纏ノ章 一日目

第1話  フルーツ味が消えないうちに

 美少女然とした顔立ちの彼は、その日、自殺をこころみていた。自死、などと行為を正当化する理由もない、意味ある、自発的な「自殺」。しかし失敗した。彼は遠くに見えた巨大な「塔」を、目指したいがために、みずからの意思を裏切ってしまったのだ。果たして、それこそが行為であると知らないままに。





 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――






 それとは、いつごろのことであるか。



「失望した」


 と、声がした。


「本当にすべて、忘れてしまったんだね」


 悲しみと落胆に暮れる、若い女性の声がした。

 そこはとても暗い場所だった。けれど広い場所だった。

 円形面積のなかに設けられた背凭せもたれが高い椅子の、左右で、燃えさかる松明たいまつが、まるで篝火かがりびのようにおもえるほど、空間は漠々たるそれであった。

 だから、遠ざかる女性の姿はみるみるうちに闇に溶けていくのだ。


「わたしに、『とう』に、どれだけの違和を与えているのか、君は素知そしらぬままで居るつもりだろうけど、」


 ベージュ色の締まったベストに黒のズボンを着て、豊満なからだつきをもち、広大な空の色を細いなかに閉じ込めたような頭髪をした女性は突然、かっ、と振り返る。


「この儀式は、君がやることに意義がある。わたしでは勝手が違いすぎる」「……何も、違わないでしょ?」すると、椅子にちぢこまってばかりだった少女のほうも、弱々しく言葉を発した。「わたしたち、ずっと無意味だから」


 それに、女性の目つきはするどくなった。


「わたしたちはなぜ、その姿を美しく変貌させ、そして二度と傷つかぬよう矯正きょうせいされなければならない? 決まっている。それは、皮相的な考えのすべてを否定するためだ」


「意味が、わからないわ」


「外見への頓着こだわりを断つんだ。外観への先入観も捨てなさい。君が、つかさどっているものは決して一般的ではない、しろものなんだよ」


「じゃあ、わたしにもちょうだい。価値がわからないと、どうにもできないでしょ」「だめだ」女性は、強く拒絶した。「わたしは、初めから君が『宝物ほうもつ』にふさわしいと思ったことは一度たりともあり得ない。君に、その資格はない」「じゃあ! なんでっ!」くたびれた大きな布の一枚だけを着て、他方鮮やかな青紫色の長髪の彼女は怒りくるっていた。


「どうして、わたしに人殺しさせようとするのよっ! 人殺しなんて、イヤっ! だれかを傷つけないといけないなら、わたしが死ぬわ。死んでやるわっ!」


「そこまで……そうまで言うなら、いいよ。じゃあ、」


 女性は言うと、臀部でんぶのナイフケースをとってなかの、得物を向こうへと放った。きゃらん、つるるる、金属と硬石の擦れる音があたりにひろくひびき渡った。


「それで自分の、心臓を刺しつらぬいてみなさい。わたしたちは、自分では死を選び採れない。だから、意思を示すだけでいい。出来得たのならば、きちんとわたしが、ほうむってやる」


「簡単よ!」


 彼女は、壇から駆け下りてナイフのもとへ、行くと、すぐさまその柄を掴みとった。


「こんなものっ」両手に持ちかえ、光る先端を、裸体の中心にそなえる。ちょっとしたところに触れただけで、激しい痛みを覚えた。けれど進めた。二ミリほど、埋まったあたりで、彼女はひどく泣き出してしまった。頬から垂れ落ちた涙は、噴き出す血液とまざってひどい色になりながら胸、へそ、ふとももをじょじょに伝っていった。


「できないか」女性は、彼女を見下ろして言った。


「殺してよっ!」


「できない」


「なん、でぇ……っ、」


 ナイフをこぼし、さっきの両手で目をおおうのに必死な裸婦はひどく、惨めであった。

 女性はそれに、清潔な上着のすそでも貸してやろうとはしない。

 いつしか、と言う刹那に、鮮血はうすい黒色に褪せると、そこで固まり、剥がれ落ちてしまっていた。


「そいつは、あげるよ。死にたければいつでも、挑戦は見届けよう」


 ただし、深く息を吸って告げた。君は金輪際こんりんざい『宝物』には至れない、と。

 それでも、場所と、今の地位には確かな価値がある。状態にも。


「君が、どうして記憶を失くしてしまったんだろうね」


「わからないわ。でも、わたしは、わたしなんだ」


「そう。君は、」


「カサネ」


「――いや、そこに、逢着ほうちゃくしたのか」


 女性はおどろいた顔をして、彼女を立ち上がらせた。そして、ふたたび玉座にすわらせた。


「分からない、ことがある。君はどうやってここまで登ってきたの?」


「憶えてないよ」


「だと、言うよな。それあ、そうだ。記憶が無いものね」


 女性はどうしてか薄ら笑いを浮かべた。「君が、『宝物』の価値に適わないとは言ったけれど、詰まるところ、それはまったくの嘘なんだよね。誰にとっても崇高で、その個人にしか感じられないものを吾々われわれは、『宝物』と呼ぶしかない。だから素質の問題だ。かりに現時点で、君にそれを理解する準備ができていなかったとしても、すぐに落伍じゃしかたないでしょ? ここには人間のもっと、内的なことをさらせるだけの環境があるんだから、君も、そういったなかを踏んで来ているはずなんだ」「わたしは、」「カサネ。君は、どうしてカサネなんだ?」まさしく、ロマンチックな夢物語の一節のようであるセリフが、そうした意味をはらんでいないことは明白だった。


 結局、彼女は答えられなかったのである。


「この場所とは、生涯のささいな紆余曲折うよきょくせつをとり除き、練成された人間像を目指すための……いや。ざっくばらんに言うとね、『狭められた生涯にこそ納得し、幸福を得るための施設』だから。正直に過程は無くっても、困らない」


 女性は、バルキーな衣装の全部を脱ぎさった。肌身には下着でなく、きらびやかな飾りや布のまつわる踊り子装束を直接、着込んでいた。外気に触れたとたんにそれらは激しく鳴った。


「わたしには、君がカサネだろうとシジョウ・キリカだろうと、構わないけれどね。どのみち過程に遵守じゅんしゅを誓わなければ、いいんだ」


「何をするのっ?」


「わたしは、君が、最後に少しでも幸福になれるよう、立ち回るから」


 そのとき、女性は手を取ってくれた。やさしく撫ぜてくれた。

 本心を語らないでくれた。


「それが、わたしのここに居る意味、価値なんだよ」


「……好きに、すればいいよっ」


 二人はそして、流れることを忘れた時間のなかで心を、脱ぎてて行った。


          ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 一日目。

 彼は、その塔を発見した。コンビニに立ち寄り、そのまま高台から身を投げようとしたとき、必然に目にして、どうにか死を免除された。まさに必然。無粋ぶすいだけれどもなぜ必然かと言えば、四〇メートルを優に超す非常識なサイズ感を、すくいそこなうことなどあるはずもないのだから。その少年は掬うべき事実を、それから塔は救うべき彼を、おのおのてのひらの上に乗せただけだった。

 勇猛果敢な少年はが身を、その真っ暗闇のなかへ浸していた。松明のほのかなほとばしりと、風のない空間に無表情で気味悪がりながらも小一時間ほど進み、当初二人分だった通路が倍近くに、ひらけたところで突如、彼をかげたちが襲撃したのだ。明らかに幼齢いや、齢の数え方も教わっていないような、歩く術無く四つん這いでこちらを目指してくる、黒光りした影である。無論彼はその場から逃げ出した。恐怖とか無理解のそれ以前に、目も鼻も口も持たない姿に自分が、してやれることなどあるはずがないと、諦めきって居たから、彼は無闇に荒れたなかを走っていた。切れ目がするどい石屑いしくずなどの上に何度転び落ちただろうか。みずから血まみれになり、若さに潤む肌へとどれだけ傷をつくろうと、しかし彼は走っていった。

 塔内部の迷路構造とはあまりに巨大で、冗長過ぎた。それに、塔と呼ぶに、横幅はあまりに大きく、高度もあまりに低かった。その意味ではホールケーキの貫録と大差はない。目立ちたがりの、使い古された陳腐ちんぷさ。理解されることより何より、気づかれることを尊ぶ。塔もそうしていきてきた。これからの時代、過去の時代、知られない時代の、すべてにおもねって、けれどそのありきたりな姿を独自性と謳い続ける。塔の意思とは疲れ切った、それなのだ。

 少年も、すなぼこりの立つ地面に、たおれ伏したことでようやく分かったような気がしていた。


          ◆ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


「くぁっ……来るっ、な!」


 少年――と、今まで表記してきた彼であるが。ピンク色のオフショルダーの長袖ながそでにパンツは、ぴっちりとしてボディラインの映えるものを履いている。いや女性的なのは衣装だけにとどまることなく、容姿も、日本人的なつやの美しい黒髪に、陶器質の肌とは、まさしくドールのように美麗だ。それで、今後はどうか勘違いされないように。彼、は終始どのような場面でも、そんな彼なのだから。

 とあらためて現状、崖っぷちの展望から全身で飛び下りようとできたのに彼は、ちょっとした出血と、若干距離から睨みつけてくる赤子の影には脂汗をかくほど戦慄せんりつしていた。

 先まで、ヤツらは後ろに来てはいなかった。しかし、転倒した彼が立てなくなって、少しのあとずさりしか出来得なくなったのを見ると、瞬く間に天井から染み出し、ごとっ、と落ちて来た。腫れた頭と胴体の二頭身に相成ると、さらに二匹増えていた。

 彼は強く、えた。心を読み上げた。

 けれども影たちは、本能に深く刻み込まれてきただろう這い這いの動きで、ふたたびこちらに近寄ってきたのである。彼は反して逆方向に、ひっしに手の力だけで進んだ。果たして、実力は並び立っているようにもみえていたが、ほんのちょっとした差が、埋まることはない。ヤツらのほうが速かった。その前段階的な腹這いになら勝てたかもしれなかった。赤子の這い這いとは、意外にも洗練された動きだとはじめて思った。

 はっきりと、彼は諦観ていかんした。だからおのずと後退の速度を落としていた。今に、自分の実行しようとしていたことを覚えていたから、結果は同じだと、そして感じた。事実どちらも本質では同一だったのだから。彼の判断も正当だった。手の施しようがあるものごとが「偶然」で反対が「必然」、その逆こそ真理、なのか、つまりどちらとも彼のなかでは決着がついていなかったわけだ。

 その、彼が、どうして塔を見つけられた? なぜ、影たちはわざわざ現れてくる?

 に何事も、逆説を考えてみれば真理が見えると言うものだ。そこで起こっている現象を、幾ら測っても、結論が「憶測」に成り下がってしまうように。憶測をもって、つまり、事実をあべこべにとらえることができるのならば、最初に求めていた答えとは得られよう。

 だから、この場所で、影を討つのに。必要なのは武器か? それとも、武器以前の何かか? 

 もしも、終わりまでその「何か」が分からないままだったとして、それでも手に残るものはまぎれもない真理である。真理が、絶対に事実であることはない。けれども、真理が事実をまとうことは、いつかあるかもしれない。


「これは、」


 手に取ったものが、ほんとうの偶然か、プロットにより仕組まれた必然か、なんてものは誰にも断定できない事実だったが、確かに彼のなかには揺るぎのない真理があった。

 それはこの、痩せた白い手で、カエデか何か(どうしてもはっきりしなかったが、)の木の枝を、ったことだ。

 次に、彼はそれを振りかざした。振りかざすことに躊躇ちゅうちょは無かった。これでどうにかなると言う、むしろ自負の気持ちばかりに満たされていた。満たされたものを先端からほとばしらせた、すると、おどろくほどの熱量と光をはなったのである。思わぬことに、からだだけはきちんと反射をとって、彼の目は暗んでしまった。

 怖じ気のしなくなったころあいに目蓋を離すと、影たちはすっかり姿を失くして、場所には彼一人が残っているだけになっていた。彼はまた立ち上がって、奥を目指しはじめた。

 一体何が起こって、どうしたのか、理解できないままであったが、手の枝をてる気にはならない。無意識にそれが、必要であると知っていたからだ。もっとも表面で無感動を示していたが――れっきとして塔に無知である彼が、理解をひらいた最初の瞬間だった――。


「おい、」


 曲がり角を、通過した直後のことだった。女性の甲高い調子を、無理やり押しつけたような鼻声で、呼び掛けられたようだ。気になり、彼は立ちどまった。


「誰?」名前をきくつもりでなく、たんに幻聴ではないかと言う疑いを晴らすために、発したものだった。「ああ? 綺良きらだよ。お前こそ誰だ」すぐに応えてくれた彼女は優しかったが、それは訊き返されるはずである。彼は、「……雨宮あめみや 秀継ひでつぐ」と、そう名乗った。


「お、おう」


「なに、綺良?」


「いや。ごめん、女かと思ったよ。じゃなくてっ、なんでそんな恰好してんだよ! そんなっ、女みたいなフリフリ、」


「『フリフリ』?」


 あいにくフリルもリボンもついていないが、ガーリーな衣装ではある。にわかに彼女の言い分の筋はとおっていた。


「あたしなんてっジャージだぞ! 芋くっさい、赤ジャージ!」「結局何色?」秀継はそうして安易に返事できるようになったころに、彼女の胸にある「常磐」の文字もんじに気がついた。


 綺良は自分の袖やパンツを掴み引っ張ったりした。格別、彼女と彼ではふるまいやよそおいの落差が目立つ。だから雰囲気より、服変えてよ、と提案した。して人前での更衣を悪いものと思っていないようすの彼はしかし「綺良の胸だと、全然、収まりがつかないとおもう」、それを手ばなすのにかなり抵抗があるらしかった。


 だから乱暴に脱がした。やはり彼の言ったようにあの、オフショルダーは前方へと伸び切り、乳の形が少しでもれ気味であればとうにずり落ちてしまっただろう。「でも、やっぱり女性が着たほうが似合う」どういう意図で言ったか知れないけども、綺良のほうは満足げである。秀継に関しては言うまでもない。同様に似合っているものの、少女の、かおり高い芋ジャージを着せられた気分。


「それ、で。あんたはここのこと、なんか知らない?」


「カゲが出る……」


「それから、」


「出会った人間に、服を着替えさせられる?」


「それは違う。あんただけだよ」


「綺良は、将来垂れないために、ブラジャーをつけたほうがいい」


「分かった。お前もわたしと同じだな」


「ゔんっ」そのひらたい胸に一発見舞ってから、綺良は言った。「話がある。と言うか、ちょっとした問題があってな。知らないもん同士、協力だよな」言葉に、強制力があった。秀継は観念するしかない。


「その、場所は?」


「このすぐだよ。もう、かなり歩いたし、たぶんそこがゴールなんだろうけど」


「そもそも綺良はどうして?」


 言い出した綺良を先頭に、二人はもと来た方向へ。おそらく順路を進んでいく。


「あたしは、野宿してんだよ。昨日の朝辺りから。そんで何回もき止まりに引っかかって。何回も逃げて、」


「綺良は、戦わなかったの?」


「戦うだって? アレと? 赤んぼうと、か。嫌だね。さわらぬ神にたたりなしって言うだろ。なんでも。現に、あんたもあたしもここまで来られてるじゃない?」


「そう、」


 とくに気掛かりがあるはずもなく、秀継は了解した。つまり自分の判断が間違っていた、とも、綺良こそが間違っている、とも思えなかった。ある一つにおける方法が、状況で異なってしまったのだと言う憶測に仕舞しまい込んだ。

 それでも、場所には到着した。


 一回りした、どうやらそこは通路や外観と同様の石材のようなものでできているみたいだが、なんと言うか積まれ方が小さなドーム型と特異で、さらに、中央部にある円筒状のものが天井をつらぬいていた。正面に据えると内側に、一本の階段が螺旋をえがいてたっていることも分かった。つまり、「ここから、上に行くのか」塔の、塔たる由縁ゆえんがようやくそこにあらわされたのだ。


「綺良っ、」と、確証を得たときのすがすがしさに、見るが、


「ここだ」


「え?」まぬけなトーンで訊き返す。「だから、ここがなんだってのか。お前の意見がほしい」


「何って、」口走るより先に、秀継は気づく。隣を歩いたその清くたおやかなひとみが、階段のある場所を、あたかも見透かしているかのようだったのだ。


 が、勿論実際には見透かしてなど居ないはずだし、懐疑的なまなざしから、まずもって目視すらできてないのだろうが、それならと有り体に言ったところで「見透かしている」の語意による堂々巡りをきっしてしまうわけだ。ただ一つは確かに、彼女の風体からにじんだ「不自然さ」を、感じ得ることこそできていた。


 秀継は呼び掛けた。「綺良は、どういうふうに見えているんだ」それで先にコンビニで購入した、四本入りのカ●●ーメイトをとり出し、山吹色の外箱とうぐいす色の包装紙からのぞいた一本を彼女に、譲り渡した。


「決まってるじゃない、行き止まりだよ。ただちょっと、今まで見てきた雑なものじゃない何か、ここは意図があって造られたような気もするけどさ。でも結局行き止まりに変わりない。今日もここで野宿は、確定かな、なんて」


 と、やけに落ち着いた言葉尻を据えて、彼女はなかほどまで食んだ。


「フルーツ味は、嫌いじゃない?」


「ん。別に」


「そう」


「これじゃ不満か? でも、たかがメイトでな、それに、無理してあんたに買わせたってわけじゃないんだ。だからちゃんと、嬉しいもんだよ」


「そうか……」


 それでもどうして、秀継は承知できないようすだった。


「はは。そうかっ。悪い、文句の一つでもつけられたら、少しはマシな会話ができたんだよな」


「でもボクは、フルーツ味を進んで選んだことはない。棚に、売れ残ったのがそれしかなかったから、カ●●ーメイトでなら、それを食べざるを得なかった」


「秀継はもっと、自分のやること成すことを、長い目で見てやったほうがいいかもな……」


 綺良は、表情をかすかにほころばせた。それは愉快そうにも、たんに妖艶だ、とも取れた。


「綺良」


「ん、」おおげさにひるがえって彼女は、食べかすのついた口端や下くちびるをまごつかせる。今に、ようやく気づいたと言わんばかりにとっさに指を這わせていた。「なんだよ?」「この、上に、のぼりたい?」「あぁ……やっぱりまだあるのか」しかし、どうしてか物憂ものうげだ。


「ボクには、階段が見える。ここに階段はある。きっと、綺良がのぼりたいと思えば、それは綺良にも見えるようになるかもしれない」


「なんだそのファンタジア! って、言えばいいんだろうな、区営アパート群のどまんなかに時代錯誤もいいところの何かしらが建っていることにも。誰も気づかなかったのか? 東京は、いつからパチモンを置いてもいい町になったんだ? これローマのあれだろっ?」


「なにを言ってるの」


「何も。それよりさ、あんた、ここにのぼってなんの得があるんだって思うわけ?」

綺良は、ずり下がって来た衣装を正しながら、彼のあまりの煮え切らなさに苛立ちを隠し切れないようすであった。「それは、」「別に、明確な答えがほしいってわけじゃないんだ。あんたも知らないだろうし、な」そして、一気に詰め寄られ、「多分。あたしもあんたも底知れない事情でここに居るんだろうね、詮索したいとも思わない。理由なんてくだらない。ただ、もう分かってるだろ? 引き返せないんだよ。だから、もしこれでのぼるしかないって言うんなら、ちゃんと、それなりの理屈をとおせって、」凛とした声、はなはだ、みのった軀で示されてしまった。秀継は無知であるなりの知識、判断と倫理でもって返さなければならなくなったのだ。


 ふと、右手のなかの枝を見た。気味の悪いヤツらを撃退できたのはこれこそであった、ゆえに、実質の秀継が影を倒し得る力をもっていたなんて、事実はない。彼はただの愛らしい少年、だから、全文をとおして愛玩されることがすべてのはずだ。綺良へと適切な応答ができる能も、役割も、本来から必要なかった。


 けれども。「……今は、何もない、ただの好奇心じゃだめなのか」


 心根よりの言葉を、口元まで持って上がれてしまったから、


「何も、接点のない君とボクが、同時期におんなじ場所を目指した。それだけで『偶然』だと、説明できる。だから、きっともうこの先に『必然』はない。決めつけられるといつも孤独で、つらかった。綺良に関しては、どうか分からない……少なくともボクは、ここにのぼらないで外の、『必然』に帰るのは嫌だから。帰らなくてもいいことが、得、だよ?」


 無条件に、それが、おびえた声音だとわかる。誰にも。自分の、自分だけの解釈を展開すると言うのは途轍とてつもなく、おそろしいことなのだ。

 結果的に憶測を言い、けれどそれが信じられる真理だと明かした秀継には、どうして綺良も、好意的にふるまうしかなかった。そして彼女にも、やがて階段が薄ら見えるようになった。果たしてそこに根づいていたと認識できたころには、二人揃って上階に、のぼった。





 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――






第2話  流れもの

 対話とは、勝負であり、交流ではない。宗論のぶつかるところには、かならず普遍性が生まれ、身勝手な主体性が色を損なえる。すべて人は自分のために誰かを認め、誰かのために自分を見限る、そう言うことができる存在だ。だから「塔」が据える真理の輪郭――それは、かならず人間たちの全体理解から生まれる。そこからしか生まれないのである。





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