纏ノ章 一日目
第1話 フルーツ味が消えないうちに
美少女然とした顔立ちの彼は、その日、自殺をこころみていた。自死、などと行為を正当化する理由もない、意味ある、自発的な「自殺」。しかし失敗した。彼は遠くに見えた巨大な「塔」を、目指したいがために、みずからの意思を裏切ってしまったのだ。果たして、それこそが行為であると知らないままに。
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それとは、いつごろのことであるか。
「失望した」
と、声がした。
「本当にすべて、忘れてしまったんだね」
悲しみと落胆に暮れる、若い女性の声がした。
そこはとても暗い場所だった。けれど広い場所だった。
円形面積のなかに設けられた
だから、遠ざかる女性の姿はみるみるうちに闇に溶けていくのだ。
「わたしに、『
ベージュ色の締まったベストに黒のズボンを着て、豊満な
「この儀式は、君がやることに意義がある。わたしでは勝手が違いすぎる」「……何も、違わないでしょ?」すると、椅子にちぢこまってばかりだった少女のほうも、弱々しく言葉を発した。「わたしたち、ずっと無意味だから」
それに、女性の目つきはするどくなった。
「わたしたちはなぜ、その姿を美しく変貌させ、そして二度と傷つかぬよう
「意味が、わからないわ」
「外見への
「じゃあ、わたしにもちょうだい。価値がわからないと、どうにもできないでしょ」「だめだ」女性は、強く拒絶した。「わたしは、初めから君が『
「どうして、わたしに人殺しさせようとするのよっ! 人殺しなんて、イヤっ! だれかを傷つけないといけないなら、わたしが死ぬわ。死んでやるわっ!」
「そこまで……そうまで言うなら、いいよ。じゃあ、」
女性は言うと、
「それで自分の、心臓を刺し
「簡単よ!」
彼女は、壇から駆け下りてナイフのもとへ、行くと、すぐさまその柄を掴みとった。
「こんなものっ」両手に持ちかえ、光る先端を、裸体の中心にそなえる。ちょっとしたところに触れただけで、激しい痛みを覚えた。けれど進めた。二ミリほど、埋まったあたりで、彼女はひどく泣き出してしまった。頬から垂れ落ちた涙は、噴き出す血液とまざってひどい色になりながら胸、
「できないか」女性は、彼女を見下ろして言った。
「殺してよっ!」
「できない」
「なん、でぇ……っ、」
ナイフを
女性はそれに、清潔な上着の
いつしか、と言う刹那に、鮮血はうすい黒色に褪せると、そこで固まり、剥がれ落ちてしまっていた。
「そいつは、あげるよ。死にたければいつでも、挑戦は見届けよう」
ただし、深く息を吸って告げた。君は
それでも、場所と、今の地位には確かな価値がある。状態にも。
「君が、どうして記憶を失くしてしまったんだろうね」
「わからないわ。でも、わたしは、わたしなんだ」
「そう。君は、」
「カサネ」
「――いや、そこに、
女性はおどろいた顔をして、彼女を立ち上がらせた。そして、ふたたび玉座にすわらせた。
「分からない、ことがある。君はどうやってここまで登ってきたの?」
「憶えてないよ」
「だと、言うよな。それあ、そうだ。記憶が無いものね」
女性はどうしてか薄ら笑いを浮かべた。「君が、『宝物』の価値に適わないとは言ったけれど、詰まるところ、それはまったくの嘘なんだよね。誰にとっても崇高で、その個人にしか感じられないものを
結局、彼女は答えられなかったのである。
「この場所とは、生涯のささいな
女性は、バルキーな衣装の全部を脱ぎさった。肌身には下着でなく、
「わたしには、君がカサネだろうとシジョウ・キリカだろうと、構わないけれどね。どのみち過程に
「何をするのっ?」
「わたしは、君が、最後に少しでも幸福になれるよう、立ち回るから」
そのとき、女性は手を取ってくれた。やさしく撫ぜてくれた。
本心を語らないでくれた。
「それが、わたしのここに居る意味、価値なんだよ」
「……好きに、すればいいよっ」
二人はそして、流れることを忘れた時間のなかで心を、脱ぎ
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
一日目。
彼は、その塔を発見した。コンビニに立ち寄り、そのまま高台から身を投げようとしたとき、必然に目にして、どうにか死を免除された。まさに必然。
勇猛果敢な少年は
塔内部の迷路構造とはあまりに巨大で、冗長過ぎた。それに、塔と呼ぶに、横幅はあまりに大きく、高度もあまりに低かった。その意味ではホールケーキの貫録と大差はない。目立ちたがりの、使い古された
少年も、
◆ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「くぁっ……来るっ、な!」
少年――と、今まで表記してきた彼であるが。ピンク色のオフショルダーの
と
先まで、ヤツらは後ろに来てはいなかった。しかし、転倒した彼が立てなくなって、少しのあとずさりしか出来得なくなったのを見ると、瞬く間に天井から染み出し、ごとっ、と落ちて来た。腫れた頭と胴体の二頭身に相成ると、さらに二匹増えていた。
彼は強く、
けれども影たちは、本能に深く刻み込まれてきただろう這い這いの動きで、ふたたびこちらに近寄ってきたのである。彼は反して逆方向に、ひっしに手の力だけで進んだ。果たして、実力は並び立っているようにもみえていたが、ほんのちょっとした差が、埋まることはない。ヤツらのほうが速かった。その前段階的な腹這いになら勝てたかもしれなかった。赤子の這い這いとは、意外にも洗練された動きだとはじめて思った。
はっきりと、彼は
その、彼が、どうして塔を見つけられた? なぜ、影たちはわざわざ現れてくる?
だから、この場所で、影を討つのに。必要なのは武器か? それとも、武器以前の何かか?
もしも、終わりまでその「何か」が分からないままだったとして、それでも手に残るものは
「これは、」
手に取ったものが、ほんとうの偶然か、プロットにより仕組まれた必然か、なんてものは誰にも断定できない事実だったが、確かに彼のなかには揺るぎのない真理があった。
それはこの、痩せた白い手で、カエデか何か(どうしてもはっきりしなかったが、)の木の枝を、
次に、彼はそれを振りかざした。振りかざすことに
怖じ気のしなくなったころあいに目蓋を離すと、影たちはすっかり姿を失くして、場所には彼一人が残っているだけになっていた。彼はまた立ち上がって、奥を目指しはじめた。
一体何が起こって、どうしたのか、理解できないままであったが、手の枝を
「おい、」
曲がり角を、通過した直後のことだった。女性の甲高い調子を、無理やり押しつけたような鼻声で、呼び掛けられたようだ。気になり、彼は立ちどまった。
「誰?」名前をきくつもりでなく、たんに幻聴ではないかと言う疑いを晴らすために、発したものだった。「ああ?
「お、おう」
「なに、綺良?」
「いや。ごめん、女かと思ったよ。じゃなくてっ、なんでそんな恰好してんだよ! そんなっ、女みたいなフリフリ、」
「『フリフリ』?」
あいにくフリルもリボンもついていないが、ガーリーな衣装ではある。にわかに彼女の言い分の筋はとおっていた。
「あたしなんてっジャージだぞ! 芋くっさい、赤ジャージ!」「結局何色?」秀継はそうして安易に返事できるようになったころに、彼女の胸にある「常磐」の
綺良は自分の袖やパンツを掴み引っ張ったりした。格別、彼女と彼ではふるまいやよそおいの落差が目立つ。だから雰囲気より、服変えてよ、と提案した。
だから乱暴に脱がした。やはり彼の言ったようにあの、オフショルダーは前方へと伸び切り、乳の形が少しでも
「それ、で。あんたはここのこと、
「カゲが出る……」
「それから、」
「出会った人間に、服を着替えさせられる?」
「それは違う。あんただけだよ」
「綺良は、将来垂れないために、ブラジャーをつけたほうがいい」
「分かった。お前もわたしと同じだな」
「ゔんっ」そのひらたい胸に一発見舞ってから、綺良は言った。「話がある。と言うか、ちょっとした問題があってな。知らないもん同士、協力だよな」言葉に、強制力があった。秀継は観念するしかない。
「その、場所は?」
「このすぐだよ。もう、かなり歩いたし、たぶんそこがゴールなんだろうけど」
「そもそも綺良はどうして?」
言い出した綺良を先頭に、二人はもと来た方向へ。おそらく順路を進んでいく。
「あたしは、野宿してんだよ。昨日の朝辺りから。そんで何回も
「綺良は、戦わなかったの?」
「戦うだって? アレと? 赤んぼうと、か。嫌だね。さわらぬ神に
「そう、」
とくに気掛かりがあるはずもなく、秀継は了解した。つまり自分の判断が間違っていた、とも、綺良こそが間違っている、とも思えなかった。ある一つにおける方法が、状況で異なってしまったのだと言う憶測に
それでも、場所には到着した。
一回りした、どうやらそこは通路や外観と同様の石材のようなものでできているみたいだが、なんと言うか積まれ方が小さなドーム型と特異で、さらに、中央部にある円筒状のものが天井を
「綺良っ、」と、確証を得たときのすがすがしさに、見るが、
「ここだ」
「え?」まぬけなトーンで訊き返す。「だから、ここがなんだってのか。お前の意見がほしい」
「何って、」口走るより先に、秀継は気づく。隣を歩いたその清く
が、勿論実際には見透かしてなど居ないはずだし、懐疑的なまなざしから、まずもって目視すらできてないのだろうが、それならと有り体に言ったところで「見透かしている」の語意による堂々巡りを
秀継は呼び掛けた。「綺良は、どういうふうに見えているんだ」それで先にコンビニで購入した、四本入りのカ●●ーメイトをとり出し、山吹色の外箱と
「決まってるじゃない、行き止まりだよ。ただちょっと、今まで見てきた雑なものじゃない何か、ここは意図があって造られたような気もするけどさ。でも結局行き止まりに変わりない。今日もここで野宿は、確定かな、なんて」
と、やけに落ち着いた言葉尻を据えて、彼女はなかほどまで食んだ。
「フルーツ味は、嫌いじゃない?」
「ん。別に」
「そう」
「これじゃ不満か? でも、たかがメイトでな、それに、無理してあんたに買わせたってわけじゃないんだ。だからちゃんと、嬉しいもんだよ」
「そうか……」
それでもどうして、秀継は承知できないようすだった。
「はは。そうかっ。悪い、文句の一つでもつけられたら、少しはマシな会話ができたんだよな」
「でもボクは、フルーツ味を進んで選んだことはない。棚に、売れ残ったのがそれしかなかったから、カ●●ーメイトでなら、それを食べざるを得なかった」
「秀継はもっと、自分のやること成すことを、長い目で見てやったほうがいいかもな……」
綺良は、表情を
「綺良」
「ん、」おおげさにひるがえって彼女は、食べ
「ボクには、階段が見える。ここに階段はある。きっと、綺良がのぼりたいと思えば、それは綺良にも見えるようになるかもしれない」
「なんだそのファンタジア! って、言えばいいんだろうな、区営アパート群のどまんなかに時代錯誤もいいところの何かしらが建っていることにも。誰も気づかなかったのか? 東京は、いつからパチモンを置いてもいい町になったんだ? これローマのあれだろっ?」
「なにを言ってるの」
「何も。それよりさ、あんた、ここにのぼってなんの得があるんだって思うわけ?」
綺良は、ずり下がって来た衣装を正しながら、彼のあまりの煮え切らなさに苛立ちを隠し切れないようすであった。「それは、」「別に、明確な答えがほしいってわけじゃないんだ。あんたも知らないだろうし、な」そして、一気に詰め寄られ、「多分。あたしもあんたも底知れない事情でここに居るんだろうね、詮索したいとも思わない。理由なんてくだらない。ただ、もう分かってるだろ? 引き返せないんだよ。だから、もしこれでのぼるしかないって言うんなら、ちゃんと、それなりの理屈をとおせって、」凛とした声、
ふと、右手のなかの枝を見た。気味の悪いヤツらを撃退できたのはこれこそであった、ゆえに、実質の秀継が影を倒し得る力をもっていたなんて、事実はない。彼はただの愛らしい少年、だから、全文を
けれども。「……今は、何もない、ただの好奇心じゃだめなのか」
心根よりの言葉を、口元まで持って上がれてしまったから、
「何も、接点のない君とボクが、同時期に
無条件に、それが、おびえた声音だとわかる。誰にも。自分の、自分だけの解釈を展開すると言うのは
結果的に憶測を言い、けれどそれが信じられる真理だと明かした秀継には、どうして綺良も、好意的にふるまうしかなかった。そして彼女にも、やがて階段が薄ら見えるようになった。果たしてそこに根づいていたと認識できたころには、二人揃って上階に、
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第2話 流れもの
対話とは、勝負であり、交流ではない。宗論のぶつかるところには、かならず普遍性が生まれ、身勝手な主体性が色を損なえる。すべて人は自分のために誰かを認め、誰かのために自分を見限る、そう言うことができる存在だ。だから「塔」が据える真理の輪郭――それは、かならず人間たちの全体理解から生まれる。そこからしか生まれないのである。
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