第1話 お嬢様、幼年学校騒動記 後編

「だ、誰か助けて!」

 五十代半ば、ベテランの工兵軍曹は倒れてくる古い排油タンクにつぶされることを覚悟した。

 排油を保存しておく金属タンクの土台が、腐食して折れていたのだ。

 タンクにパイプをつっこんで、搬送用のドラム缶に積もうとしたところ、土台が崩れ重いタンクが倒れて来たのだった。鍛え上げられた細身の老下士官は、一人で重いタンクの倒れるのをおさえている。限界だった。

 もう逃げられない。このままたおれ、押しつぶされるしかないのか。

 首都郊外の田園地帯にたつ軍立機甲教導学校の敷地は広く、この廃材保管倉庫は普段人気がない。古い潤滑油にまみれて圧死するのは、不名誉極まりなかった。

「だ、だめだ……もたない」

 その時、誰かの走ってくる音が確かに聞こえた。次の瞬間、叩きあげの老軍曹を押しつぶそうとしていた背丈の倍近くあるタンクか、「軽く」なった。

 やや小柄な軍曹の後頭部を、柔らかいものが圧迫する。見上げると逞しい二本の腕が、ゆっくりと錆びた大型タンクを押し戻している。

 軍曹の後頭部を押しているのは、豊かな乳房だった。

「カ.カルネア?」

「軍曹、なにかタンクの下に挟むものを。鉄製の土台が折れてる!」

 老軍曹は左手でタンクを押しつつしゃがみ、右手で地面をまさぐった。少しかけたレンガが、倉庫近くに置いてある。

「煉瓦をとってくる。手を放すがいいか」

 男性並みの長身、肩幅のある女性が、大きなタンクを支える。軍曹は急いで煉瓦二つを手に取った。排油タンクとベトン床の間に、押し込もうとする。

「もう少しだ……」

 垂直にもどりはじめたタンクを肩で押しつつ、ベテラン工兵軍曹は、二つのレンガを重ねてなんとかタンクの底と床の間に差し込んだ。

 やがて二人は、なんとか立ち直ったタンクの前で、尻餅をついで喘いでいた。

「た、助かったよカルネア。いつもながらすごい力だな」

「くず鉄を捨てに来ていてよった。

 あのタンク、前から危ないと思ってたんですよ」

「ともかくあんたは恩人だ。近々礼をするよ」

「いいですよ、お互い様だ」

 と大柄な女は言う。足は長く逆三角形の体型だが、胸は盛り上がっている。眉の濃い「逞しい」顔だが、悪くはない。髪は男並みにみじかく、赤茶けている。

「ともかく、今夜はメシでもおごらせてくれ」

 大柄な肉体に比例して大食漢のカルネアは、素直に好意を受けることにした。


 御一新以来の新暦で、世界的に学校は第四月の第一週にはじまる。三月はほとんどの学校が休みだが、幼年学校と士官学校にはそんな長い休みなどない。

 年末年始の四日間、六月末の五日間がまとまった長期休みである。世間並みに四日ごとに一日の週末休暇日はあるが、外出は制限される。このあたりは一般の軍務とかわらない。

 二月末に試験の成績が発表され、学年二番の成績が確定したミーマは、三月にはいって正式に、繰り上げ卒業希望を提出していた。

 そして年度末の三日の特別休暇をもらい、ミーマは故郷ナイラッドへと戻った。

 首都との間には古くから鉄道が通っている。アルコールを燃やして走る蒸気機関車ではなく、最近はアルコール発電機を使う「電気車」も増えだしている。

 ミーマは詰襟カーキ色の制服に、生徒である黒い肩章。全軍共通のケピ帽に、黒いベルトと黒い肩ベルト。ひざ下までの黒い革ブーツと言う菅だった。軍人の無料チケットでエキゾチックな駅で降りると、すでに屋敷から馬車の迎えが来ていた。

 アルコールエンジンの乗合バスが普及してからは個人の馬車は少し珍しい。人語を解する賢い耳馬にひかれた二人乗りの馬車である。

 昔なじみの耳馬は、ミーマを見つけると嬉しそう寄ってきて、鼻をならす。

「ああ、元気だったか。耳馬も美しい者を見ると、喜ぶのよね」

 ミーマがせまい馬車に乗り込むと、耳馬は屋敷めざして走り出した。

 二十分ほどで街並みはつきる。周囲はところどころ雑木林のある田園地帯で、主として野菜や果物を栽培する大規模な荘園が多い。

 ミーマの父、プロブス予備役大佐の家は小高い丘の上で、木々に囲まれて古くから立っている。

 父もやはり荘園経営者であり、予備役将校としての俸給と荘園からのあがりで、そこそこの収入があった。この荘園は小作料がかなり廉価と言われている。しかし執事など使用人はほとんどおかない。祖父の代からつとめる爺や一人である。

「お嬢様、おかえりなさいませ」

 耳馬と馬車は爺やにまかせ、ミーマは玄関でもう一度身なりを整えた。厳格な父の前に出る時は高慢な彼女も緊張する。

 しかし「二年で卒業して、まだ珍しい機装砲兵を目指したい」と言えば、父は少し考えてこう言うに違いなかった。

「よく考えた末なら、思うままつきすすむといい」

 そして母は、ミーマのすることをほとんど否定しない人だった。


「九年式は別格だ」

 と、老軍曹オプティオーは言う。この夕方、カルネアは軍立機甲教導学校の職員宿舎外にある屋台で、最古参軍曹殿に串焼きと蒸留酒を御馳走になっていた。

「ありゃ実に見事な機械だ。機械としてはいいが、砲がやや弱いな」

 オプティオー軍曹は全軍の「生き字引」的な人物で、佐官クラスでも一目を置いている古参だった。その人物に個人的に誘われるのは、軍人でもないカルネアには名誉なことだった。

 部下の面倒はいいが、滅多に弱音を吐かない軍曹である。ついつい無理を重ねてしまう。

 カルネアの身分は、軍属であって軍人ではない。「地方人」である。

 山林で木を伐り出す父を手伝っていた関係で機械に強く、機甲教導学校で機械整備係として雇われている。

 山での仕事は最近、外国から廉い材木が入ってきたことでかなり思わしくなく、彼女の父親の働いていた製材会社はつぶれてしまった。

 力自慢の父はパンゲア大陸の東方、外国へ出稼ぎに行っている。村で一般義務教育を終えた彼女は勉強が嫌いなこともあって、働くことにした。

 製材所では力仕事もしたが、むしろ手先の器用さをかわれて、製材機械やベルトコンベアなどの修理の仕事をこなしていた。

「人形遊びより機械いじりが好きだったもので。家の家具なんかも作ってました」

 言葉遣いは「山育ち」のせいがそんざいだった。西海のほとりの漁師出身の老軍曹は、この大きな「戦士型体型」の女性を気にいっていた。

 カルネアは兵務省の工学技官養成所で四ヶ月ほど学んだ。その養成所なら無料で、昼食も出してくれる。そして昨年、工科軍属としてここ機甲教導学校に雇われている。

 軍曹たちは教官と、工兵は生徒と同じ兵舎で寝起きするが、唯一の女性たる彼女は整備倉庫の片隅に、狭いが気軽な個室を与えられている。

 しかし定期的に夜警任務が義務付けられていて、楽ではなかった。ただ食事はたらふく食べられた。それが最大の魅力だった。

「そうかい。いいとこのお譲さんなら、そろそろ結婚話が来るころだけどなあ」

「そんなのいいんです。母緒は体丈夫じゃないし、弟と妹には上の学校行かせたい。ここで働いているとメシはたくさんくれるし、別に街で遊ぶ趣味もないので、軍属給金もほとんど家に送ってまさあ」

「今どき珍しい親孝行だな。ウチのバカ息子の嫁に欲しいよ。

 踊り子と半分駆け落ちしやがって……まあ孫の顔見せたんで勘当といたけどな。

 おまえさんは本当によく働くけど、ずっと工科軍属なのかい。軍推薦で特科工兵ってのも、あんたならあり得るぜ。まあ出世は出来ないけど」

「……特科工兵は確か十八歳から募集ですよね。来年考えてみっかな。でも女の特科工兵なんて珍しいし、どうせなるなら新兵器いじりたいな。

 実はあたしね、自行砲が好きなんですよ」

「自行? 機装砲かよ。どう使っていいか上のほうも悩んでる。確かによく出来た機械だし、兵器としてはまさにこれからだけどなあ」

「あたし、あれに助けられたことあるんです。子供の頃です。

 ある時、山崩れがおきてね。ワイヤーも木製クレーンも壊れて、谷底で仲間と孤立していたんです。あたしは無事だったけど、二人ほど大けがして。

 さすがのあたしでもけが人背負って、急な谷を登るのは無理だった。

 そこで、木材運搬のテストしていた四脚歩行運搬機械が、谷底までおりてきて二人のけが人を乗せたんです。当然砲塔なんかありませんけどね。

 急斜面登るときはロープでひっぱったり大変だったけど、ともかくけが人を二人、早く病院へ運べたんです。その時から好きになっちまって」

「それでかい。学校でもどう教えていいか判んない新兵器、あんたが乗りこなしてるんでみんな驚いてた。操作は少し大変だけど、よく出来たシロモノだぜ」

「両足二本で四脚操るの、慣れるのにちょっと大変だったけどね。面白いですぜ」

「でも燃料のアルコール食うからなあ。遠くを攻めるにゃタンク持ってかないと」

「今度はいった九年式機装自行砲はかなり燃費いいですよ。

 大きさも三メートル半ほどなので、足折ったら隠しやすいし」


 元々酒に強いほうではなかった老軍曹は、珍しくかなり酔ってしまった。カルネアも少しねむくなり、倉庫わきの自室に戻ることにした。

 営門はしまっている。軍曹は納入業者の特別な出入り口の合鍵を持っていた。それをあけて中に入ると、突如「誰か!」と銃剣をつきつけられた。学校の歩哨は、普通の兵士が小銃に銃剣をつけて行う。しかし実弾は入っていない。

「なんだ、軍曹殿でしたか……どうぞ。また潰れてますね」

 カルネアも続いて通ろうとする。

「待て……整備部の雇員、カルネアだな。初年訓練班の喧嘩をとめたんだってな」

「町の酒場の女の件でもめてました。整備所の近くで暴れられちゃかなわんので」

「うちの班長が、大事にならなくてよかったと感謝してたよ。ありがとう」

 軍曹よりも頭一つ大きな女が、建物の陰に消えた。兵役二年目の上等兵は、また夜間歩哨を続けた。

「顔立ちは悪くないけどああ大きいとなあ。ケンカすりゃこっちが負けるしなあ」

 軍立機甲教導学校は下士官、幹部候補を育てる学校で、たいてい一二年の兵役を終えた兵士が受ける。特に機械や最新機器を扱い、その運用方法を研究するこの機甲教導学校は、機械好きな人間を広く集める傾向にあった。

 力強く大飯ぐらい、機械いじりしかとりえのないカルネアは、もっとも若い整備工ながら他の整備兵や教官、生徒兵士からも信頼されている。

 歩兵あがりの兵士は教材たる機械、各種兵器を壊してしまうことが多いが、カルネアは気軽に手早く直していた。

 兵士たちが自分を女として扱っていないことも、かえって気が楽だった。


 父と母を早くに説得できたことで、ミーマは満足だった。久々に広い自室で一夜を過ごした後、朝早くに目覚めた。領主館内部は軍人らしく質素である。

 そしてなじみの「耳馬」をひっぱりだして、朝の遠乗りを楽しむことにした。長い耳と二つに分かれた尻尾が特徴的なこの馬に、父は「アオ」と名付けている。

 その意味は知らない。御一新を導いた仙人たちの一人が、昔その名の「短耳馬」を飼っていたと言う伝説があった。

 馬車用の馬もアオも人語をある程度解する。馬どうしの言語もあるらしいが、動物学者はまだ解明していない。アオには好物の砂糖をやり、遠乗りに連れ出した。

 生まれ育った故郷はあまりかわっていない。最近では荘園ではなく、個人開発の畑も増えた。ここ数年の肥料の発達で、米の収穫も増えていると言う。父はそのことを喜んでいた。

 畦道をなじみの耳馬でゆっくりと走っていると、農作業の準備をしていた老農夫がミーマに気付いた。予備役大佐はこの辺りでは、準聖人扱いである。

「プロブス大佐様のお嬢様ですか。まあきれいになられて」

 馬上から挨拶したお嬢様は言う。

「なった? むかしは美しくなかったとでも? まあいいわ。

 朝からご苦労様。大いに我が国の農業に貢献してね。ぬはははははは」

 美しくなにごともこなすが、性格の破たんしたお嬢様は有名人だった。


 イマニムの王政が倒れて二年と少し。人民光輝ルーメン党による独裁圧政は苛烈化していたが、確かに経済と科学技術は飛躍的に発展していた。かつては世界でも遅れていた農業国家で、輸出品と言えば木材ぐらいしかなかった。

 しかし人々は敬虔で、「御一新」前からの古い信仰を守り続けていた。

 クー・デタで王政が倒れて以来、その古い信仰も弾圧された。技術と理性を崇拝する「党の宗教」が強制され、教会はどんどん破壊されていく。

 生活は豊かになり、街には珍しかった電灯がともり出した。しかし物質的な豊かさだけでは、人々は満足しなかった。一部では抵抗運動もおこっていた。

 アヴォン・オタ・メイとイマニムは部分的に国境を接するが、間にはケン・インと言う古い遊牧国家が横たわっている。オタ・メイよりいくぶん広いものの人口は五分の一程度で、穏やかな畜産業国家だった。

 古くからイマニムの影響が強かったが、一年前にイマニムの影響を受けた革命運動が、人々を動揺させていた。

 去年半ばついに古くからの民主的な政権が倒れ、イマニムによる傀儡政権が出来ていた。かつて関係のよかった遊牧国家オタ・メイに対して、ケン・イン新政権は敵対的で、ここ半年ほどで関係は相当悪化している。従来の民主派は、次々と粛清されていると噂されていた。

 オタ・メイと東のケン・インの間には山岳地帯と、広い平原部分がある。

 山岳地帯は稜線で国境がひかれていたが、東の平原部では国境があいまいな部分があった。

 オタ・メイ国アヴォンの国軍ではしばし騎兵偵察隊を出し、未確定な国境地帯の監視を行っていた。この日は耳馬三騎からなる通常偵察隊が、夜明け前に国境監視所を出て、通常ルートを南下した。

 林が切れると雄大な草原地帯である。なだらかな丘陵部もある。ここ数日砂嵐がひどく、しばらく偵察は中止されていた。実に十日ぶりの偵察となった。

 偵察班長の騎兵曹長は、最新式の双眼鏡を下げている。

 曹長はなにかの予感がして、いつもの偵察コースからはずれ、草原の中にある小高い丘に登ることにした。そこは両国が自国領と主張している地域で、ここ数年はお互いに近づかないと言う暗黙の了解があった。

 騎兵曹長は部下の伍長と上等兵に、馬を下りるように命じた。

「ここで待っていてくれ」耳馬にそう言うと、言われたとおりに待っている。

 戻れと命じられると、監視所まで戻ることも出来る。

 三人は銃身の長い連発式騎兵拳銃を腰に吊るし、丘を覆う胸ほどまである草をかきわけ、斜面を登った。丘の最後部の手前で、「伏せろ」と命じた。

 背の高い草にかくれて丘の上に達した三人は、しゃがんだ状態で兵の西南、ケン・イン側の大草原を観察した。

 曹長は双眼鏡を使った。オタ・メイとの国境近くにまで、いつの間にか鉄道が引かれている。まだ工事中だが、何十人もの兵士が働いていた。

 そしてイマニムの工兵らしき一団は、測量をしたり図面を広げたりしている。ようやく朝日が草原の果てから上り出すと、作業班は引き上げる支度をし出した。

 夜間工事を行い、昼間は隠れているらしい。

「大規模な基地を作ろうとしているな。鉄道まで引いて」

 国境線近く秘密裏に巨大な基地を作ろうとしている。その目的は明らかだった。

「よし、ともかく戻って報告だ」

 三人の騎兵斥候はケン・イン側から発見されないように、静かに丘を降りた。三人による報告は三時間後に、首都にある総軍司令部にとどいた。

 参謀本部の情報部はさらに隠密斥候を計画し、特に夜間の作業状態を把握し、基地の規模と完成時期を探り出そうとしていた。


 小さいころから世話になった爺やが、馬車で駅まで送ってくれた。

 荷物はトランク一枚である。いつも服装に気をつかうミーマだが、高価な宝飾品などにはほとんど無関心で、制服もごく一般的な素材だった。

「わたしを飾れる服や宝石などない。わたしが宝石よ」などと言っていた。

「父様も母様も理解力が高くてよかった。さすがわたしの両親ね。ぬほほほほ」

「お嬢様はいつも楽天的で自信家で、見ていてすがすがしいほどです。

 しかしご存じの様に今は危険な情勢です。くれぐれもご用心を」

「ぬははは、わたしには運命の神様がついているからね、心配しなくていいわ」

 革製の重いトランクを持って、一等車両に乗り込んだ。やがてアルコールで走る強力な機関車は、不純物の煙をわずかに吐きつつ、走り出す。

 一等のコンパートメントの窓をあけ、ミーマは故郷を眺めた。

「さよならわが町。わたしのような美人がいなくなっても、落ち込むなよ。

 世界が私を必要としているのよ。ぬははははははははは」


 南方情勢の険悪化は、世界に変化を起こしつつあった。オタ・メイが潜入させているスパイからも、次々と不気味な情報がはいってくる。

 また何人かのスパイが行方不明となった。

 イマニムの秘密警察に捕まった者もいれば、その驚くべき科学力に圧倒され、寝返った者もいるとされた。あの遅れた農業・林業国、敬虔な王国だったイマニムはここ三年、特にクーデター以降の二年で、確実に激変していた。

 あまりにも急速に科学技術が進歩しすぎ、周辺各国は不思議がっている。

 国民は一党独裁制でほとんどの自由を奪われ、法律は事実上停止されていた。それでも、生活レベルは向上していると言う。周辺への亡命者も多いが、捕まれば奴隷にされると言う。

 だがアヴォン・オタ・メイの国軍、特に若手将校は古い概念を破れず、「イマニムの発展は偽装、吾ら騎兵が出撃すれば蹴散らせる」と息巻く者が多かった。

 総司令部に属する軍参謀本部には作戦部、軍政部などとは別に、情報部が小規模ながら存在する。どこの軍事組織でも、第一線で華々しく活躍することのない諜報部門は軽んじられる。

 しかし中央情報部はしきりに密偵をはなち、イマニムのすさまじい軍事技術の発達について証拠を集め、警鐘をならしつづけていた。だが作戦部の特に若手参謀は、自分たちに都合の悪い情報、聞きたくない事実を無視する傾向にあった。

 そんな情報部の少佐が、突然教導学校を尋ねて来たのである。参謀飾緒をつり、眼鏡をかけた少佐はフォッサと名乗った。学校長とは知り合いらしい。

 機甲学校では最近増えてきた自動走行車や、装甲列車の運用なども教え研究しているが、少佐は機装自行砲を見せてくれと言うのだ。教官オヌス大尉は学校長に命じられ、広い敷地裏手にある整備倉庫にやってきた。

「それなら、カルネアがいいな」

 動かしてみてくれと言われた二日酔いのオプティオー軍曹は、もともと機装砲の操作には慣れていない。教錬場で機関銃などの整備をしていたカルネアが、急ぎ呼び戻された。

 参謀本部のフォッサ少佐は、あまり軍人らしからぬ中背の丁寧な人物だった。田舎の学校長か、教養ある村長と言った感じの人物である。

「君はこの新兵器の取り扱いがうまいそうだな。一度動かしてくれないか」

 一番奥の古い倉庫に、少佐を案内した。廃棄物などと一緒に暗い倉庫の台に固定されているそれは、丁寧に整備されている新品だった。

 高さ二メートル近い武骨な鋼鉄製脚の上に、「車体」が乗っている。その上に要塞砲よりも角ばった砲塔が乗せられている。しかしまだ砲は装備されていない。

「ほう、たいしたものだな」と少佐は素直に驚いた。

「一人で動かすのかね」

「脚はそうです。あと砲術長が砲塔の部分に乗ります」

 カルネアは木製の支持台の固定鎖を外し、台をおいて胴体下のハッチを開けた。 そしてエンジンを始動させたのである。乗り込みは機関部横に出ている短いラッタルを使い、砲塔上のハッチから行う。後部にも緊急用脱出口があると言う。

 少佐よりも少し大柄なカルネアは狭いハッチから入るとき、胸がややつかえた。 それでも小さな砲塔に姿を消す。数分後、機装自行砲は後方に灰色の煙を少し噴出した。燃料は自走車や蒸気機関車と同じく、アルコールである。ただ不純物が多く、少し排気ガスがでる。医療用のものよりは質が悪い。

 突如右の前足、続いて左の後ろ足が前に出た。少佐が驚く中、ゆっくりと「鋼鉄の巨獣」は前に進みだした。排気ノズルから、アルコールの燃える香りがする。

 巨大な四足獣のような、高さ四メートル弱のずんぐりとした鋼鉄の塊は進む。倉庫から出て、衛戍地の踏み固められた地面を踏んだ。

 鋼脚の先には、重さを分散する円盤がついている。円盤は数センチほど地面にめり込むが、それほど足跡をつけない。

 鋼鉄の四足獣は、人間の歩く速さの倍程度の速力で、倉庫群を歩き出す。

「たいしたものだな。しかし敵からは目立つな」

 情報参謀は感心する。老軍曹も少し自慢げである。

「急げば全速力の人間を追い抜けます。耳馬ほどは早くないけど。馬と違って、機銃弾や迫撃砲弾ぐせいなら、跳ね返します。なにより火を恐れない」

 カルネアはまるで生きているかのように、操作する。四本の脚を二つのペダルと八本のギアで動かすのは、慣れるまでに大変だった。

 やがてカルネアは、両手で頭上のノブをひいた。機装砲は立ち止まり、四つの足をゆっくりと折りはじめた。車体の下部には三つの硬質ゴムに覆われた車輪がついている。砲車などに使う頑丈なものだ。

 脚が正座のようにきれいに畳まれると、三つの幅広い車輪は地面についた。

 折りたたまれた四つの脚はギアで固定され、全体が不格好な自走車のようになる。カルネアはそのまま走り出した。

「あれだと、燃料が三倍は持ちます。遅い機関車並みの速度も出ます。四足になるのは、沼地や渡河、あと戦闘モードのときぐらいです。

 なんせ歩くと燃料を食いますから。あの形でも、最近軍にも増えてきた自走車よりは燃費は悪いですね。やはり重い機械ですから」

「……操縦している大柄な女性の階級は?」

「兵隊じゃないんです。雇員、軍属の整備工です。なんでも家計支えて弟進学させるために、頑張ってるそうで。ちょっとぶっきらぼうだけど、いいコですよ」

「あれに砲を搭載するわけか」

「砲術長がもう一人乗りこんで、操作しますね。一人で足も砲もってのは無理だ」

「あの新兵器を動かせる兵士は、今どのぐらいいるのかね」

「……まあまともに動かせるの、全軍で十人もいるかな。あとなんとかモノになりそうなのもそれぐらいでしょうか。ここではあのカルネアが一番でさあ」

「そ、そんなに少ないのか。開発がはじまって三年はたつのに」

 カルネアは機装砲をまた「立ち上げ」、歩いて倉庫に戻って来る。倉庫の前でゆっくりと方向を転じると、後ろむきに倉庫に入って行く。

「そりゃあれをどう使うか、エラいさんもまだ決めかねてるんですし。

 操作は難しいし、実戦経験もなくて、信頼性も未知数。機械の出来としては大したモンですがね。それに将校さまはみんな華やかな騎兵や、歩兵。かわりものが気球兵なんかを選びます。機装砲の脚やりたいなんて変わり者は、珍しいですね」

 カルネアは木製の支持台に、機装自行砲を立ったまま「安置」した。

 アルコール内燃機関を停止させ、電源を落とす。最後に燃料や機械の温度を確かめてから、小さな砲塔の上部ハッチから器用に出てきた。

 情報部のフォッサ少佐が驚いたことに、三メートル近くある砲体からそのまま飛び降りて、片膝をついて着地したのである。

 カルネアは四つの脚を手動でロックし、後部排気口の様子を確かめ、後部の脚二本をすばやくチェーンで固定してから軍曹の元にもどってきた。

 フォッサ少佐は感心し、「来たまえ、喉がかわいたろう」とお茶に誘った。


 機甲教導学校の校舎の隅に、教官など将校が使える小さなクラブがある。下士官や兵士も、将校の御伴なら利用できる。

 恐縮した軍曹は、耳馬のミルクで割ったお茶を頼んだ。なんでもいいと言われたカルネアは遠慮なく、パンケーキとミルクを頼んだ。

 女性にしては大柄な彼女は、「大飯ぐらい」だった。

「食べながらでいい。カルネア君。あの機械の乗り心地はどうだ」

「よくはないですね。でも慣れました。今では足がかってに動いてくれる」

「他に不便なところはないか」

「まあ狭いですから。メシ食うのも用を足すのも、いちいち停めて外へはい出さないとなんない。それがちょっと面倒でさあ。

 九式は上にしかハッチがねえからね。なんでも新しい奴は、脚部の前から出入りするハッチもつくそうです。そうなると砲弾の搬入なんかも楽になりますね」

「なるほど。整備工の君にきくのもなんだが、あれはどう使ったらいいと思う?

 あ、いや、銃弾や小口径砲に耐えられるあの兵器だが、参謀本部でもどう扱っていいか意見が分かれていてね。歩兵に随伴させて、動く歩兵砲にしろとか。前線基地に配備して、邀撃砲として使えとか。

 誇り高い騎兵は、いっしょに戦うのを嫌がるしな」

「まあ騎兵でもないし砲兵でもない。機装砲なんてのはまったく新しいからねえ。

 かわいそうなママ子、鬼っ子でさあ。どうだいカルネア、遠慮なく申しあげな」

 機械としては褒めても、軍曹もそれほど兵器としての機装砲を評価していない。 大きなパンケーキをたいらげ、温めた馬乳を飲み干したカルネアは言った。

「他の兵種といっしょに行動出来ないなら、機装砲だけで戦闘集団つくればいい」

「ほう……あの鋼鉄の獣だけで? どう使う。急襲かな」

「さあ。燃料を積んでいけばけっこう遠くまで行けます。偵察にでも、危機に陥った味方の救出にでも使えます。あたしはあれの先祖に、山ん中で助けられてる。

 それに後ろ向いて砲を撃てるので、歩兵や騎兵が撤収しているあいだ、最後尾で弾除けになりつつ敵に反撃出来ますね。他の砲には出来ない芸当だ」

 少佐は「ほう」と言う顔を見せた。幼年学校を出ずに士官学校、大学校を出た人間は、比較的考え方が柔軟である。特にこのフォッサ情報参謀少佐は、ものごとを客観的に見ることができ、古い考えにとらわれないことで有名だった。

「直接正面戦闘には投入せず……威力偵察と救出か。正面攻撃には無理そうだな。

 確かに沼沢地をのぞく荒れ地、森林でも機動出来そうだしな」

「元々山岳部の木材運搬に使ってたので、急斜面なんかもゆっくりと登りますよ」

「いや、なかなかユニークな意見だ。ありがとう」

 こうして一部で有名な「情報職人」少佐は、満足して戻って行った。

 

 この日、二人の女性の運命、そしてこの国の将来が確実に変わりだした。しかし当の本人たちもその他の人々も、その変化の兆しに全く気付かなかった。

 幼年学校始まって以来の問題児優等生、傲慢で楽天的な「お嬢様」は、自分は天に選ばれ、絶対にこの世を救うと信じて、日々を楽しく迷惑に生きていた。

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