紀ノ章 其ノ上
第1話
因果の存在。過去と現在と未来と知られざる世界を統べて、一本のより糸にしたもの。それを解きほぐして、見えてくるものとは1体。
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その日の夜、都内某所の群れアパートの一棟に住む
このような時節がら、無理もない、一時の生計をライトノベル作家としての稼ぎだけで
一見して、このラノベ作家の成功体験とはどこに落ち度があったと言えるだろう。果たして、見つけられそうにない。なぜならば、彼は、ついぞ失敗をしたことが無かったからだ。このときもそれの枠内だった。
ただ
けれども今や、実存社会に拒まれた誰であっても応対せねばならないのが「自分のための」仕事と言うものだろうから、案じていたとおり、宅配物は談の自宅へたどりおおせていた。彼は部屋着に使っている丈の短いスウェットのまま廊下まで出てきて、即座になか身を検めようとする。六月末に二七歳を迎えようと言う背の高い男なので、多少ふくよかな程度が健康的だろうと、言っても、外に暴すその
いやほかにもある。恥じらいのないぼさぼさの髪と厚ぼったい眼鏡。「ありがとうございますぅ、」懸命に働く配達員に対して、そしてそのような気の抜けたあいさつでよかったのか。もはや彼の零落ぶりは、遍歴に
とにかく、少しだるそうに歩いて、リビングに戻った彼は同居人に出むかえられていた。
どうしてもまだうら若い少女のように見えた。一方で、全体に漏れなく
少女は、毛先の美しいカールを蝶々の触角のごとく器用に揺らしながら、近づいてくる。それに談は「
ちなみに談は彼女から、ひととおり「ロキロキ」と呼称されていた。
「ロキロキっ、」さながらボールトスを待ち望む子犬のひらめきで、「さっそく、着替えるか?」「うん!」彼女は、嬉しそうに何度も首をたてに振った。談はそれから手元のものを彼女に預け、ついでにコンビニにでも行ってくるよと部屋をあとにした。
家に戻ったのは一〇分も経たないあとのこと。片手に提げたレジ袋のなかで大量の安全ピンはぎらぎらと、穏やかさとは無縁のかがやきを持って覗いていた。コンビニに向かったのではないのか。しかし時間帯もそうなので、あらかじめ近くに具備していたものだろう。
「おお、」
と、おもわず声が上がる。目のまえに可憐な模様の霧架が舞い、これからのうつくしい姿をぞんぶんに発揮する。「どおっ?」彼女のうわついた感じは、短い反応からでも容易に分かってしまった。鎖骨周辺から、両腕の先にまとわれたシースルーをしめった風に
「ははあ。いっちょうまえになったじゃない、」
「ロキロキ、」
「ん?」
とたん、彼女は疑問ありげに訊いてきた。
「もう、作品は書いてくれないの?」
「え」
唐突で。だが妥当でもあった。彼女はてっきり、自分が当作の新ヒロインのモデルになるものと期待して、それで張り切った恰好をすることに一点の恥じらいも、不安も見いださなかったのだ。
彼女がここに来るまえからすでに『亜門ロキ』に傾倒する一人だと言うことは、これも、詳説するに値しない事項だろう。さもなければここで暮らしている現状の理由がつかなかった。
「わたし、『IMMORTALE《イモー・テイル》』のために何もできてない。ロキロキは、それでもまだ住まわせてくれるんだよね。ほんとはそれだけで嬉しいんだけどね。でも、」
「何を気負ってるんだか……お前に、仕事のことは頼まないだろうさ」談は他人事への無関心さみたいな情動で、返事をした。「いや、今じゃ、趣味ってものか」
「ロキロキはまたっ、『IMMORTALE』書きたいって、みんなに読んでほしいなあって、思わない……?」
「っ、思わないよ」
「そっか」
霧架は、とっ、とっ、とかわいらしい足音で
談も寝床についた。だが、またいつものカフェインの過剰摂取から、うまく目蓋が下がらないで、いつしか眠ろうとする意欲もついえてしまい。遣る方無しに机のまえに座る。両肘をキーボードのそばに据えてしばらく照明を見つめることばかりしていた。瞬間、意識が飛んだ気がした。ようよう、赤橙色の睡魔がやってくる。パソコンを開いた。それで時刻を確認し、じゃあ、午前四時を過ぎるまでは目覚めていようときめて、白紙の上下を黒の魔物が行ったり来たりするゲームに興じていた。
翌朝。談はそのままの姿勢で起こされることになる。もはや日常と化したそれに従えば今はキッチンで朝食を作ってくれているはずの霧架だが、どうしてかこの部屋まで彼を呼びに来ていた。薄もやの晴れ得ない視界でさえよく映える昨日の衣装で、ひっしな顔の霧架は、この両肩を掴んではなさなかったのだ。
「ロキロキ起きなさい!」
「ハハオヤみたいに起こすなあ……」
「まだ、寝ぼけてるのっ? チューするよっ?」
「したら通報する……」したら通報されるのは自分であることに気がつかない。
五分、寝起きの悪くなさ、と言えばよいかそれに定評があった談だったけども、他人に乱暴に眠りから覚まされることについては苦手らしく、不毛な問答をひとしきり続けたあと外に出た。無論、装いはあのままである。彼女は玄関で待っていた。「ロキロキ、」と、まさに消え入るような調子。この霧架の表情にまみえた経験は一度たりとも無かったものだから談も、若干とり乱して、「なんだっ。向かい(とは、別の一棟のことだ。この場所には合計四棟もの賃貸アパートが東西南北、正四角形をえがいて建っていた。)が、燃えてたりするのか?」安易にでっち上げた無根拠を口に出してしまった。
違うよ、と言うと、霧架はおそるおそる緑色の鉄扉の取っ手に手を掛けた。
そして限界まで
ようやく鮮明になったばかりの視覚――ついに、焼きが回ってしまったのだろうか。四階建ての第三フロアによる展望を埋め尽くしたのは、
とっさに指で
「ああ、夢だと言ってくれ、」
「ユメダヨ?」
「霧架、ちょっとチューの
「イヤダヨ?」
「イヤなのかよ」
本能的にコミカルな会話を求めたのもそうであるし、
「……なんだよ、これあ」
何より、納得できなかった。「霧架、降りるぞ」談の声は気だるげな感などどこへやら、はっきりと芯のあるものだ。そのあと彼女の「あいあいさあ」もこわだかに反響した。
つまり、正体とは可もなく不可もない判断のでき得るものであった。
「ああ、」
「『
アパート一棟の地上約二〇メートル高を容易に見下ろせる異様な巨大さをまえに、霧架はありのままのにこにこ・へらへらした態度を変えないでいた。
「なんでお前っ、そう冷静なんだ、」
「だって、わたしもロキロキも、こうなるってずっと信じていたんだよ。だから当然だよっ!」
言うに事を欠いて霧架は、歓喜した。全身をぱっと奮い立てて、そのアパートの倍近くはあるような、「塔」と言うよりホールケーキ状の建物のそばで舞い踊っていた。
けれども談はまだ幻想の可能性を捨て切れていなかった。とりあえず入ってみれば一目瞭然じゃないか、と引きつった声で、彼女を伴いなかへ。「すごいな、」外はまだ早朝だと言うのに、竜か何かの口をとおっただけで色彩の明度はがらりと夜の気配に移ろいだ。唯一照明をしてくれる人工的な
「霧架。これはなんだ?」
「え、」
「お前がやったんだろ?」
「えぇっ。違うよお! わたしじゃないのお!」
「何、ちょっとそれっぽい顔と演技をしてるんだっ、」
談は、彼女のある特殊な境遇に思うところがあった。
彼女と初めて出会ったとき、そのよそおいは
「霧架、上を向け」と淡泊に告げると、ええ、何しちゃうの、痛いのはいやだよ、などとまたゴネ始めるので問答無用にあごを持ち上げさせる。
「やはり……」白い皮ふのかがやく首筋だ。彼女がこまめに
「首を絞めた
顎骨の張りや後頭部の髪の生えぎわも触れて確かめるから、間違えるはずもない。
「どういうこと?」
「まえに、霧架を不審者とおもって首絞めたことがあったろう」とは、誇れる発言でないはずだ。現に撤回されることも、まったく無さそうだが。「それで。やっぱりおれの手には、お前を――殺してしまった感覚がまだ、残ってるんだよ。罪悪感もな、」
「ロキロキ、」
いたたまれず目を伏せる霧架。
「あのさ。お前のそれは、
それに構うことなどあるだろうか、談は迷いのない口振りで言いあらわしたのだった。
累は彼の著作『IMMORTALE』の主人公兼メインヒロイン、幼い見掛けをし、それに似つかわしくない大人びた態度・独自の言い回しをする不思議な人物である。ここにおいて彼の指す「持っているもの」とはまさに、この突如として現出した古塔に深く根差したものだった。現状彼ははっきり言及するつもりがないのだろう、しかし、累は塔の意義に直接関係する「異能」を使い、そこの頂上を目指した人たちに例の『世界一価値のある
果たしてこれで、霧架の境遇についても納得がいく。彼女が傷つかなかったこと、命に関わる重大なケガもたやすく平癒できること、それらは
「……まあだとしても、それで塔を起こせるかと言えば、そうじゃない。話が飛躍しすぎたな」
談は、一度その
「お前は、はじめっからここが塔だってことに、疑いもしなかったな」
「うんっ!」
「おれは、嬉しいんだ。まだ塔は、だれかに必要とされている、そうだと思えて、な」
談はいきおいよく髪を払った。
「たぶんだがな、おれもお前も、ここ以外の場所じゃもう
「そうだね。だから、行こうっ?」
「ああ!」
そして、順路をめざし歩き出した。
おのずと迷路には価値が見いだされていた。二人は誰よりもこの場所を理解して、要求してきたから。
「
しかし、なかには見逃すことのできない異状をも感じとった。
「いいことじゃん」
「いやまあ、そうだけどさ。うん、」
と、思っていたところに、道幅の広くなった虚無空間があらわれる。「こんなところ、小説版にあったんだ」と霧架。「読み込んでるわけじゃないのか?」「そりゃ人並みに、だよお。わたしは、別に累ちゃんと『ヨーゼフ』が好きなだけなんだから」「……どうして、『ヨーゼフ』なんだ?」「あの人だけ、塔に入るまえとあとで、何も変わってなかった。変わらなかった。きっと自分の意思で塔に来てたんだよ。それが、羨ましくって、話の展開も、『ヨーゼフ』のが一番おもしろかったし」「そうか」「だよ!」「まあ、だったら仕方ないか、」どうしてか、意味ありげに拡張された不可思議に接する談は沈着冷静に、そのなかを進んでいく。状態を油断、と形容するのはすこし
「『影の魔物』ってものは、ようするに、そいつの
「それで? この場所は、」
「エニシを断つ魔物のための空間だ。設定上じゃ、『
しかし談はおもった。その『巨軀』が現前するために、これまで考えてきた塔内の迷路では確実に空間が狭すぎた、と。いや、知ったのか。彼の生み出したものは所詮架空の物語であり、根幹に繋がるストーリを除いた、細かな描写などはほとんど読者嗜好に委ねられるようにできていたのだ。これを不備とすればいいか、特徴とすればいいか、ともかくも「論理的には」機能していないのに同義である。もはや、この場所は露木 談ないし『亜門ロキ』に元来創造されたものには当てはまらないと言うことにでもなるのだろうか。結論できないにしろ、現状理解をすすめるほかに二人の判断はなかった。
「だがまあ、あれは試練と何一つ関係のないしろものなのでな。気にしないままでいい」
と、語る。頭上の
瞬間、二人の肌は異状をとらえた。布越しのにぶった触覚でさえ過敏に、毛穴の震えを総動員して自身らに伝達した。最初に声を上げたのは霧架だった。
「ロキロキは、女の子どういう趣味?」
「うんま、きらいではないけど好きでもないって言うか。家を出てこの方、バイトと執筆にしか時間を割いてこなかった気がするし、正直必要も感じなかった」
「そっか。それはまことに、残念なことです。ところで、」
「ゔおああっ――あ!」
談は気がつくと、まるで目前の蜘蛛の巣を払いのけるようなおどろきで身をひるがえした。前方数メートル、この有意義な広場の終わりにさしかかったところに例の「魔物」は待ち構えていた。
その、情景について、彼の著作中における表現を借りるなら『それはよもや「影」の域を逸脱した。塔により
「どうする?」
先ほどの体たらくを
だから、彼女の「今は、向こうの意図を知ってあげなくちゃいけないよね、ロキロキ?」と言う切なさが、ひどく胸に突き刺さった。
今度は申し訳なさそうな顔を浮かべた。
霧架の呼吸はみだれることがなかった。一体、初観測から何代目であろうか影の王にも、疲労の感を読みとれない。
「何」
霧架にはそれが許せない。口のひどいふるえと、
「何よ、」
目を見開いて言う。
正常な意識の喪失は目に見えていて。彼女は、武器の一つとして持たない
彼女の眼前に立ちふさがる王とは、やがて右手の鉈を大きく構えて見せ、刹那、見惚れるような鮮やかな青に目がけて叩きつけた。「づっ――、」命中直下のひびきに、唾液混じりの嗚咽が聞こえる。彼女の目前で談が、肩から胸、脇腹のあたりを血色に染めながら倒れ伏してしまった。
「どうして?」
「……下がれ、」
立ち上がろうとするひっしさに、思わず声がかすれていた。
「ロキロキ、わたしは、大丈夫なのに、」
「いい、か。これには意味がある。分かったら、さっさと、下がれ、」
談は無表情に告げた。
談を支えて歩いて来た霧架は少し、奥まったところに彼の傷をおく。すかさず自分のシースルーを取って手当てをこころみるが、「やめてくれ。その必要はないんだ」と彼に、なぜか制止されてしまい、何もせず自分もとなりに腰を下ろした。
彼の言い分と言うか、考えて居ることがまるでわからなかった。
「霧架。お前、まだ振り切ってなかったのか」
「霧架。第1階層の『試練』を、忘れたか?」
いつにも、彼は霧架が『IMMORTALE』についてなんでも知っている前提で話をした。
「『生誕と命名。みずからの出自と、今の姿に繋がる経緯を知っていること』、そうだよね、」
「憶えてるなら、いいけどさ」
「でも、あの影っ、」
でもそれはじつに、彼女になら気兼ねをしないで話すことができるから。何を始めても徹頭徹尾、説明ができるから。――など、つまらない理由に尽きる。彼の自己解釈をすべて明かせると言う道理は、発祥から今まで彼女にしか
「あれは縁故を断つと言ったろう。まあ、なぜそれができるのか、なんてのはつまらないことだがな。あれ自体が縁故の集合場所とか、それそのものをつかさどっているわけでな。自分の掌中にあるからこそ、どうにでもなるし、それが塔の法的に許されている」
「ロキロキ、」
「霧架。お前だって、実は特別なんだよ」
彼は自信満々に言い切った。
「それでお前が、管理者になる素質を見いだされたヤツだ、ってなら、この場所の必然を受け入れないといけない」
「どういうこと……?」
「お前にはいま、お前自身の決めた『
実際に、彼の
「『巨軀』ってのは、人間のエニシを物質的にとらえ、切断する権利があたえられている」
「なんで。そんなことしなくっても。人同士別れさせるのってそんなに難しい?」
「
「食い違ってるよ、ロキロキ……」
「まあ、そう言うなよ。ものは考え
談と霧架が出会ったのはわずかに
無知による有識と言えよう。
だから、談は霧架を知って、『四条霧架』を知ろうとしなかった。彼女がいつか、これをおのずと解決できるように、何も、助言しなかった。
「いいか霧架。何度も言うがあいつは、必要があるときにしかあらわれない。お前は、今、だれかとの『
談が、『亜門ロキ』として言えるさいごの言葉がそれだった。
道理で独り、悟り澄ました顔をしている彼は霧架の目元をぬぐっていた。
それに、何がための正当さだろう。人間の主観性を失わせるはずの縁故、一方的な客観視の産物であるエニシが、めぐりめぐってその当人の「正誤」を見定める論理。むしろそれなしでは人間たちにその「正邪」しか認められないと言う。だから、「ロキロキは……どうしていっつも、わたしを認めてくれるの?」塔以外の方法論に関してすれば、彼の思考はつねに間違っている。
自己の決まった主観性を説かない、その男は締めくくりにこう述べた。
「おれも、
「……そうだよね。ロキロキは、そう言うよねっ」どうしても結局霧架は笑っていた。
そして、影の王との再対峙。今度は引かない。霧架は右手に小石をかたく握り込み、反対に彼者の両腕には武器の一つも見当たらなかった。すると彼女が叫んだ。「もう、決心がついたよ」一歩、踏み出してから続けざまに言う。「『四条霧架』は、わたしが示したもので、あなたが見つけだそうとひっしになっているもの。でも……それは、ほんとに大切だから。ほかの人には、教えてあげないっ」三又に分かれた
「霧架、怯むな!」
何を、誰が言うのか、とおもった。彼の激励になら元気をもらえると確信していたはずなのに。
これほどまでに狂気には敵わない姿を演出させられて、今さら、個人観念まみれのいびつな「
「ロキロキ。おしえて。『世界一価値のある
「おれは、その、自分の理想を書いただけだ。どうやったら報われるのかそれだけを、考えて、最初からあくまでご都合主義で書いてきた」
「じゃあ、わたしって……なんのために目指してるの?」
霧架はとうに泣き腫らした目で
談は、助けに行こうともしなかった。ただの痩せ肉で後ろに突っ立っていた。
「そんなものは、分からん。ここじゃ、おれはもう、かみさまじゃないんだよな。おれが言ってきたこともだから全部、つじつま合わせに必要なだけだった」
「ロキロキ、」
「霧架。おれは、お前を背負ってやれないぞ」
どうしてだろう、
「……まあだけど、お前が、
どうしてかれは、こんなにも、冷静で客観的なのか、と霧架は思って見ていた。しばらく見ていた。かれと目を合わせられたことは一度もなかったし、今でも、とかく視線ばかりが独歩しているかのようだ。
そうだ。ここは、最初の人に創造された
『亜門ロキ』、
なれば、霧架に限らず人間はみな、その「世界一」と呼び声高いしろものに魅了され、いち生涯を懸けてでもきわめようとする。人間に出来得る最小限度にして最大至高の救済が、塔には現存している。かれによる原初の、利己的な真理こそが今では超然論理のなかで、だれをも救える事実を成した。どうした
その、奇跡をつくった張本人はへそ曲がりのまま、かたくなに自分だけが幸福になれる目的のことを説くけれど、もう彼の思想はこの場所だけに留まらない。
いずれ世界中の「未熟な救済」を吸収し切って、「――あなたが、わたしの幸せを『
「この世はどいつでも、極論で
霧架がついに、影の王をうちほろぼしたあとのこと。
見た目には外傷のない彼女だったが、内側の神経系にのこるあの激痛からようよう自立を諦めて、わずかに背負われた先、階段のあるドーム状の部屋で休養をとっていた。
「つまらない、講話でした」
「そんなことないよ?」
「退屈すぎて、頭痛くなるだろ」
「たぶん知恵熱ね」
「そうかお前、まだ子供だったな」
談は額を押さえようとするが、誤って眼鏡にべったり触ってしまう。ああ、と拭きものを探しても見つからないので、遣る方無くズボンのなかに突っ込むしかない。「災難続きだ」と、談は言った。スウェットの軽薄さとはどこまでも信用に値しなかった。
「ロキロキは、『IMMORTALE』は何巻まで書くつもりだったの?」
「そんなもん、あれだろ、編集のなんとやらってやつだ」
「質問の意味りかいしてっ!」
「いや、あの、ほんとは一巻で終わる予定だったんだ、けどなんか思ってた以上に反響あって、ヘンに期待とか重圧とか掛けられて、そしたら……」
すると、霧架ははにかむような笑いを起こして、口元をおおげさに隠した。どうにか噴き出すのをこらえようと、そう言うさまは愛らしさだけでなく生来の、人品のよさを見せつけた。
「うんっ、知ってた、よ。だって『ヨーゼフ』の話がいっちばん最初だもん! わたし、それだけ何回も読み返したよっ」「やめろ、そう言うこと言うな。あれまだかなり文章がアレだから、」なぜか影響されたらしい談もそして両手に顔を覆いつつんだ。眼鏡をしまったのはやはり正解であったか。「確かに、小説だもんね。文章はだいじよ。でも、」
と、霧架の、アンティークドールと見紛う小さな手が、血管と皮ふの上を
「『亜門ロキ』の世界は、わたしにいのちをくれたわ。だからほんとうに生きているの。見掛けのうえでの出来なんて、わたしには関係ない。あなたが正しいと、うれしいとおもったことを、わたしも同じように感じて居たい」
四条 霧架はすてきな表情になった。
対面した談はおもわず尻込みして、黙り込んでいた。
「わたしはずっと、つまらない人間でいたよ。何も楽しいことなくて、誰かを、恨むこともなくて、ずっと無価値だったの。それをね、『生涯に気づきがない所為だ。
「なんでだよ……」
「とにかく、ロキロキはわたしのいのちの恩人なんだよ!」
「お前の熱弁にはついて行けんな、」
それで談は立ち上がると、伸びとストレッチを入念に行う。「ロキロキ、おじさんみたいっ」「お前よりはずっと、中年に近いほうだからな。突発的な運動でっ、どこか痛めたりでもしたらしゃれにならんぞ」「だいじょうぶよ、ロキロキ」「どうして?」腰の曲げ伸ばしに真剣にとり組む談の詰まった声に、霧架は含み笑いしつつ「だってね、わたしが、
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
第2話 塔の呪い
結局、この物語とは、みずからの価値観を肯定できるようになるための冗漫な、積み重ねに同じだと。――それはまさに「呪い」のよう。
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