家に万能の美女として生まれて来たのよ。それは事実よね。

 ならどうして神はわたしみたいな特別な人を作ったのかしら。普通の荘園貴族みたいに他の名門の男子と結婚し、遺産継いでまた子供作るため?

 そのためならこんな能力いらないし、中程度の美人でたくさんよ」

「……それだけ言えりゃ、立派です」

「わたしは天から、世の為人の為につくすべく使命を与えられてる。だからわたしみたいな存在があるのよ。ぬっはははははははははははははは」

 呆れるのにも飽きていた。しかし不思議とこの奇妙な美少女が憎めない。

「あなたもそう。その男性よりも大きな体と強い脚。大きめで形のいいおっぱいは何のため? 単に兵器の修理するために、その立派過ぎる肉体いるの?」

「そりゃまあ……胸褒められてもうれしくないけど」

 お茶を飲み終えると、ミーマは立ちあがった。

「最近のイマニムの不穏な動きも、ケン・インの親イマニム派クーデターも、きっとわたしたちになすべきことを示しているのよ。

 天から与えられた試験に違いないわ。当然わたしは、受かる。

 あ、トレイとか帰しておいてね」

 カルネアは立ちあがって、一応敬礼した。したあと少し疲れて、また椅子に座りこんでため息をついた。すると戻ったはずの「お嬢様」が椅子の後ろから、カルネアの胸に両手を回したのである。ほとんどわしづかみにされてしまう。

「本当、いいおっぱいは何のためかしらね。むふふふふふふふ」

 カルネアはガラにもなく悲鳴をあげかけたが、なんとか我慢した。

 短期促成教育の修了は明後日だった。二日の練兵休を医師から命じられた特科軍曹は無理に一日で復帰し、特別措置命令訓練などは受講したことにされた。

 現役時代に充分経験を積んでいたからである。こうしてカルネア含めた全員が無事修了し、それぞれの原隊か、赴任希望兵科に配属される予定だった。

 カルネア兵長以外は。

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