纏ノ章 三日目
三日目。
「私は、
まさに第二の幕開けにふさわしく、爽快痛烈な自己紹介がそこではとり行われた。武器商と鍛冶職の占有する休憩場を抜けた
影のすべては彼女に起因していた。体長一二〇センチ台の四・五頭身に、毛の太いツインテールを
そして結局、秀継は彼女を助けた。いや、救助援助の類いではなく、たった一振りによる影の全体的抹消と言う、暴挙に出ていた。いやほんとうに暴挙だった。そのとき少女は、一見同格ではあるものの数匹のニンゲンを九寸五分のような短刀で相手取っていたのだ。秀継はそのなかに
けれどあの、あいさつの調子。軽口のくせに、迷惑をかけたことを悪びれるような素直な表情は、誰もなく秀継の心をうった。
彼はその瞬間に、彼女の、何か力になりたいと切に願ったのである。
君はどうしてこの場所に? と、気がついたときには口を素早く動かして言いはなっていた。
すると、彼女は詳しい説明もなしに、『オニックス』ってとこへ行きたいわけよ、と答えた。それは今階層のすぐ上にある休憩場だった。一人であれだけ苦戦していた彼女は、きっといつかに言ったり聞いたりした「
「まあ……ちょっとした、古書がね。あとあそこはメシがうまいらしいんだあ。ついでに酒も」
「え。アラタは、ハタチ?」
「いんや、その上。二二歳だよぉん」と、のんきに告げられた。
こうして彼女・改は、塔攻略へ前向きに挑戦する秀継の新たな仲間となったのである。
※ ※ ※◆※ ※ ※ ※ ※
そも、「オニックス」とは、今を遡ること一千年前、塔を治める一人の少女によってみちびかれた青年ケイニーが恋人の死を
――覚醒の直後、そうした経緯だったことを彼は記憶はしていた。けれども、どうして彼女と二人して赤土の上に転がって、全身を汚れさせているのだろうと、道理の分からない疑問は相かわらず
「ぬ、む、」
すると、あろうことか、解決せぬまに改を起こしてしまったのだ。「アラタ?」秀継は訊いた。それは、一身を案じる意味合いだとおもわれた。なぜなら彼女の衣服は、ただでさえ体長一二二センチ(今度は正確)、ひらたいところはとことん平らかで出るところはきちんと出た、と言うからだつきを、考慮に考慮してあつらえただろう愛らしい型なのに、それが下品な色と臭気になって、
改も、少しすると彼の言葉のニュアンスには察しがついたらしく、「……ゆうべは、お楽しみでしたね」だがそれでも余裕気に、薄ら笑いでジョークを言っていた。
「しっかし、酒は記憶が飛んで、いかんね。何話したのかもおぼえてないや」
「その、なんだ。母親には迷惑を掛けていた、とか」
「そっか」「あ。あとほかに、」
改は立ち上がる。「秀継くん。ちょっと、そこらの屋台を回ろうか? おカネはお
「アラタは、影の職責をどう思う?」
「『
「どうして、そう断定できる?」
「まあ、私の場合、外から来てもう五年になるもんだから、色々、知ろうとせずとも吸収されてるものはあるんだよ。たとえばその試練だけど、噂では『人の精神の育ち方』と密接に関わっていて、魔物のどうこうもそれで決められる、んだとか。だとしたら完全に手当てのしよう無し、だね。だって、確かに日々剣を振っていれば筋肉はつくだろうし、努力の分だけ経験値も上がっていくものじゃんて、」
「精神。思考は、自分で操作も強化もできるものじゃない。だからまして、他人の気ままに決めた水準を目に見えない観念で満たせとあっては、圧倒的人格者でないかぎり、困難だ」
「なんと名想定! すごいね、私のほしかった言葉まさにっ、そのとおりだよっ!」
「揺ら、っさないで、っ」
小奇麗な服飾の並んだ店についた。その様相は、刀剣や武具などをあつかっていたあの休憩場とは一線を画して、非常にきらびやか、そして華やかだった。「長い布が多い」「まあ、ここの正装、みたいなのかな。時代背景はどうか知らないけど、」「ローマ辺りじゃないかと聞いた」「そうだね。でも、某温泉漫画じゃ見慣れたものよ」物干し竿のようなものに掛けられた一枚布はさまざまな色と模様をして、ほぼかんぺきにファッションの一端となり得ていた。「そう言えば、アラタの髪は奇麗なリボンで結われているけど、」「これは、『マドナス』で買ったものだよ。だからもっと安物」「そう、」「秀継くんも、この服着なよ。買ってあげるよ?」高さを増した彼女は、淡い色で生地は薄いが言い知れぬ情緒があるトゥニカを指さして言った。彼女はとうにその色に染まっていた。「ゆとりのあるものは、好きじゃない」とは、秀継。「サイズの話? どうして?」「それだけ、みすぼらしく見えるもの」「はあぁ……なるほど、ね、え?」担ぎ手はまた歩き出した。
「まあ、なに、
「……どうして、塔の人たちは積極的行為には、広い心でいられるのに。自分の言葉を、あたかも他人事のように言うの?」
「そう、だったかな、分かんないけど。私たちは自分の言ったことより自分の、したことのほうが長い間憶えていられるから、じゃないかな? 漠然とむかし母親に叱られたことを分かっていたって、なんで、そのときの私は怒られたかもう、知ることができないのと、おんなじで」
「説得力とか自負とかの問題じゃない?」
「だ、と思うよ。そもそも暴論じゃここまで上がって来れないはずだよっ。君も、私だって当然、自分の考えてることは正当なんだって思い続けてるわけじゃないかい」
「そう。ボクはまだ『世界一』と言うものの意味が分からないままだけれど、」
二人はそこの惣菜店のまえで食事を摂った。「アラタの小ささは、いつからなの?」「言うねえ、まあ、気になるなってほうが難しいかね。そうね、確か小六までは人並みだったはずなんだけど。その人並みが歳食ってるうちに、だんだん人並みに外れてった、ってことかな」「アラタは、こうなることを望んでたの?」「んなあほなっ。長身・グラマラス・ビューティーを夢見ていたわ」「想像に
「ここの、色んな人たちと話して、いつか無興味を克服できたら……そのときはその価値観にも、前向きでいられると思うから」
「そっか、」
「アラタも、
「私か。そうだね。でも、
「もう、下りたいの?」
「はは、だいじょうぶだよ。たとえ忘れていたって、タカラモノまでの道を閉ざさないでいてくれるのが、『塔』なんだから……」
ふと立ち寄った古本市の老人の、孫らしき少女が目に入った。がっくりと深く頭を垂れて木箱に、座っているところの、布越しでも分かるほど痩せた脚に彼女はしがみつく。さらに物怖じした目つきで、まばたきもせずに、睨みつけて居た。改は、秀継の背からすべり下りて、彼女のまえに立つとその頭頂をがしがし撫でまわした。けれど彼女には、なぜか嫌がるそぶりがなかった。少しうえの改の穏やかそうな
「まあ、何があっても私は、登るよ。登らなきゃいけない」
「そう」
「本当は、どこでだって果たせる目的ってものが、あるかもしれない。私が、外に出なかったのもそう言う、無鉄砲な気持ちがあったからかも分からない。それでも、行きたいね。秀継くんをひとりで行かすってのも、ちょっとまだ無理そうだし」
「『世界一』は、二人で目指していいものなの?」
今さらだが、気づいた。塔は、一つの「幸福」しか
「秀継くん、私じつはボードゲーム好きでさ。とりわけオセロが得意なんだけどっ、」
改はちょっとした高揚感からなのか、少し速まった語調でもって言った。
けれど瞬間、「いや、」明らかに冷え切った声をあげて、「イイコト、言おうと思ったけどねえ。有り体に言っちゃうと自分と相手で持ってる
「でも、ボクとアラタは別に勝負をしているわけじゃない」
「っ、そっか」
「目指しているものが誰にとっても『世界一』なら、どうして、塔には交通規制のようなものが無いんだ? 観測者が増えるのに比例して、『
秀継の疑問は当然のものだった。このままでは、それら謳い文句が虚偽になってしまう。
彼は階段の直前に、
「アラタ、」
「……ごめん。できればこのままで、第4層にはいってほしい」
「どうして?」
どうして、答えられない? 彼女は塔の内情と現状によく精通しているはずだったのに。ぎこちない仏頂面で、へたくそな平淡さで、なぜその場凌ぎの言い分を並べ立てようとするのだ?
「だいじょうぶだよ。たぶん。魔物、そんなに出てこないはずだから」
「わ、かった」
卑怯である。
相手に拒絶されると、強く踏み込もうとはできない秀継の弱さを知って、そんな乱暴を振りかざすのか。
今の、改の情緒は不安定だった。
『ザブンッ!』
刹那、全身に酒を浴び、彼女はさらにおかしくなった。いや本調子とよぶべきだろうか、昨日、「オニックス」で盛大に酒乱したあの姿に、今度も成り下がってしまったわけであった。
「がおおおおおぅおうおぉぉぉぉぉ、んゔっ――!」
ブジ・アラタのけたたましい
※ ※ ※ ※◆※ ※ ※ ※
実質、計測しようとした人間は一人もいなかった。断言のしようがない、しかしまともに影と戦い、迷路を攻略するのに
「……どれくらい、寝てた?」
そうと今に怪訝なようすの
一方、いまだに、五年間を費やしても第3階層を突破し得ない実力のままだったから、そこでは秀継少年の同伴がなければ、根本的に解決されるはずもなかった。
だからこれも当然至極のことだ。枕元の彼が、みずからを、ずっと見守ってくれていた事実。
改は起き抜けにおどろきも、それを確認しようとすることも無くて、あっけらかんと訊いた。
「分からない。ごめん」
「そう、だよね。ここ時計ないし。ん、ここ?」
改は、ばりっ、と掛布団を
そばにちょこんと丸まって、座っていた秀継は、ほんとうにしとやかな表情を強め、困ったような雰囲気を醸して言った。
「アラタが酔っ払って、あばれ疲れて眠ってから、登った。ここは『シャルル』。今は、娼館を管理している人に口利きしてもらって、常宿を借りている。代金はボクが払っておいた」
「簡潔に素晴らしく、洗練されたここまでのあらすじ、どうもありがとう。そして、なんと言いましょうか……はい。迷惑かけて、すみませんでした」
ひとしきりさわいで、元気をとり戻したらしい改は静かにベッドへ腰掛けていた。
「アラタは酒を
「言わないっ!」
「でも、これでボクは違うと分かった?」
「…………」
「アラタと、一緒に登って来たんだよ?」
「――、分かってるよ」どうしてか諦めたように失笑して、「君のまえで、少しも、気張れなかったのは私だからね。もろもろ。
「『どうして、この塔に登ってきたの?』か、秀継くんには、話しておくけどね……、」
とたんに腹が鳴った。空腹なのがばれた。すぐに平坦なところを押さえて、相手からは目を逸らした。
「詳説するまでもないだろうけど、塔ってもんにはね『
「どうして、さっきはやけに説明口調だったの?」
「はあ。君ってば、まったく
「そう? もしアラタを知らないどんな人でも、気がつく程度に、さっきまでのアラタはかたくなだった」
ちょっと音を殺しただけで、室内ばかりか外の空間までもが静まり
「確証がないことは言わないようにでもしてるの?」
「それは、ボクこそ訊きたかった」
「私はそうじゃないよ。ただ、さ……尊敬してるんだ。私はむかしっから迎合的、ってか人に賛同することしか能が無いわけ。そのくせうそは
「笑っている場合じゃない、」
冒頭の一言に端を発し、いったいどれだけの主張と情報を交えてきたことか。
とうに
秀継も果たして、それかそれでないかと言えば、無論、彼女と同義の方にかたむいているのだから。
「アラタは、誰かに賛同されたかったの?」
「私は、」
初めて、彼女は困惑の顔を浮かべた。肩を
「悪い、個性だとは思っていたよ。誰かに会ってないあいだも、興味ないふりして、何一つおもしろいこと考えられなかった。けど治したいとか、そもそも、病気だとさえ思ってなかった。私は、なんだかんだ人に合わせてるのが楽だし、たのしい、とか、おもってたのかも、」
「そうだと、いい」
「そうだといいね。それで……『自分』のペースで話せる君が、なんか嫌で、他人を気取ってたかもしれない。私でも気づかなかった」
どこか、改は清々しさに満ちた
「ボクは、ある日突然、『自分』の本当の正しさに気づくのでもいいと思ってる」
「ボクはアラタの五年間を、見届けたわけじゃないけど。確かに、アラタの積み重ねてきたもの、信じてきた真理は、分かる」
「ありが、とう」「ただ、分からないのは
そして、高きに結われたツインテールに手櫛を幾らか走らせながら、秀継に笑い掛けた。「影の魔物に対抗するには、よっぽどの人格者じゃなきゃとは、話したっけね? それは、本にも書いてあるほどの常識なんだよ、じつは。ここの常識、私たちが、知ってるわけない常識、でも、どう転んでも知ってなきゃおかしいことがらに変わりはないんだよ」強く、
「まるで、世界ってものの
「アラタ、」
「もはや、私たちに塔と世界を区別するほどの能は無いんだろうねっ」
「じゃあ、どうしてボクたちは、ここで生まれて来なかったんだ……?」
「それは、」
アラタは靴を履き直している最中だった。「……人は、自分の望んだようには生まれてこないのかな」
「だから、みんなが理想的な生き方をもって、目指しているのかな」
「なんて、理不尽」
けれどルールとは法則とはそうでなくてはならないもの。人間たちは、つねに実存を図ってきた、それだけに、実存し得ない事象――つまり、因果と言うものには、めっぽう弱くできている。誰もがこの存在を「理不尽」だと覚えてしまうのだ。
一見、
「でも、塔を登るってのは本来、ううん、今でもそう言うことに変わりないよ。ここじゃ私たちは『自由』なんだ。『自由』なりに好きなように、筋のとおった生涯を実行すればいい。ほんとにここは放任主義って感じだけどね、でも、それがちゃんと幸福を実現してくれるんだよ?」
「だとすれば、
「アラタ。行くよ」
「ちょっ、」秀継は彼女を置いて、宿部屋から出た。
眠気を
だが、見れば見るほど、秀継にはそこがただの広場のように思えてきたのだ。微小の寂れをひた隠しにしようと、人気の集まる何かを乱立して、強気に振る舞っていると言う寂しさ。一度感じ取るとそれは、絶対的に拭えないものであった。
「アラタ、」後ろからの、とたんっ、小さな足音を知って、タイミングよく秀継は声を掛けた。「どうしたのっ?」「ボクのどこかでは、もう、勝敗を決めたくってしかたなかったのかもしれない」「そうだよ。かりに勝ち負けじゃないとしても、価値観には、優劣がつけられちゃうわけさ」「アラタは、知っていたの?」
その、
「そんでさ、結局、一緒にいたいと思うんじゃない?」
と、告げられてからの、笑顔とは格別だった。
つまり、彼女はよく分からない人間で、その目的も、あまりに稚拙であった。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
第4話 傷負い
誰かと、理解し合える喜び。ほっしている。真理に至ろうとする快楽。ほっしている。だがそれらは、絶対並び立つことのできない現象。どちらかを放棄しなければ真意には成り得ない、二つであるから――秀継少年とはおおいに、大欲の人物だった。
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